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November 13, 2017

アンドロイドは電影少女の夢を見るかもしれない リドリー・スコット&ドゥニ・ヴルヌーヴ 『ブレードランナー2049』

Br20491カルト映画の大傑作としてその手のベストには必ず名を連ねる『ブレードランナー』が、『ボーダーライン』『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴの手で復活。『ブレードランナー2049』、紹介します…と言いたいところですが、今日はもう紹介は諦めました。観た人か全く興味ない人のみお読みください。でも一応いつものようにあらすじから。

西暦2049年。人間と寸分たがわぬアンドロイド「レプリカント」が発明され、社会に溶け込んで様々な仕事に従事したり、時々反乱を起こしたりしていた。自身レプリカントである「K」は反抗的な同族を取り締まる捜査官「ブレードランナー」。黙々と任務をこなす日々を送っていたが、ある標的との闘いののち、謎に包まれた女性の白骨死体を発見する。調査をすすめるうちにその女性はレプリカントでありながら子供を宿していたことが判明。その子供は果たしてどうなったのか。真相を追ううちにKはアイデンティティを深く揺るがす事態に直面する。

『ブレードランナー』1作目は1982年の公開。同じ時期『E.T.』がかかっていたのはよく覚えていますが、こちらの方はまったく記憶にございません。その伝説を知って十代になってからTVで2回ほど観ましたが、正直あまりピンと来ませんでした。その映像の構築力には確かに目を見張るものがありましたが、各方面に色々影響を与えてしまったために、フォロワー的作品になじんだ身にはかえって新鮮味が乏しく思えてしまうという。日本アニメでもぱっと思いつくだけで『ボトムズ』『イノセンス』『カウボーイビバップ』などいろいろあります。正直公開時スクリーンで観た人の感動がすこしうらやましかったりもします。
あとうけやすいエンターテインメントとは一線を画してるところがあるというか。反乱したレプリカントのリーダーと壮絶な死闘を演じたのち、なんと主人公のデッカードはその宿敵に命を救われてしまう。そしてやんわりとした謎を残して物語はEND。なんともモヤモヤいたしますが、この一筋縄ではいかないストーリーがある種の人々の心をとらえ、「ふたつで十分ですよ」の名ゼリフとともに時代を越えて愛されることになりました。何度も編集しなおされ幾つものバージョンが作られたことがそれを証明しています。

で、ようやく今回の続編のお話。同じ世界を舞台とする物語ですが、30年経ち監督も違うので当然いろいろと違うところがあります。
まず街の空気ですが猥雑でありながら活気に満ちていた1作目に比べ、『2049』の街はどこか寒々しいというか社会の衰えを感じさせます。核の滅亡の恐怖があった80年代前半より、一応それが去った現代に作られた映画の方が未来像が暗いというのは、なんとも皮肉なものであります。
この空気の違いは監督の資質の違いもあるかと思います。エロ描写ひとつとっても肉食系でギラギラしたリドスコに比べると、ヴィルヌーヴのそれはいちいちオシャレで綺麗。ドゥニさんも作品によっては残酷描写を多用することがありますが、彼の場合リドスコのように暴力を楽しんではおらず、普通に「痛々しいもの・悲しいもの」として描いております。

そしてなにより大きな違いは、デッカードが「実はレプリカントなのか?」という謎を残したまま前作が終わってしまったのに対し、今回はしょっぱなからKがレプリカントであることを明かしている点です。しかしその明々自白だった出自がきわめて不確かなものであったことを知り、Kは深く思い悩みます。自分がレプリカントにより生まれた「運命の子」だと思った時、それはまちがいで彼はおとりにすぎなかったことを知らされた時、Kは二度とも深く嘆きます。やっとのことで受け入れた運命もまた偽物にすぎなかった…とはまことに残酷な話ですよね。世に「自分が実は伝説の救世主だった」という物語はたくさんありますが、「救世主かと思っていたら実は違った」という話はほとんど知りません(『侍戦隊シンケンジャー』が少し近いかも)。ですがそんな物悲しいストーリーが、うすら寒いけど心地よい背景とあいまってわたしの心を強くとらえたのでした。

大きな力に翻弄されつづけた「ブレードランナー」が、最後に自分の望む決断をし、個人としての矜持を見せる… そういうところは新作も旧作も変わりないかと思います。

あとこの映画『ブレードランナー』の正統的な続編でありながら、大変ヴィルヌーヴらしい映画でもありました。まずとてもミステリーっぽい作りな点。ある「謎」を中心に物語が展開し、意外な真相が用意されていたりする。ドゥニさんはアート指向も強い方ですが謎を放置したりはしませんね。一応はっきりした答えを残して終わってくれます。
もう一点は「引き裂かれた親子の物語」であるということ。『灼熱の魂』『プリズナーズ』『ボーダーライン』『メッセージ』… これらにはいずれも子を深く思ったり、その愛ゆえにくるってしまう親の情が描かれております。『ブレードランナー2049』にもそういう要素が後半出てきますが、今回はむしろ「子供」の側の視点が主になっていたのが変わっておりました。

