June 22, 2008

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい 雲竜奔馬編④

20080622190634あれ? 今回はそんなに間空いてないよな?
『風雲児たち』のあとを受けて始まった『雲竜奔馬』。今回は主に最終五巻のストーリーを紹介します。

父を弔った後、再び江戸へ出てきた坂本竜馬。さな子さんのアプローチを何とかかわしたり、ジョン・万次郎と友好を深めたり、忙しい日々が続く。そんな中、同郷の武市半平太が土佐藩邸で行われる御前試合への参加を勧めてきた。なんとなく出場した竜馬だったが、並みいる強豪たちを次々に倒し、あれよあれよという間に決勝戦へ。決勝の相手は斎藤道場の天才とほまれ高い桂小五郎。果たして「江戸最強」の称号は、どちらの剣士に与えられるのか・・・・

この御前試合でのエピソードは、いろいろな「竜馬もの」で特に盛り上がる箇所のひとつですね。トーナメント方式で行われる激戦を潜り抜け、最後に最強のライバルと合間見える。少年漫画ファンとしては燃えずにはいられません。
ただ細かいコマ割りで緻密なドラマを語り続けてきた『風雲児たち』とはかなり違うムードとなったため、ファンの間ではこの辺が特に評判の悪い部分だったりします。
わたくし考えますに、恐らくこの時点で先生はもう「『トムプラス』&『雲竜奔馬』にはもうあんまり先がない」ということをご存知だったのでは。それで一応ラスト近くに大きな盛り上がりをもってくるべく、この御前試合のエピソードを描く事にされたのではないでしょうか。

しかし残念ながらこの「御前試合」、現在では「後世の創作」であることがほぼ明らかになっています(笑) そうだよなー。なんか「できすぎてる」とは思ってたんだよなー。そこで浮かび上がるのがこんな疑問。
「竜馬は果たして剣客としてはどの程度の腕前だったのか?」
これに関しても疑いの目で見る方は多いようです。竜馬の遺族にしてからが、「剣の腕は大したことない」などと証言しているようですし。それに竜馬といえば、剣というよりピストルのイメージの方がみなさん強いのでは。
ですが、「大したことない」腕の人間が、果たして当時人気ナンバーワンだった千葉道場において塾頭を勤め、さらには「免許皆伝」を与えられることなどあるでしょうか?
そんなわけで、わたしはトップテンに入るまではいかずとも、トップ50くらいの範囲には含まれていたのでは?と考えております。
あとこの御前試合、創作にすぎないとしても、このとき決勝を争った二人が後年片やピストルを愛用し、片や逃げに徹したというのはなんとも面白いものですね。

20080622190651来るべき暗黒時代を予感させて、『雲竜奔馬』はとりあえず幕となります。復活したかと思ったら二年ちょいでまた終了。このころが『風雲児』ファンにとっては最大の暗黒時代だったかもしれません(笑)
ですが皆さんご承知の通り、『風雲児たち』はそのさらに一年後、時代コミック専門誌『コミック乱』において二度目の復活を実現。青年竜馬のわやくちゃな青春は、そちらにて熱烈継続中であります。

というわけで次からは『幕末編』編になるのかな? 乞えないご期待。

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April 02, 2008

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい 雲竜奔馬編③

20080402195633まーたーしーても久方ぶりのシリーズ記事。前が昨年の11月だったから・・・ あははは
ちなみに『風雲児たち』のいままでの記事はコチラ

1853年黒船来航。江戸がパニックに陥る中、一人「あの船ほし~っ」とボケをかます青年がおりました。彼こそは後の維新の立役者、坂本竜馬そのひとでした
アホなりに国の行く末を憂う竜馬くん。彼の心配をよそに、「もう一度来る」と約束したペリーは、約半年後再び黒船とともに姿を現します。

竜馬一人に焦点を絞る、という姿勢で書かれた『雲竜奔馬』。しかし単行本三巻目あたりにくると、その姿勢にもほころびが見えて参ります(笑)。
対米交渉に決死の覚悟で挑む江川太郎左衛門。米国の知識を入手すべく密航をたくらむ吉田松陰。そして少しずつ出世の糸口をつかんでいく勝麟太郎・・・
竜馬の姿はどこへやら、『風雲児たち』でおなじみのメンバーが次から次へと登場し、前シリーズとほぼ変わらぬスタイルになってしまっています。実際このあたりはほぼ丸々現在連載中の『幕末編』に再録されておりますし。

