はみだし画家情熱系 ドロタ・コビエラ ヒュー・ウェルチマン 『ゴッホ 最期の手紙』
並み居る印象派の巨匠の中でも、ひときわ著名な「炎の画家」ゴッホ。本日はその死に至る日々を油絵タッチのアニメで描いた『ゴッホ 最期の手紙』をご紹介します。
除隊して以来無為な毎日を送っていた青年アルマンは、郵便局に勤める父から、一年前に亡くなった親友の画家、ゴッホの手紙を遺族に送り届けてほしいと頼まれる。渋々承諾したアルマンはゴッホの遺族を探すうちに、彼が死の間際まで過ごしていた村オーヴェール=シュル=オワーズにたどり着く。そこで人々の話を聞くうちに、アルマンはゴッホの死にある疑念を抱き始める。
このアニメの特徴はなんといってもその独特のスタイル。見事にゴッホのタッチで人々が動き、話し、笑い、嘆く。120人の画家が62000以上の油絵を描いてそれを動画にしたというのですから、その労力にはほとほと頭が下がります。ただ油絵タッチなのはアルマンの視点で映し出される情景のみであり、過去の回想・推測などは写実的な絵柄で描かれます。どっちかというとゴッホの目を通した「過去パート」の方を油絵にしたほうがよいのでは…と思ったのですが、監督がこういう構成にしたのには何かしらの理由があるのでしょう。その理由とはどういうものなのかちょっとだけ考えてみましたが、いつも通り「よくわからない」という結論に達しました。もしかしたら単なるフィーリング… いや、そんなことはないと思うのですが。
ゴッホについてははるか昔子供向けの伝記で読んだことがありました。気性の激しい人だったこと、献身的に支えてくれた弟がいたこと、牧師を志して挫折したということ、生涯中作品はほとんど売れなかったこと、ゴーギャンと意気投合し一時期共同生活を送っていたこと、ハイテンションのあまり片耳を切り落とし、「ついていけん」とゴーギャンは逃げ出したこと、そして最後は自殺で亡くなったこと…などを覚えております。
しかしこの『ゴッホ 最期の手紙』を観て、その死には色々不自然な点があったことを知りました。普通は自殺では頭か胸を狙うのに、わざわざ腹を狙ったという点や、それに用いられた銃が見つからなかったという点(70年後に見つかったという話もあるようですが)がそれに当たります。
果たして自殺でなければ誰がゴッホを殺したのか… その真実に迫る!という風にお話は進むのですが、結局その辺はぼやかしたまま映画は終わってしまいました。おい! まあわたしが「こうじゃないかな~」と思ったことがウィキペディアの「ゴッホ」の項に書いてありましたので、気になる方は検索してみてください。
まあたぶん、監督らが主眼としているのは真犯人がどうこうということではなく、その謎を追う過程で浮かび上がるゴッホの飾らない人柄や、弟との強い絆、売れなくても絵画への情熱を失わなかったことなどなのでしょう。
この映画にはオーヴェール=シュル=オワーズに住む多くの村人が登場します。名士の医師とその娘、警察署長、宿屋の若い女、遊び人の若者などなど。てっきり架空の人物かと思って観ていたら、最後にみな実在の人物であったことを知ってたまげました。まあ歴史的に見れば限りなく平凡で名もないような人々ですが、ゴッホと少しでもかかわった故に記録されてしまったわけです。そんなところにゴッホという人物の鮮烈さを感じます。彼とて生前は同じようにほぼ無名の存在であったわけですが。
そして物語の語り手であるアルマンもまた本当にいた人物です。なぜ彼がこの映画の主人公に選ばれたのかも最後にわかります。それとゴッホの「いつかは自分は『何者か』になれるのだろうか」といったモノローグが特に心に残りました。
『ゴッホ 最期の手紙』(原題は『Loving Vincent』 「ヴィンセントより愛をこめて」でいいのかな?)は先に発表された第90回アカデミー賞の長編アニメ部門にもノミネートされ、ますます評価が高まっています。『リメンバー・ミー』に勝つのは難しいかとは思いますが健闘を祈ります。
Comments
こんな?
ゴッホ「ひゃっほー、ゴーギャン、これ、耳、耳」
ゴーギャン「ついていけん」
Posted by: ふじき78 | March 21, 2018 04:53 PM
>ふじき78さん
耳だけに「イヤーん」
Posted by: SGA屋伍一 | March 26, 2018 09:33 PM