Br20492「伝説の名作ふたたび」ということで作られた本作。しかし現時点で日米ともに初登場売上一位を記録したにも関わらず、製作費に遠く及ばないため大赤字が確定しております。まさにこの点でも本家を踏襲してしまいました。
スタッフがこの事態をどれほど予想していたかは謎ですが、自分は素晴らしい映画を作ってくれてありがとうと言いたいです。『ブレードランナー2049』はそんな状態ながらも一応プチヒットしながら公開中。また伝説となり30年後に第3作が作られることを願います(わし死んでるかも)。


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November 09, 2017

ボンクラのニャンダフル・ライフ ジェームズ・ボーエン&ロジャー・ポスティスウッド 『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』

Bbnk1先日『僕のワンダフル・ライフ』という犬の映画が話題を呼んでましたが、今回は猫の映画の話です。あちらがファンタジーっぽい話なのに対し、こちらは「実話をもとにした物語」。『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』、ご紹介します。

親に捨てられ、ドラッグに溺れ、日々の食事にも事欠くストリート・ミュージシャンのジェームズ。彼は親切な社会福祉士の口利きでなんとかある公営住宅に入れることになった。そんなジェームズの住まいにある日一匹の猫が迷い込んでくる。ジェームズは飼い主を見つけようとするが徒労に終わり、なんだかんだで猫をひきとることに。ボブと名付けられたその猫は驚いたことにどこまでもジェームズの後をついてきて、彼の演奏にも立ち会うようになる。そんな一人と一匹の姿はいつしかロンドンで人々の話題になっていくのだった。

よく少年漫画などで「やさしい」以外とりえのない少年の前に突然美少女が現れて、勝手に好きになってくれる話ってありますよね。まさにそんな映画です。違うのは美少女が猫だということです。そういう漫画を見かける度に「はいはい、よく中二君が抱く妄想だよね」と一笑に付してましたが、いやあ… そんな話実際にあるんですねえ… 本当に夢を諦めてはいけないですね。

さらに驚くべきはこのボブが犬のようにジェームズのあとをひょいひょいとついていくこと。普通猫は縄張りもあるしそんなことはしないものです。しかしボブはまるでアニメに出てくるマスコット動物のように、ジェームズの肩に乗って二階建てバスで移動したりもします。冬は襟巻の代わりになってあったかいだろうなあ…じゃなくて、そんな猫いるか!!??と思わずにはいられません。それも小さいころから芸を仕込まれてきたわけではなく、ある日ぷいっと迷い込んできた猫がそんなことをやるからたまげます。

そしてそんな猫をよく撮影のためにもう一匹見つけてこれたなあ…と思っていたら、またまたビックリすることに、これボブさんご本猫が演じられてるんですね。ジェームズさん本人がカメラの外で上手に指導されてるのか、極めて自然な演技でした。本当にあった猫の話を、その猫が実際に再現しているという点で、まことに他に類を見ない映画と言えましょう。

作品はボブとジェームズの絆を描くとともに、ドラッグから抜け出すことの大変さも描かれてます。春の『T2 トレイン・スポッティング』でもありましたが、ドラッグはとことん人をダメにします。しかしそれに手を出す人にもやりきれない事情があることも多く。そして一度はまってしまうとその沼から抜け出すことは容易ではありません。
幸いジェームズはボブの存在のおかげでその悪癖を断つことができました。すべての患者に効果があるわけではないでしょうが、猫がドラッグ中毒の抑止力にもなるという一例です。一匹の普通の猫が一人の人の人生を変えてしまうことも確かにあるんですよね。昨年初めの『猫なんてよんでもこない』を思い出したりもします。

ただジェームズ氏は気づいているのかどうか。彼はドラッグへの依存からは脱することはできたでしょうけど、代わりに別の依存症にどっぷりはまってしまっております。そうです。猫依存症です。幸い今はボブ氏が健在だからいいけれど、犬猫は大抵人間より先に逝ってしまうもの。その時にジェームズ氏が耐えきれるのかとても心配です。なぜならいままさにわたしがその苦しみと戦っているからですああああああああねごねごねごねごおおおおおおおお!!!!