もうちょっと前、やはり『風雲児たち』のファンである方とこんな話をしたことがありました。
わたし 「あのあたり読んでると、『竜馬一本に絞りたいんだけど、これだけは最低書いておかないと。でもあれも書かなきゃこれも書かなきゃ』という先生の苦悩が伝わってくるんですよね」
その方 「いやー、わたしは最初は『竜馬一本に絞る』と編集部には言っておいて、そのあとズルズルと『風雲児たち』のスタイルに戻すという、そういう戦略だったんだと思いますよ」
なるほど(笑)
でもこれ確かな裏付けがあるわけではなく、二人の想像にすぎませんので、くれぐれも信じないでください

さて、その間竜馬君はなにをしてたかというと、幼馴染である岡田以蔵くんのことで色々悩んだりしておりました。
剣の腕前はなかなかのものなのに、身分が低いゆえに江戸に修行に出れない以蔵くん。彼を見ているうちに、竜馬の胸には身分制度に対する疑問がムクムクと沸き起こってきます。

「武士だけがエライんやない・・・・・・ 人間は・・・みんな好きな道を歩いてええんじゃ」「自分のやりたいことをやる・・・・・・」
「そらあメチャクチャわがままやのう」
そうです。今では当たり前の職業選択の自由も、多くの人にとっては「わがまま」とされてしまう時代だったのです。
「『基本的人権』とか 『自由』という言葉も考えもまったくない時代である」
「竜馬たちはそれを手探りで探さねばならなかった」

しかし竜馬は一人の画家と出会うことによってその突破口を見つけます。その画家の名は河田小竜。同郷のジョン・万次郎から海外の情報を仕入れていた小竜は、竜馬に米国の政治形態についてこう伝えます。

「アメリカの将軍様(プレジデント)は商人でも町人でも軍人(サムライ)でも 誰がなってもええっちゅうんじゃ」
「ほいでアメリカの民百姓は投票(いれふだ)で将軍を選ぶんじゃ」

瞬間、目からウロコがすっとんでいく竜馬。

「ほうじゃ・・・ ほれがホンマじゃ・・・・」

自分たちを治める者は自分たちで選ぶ。いわゆるデモクラシーですね。
このとき竜馬は自分の行くべき道を見つけます。しかし周囲の者たちは「またアホがアホを言い始めた」と誰も相手にしてくれません(笑)。そして吹き荒れ始める血なまぐさい風。。青年は自分の理想にどこまで近づくことができるでしょうか・・・・

20080402195652ところでこの
←吉田松陰のキャラクター、昨年製作された水島精二監督作品『大江戸ロケット』にてアニメデビューを果たしました(マジ)
同じ監督の作品とゆーことで、『ガンダム00』にも出てこないかなーと密かに期待してたんですが・・・・


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November 16, 2007

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい 雲竜奔馬編②

20071116195607それでは『雲竜奔馬』本編について語るといたします。

第一巻が始まるのは嘉永6年6月から。実は無印版『風雲児たち』終了の年代から二年半の空白があるんですが、それはひとまず置きまして。この時、『風雲児』ファンが首を長くして待っていたイベントが訪れます。それは「黒船来航」・・・ そう、まさに「幕末」の開始となった出来事です。
もしやこれが日本国の最後となるのか・・・・ 得体の知れぬ黒船に恐怖を感じ、各々覚悟を決める武士たち。
そんな中にあって、ただひとりすっとぼけた反応を示した青年がいました。

「わし、あの船ほしい~っ」

彼こそは後の維新の立役者、坂本竜馬そのひとでありました。同様のシーンは後に『幕末編』でも描かれますが、『雲竜』の方がよりアホっぽくて好きです。
前に『新選組!』の記事でこんなことを書きました。「『アホウ』というのは行動力がハンパじゃありません。薩長同盟にしろ大政奉還にしろ、なまじ知識のある人間は『そんなの無理無理』とすぐ諦めてしまいますが、アホウにそんな常識は通じません。まあ並みのアホウなら『やっぱりダメだった』で終ってしまうわけですが、竜馬が違うのは、『実際にやってみて』実現させてしまったところです」
本作品では『新選組!』と同様に、こうした竜馬のアホっぷりが楽しくにぎやかに語られていきます。

