ひこう少年と不良中年 コーネル・ムンドルッツォ 『ジュピターズ・ムーン』
『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(未鑑賞…)で第67回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリを獲得したコーネル・ムンドルッツォ監督が次に撮ったのは、ちょっと不条理な少年と親父の社会派SF。『ジュピターズ・ムーン』、紹介いたします。
シリア難民の少年アリアンはハンガリーに上陸した際警官に撃たれ死の淵を垣間見る。だがその時いかなる作用の故か、少年は病気を癒す力と空中を舞うパワーを身に着ける。彼と偶然出会った転落中の医師シュテルンは、アリアンの力を利用してもう一度病院での地位を取り戻そうと画策するのだが…
木製には「エウロパ(ヨーロッパ)」という衛星があるようで。監督は「もうひとつの架空のヨーロッパの物語」ということでこういう題を付けたそうですが… わかりにくいですね!
ともかくこの映画のコンセプトのひとつは「空中浮遊」であります。昨今映画でもヒーローがバビューン!と空中を舞う映像は珍しくもないですが、こちらのアリアン君の浮き方は立ち泳ぎかクリオネのようにゆっくりゆっくり漂うようなもの。そのバックにブダペストのちょっとくすんだ歴史ある街並みが写し出され、詩情と郷愁と宗教画が組み合わさったような独特な映像世界が展開されます。
冒頭で「SF」と書きましたが、あらすじを読んでもわかるように科学的考証の入る余地は全くありません。難民の問題を取り上げてはいるものの、どちらかといえば「寓話」「童話」に近い映画であります。偶然ですがこの辺いま公開中の邦画『いぬやしき』とちょっとかぶっております。
いっぺん死んで復活したり、奇跡的な力を有していたり、無神論者を改心させたり…とアリアン君はあからさまにキリストっぽいところがあります。劇中でも「天使だ!」と言われたりしてますし。確かにそういう存在なのかもしれませんが、その一方でとてもナイーブだったり、ごく普通の少年っぽい面もありまして。超能力を有してはいても救世主というよりは傷ついた子羊のような印象が強かったです。
いまひとりの主人公シュテルン氏は当初小ずるい利己主義者として登場します。それがいつしかアリアンと接していくうちに、自分のためではなく彼のために身をなげうって行動するようになります。この辺がちょっとすんなりついていきがたいところではありましたが、こういうのは理屈ではないのかもしれません。シュテルンの中にもともとあったわずかながらの善性が、奇跡を見たり少年の純真さに触れたりすることで呼びさまされた…ということなのかな。
かようにやや宗教色の強い作品のようにわたしには思えました。大半の日本人には馴染みにくい考え方でしょうけど、やっぱり欧州の方たちは神様がいること、神様ならなんとかしてくれるだろう…ということを信じてるのでは。実際シリアの惨状に直面している人たちは神にでもすがらなければやっていけないのかもしれません。あるいは難民問題が深刻化しているハンガリーにあって、愛と寛容な精神でもって対処していこう…ということが言いたいのか。外国の人と接することも少ないわたくしですが、そういう主張には心から賛同いたします。
ムンドルッツォ監督は『ホワイト・ゴッド』と本作品、そして構想中のもう一本の作品をもって「信頼三部作」を完成させたいとのこと。三作目が公開される前に『ホワイト・ゴッド』も観ておきたいものです。
あと先にもあげた『いぬやしき』やネットフリックス映画『念力』、ロック様の『スカイスクレパー』など今年は空中浮遊とおじさんがからむ映画が流行なようです。地にしっかり足をつけることも大事ですが、映画の中でくらいはプカプカ浮いたっていいですよね~
Comments
さよならジュピターといえば僕も小さい頃、かかりつけの内科診療所にあった週刊誌に原作小説が載っていたのを思い出します。映画主題歌の松任谷由実「ボイジャー」は永井真理子「ミラクルガール」同様、幻のアルバム表題曲としてよく知られる一曲ですね。
話は飛びますがいぬやしきと同じ奥浩哉さんの代表作『GANTZ』のソーシャルゲームサイト。開発元の経営破綻もあり閉鎖されましたが、それはなんといぬやしき単行本第1巻発売当日のことでした。
Posted by: ネズミ色の猫 | May 05, 2018 10:14 PM
>ネズミ色の猫さん
実は『さよならジュピター』は観てないのですが、小松左京原作映画といえば他にも『復活の日』とか『首都消失』などがあり、ハリウッドに先駆けてディザスタームービーを連発しておられましたね
『いぬやしき』にそんな奇妙な偶然があったとは知りませんでした。先日映画版観てきましたけどなかなかよかったですよ
Posted by: SGA屋伍一 | May 07, 2018 10:04 PM