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April 27, 2016

カルタ馬鹿一代(と仲間たち)・ 「もろともにあはれと思へ山桜編」 末次由紀・小泉徳宏 『ちはやふる 上の句』

111226_182501原作は途中まで読んでたものの、スルー予定だったこの映画。あまりの評判のよさにおされてみて参りました。二部作の前編にあたる『ちはやふる 上の句』、ご紹介します。

千早と太一、新の三人は子供のころ競技カルタで共にチームを組んだ幼馴染だった。しかし新は遠くへ転校してしまい、太一は成長するとカルタから離れてしまう。ただ一人変わらず情熱を失わない千早は、高校でカルタ部を創設しようと奮闘。その熱い思いに引き寄せられ、一人、また一人とカルタ部にメンバーが集まってくる。

原作についてちょこっと書いた記事はコチラ。うっすら忘れかけてましたけど、この漫画かなり少年漫画っぽいんですよね。映画はそれをさらに前面に押し出していました。どういうことかというと、やけどするくらい「友情!努力!勝利!」が画面の中にぐらぐらとたぎっております。甘酸っぱい恋模様みたいのもないではないですが、少年スポーツ漫画においてそういうのはあくまで添え物。鈍感な主人公は自分に向けられた淡い思いになかなか気づかなかったりしてねw 少年漫画と違うのは主人公とヒロインの性別が逆転しているところです。凸凹したメンバーが時にはぶつかりあったりしながらも、やがて一丸となってチームとして強くなっていくあたりはスポーツ映画の名作『クール・ランニング』を思い出したりもしました。

ただ少女漫画らしい要素も確かにあります。強く静かに誰かを思いやる描写とか、過去の過ちをひきずったまま立ち直れてない細やかな心理描写などは、汗臭く絶叫が飛び交う少年雑誌にはなかなか見られないもの。扱う題材が百人一首というところも映画に上品なムードをそこはかとなく醸し出しております。

で、この映画は普段邦画や世にあふれる「漫画原作映画」に辛口の皆さんもこぞってほめておられるのですが、その鍵がこの「上品さ」にあるような気がします。『ちはやふる 上の句』がいつもシネコンでかかっている邦画と作りが大幅に違うかといえば、そんなことはないと思うのです。ただ少しセリフを少なくして、少し大げさな演出を減らして、若い役者さんたちのいい表情を極限まで引きずり出して、ここぞというところでそれを際立たせる。そんな風に気の利いた抑制をするだけで「漫画原作映画」でもこれだけの良いものが出来る、という実証のような作品でした。ただその絶妙なコントロールというものがなかなか難しいものなのかもしれません。スポンサーや会社のお偉いさんから横やりが入るならなおさらのことでしょう。

あと『上の句』で面白いと思ったのは一番おいしい場面で観客の心をもっていくのは主人公の千早ではなく、ヒロイン(笑)の太一とわき役の「机くん」だったりするんですよ。特に机くんは明らかに原作よりも重要な役回りとなっています。男のわたしはおかげでさらに感情移入しやすかったですけど、思い切りましたねえ(^_^; まあ真打の大活躍は「下の句」までとっておこうという考えなのかもしれません。

机くんもそうですが、原作漫画には味のある地味メンが多く登場します。それらのキャラクターがイメージ通りに再現されてたのも高ポイントでした。特にひいきの「ヒョロ君」は漫画そのまんまでしたねえ。できればジョニー・デップに演じてほしかったところですが、坂口良太郎君のヒョロ君ぶりも本当に見事でした。

Chf1離れていた友と思いがつながった直後、また途切れてしまったところで幕となった「上の句」。3人の「またカルタで出会いたい」という願いは果たされるのか(果たされんでどーする)。『ちはやふる 下の句』は今週末より公開です。おそらく「上の句」「下の句」が同時公開されるのは1週間くらいではないのかな… 千葉真一氏のご子息である新役の真剣祐君には、「上の句」で封印していた豪快なチャンバラアクションを期待してます。


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April 26, 2016

5歳のボクが、部屋を出るまでと出てから レニー・エイブラハムソン 『ルーム』

Room2毎年この時期になりますと、アカデミー関連の作品が続々と公開されますが、今日取り上げるのもそのうちの一本。ショッキングな題材と子供の純粋な思いが胸を打つ『ルーム』、ご紹介します。

ジャックは生まれた時から「部屋」の中から出たことがなかった。一緒に暮らしている母親もまた、その「部屋」から出ることなく毎日をすごしていた。ジャックにとっては母親と部屋にあるものだけが本物で、テレビに映るものはすべて偽物だと信じていた。部屋を出入りするのは時々現れて必要なものを置いていく謎の男だけだった。
ジャックが5歳の誕生日を迎えた日、母は彼に驚くべきことを打ち明ける。母は謎の男に7年前にさらわれて、以後ずっと監禁されていたのだ。そしてジャックにここから脱出するための計画を説明しはじめる…