もっともアホだってアホなりに色々考えたり悩んだりもします。身分のために苦しむ友人、岡田以蔵。脅威がすぐそこに迫っているのにお互いが信用できぬため、共同戦線のとれない幕藩体制。こうした理不尽な現状を見てるうちに、竜馬青年の胸にいつしかムラムラとしたやり場のない思いがわきあがってきます。

「何かわからん血が胸ン中で騒ぎゆう」「謀反人の血じゃろうかのう・・・」

さしあたって三百の藩を一つにまとめられないかと思案する竜馬くん。しかしそれでもなおアメリカとは全然格が違うことに、彼はまだ気づいていません。

それなりににぎやかではあったものの、どうしても説明文の多くなってしまった『風雲児たち』。それにひきかえ『雲竜奔馬』はとにかく明快でやかましい。以前からのファンにはそのシンプルなノリがお気に召さない方たちもいたようですが、わたしとしてはみなもと先生が当初抱いていた『風雲児たち』のイメージとは、むしろこういうものだったんじゃないかと考えております。

ペリーは自分の用件を言うとあっさり去っていきますが、その半年後、質問の答えを聞きに再びやってきます。その時、幕府はいかにして対応したのか。また次代をになう若き獅子たちはどんな思いを抱いていたのか。それについてはまた次回扱います。

20071116195554くどいようですがオンライン書店BK1ではただいまみなもと太郎★作家生活40周年記念キャンペーンを実施中。

はい。回し者です。

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October 26, 2007

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい 雲竜奔馬編①

20071026185620気がつけばここもずいぶんほったらかしてたなー(苦笑)。お休みしている間に、なんと御作者みなもと太郎先生自ら目を通してくださっていたことが判明いたしました(((( ;゚Д゚))))。まさにお尻から血が出そうな気持ちでございますが、張り切って再開したいと思います。今回は懐かしの『コミックトム』の思い出について。つっても、わたしこの雑誌ほとんど読んだことないんですけどね(^^;)

1965年、潮出版社から『希望の友』という漫画雑誌が創刊されました。『希望の友』は後に『少年ワールド』『コミックトム』と名を変え、漫画黄金期の影でひっそりと出版され続けます。この『トム』、言ってみれば「横山光輝氏の『三国志』さえ載ってれば、あとは大概のことはOK」という雑誌だったため、世間ウケに流されない文芸的価値の高い漫画が、多数生み出されることになりました。手塚治虫『ブッダ』、諸星大二郎『西遊妖猿伝』、坂口尚『石の花』、星野之宣『ヤマタイカ』・・・・ そしてわれらが『風雲児たち』もまた、そうした作品の一つでありました。
『三国志』完結後も、横山先生は『若き獅子たち(項羽と劉邦)』『殷周伝説』と、『トム』に中国史劇を連載し続けます。しかしさすがに寄る年波には勝てず、97年に体調不良でダウン。大黒柱を失った『トム』は休刊を余儀なくされ、『風雲児たち』もそのあおりを食らってひとまず終了したのでした。

ところが横山先生&『トム』は驚異的なねばりを見せ、半年後に復活。『トムプラス』と名を改めた雑誌において『殷周伝説』を再開します。その連載陣の中にはもちろん「みなもと太郎」の名はありましたが、『風雲児たち』の字は見当たらず、代りにあったタイトルは『雲竜奔馬』というものでした。

この『雲竜奔馬』、主要キャラクターはみな『風雲児たち』から引き継がれておりますが、一応「坂本龍馬」が中心となった作品となっております。そのため竜馬と関わりの薄い人物(村田蔵六、おイネなど)は言わば「切られた」形となってしまいました。
多数の視点から公平な史観を作り出す、というコンセプトのもと描かれ続けてきた『風雲児たち』。しかし幕末も近くなってくるとどんどん追いかける人物も多くなっていき、いつまで経っても話が先に進まない事態に(笑)。そんなわけでリニューアルに合せて、編集部の「もっとシンプルに!」という命令が強行されることになりました。また編集部としてはメジャーな人物である竜馬を主役に据えることで、この作品を横山史劇と並ぶ二枚看板に発展させたい、という狙いもあったようです。しかし残念ながら『雲竜奔馬』が世間に浸透する前に、『殷周伝説』は完結。横山先生は事実上引退され、『トム』は今度こそその命を終えたのでした。

