この怒り、どうすレバいいノンか ジアド・ドゥエイリ 『判決、ふたつの希望』
荒唐無稽な映画の記事が続いてましたが、今回はぐっと落ち着いた社会派作品の紹介を。第90回アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされた『判決、ふたつの希望』について書きます。
現代レバノン。右翼的な政治集団に所属している自動車修理工のトニーは、自宅近くで工事を監督していたパレスチナ人のヤーセルが気に入らず、仕事を妨害したうえ侮辱的な言葉を浴びせる。かっとなったヤーセルはトニーにケガを負わせてしまい、二人の諍いは裁判へと発展する。だがトニーについた弁護士が彼を政治的に利用しようとしたために、その論戦は国中が注目するものとなってしまう。
レバノンというとまれに伝え聞く情報や、映画『レバノン』(まんま)『戦場でワルツを』などから内戦で大変だったんだなあ…というイメージがあります。ただ調べたところによるといまはおおむね落ち着いているようで、作品の中にうつる街並みもなかなか風情があって、ちょっと行ってみたい気分になるくらいでした。ただ以前の悲惨な時代の記憶は人々の胸にまだ十分刻まれていて、時折社会に軋轢を生じさせたりするようです。
我々観客から見ると、最初はやはりヤーセルの方の肩を持ちたくなってしまうところ。彼はただ真面目に仕事をしてるだけなのに、トニーの方は明らかに悪意があります。自分も建築関係の仕事なもので、現場の近くにこんなひとがいやだな、とか思いながら観てました(笑)。そしてヤーセルに対して叩きつける暴言がまたひどい。つい殴られても当然だ、なんて感じてしまいます。
けれど裁判の流れの中で彼の過去が明らかになるにつれ、次第にトニーがなぜそんな男になったのかがおぼろげにわかってきます。もちろんどんな生い立ちだろうと他の誰かを傷つけていい理由にはならないわけですが、諍いを解決するにはまず相手の背景を理解することが必要なのでしょう。それを怠るとこちらを攻撃してくる人々はみな悪鬼のように思えてきますし、問題はますます深刻になっていきます。お互いが集団の一員である場合はそれこそ流血沙汰にまで発展しかねません。
ただそんな憎たらしい相手でも、心情を推し量ること、ちょっとした親切を示すことでわだかまりが解きほぐれることもあります。現実にはそう簡単ではないかもしれないけれど、誰にだってできることなのでは。少なくともこの映画の監督はそうした希望を捨てていないようです。わが国はこんな風に難民ががっつり混在してる環境ではないですけど、ほかの国や民族に対するヘイトは頻繁に耳にするので、決して他人事ではありません。
いたずらに観客の感情をあおりたてずに、熱くなる周囲とは反対に二人の心がゆっくりと穏やかになっていく過程が心地よい作品でした。これがハリウッド映画かメジャー邦画だったら最後は二人抱き合っておいおい泣くとこまでいくと思うのですが、その辺も実につつましやかだったのもよかった。レバノンの人々はシャイな人が多いのかもしれません。
『判決、ふたつの希望』は日本では当初4館でのスタートでしたが、評判を呼んで50館に増えたというのが嬉しいですね。さすがに概ね公開終了したようですが、まだ少々残ってるところもあります。詳しくは公式の劇場一覧をごらんください。
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