…失礼、取り乱しました。いつかなんとかこの病から立ち直りたいと思います。
Bbnk2春に亡くなったモンさんは肩の上には乗っかってきませんでしたが、昼寝してるとよく腹の上には乗っかってきました。そんな懐かしくも重苦しい感触を思い出させてくれた『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』。まだいろんなところで公開しておりますので、気になった方はボブさんの美猫ぶりをスクリーンで堪能されてください。公式サイトはこちら


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November 08, 2017

正義は金 FROGMAN 『DCスーパーヒーローズVS鷹の爪団』

Photoいまだかつてないアメコミ映画ラッシュとなった2017年。今回はその中でも群を抜いて低予算の日本代表的作品をご紹介します。『DCスーパーヒーローズVS鷹の爪団』、参ります。

今日も赤貧にあえぎながら世界征服に励む秘密結社鷹の爪団。だが彼らの発明になぜか興味を抱いた天才犯罪者ジョーカーが「鷹の爪団」に接触を図ろうと来日する。ジョーカーの野望を阻止すべくスーパーヒーローチーム・ジャスティスリーグは後を追うが、主要メンバーのバットマンはある事件のショックからひきこもりになってしまっていた。

マーベルが六本木ヒルズで展覧会を開いたりファッション関係から女子たちの興味をひいたりしてるのに比べ、DCはチャンピオンにコミカライズを連載したり茅ヶ崎に専門店を開いたり果ては『鷹の爪』とコラボしたり… どうもマイナーな方へマイナーな方へ進んでいってるような気がしてなりません。まあ要は面白ければそれでいいんですけど。

『鷹の爪』映画の特色に画面の右端に備えられた「予算メーター」というものがあります。映画の中で予算が消費されればされるほどゲージがどんどん下がっていくという。しかしただでさえ低予算の『鷹の爪』シリーズに莫大な製作費がつぎこまれてるDCの面々が本気で暴れたらどうなるか。3分と持たずに映画は終了してしまいます。ではどうやって約二時間もたせればいいのか… まあこれまでシリーズを観てきた方にはおなじみの「あの裏ワザ」でお金をかき集めてくるわけですね。その浮いたお金で作られた白組やプロダクションI.Gの本気映像には目を見張るものがあります。そして平常時の低予算画風とのものすごい落差が独特のギャグになったりしています。

しかし映画を観てる時は気楽にケラケラ笑っておりましたが、「映画と予算」を巡る問題について考えると頭を抱えてしまいます。今公開中の『ブレードランナー2049』にも顕著ですが、その週の売上第一位を記録しても製作費・広告費においつかないと「大コケ」と言われてしまったりする。じゃあその分予算を抑えればいいじゃん、ということになりますけど、それが簡単にできたら誰も苦労しないわけで。あとどう考えても当たらなそうな企画にものすごい額のお金がぶっこまれるのも謎であります。投資する方たちはそれなりの勝算があるのか、それともわかっちゃいるけどやめられないのか。本当に映画ビジネスというのは難しいですね。

横道にそれました… ほかの見どころとしましては『レゴバットマン・ザ・ムービー』とはまた別の角度からバットマンの本質に迫っていたり。ブルース・ウェインは両親が殺されたからバットマンになったわけですが、もしこの悲劇が未然に防がれていたらどうなっていたか。このアンサーがなかなかにひどい(笑) 他にもアクアマンをサバ夫よばわりしたりワンダーウーマンをオカン扱いしたり… 面白いけどひどい。よくDCが許したな…とも思いましたが、アメコミは自社でもっとひどいパロディをやったりするのでこれくらい全然許容範囲なのでしょう。あとテラスハウスやあれやそれといった日本作品のわかりやすいパロディもあちこちにちりばめられております。

ちなみにこの映画東京までわざわざ出張って観に行った(アホだ)ら、ラッキーなことに舞台挨拶つきでした。マスコミがひいた二回目のあいさつだったせいか、監督が本音をぶっちゃけたりキャストのテンションが低かったり、両者が険悪なムードになりかかったり… 予想してた華やかな感じでは全然ありませんでしたが、それはそれで見ごたえがありました。特に印象に残ったのは一同のお金の失敗についてのコメント。バットマンの声役の山田孝之氏は「金貸しの役を長いことやってたので、お金の使い方は堅実になりました」と語っておられました。イイネ!!
20171021_151536他の本場のアメコミ映画と比べると上映館がだいぶ少ないのが泣かせどころですが、それでもファンであれば観ておいて損はない一作です。『DCスーパーヒーローズVS鷹の爪団』はたぶんまだ全国各地で細々と公開中。できればもう少しスクリーン増えますように。彼らの聖地島根では無事かかるようでほっとしてます。