そんな事情のもと描かれたこの『雲竜奔馬』は、やや微妙なポジションの作品となってしまいました。『風雲児たち』の続編のようでいて、いささか方向性を異にしている。その点不満を抱いた読者たちも少なからずいたようです。わたしといえばどんな形にしろ続いてくれたこと自体がありがたかった。しかし宙ぶらりんになってしまった蔵六や西郷どん、おイネの物語はもう語れることもないのだろうか・・・と寂しいものを感じたのも確かです。幸いにも『風雲児たち』はその後さらに奇跡的な復活を遂げることになり、「切られた」キャラたちのお話はちゃんと続行されることになるわけですが。

『雲竜』の中で書かれたストーリーのほとんどは、現在連載中の『幕末編』にちゃくちゃくと組み込まれております。このまま行けば『雲竜奔馬』という作品が消滅するのも時間の問題でしょう。しかしそれではあまりにも不憫ですし、この漫画には好きなところも多々あるので、これから数回はこの『雲竜奔馬』を中心に語っていきたいと思います。忘れられぬよう(笑)

20071026185718現在オンライン書店ビーケー1では、みなもと先生の画業40周年を祝して、サイト内に「みなもと太郎特設コーナー」が設置されております。
http://www.bk1.jp/contents/booklist/0710_minamoto01
あとこちらはわたしが書いた1、,2巻のレビュー
http://sga851.cocolog-izu.com/sga/2006/03/post_e154.html
そんなわけで未体験の皆さん、買うなら今です!

そうです。回し者です(笑)

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March 07, 2007

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい⑰

20070307174743気がつけばこのコーナーも二ヶ月以上間が空いてしまった・・・・ ま、いっか♪(よくない!)
『風雲児たち』第一部最後のレビューは、「時代に早すぎた男」の一人、高野長英について語りたいと思います。

彼については『風雲児』よりも先に、吉村昭先生の著作『長英逃亡』などで読んだことがありました。それらの資料からわたしが抱いたイメージは、「学びたい、という欲求のためにはどんな犠牲も厭わない、学問の鬼、もしくは聖人」というもの。それがみなもと先生の手にかかると、「オレ以外は全部バカ」ですから(笑)。わたしの中の聖人のイメージが、音を立てて崩れていく瞬間でした。
でも「血も涙もない学問マシン」よりかは、「えばりんぼだけど弱いものには優しく、蘭学においても医学においても超天才」というキャラクターの方が、よほど魅力的なことは確かです。
シーボルトの高弟で時の多くの才人たちと交流し、その反骨精神が仇となって「蛮社の獄」の被害者となる・・・・ これだけでも十分歴史に名が残る人物です。しかし彼の人生がすごいのは、むしろここから。
ほとんど極限状況のような牢内でそれなりにがんばるものの、一向に明るい報せの入ってこない日々に、次第に追い詰められていく長英。
そして1844年6月30日、伝馬町より火の手があがります。人命尊重のため外に切り離される囚人たち。ですが猶予期限の三日を過ぎても、「その男」は戻ってきませんでした・・・・

江戸期を通じ、伝馬町において計画的脱獄に成功したという例はほとんどありません。それをやってのけたということもまた、長英という男のすごいところです。そしてそこから始まる息詰まる逃亡の物語は、ぜひご自分で読まれることをおすすめします。

彼が何より欲したものは「自由」でした。それは人であればごく当たり前に欲するものです。しかしちょっとした判断ミスのために、自らその自由を失ってしまうという皮肉。そして脱獄に成功したというのに、さらに不自由になってしまうという皮肉。もう少し待っていれば放っておいても自由になれたという皮肉。自分の望みのために多くの人の自由を奪ってしまうという皮肉・・・・・ 長英の後半の人生は、皮肉に彩られています。そうした人生の中で辛酸を舐めることにより、いつしか傲慢だった長英が人格的に成長を遂げてしまう。これもまた皮肉なことであります。
その激しい半生の最後に待っていたものとは、果たして。

