スター惨状 コーエン兄弟 『ヘイル、シーザー!』
スケールの大きい作品も作ればこぢんまりとした映画も撮り、殺伐としたストーリーも手掛ければのんびりした話もやる映画界の「不確定要素」コーエン兄弟。全体として共通してるのは「皮肉っぽさ」かなあ…とわたしなどは思っております。そのコーエン兄弟の最新作は1950年代のハリウッドを舞台とした映画界の内幕劇。『ヘイル、シーザー!』、ご紹介します。
まだかろうじて映画がTVよりも庶民にとって身近だった時代。映画プロダクションのもめごと処理屋エディは、日々起きるスターたちのトラブル解決に奔走していた。人気女優のスキャンダルをもみ消したり、大根役者に憤激する監督をなだめたり。果ては撮影中の主演俳優が何者かにより誘拐されるという事件まで起きてしまう。他業界からの誘いに迷いつつも、エディは自分の仕事をまっとうしようと奮闘する。
わたくしむかしの映画業界ものって好きなんですよね。あののんびりした雰囲気とか、歴史的興味などから。例を挙げるなら『グッドモーニング、バビロン!』『アーティスト』『ウォルト・ディズニーの約束』など。コーエン兄弟も『バートン・フィンク』というのを作ってましたよね。
そんな古き良き時代の映画作りを見学しているのがまず楽しい。またスカーレット・ヨハンソンやチャニング・テイタムといった一級のスターたちが豪華なセットで愉快なダンスを披露している様は、「新春スターかくし芸大会」などを思い起こさせました。そんな華やかなムードもこの映画の魅力です。
「のんびりとした雰囲気」と書きましたが、誘拐劇であるのに映画のテンポもそんな感じです。コーエン兄弟って誘拐ものよく作りますけど、あんまり緊迫感あふれるものってないですよね。
わたしが思い出したのは「フロスト警部」シリーズなどで知られる「モジュラー型」と呼ばれるミステリー。狭い範囲の町や村を舞台に複数の事件が同時進行で起き、最後にはなんとなく解決してる、といったたぐいの犯罪小説です。『踊る大捜査線』の第1作もこの範疇に含まれるかもしれません。
というわけでうっかりちゃっかりした群像喜劇ものとして楽しめればそれでいいのかもしれませんが、一応考えさせられる要素もあったりします。それはコーエン兄弟の独特の宗教観。まず映画の中心となっているのが『ベン・ハー』や『聖衣』を彷彿とさせる宗教劇であります。また主人公のエディは俳優たちには傍若無人な振る舞いをしますが、その陰で頻繁といえるほどに教会に懺悔にいってたりします。
それらが滑稽感たっぷりに描かれてるところを見るとコーエン兄弟が到底信心深い方々とは思えないのですが、とことんバカにしてたり攻撃しているわけでもない。きっと彼らにもそれなりに信仰心もあるとは思うのです。でもついつい神様をおちょくらずにはいられず、笑いながら「ごめんなさいw」と言ってるような、そんな印象を受けます。この罰当たりが!w
そしてこの作品でキリスト教の敵として描かれるのが同性愛と共産主義です。ただ彼らは彼らで間の抜けた陽気な連中のように描かれてるので、コーエンさんちもそういった人たちを「悪」とは考えていないと思います。兄弟にとってはあらゆる思想・宗教すべてが等しく笑える対象なんじゃないでしょうかね。一方でそういった自分のポリシーに邁進する人たちをそれなりに愛情深くも見つめているような。なんというか『トゥルー・グリット』からそれより前に濃厚だった底意地の悪さみたいなものが少しなりを潜めた気がします。コーエンさんちも還暦前後の年齢になって丸くなってきたということでしょうか。
『ヘイル、シーザー』は現在全国をぼちぼちと公開中というか巡回中。聖書劇映画としてはキリストの復活を描いた『復活』や、べクマンべトフ監督の手による『ベン・ハー』リメイクなどが控えています。本当にこのジャンルも廃れませんよね…
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