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November 03, 2017

冬来たりなば、猿遠からじ マット・リーブス 『猿の惑星 聖戦記』

Swgw1シリーズが始まって約50年。いまここに『猿の惑星』史上最高傑作が誕生しました。リブート版3部作の完結編でもある『猿の惑星 聖戦記』、ご紹介します。旧シリーズおよび1作目『創世記』の感想はコチラ。2作目『新世紀』の感想はコチラ

進化した猿たちと衰亡著しい人類の対立が激化する近未来。猿側のリーダー・シーザーは戦いの中最愛の妻と長男を失う。復讐に燃えるシーザーは、群れから離れて仇である人類軍の指導者「大佐」を追う。しかし大佐たちの奇妙な行動はシーザーと仲間たちを困惑させる。彼らの目的は果たして…

正直申しますとわたしこのシリーズやシーザーにそれほど愛着があったわけではないんです。旧シリーズの『新・猿の惑星』は好きだし、『創世記』もそれなりに感動しましたけど、やっぱりわたし人間なんで。どちらかといえばシーザーよりもジェームズ・フランコやジョエル・エドガートンといった「いいもん」の人間に感情移入しながら観てました。
ところが今回はもうのっけからモンキーになりきって「猿がんばって! 人間ぶちのめせ!!」とすっかり猿状態でずっと鑑賞しておりました。前二作の下積みがあったからか、アンディ・サーキスの熱演が心を動かすのか、はたまた巧みで骨太な脚本の力によるものなのか… わたし以外にも猿化してしまった人たちは大勢いるので、これ
は本当にすごいことです。あらためて物語の持つパワーの強さというものに感服いたしました。

そういったエモーショナルな部分もサルことながら、前半お話をひっぱる「謎」の部分もまた興味深く。大佐たちは猿以外の何かとも敵対してるようなのですが、その相手とは一体だれなのか。隊の中で行われている「味方殺し」は何の意味があるのか。これらの謎が明らかにされた時、「大佐」という男の凄みや意思の強さに圧倒されます。それは限りなく狂気に近いものでもあるのですが…

以下、どんどんネタバレで。

どなたかがネットで書いていてはたと膝を打ったのですが、これ、「言葉」を巡る「万物の霊長」の交代劇でもあったのだなあと。「言葉は神なり」という聖書の一節がありますが、せっかく言葉を与えられて神様の代理を任せられていたのに、度重なる失敗の末にその座=「言葉」を取り上げられてしまう人類。そして別の生き物が地球の管理を引き継ぐ…という。いわゆる「黙示録」でありますね。
ただこの映画、とりわけ印象深いのは無言のやり取りが描かれた2つのシーンなんですよね。シーザーと大佐が最後に相対する場面と、激戦の最中シーザーと裏切り者のドンキーが視線を交わす場面。それらの数瞬の間、いったいどれほどの感情が彼らの間に交錯したのかと考えると、「無言」の持つ限りない豊饒さに感じ入るのでした。言葉を失った少女エヴァの可憐な純真さもいちいち胸をうちます。

そして傷だらけになりながら、我武者羅に生きる道を探し求めるシーザー。彼はその名の通りカエサルのようでもあるし、十字架にかけられたキリストのようでもある。群を約束の地へ導く姿はモーゼのようでもあります。けれども英雄であり聖人である以前に、とても人間臭い(猿なのに)。我々と同じように泣き、怒り、迷い、悩み、微笑む。そんな「彼」だからこそ我々は深い親しみを感じるわけで。思えば1作目から苦難の連続だったその生涯。できれば穏やかな老後を過ごしてほしいと心から願いながらスクリーンに見入っておりましたが、その結末は…

さて、このお話、「50年前の1作目につながるのでは」なんてことも言われてます。同じ名前のキャラもちらほら登場しておりますし。でもオリジナル『猿の惑星』の主人公は地球に降り立った時、「発射してからすでに2000年が経過してる」なんてことを言ってました。その計器がどこまで信頼できるかも怪しいんですけど… え~と、じゃあ結局どっちなのかというと「どっちにも取れる」ってことでいいんじゃないかと思います(無責任)。ただ『創世記』の時点で恒星間飛行ができるほど人類の文明が発達してるようには見えなかったので、やっぱり旧シリーズとはパラレルワールドと考えた方が一番しっくり来るのでは。

Swgw27年越しの物語にこれ以上ないくらい堂々たる幕をひいた『聖戦記』。あらためて「まあ付き合いで観てやるっぺよ」という動機で臨んだことに深く土下座いたします。
これで本当に終わりかと思うと本当にさびしいですね…(今頃かよ!) ただ人気シリーズはいつかまた復活するのが世の常。やらなきゃいいのにやっちゃうのが人間の愚かさなのです。ウキー!!


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