さて、冒頭で名前を出した吉村昭氏について少し。司馬遼太郎リミックスという発想で始まった『風雲児たち』。ですがこの第一部では、むしろ吉村氏の作品とかぶっているところが多い。この無印編は、幕末の志士たちに影響を与えた人々を主に扱っています。前にも述べましたが、彼らの活動は時流に沿わない、あるいは最高権力に反攻するものであったため、孤独なものにならざるをえませんでした。そうした流れが「極限状況」→「孤独な戦い」に興味を持たれていた吉村氏の作品と、シンクロしてしまったものと思われます。
そうした吉村作品には『長英逃亡』のほかに、『冬の鷹』(前野良沢)、『彦九郎山河』(高山彦九郎)、『大黒屋光太夫』(まんま)、『ふぉん・しいぼるとの娘』(シーボルト・イネ)、『日本医家伝』(いろいろ)などがあります。読み比べてみるのも一興かと。

20070307174823ある意味『風雲児たち』第一部後半を象徴するような人物、高野長英。彼の退場と入れ替わるように、一人の青年が江戸へ向けて出発します。青年の名は坂本竜馬。この竜馬の旅立ちをもって、『風雲児たち』はひとまず幕を下ろすことになります。
その後のこれまた波乱の運命については、また項を改めまして。


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December 16, 2006

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい⑯

20061216180014みなもと太郎先生の手による大河歴史ギャグマンガ。16回目は志士たちの「夜明け前」について語りたいと思います。潮版で21巻以降、リイド版で15巻以降のお話。

幕末のチャンバラを描く事が目的だった『風雲児たち』。何事にも丁寧な?みなもと先生の性分のためか、物語はなかなか幕末にたどりつきませんでしたが、さすがにこのあたりになると、ようやく幕末のビッグネームが次々と顔を出すようになります。勝海舟、坂本竜馬、吉田松陰、西郷隆盛、村田蔵六・・・・・ どちらかと言うと「知られざる」人物を扱うことが多かった当作品にこれらの傑物が登場してきたときには、さすがに感慨深いものがありました。
しかし彼らが生まれたばかりのころ、日本はまだ眠りの中にありました。そんな中、志士たちはどのような少年時代を送ったのか。そのあたりが暖かく、時に激しいアクションを交えつつ描かれます。
際立つのは「貧乏」というキーワード。竜馬や桂小五郎など一部を除き、明治の元勲たちはみなド貧乏な家の生まれでした。「あのー読者ももう飽きちょりますけん」というツッコミが作中で語られるほど、貧乏エピソードが続けざまに語られます。しかし不思議と暗い印象はありません。みなもと先生の筆致もありましょうが、彼が後々驚異的な打たれ強さを発揮するのは、この貧乏のドン底で鍛えられたからでは・・・・ そんなことを思わせられます。そして食べ物に関する逸話が多いのも、また偉人たちを身近な存在にしています。この辺は一昨年の大河ドラマにも、深い影響を与えているのではないでしょうか。

数ある若者たちの中でも、やはり目立っているのは吉田松陰と坂本竜馬。松蔭は他の人物より一足先に登場していますし、竜馬にいたっては、単行本第一巻において初めて顔を出すキャラが彼だったりします。このあたり、先生の愛情が一際深くの二人に注がれていいることを感じさせます。
この竜馬と松蔭の共通点について、少し考えてみました。
まず二人はすんげー厳しいスパルタ教育によって育てられています。松蔭は叔父の玉木文之進に。竜馬は姉の乙女に。ちょいと隙を見せただけでも鉄拳が飛んでくるハードな指導。今だったらさしずめ虐待とも受け取られかねないのでは・・・・ そう思うといささか複雑な思いがいたしますが、この環境が竜馬・松蔭を一角の傑物に育て上げたのはまちがいありません。また、いいか悪いかはさておいて、その指導の裏には深い愛情があったことも確かです。

もうひとつの共通点は、両人にみなもとマンガの常連キャラが割り当てられているということ。
『ホモホモ7』『冗談新撰組』『ハムレット』『レ・ミゼラブル』・・・・ わずかな例外を除き、みなもと少年マンガの主人公は、みな同じ顔。わたしは便宜上「主役くん」と呼んでおります。そして本作品の坂本竜馬は、この「主役くん」の顔に描かれています。『レ・ミゼラブル』完結から潮版21巻が出る前まで、彼は長らく休業状態でありました。しかし時代がようやく幕末に近づいたころ、「主役くん」は満を持して復活いたします。こうした点も、古くからのみなもとファンには感慨深いものがあったのではないでしょうか。
一方の松蔭先生。彼はもともと『冗談新撰組』の沖田総司として作り起こされたキャラでした。ですがそのシンプルでインパクトのあるデザインゆえか、その後も度々みなもと作品に顔を出すことになります。他の出演作品は『レ・ミゼラブル』のマリウスくんなど。いかにも脱力系の顔立ちですけど、根強いファンもけっこういるようです。
みなもと作品の常連スターには、もう一人、顔からはみ出すほどの口をもつ「大口さん」なるオヤジがいます。彼はいまのところ近藤勇として登場する予定なので、本格的な出演はもう少し先になる模様。はやく出てこないかなー

