ビー・バップ・ミッション・スクール ジョン・カーニー 『シング・ストリート 未来へのうた』
「音楽」をテーマにさわやかな傑作を撮り続けている、アイルランド出身の新鋭ジョン・カーニー。今日はその最新作、『シング・ストリート 未来へのうた』をご紹介します。
1985年のアイルランド。コナーは家庭の事情で学費の安いカトリック系の「シング・ストリート高校」へ転校することになる。だがそこは喧嘩や非行が横行する荒れ果てた環境だった。意気消沈したコナーの慰めとなったのは、校門の向かいにいつも座っている大人びた女性ラフィナ。彼女の気を引くためにバンドを結成したコナーは、恋と同時に曲作りの面白さにものめりこんでいく。
80年代のアイルランドというと『マスターキートン』や『機龍警察』を読んでいたせいで、殺風景な街並みの中「イギリス憎い~ イギリスぶっ殺す~」という呪詛に満ちているような、そんな印象がありました(すいません)。しかしこの映画を観ますと少なくとも若者たちは、英国や米国に純粋な憧れを抱いていたことがうかがえます。その点では80年代に十代だった日本のわたしたちとほとんど変わりありません。あのころの自分らにとって英語の映画や音楽というのは、絶対にかなわない圧倒的な存在として君臨していて、憧れと崇拝と反感がないまぜになったような気持ちを抱いていたものでした。いまの若い方たちはそこまでは意識していないように思えます。
面白かったのはカトリック系の学校といったら風紀とかめっちゃお上品になりそうなものなのに、なぜかビー・バップ・ハイスクール状態になっていたことですね。これまた当時校内暴力の名残があり、不良たちの存在にびくびくしながら学校に通っていた身としてはコナー君に感情移入せずにはいられませんでした。
ただですね~ コナー君曲作りが上達すればするほどに、痛さも残しつつどんどんかっこいい「男」として成長していってしまうのですね。ここら辺でさくっと置いてかれそうになる自分(笑) いくらなんでも進化早過ぎであります。で、そのコナー君と彼が恋い焦がれるラフィナの位置関係も興味深いものでした。
当初、ラフィナはコナーよりはるか先を進んでいるような女として登場します。しかし話が進むにつれ実はラフィナとコナーにはそれほど大きな隔たりがなかったことがわかってきます。彼女が海に飛び込んだ時キメキメのメイクが剥がれ落ち、まだあどけなさが残る素顔が出てきて、かわいらしさとと共に痛々しいものを感じました。初期のコナー君は「痛い」で、ラフィナは「痛々しい」です。この微妙なニュアンス、わかっていただけるでしょうか。そしてついにはコナー君はラフィナの手を取って引っ張っていくほどの成長を遂げていきます。
以下、ラストまでネタバレしてますのでご了承ください。
わたくしてっきりこの映画バンドのサクセスまで描いていくのかと思ってましたが、希望と同時にかなり不安を残すような形で幕となってしまいました。すごくハッピーなムードなんだけど「やっぱりこのあと親の元に連れ戻されちゃうんだろうな」と予想させる『小さな恋のメロディ』を彷彿とさせたりもして。コナーとラフィナが数々の難関をうちやぶってずっと二人でいられれば…と願わずにはいられません。
80年代にティーンエイジャーだった自分の周りにはギターに夢を託す友人が多かったけれど、いまそれで飯を食ってるのは一人くらいしか知りません(しかも食うのがやっとだとか…)。今はもうコナー君ももう自分らと同じいいおっさんになっているとは思いますが、これがジョン・カーニー監督の自伝的作品であるということなら、少なくとも音楽に関わりのある仕事をしていることには変わりないわけですよね。そう考えるとちょっと安心いたします。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』へのオマージュとか、世に出たてのいかにもなミュージック・ビデオなど、3、40代には涙ちょちょ切れるネタが満載なのもこの映画の魅力です。遠く離れたアイルランドの話でこんなにも郷愁を感じるとはまったく予想外でありました。ありがとよ… 痛いメモリーも含めていろいろ思い出させてくれてよ…
『シング・ストリート 未来へのうた』はわたしの住んでるところではついさっき最終上映がはじまったところかな(^_^; まだ公開が残ってるところも色々ありますので、くわしくは公式サイトをごらんください。
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