DC福音書 ザック・スナイダー 『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』
八年前、バットマンについてあれこれ書いた記事で、こんなことを述べました。「付かず離れずという関係のバットマン&スーパーマン。果たして映画で共演することはあるでしょうか?」 とうとう実現しちゃいました… 『マン・オブ・スティール』に続くDCスーパーヒーローたちの一大叙事詩『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』、ご紹介します。
スーパーマンと宇宙よりの侵略者ゾッド将軍が激闘を繰り広げてから数年後。世論はその後人命救助に奔走するスーパーマンを称賛するものと危険視するものに大きく二分されていた。そんな中、ゴッサムシティにてヴィジランテ(自警団員)・バットマンの活動が激しさを増していく。実はバットマンは先のスーパーマンの闘いの際地上でその脅威を目の当たりにし、彼を排除する方法がないものか思案を巡らせていた。運命に導かれるようにやがて相対するバットマンとスーパーマン。さらに彼らの共倒れを狙う大富豪レックス・ルーサーの思惑もからみ、二人の英雄の一大対決へと発展していく。
アメコミに詳しくない人でも名前くらいは知ってるであろうスーパーマンとバットマン。まさしくアメコミの中でも1,2を争うほどの超メジャーヒーローです。ただその名の通り超人であるスーパーマンに比べると、バットマンは一応ホモ・サピエンスにすぎません。はたしてまともな勝負になるのか?と思われる方もおられるでしょう。しかしアメコミ史を通じて二人は割と何度も対決していますw よくあるパターンはスーパーマンが悪者に操られて…というものですね。で、そういう場合バットマンがどう相手するかというと大抵の場合は知恵と機転でなんとかします。なんせ「世界最高の探偵」という異名も持つバットマン。コミックではエイリアンやプレデターやターミネーターとも対戦してますが、いずれの場合も退けています。DC世界ではもしかすると宇宙最強の存在でさえバットマンの深慮遠謀には歯が立たないのでは…という雰囲気さえあります(まあそればっかりだと話が盛り上がらないのでささいなことでピンチになることもよくあるんですが)。そんなわけで身体能力にはものすごい差があるわけですが、十分勝負は成立するわけです。
さて、これから辛気臭い話になります(^_^;
よく言われる話でありますが、スーパーマンはキリストがもし現代に現れたヒーローだったら…という発想のもと作られています。前作『MoS』、そして今回の『BvS』は特にこの辺を意識していると思いました。仮に現代にキリストが人間の姿で現れたら世界はどうなるでしょうか。おそらくたちどころに戦争、飢餓、格差といった問題は解決しないでしょう。逆にこの映画の様に支持するか排除するかで大きな対立が生まれると思います。キリストはそんな対立に心を痛めたり、自分の存在に悩んだりしながら、とりあえずできる範囲で人助けにがんばるだろうと想像できます。
一方でバットマンは不幸な目にあって信仰を捨ててしまった人の代表です。神はいないか、いても自分たちは助けてくれない、自分たちでなんとかするしかないと考えます。特に今回バットマンはスーパーマンたちが瓦礫を巻き散らかしていた下にいたので、神を憎んでる風でさえあります。キリスト自身は立派な人であったかもしれないけれど、もし彼がいなければ多くの宗教戦争やテロも生まれなかったのではないか? 歴史を俯瞰してそんな風に考える人も少なからずいます。この映画のバットマンはそうした人々の代弁者でもあります。
というわけでスーパーマンもバットマンも自分なりに世の中をよくしようと思って行動してることには変わりはありません。それに対し自分の欲望のために二人を戦うよう仕向け、漁夫の利を得ようとしているのがレックス・ルーサーです。彼はキリストが活動していた時代、民衆を扇動して彼を迫害したユダヤ人のラビのような立場でしょうか。スーパーマンを公聴会に呼び出して罠にはめようとするくだりなどは、キリストの死の直前ラビたちが茶番劇のような裁判を開いて彼の罪をでっちあげたことを思い起こさせます。