20061216175940どうやら「無印編」最後のレビューは来年に持ち越しそうです。切れの悪い・・・・ んなわけで、次は高野長英の後半生について語らせていただければと。ハイ


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November 15, 2006

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい⑮

20061115194658『風雲児たち』コーナー15回目は、志士たちに先駆けて外国と格闘せざるをえなかった二人の若者について書かせていただきます。潮版22巻のラスト2章から、29巻の最後まで、リイド版16巻70ページから最終20巻最後までの話です。

幕府に命じられ泣く泣く日本を去っていったシーボルト。彼は日本に一人の娘を残していきました。その娘の名は「いね」。成長するにしたがい、まだ会ったことのない父への思いを募らせるイネ。彼女は蘭学と医学に励むことで父を身近に感じようとします。しかし封建的な社会で女性が医学を学ぶのはほぼ不可能。さらに彼女にはハーフであるゆえ、外見的にも非常に目立つ存在。そんな二重の壁を乗り越え、少しづつ夢へ近づいていく様子が描かれます。
全てのマンガを平等に愛すみなもと先生。当然少女漫画も大好きです。ゆえに本作品の美女はみな少女漫画ちっくに、あるいはアニメ風に描かれていたりします。おイネちゃんも例外ではありません。無印版『風雲児たち』後半は他に目立ったヒロインがいないためか、彼女は特に気合を入れて可愛く描いてあるような気がします。もはや歴史的人物というよりアニメキャラのようですが、その分画面も華やかでございます。

もうひとりは中浜万次郎。ジョン・万次郎という名のほうが知られているでしょうか。土佐の船乗り(しかも下働き)に過ぎなかった彼は、沖で嵐に遭遇したことから、想像を超えた旅に出ることになります。漂流、無人島での生活、アメリカ人たちとの出会い、そして開拓時代の合衆国へ・・・・ 漂流記というと思い出すのは、先に紹介した大黒屋光太夫。けれど万次郎の旅は光太夫のそれほど深刻には描かれていません。むしろ痛快な冒険活劇のようです。恐らく大西部を生で見た唯一の日本人、ジョン・万次郎。その青春がにぎやかに元気よく語られます。

この二人について先生は、「底抜けに明るい」人物だったのでは、と想像しておられます。それほどにポジティブでなければ、たぶん苛酷な状況の中で押しつぶされてしまったであろうから。逆境だらけの境遇を二人は発想の転換と笑顔で強かに乗り切っていきます。不幸に思えるような環境も、考え方次第で幾らでもハッピーにできる・・・そんなことをおイネとジョン・万から学ぶことができるのではないでしょうか。

20061115194724この美女と野人の物語は、「幕末編」においてもなお続行中です。激動の時代を迎えた日本を、二人はどう生きたのか。楽しみに見守っていきたいと思います。


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October 17, 2006

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい⑭

20061016193317_1アニメ『天保異聞 妖奇士』のスタートで図らずもタイムリーな話題になってしまいましたが、今回は「天保の改革」とそれに関る奇人たちをご紹介いたします。潮版で22巻半ばから26巻半ばまで、リイド版で16巻から18巻191Pまでのお話です。

歴史の教科書にもあるとおり、徳川幕府はその治世中、三回の大きな改革を行ないます。徳川吉宗の「享保の改革」、松平定信の「寛政の改革」、そして水野忠邦の「天保の改革」です。これらの改革に共通している姿勢は、よく言えば「ムダを省くこと」、悪く言えば「ケチること」です。人口増加やそれまでのツケのため、この路線はあとにいくほどジリ貧になっていきます。

そんで最後の改革を指揮した水野忠邦。このひとがまたえらいガンコ者というか変わり者というか。普通政治家ってお金が好きなものと相場が決まってますが、彼は儲けることにはまるで興味を示しません。念頭にあるのは、ただ、自分の理想を実現させることのみ。あれ? じゃあ立派なひとじゃん! でもこの理想ってのが現状をまるで無視したサムライ中心のものだったため、江戸の庶民はえらい迷惑をこうむることになります。頭でっかちのリーダーに振り回されたことのある人だったら、この辺よくわかるかも。

さて、この水野氏には大変対照的な部下が二人おりました。ひとりは前回名を挙げた鳥居耀蔵。表向きは水野の理想に心酔しているフリをしながら、裏では政敵を陥れ、私腹を肥やすことに精力を傾けます。みなもと先生の人物描写ってまことに公平でして、難のある人物でも評価すべきところや長所はきちんとすくってるんですが、この鳥居氏に関しては「まるでいいとこひとつもなし」な書かれっぷり。よっぽど腹に据えかねたんだなあ、と思いました。そんなわけで彼はいまのとこファンの間で憎まれ№.1の座をほしいままにしております。

で、もうひとりはご存知入れ墨奉行・遠山の金さん。あれ? 金さんって架空の人物じゃないの?と思ったアナタ、遠山金四郎は確かに実在した人物です。まあわたしもこのマンガ読むまでは、時代劇の中だけの人だと思ってましたけど。さすがに毎回お白洲で脱いでたわけじゃないようですが、入れ墨をしていたとか、若いころぐれて家出してたというのは本当のようです。青春時代町人たちと親しんでいたということもあり、庶民の味方であろうと決意する金さん。しかしそれは上司とその腹心を敵に回すことでもありました。そんな極めて厳しい状況で、金さんがどのように戦っていったのかは、本編をご覧いただきとうございます。

20061016193340無印編の(ぞんざいな)レビューも残すところあとわずかとなってまいりました。次回は夜明け前に志士たちに先駆けて海外と格闘することになったおイネ&ジョン・万についてやりたいと思います。それを含めてあと三回くらいで次のステージにいけるかしらん。

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September 19, 2006

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい⑬

20060919212808『風雲児たち』コーナー13回目。今回はいわゆる『蛮社の獄』について少々。潮版で18巻から22巻中ほどまで、ワイド版で13巻から15巻までのお話です。

シーボルトが去った後も、日本の蘭学は着々と進歩を遂げていきます。その原因のひとつは「尚歯会」なる画期的なグループが発足したことにありました。身分も専門もバラバラでありながら、真に国を憂い、その道の学問を究めた多くの学者たちは、こぞってこの集団に参加します。その中心となったのが、高野長英と渡辺華山でした。
高野長英は岩手の殿様の主治医の家に生まれましたが、田舎に縛られるのを嫌い、家出同然の形で故郷を飛び出します。その後いろんな経緯を経てシーボルトが起こした「鳴滝塾」に入門。以後天才の名をほしいままにします。
渡辺華山(本名は登)は渥美半島に位置する田原藩の出身。家老を務める家柄の生まれでしたが、田原藩は領民はもちろん殿様までもがド貧乏というとんでもない藩だったため、華山と家族も当然貧乏に苦しめられます。家系を支えるため、あちこちで学問・絵を学ぶ華山。いつしかその苦労が多くの才人たちとの交流につながっていきます。
尚歯会の活躍は目を見張るものがあり、幕府の要人たちですら、その存在を無視できなくなっていきます。もし彼らがそのまま幕政に参加できたとしたら、明治維新はもっと違ったものになっていたことでしょう。ところがそんな状態を苦々しく思う一人の男がいました。男の名は幕府目付・鳥居耀蔵。複雑な家庭事情のゆえか出世欲に取り付かれた彼は、邪魔者たちを巧みに排除していきます。そして尚歯会の人々にも、その毒牙が向けられることになります。

「蛮社の獄」とは幕政を批判した蘭学者たちが、怒った幕府によって処罰された事件、という風に認識されています。ところがこのマンガを読むと、そういったイメージと実像はやや異なるものであったことがわかります。まず幕政批判とされた長英の『夢物語』、これについて時の将軍は「なかなか面白かった」なんて評していたり。また「蛮社」こと尚歯会全体が弾圧されたような印象がありますが、処罰されたのはごく三、四名。ではいったいどうして先に述べたようなイメージが出来てしまったのか? 現代社会と対比しながらみにゃもと先生はその原因にせまります。