こう、なんというか聖書にあてはめようとすればするほど、暗い話になっていきますね(^_^; 以下ラストまでネタバレしていきますので未鑑賞の方はお気を付けください。
レックス・ルーサーにあおられてスーパーマンを殺そうと躍起になるバットマンは、やはり聖書の使徒行伝に出てくる「パウロ」と通じるところもあります。ラビたちから教育を受けたパウロは、もともとクリスチャンを熱心に迫害する側でした。しかしキリストの無私の愛を知り、以後はその弟子を名乗るようになります。バットマンもスーパーマンがわが身をなげうって世界を守る様子を目の当たりにし、初めて彼が尊敬に値する男だと考えを改めます。この時スーパーマンの命を奪ったものが槍であるというのも、キリストの死の様子と重なっています。
スーパーマンの死後反省したバットマンは、彼の意思を継ぐことを表明します。当時の文化圏にひろくキリスト教を広めたパウロのように、世界中から「スーパーマンの弟子」たちを集めようとします。すでにその場にいるワンダーウーマンなどはギリシャ神話系のキャラクターですが、そうした点からもストーリーが世界規模・地球規模に発展していくことがうかがえます。そしてサーガは次章『ジャスティス・リーグ』へとつながっていくわけですね。
この作品には感心した点と強引だなあと思った点、両方いっぱいありましたが(笑)、感心した点をひとつあげるなら二人の和解のきっかけが「お母さんの名前が一緒だった」というところに目をつけたことです。アメコミを(邦訳限定で)二十年読んできたわたしですが、この映画を観るまで二大ヒーローのお母さんが二人とも「マーサ」だったのには全然気が付きませんでした。おそらく偶然の一致かと思われますが、かなりのアメコミオタクでなければそんなことに注目したりしないはず(たぶん)。その偶然のネタをお話の転換点となるあたりまで昇華させたことについては監督・脚本家を素直に讃えたいと思います。
『バットマンVSスーパーマン』は現在本国で爆発的に、日本ではそこそこヒット中。マーベルと比べるとやや不安が残るDCエクステンデッド・ユニバースですが、無事予定が進行していくことを祈ります。今後の予定といたしましては早くも9月にバットマンの悪役たちがチームを組む『スーサイド・スクワッド』がひかえています。そして来年には『ワンダーウーマン』と、本作品の直接の続きとなる『ジャスティス・リーグpart1』が予定されています。『ジャスティス・リーグ』はアメコミ版『七人の侍』を目指すということでわたしなどは心躍るわけですが、すべては『BvS』の成功次第。がんばれ!
Comments
二人とも同じマーサ。・・・・・・・・・それではどちらがどちらだか誤解の元なので、バットマンの母を「大マーサ」、スーパーマンの母を「小マーサ」とすればいいんじゃないでしょうか?
Posted by: ふじき78 | April 06, 2016 12:09 AM
>ふじき78さん
3分ほど考えて「あ、清水の次郎長一家か」と気が付きました
Posted by: SGA屋伍一 | April 06, 2016 06:40 PM
伍一くん☆
私はこれが韓国映画だったとしたら、えっ!?母はマーサ・・・実は二人は兄弟だったのねとなるな~と思いながら観ていました。
Posted by: ノルウェーまだ~む | April 07, 2016 01:15 PM
わかりやすいわい!
Posted by: ボー | April 07, 2016 11:22 PM
>ノルウェーまだ~むさん
韓国映画だったら「もっと血を流せやゴラァ!!」と盛大に血しぶきが飛び散る対決になったと思います。子供には刺激強すぎ!
Posted by: SGA屋伍一 | April 08, 2016 10:06 PM
>ボーさん
そ、そう…?(^_^; わかってもらえてよかった!
Posted by: SGA屋伍一 | April 08, 2016 10:06 PM