長英についてはまたいずれやらせてもらうとして、少し渡辺華山さんについて。貧乏話にはことかかない『風雲児たち』ですが、彼の貧乏はその中でもとくにすごい。ひとりで一年暮らすのに20両必要だった時代に、渡辺家(11名)は年間約十両しかもらえなかったというから気が遠くなります。
その後華山の努力のおかげで藩も家もちょっとずつ上向いてくるのですが、その幸せは長くは続かず・・・
このマンガに登場する風雲児たちには、壮絶な死を遂げるものも数多くいます。それでもむなしくならないのは、例え彼らが非業の最期を遂げたとしても、その仕事は着実に後の世代へと受け継がれていっているから。けれど華山さんに関しては、どうにも納得できないものが残ります。これほどひたむきにがんばっている人が、どうしてあれほど辛い目に遭わなければいけないのか。またその業績も他の主人公たちと比べ、それほど目立つものではありません。しかし何事にも真摯なその姿勢は、後に対外交渉において大きな役割を果たす同志・江川太郎佐衛門の心に、きっと深い影響を与えたことでしょう。そう考えて自分を慰めることにします。

またまた暗くなってしまいましたが、華山氏には洒脱なエピソードも色々あります。クソマジメなようでいて、お酒と女子が大好きだったり。興味を持たれた方は調べてみるか、このマンガを読むかしてみてください。次回は「天保の改革」と「遠山の金さん」についてやらせていただきます。
20060919213107※左の絵、“ワタナベ先生の絵”とありますが、まちがいでした。本当は広重先生の絵でした。
両先生ならびに皆様、大変失礼いたしました。勘弁してつかあさい

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August 29, 2006

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい⑫

20060828213100久しぶりの風雲児コーナーです。今回は潮版18巻から20巻、ワイド版(リイド社)13巻・14巻のお話。この部分では文政年間に来日した外国人医師・シーボルトにまつわるエピソードと、世に名高い「大塩平八郎の乱」の顛末が描かれます。

それなりに「知ってるつもり」だったけど、ある本を読んでその人のイメージがガラリと変わった・・・・ そんな経験ないでしょうか。わたしは『風雲児たち』で、何回かそんなことがありました。
たとえばシーボルト。まず医師であり、それ以外にも様々な分野に通じた人物。ですから「まあかなりのインテリだったんだろうなあ」と、線の細いひょろっとした男をイメージしておりました。ところがどっこいシーボルトは若いころとっても血気盛んで、百回以上も決闘したことがあり、一度たりとて負けなかったというから驚きです。その証拠に顔にはたくさんの傷跡が刻まれていたとか。もちろんマンガではそれが忠実に再現されています。インテリかつ武闘派で、どちらも半端じゃないレベル。まあそんな人でもなければ、当時ほとんどブラックボックスだった日本に「行きたい!」なんて思ったりしなかったでしょうねえ。
制約の多い中、懸命に日本に医学を伝えようと奮闘するシーボルト。その様子が長崎の遊女・おタキとの恋を絡めて語られます。

もう一人の大塩平八郎。彼についてのイメージは、「まずしい人々のため、身を投げ出して幕府に抗議した高潔な人物」というものでした。まあこれはこれでまちがいではない。しかしみなもと先生の描く大塩さんは、どうにも口が悪すぎる。助けに来た貧民たちに対し、「おお、来さらしたか土百○ども!!」などと言い放つ始末。先生、すこし戯画化しすぎじゃないか?と思っていたら、ワイド版ギャグ注には「本当の大塩平八郎はもっと口が悪かった」などと書いてあったからぶっとびました。200年ぶりに起きた徳川幕府への反乱。幕府直参大塩平八郎を、一体なにがそこまで駆り立てたのか? 先生流の陽明学の解釈を背景に、その謎にせまります。

そしてこの巻より『風雲児たち』は天保年間に突入。黒船来航もだいぶ近いところまでやってきました。ですがその前に、大きなイベントをまだ幾つか消化しなければなりません。次回はその一つである「蛮社の獄」について語りたいと思います。
話は変りますが、ワイド版13巻の帯には、シーボルトの子孫の「あの方」が推薦文を寄せておられます。その時は後にこの方とネットを通じてあれこれおしゃべりできるようになるなんて、夢にも思いませんでした。世の中、こんな不思議なこともあるんですねえ。
20060828213008

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