実際にあった事件に着想を得て書かれた小説の映画化作品(ややこしい)。スタイリッシュな予告にひかれて観ることにしましたが、わたし監禁ものって苦手なジャンルなんですよね… それは閉じ込められてる人に感情移入すればするほど、どんより暗い気分になってしまうから。ましてジャックの母親は強姦目的で10代のころにかどわかされたというのですから、男の私には想像するしかありませんが、果てしない奈落にずんずんと落ちていくような気持ちにさせられます。
しかし映画がそれほど暗いムードにならないのは、ひとえに主人公のジャック少年の純粋さ、無邪気さのゆえ。本当によく探し出したなあ…というくらい天使のようにかわいらしい。母親のジョイさんが7年間虜囚の身にありながら狂気と絶望にとらわれなかったのは、ジャック君の存在があったればこそでしょう。そして子供を守ることができるのは自分だけだ…という思いも彼女を強くしたのだと思います。毎日のように児童虐待・育児放棄のニュースを耳にしてると、フィクションとはいえ彼女もまた立派な母親だなあ…と感じ入ります。

以後、大体ネタバレで
house
house
house
house
しかしそんなに気丈なジョイさんも苦労を重ねて脱出したあとに、精神のバランスを崩してしまいます。そして辛辣なリポーターから「あなたがジャックから普通の生活を奪ってしまったのでは?」と心無い言葉を言われたのが致命的な打撃となってしまいます。自分がジャックを苦しめていたと思い込んでしまうのは彼女にとって7年間閉じ込められることよりも辛く悲しいことだったのですね。
さらにどん底に落ち込んだジョイを救ったのはやはりジャック君でした。ここでジャック君が母のことを思って髪を切るシーンが本当に心をゆさぶります。江頭2:50氏が「いい断髪シーンのある映画は傑作」と言ってましたが、まさにその通りだと思いました(なんでそうなのかはよくわかりません。いずれ真剣に考察してみようかしら…)

あと解放後の親子を見守る老人たちの反応が三者三様で興味深いです。ジャックが犯罪者の子であることをどうしても受けいられないジョイの父。二人に愛情を注ぐものの、いつしか娘とぶつかってしまうジョイの母ナンシー。そんな張りつめた空気をやわらげるのがナンシーの現在の夫であるレオさん。彼だって突然騒ぎの渦中に放り込まれたのに、その懐の広さでもってジャックとジョイを自然に受け入れていきます。この映画で断髪シーンと同じくらい感動したのがレオさんがワンコを連れてくるくだりと、ジャックが「ばあば大好き」という場面でした。

そしてジャック君に促されてトラウマと決別するジョイさん。モデルとなった事件の被害者の女性は今は温かい夫と共に幸せな生活を送っているとのことなので、ジョイさんもやがてそうなることを祈るばかりです。ジョイを演じるのブリ―・ラーソンはこの映画でアカデミー主演女優賞を受賞。『ショートターム』でもつらい過去に悩むヒロインを好演されていました。シンガーソングライターとしても活躍されてるそうです。

Room1『ルーム』は上映館は多くありませんが、日本でも初登場8位と注目を集めている模様。決してこころ温まるだけの映画ではないのでそれなりの覚悟が必要ですが、見る価値は十分にある作品です。


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April 20, 2016

必殺シカリオ人 ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『ボーダーライン』

200情念漂う一風変わったサスペンスをよく手掛けている俊英ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。そのドゥニ監督の新作は、メキシコ麻薬戦争を題材にしたこれまたビンビンに緊張感溢れる物語。『ボーダーライン』、ご紹介します。

FBIの捜査官ケイトは麻薬カルテルのアジトを制圧したことから、警察内のある組織に引き抜かれ、カルテルのボスを確保する作戦に参加する。メキシコ国境へ向かう途中、彼女は同僚となるアレハンドロという謎めいた男に出会う。作戦が進行していく中、ケイトはカルテルの非情さと捜査側の強引なやり方に苛立ちを募らせていくのだった。
その合間に何度か挿入されるサッカー少年とお父さんの心温まるやり取り。果たして本筋とはどういう関係が…

原題は『シカリオ』。古代ユダヤに存在した「熱心党」というグループのことだそうです。当時彼らを支配していたローマ兵士をゲリラ的にネチネチと追いつめて血祭りに上げていったとか。なんでそれがタイトルになってるのか、ということは終盤になるとおぼろげにわかってくる… ような…

ポスター(上画像)を見ますと主演のエミリー・ブラントさんが実に勇ましく写ってますよね。最近の映画界の流れからいってエミリーさんが男顔負けのアクションを見せて悪党どもを片っ端からぶっ殺していく、そういうストーリーを予想していました。やはり彼女がメインキャストだった『オール・ユー・ニード・イズ・キル』ではそういう役柄でしたし。
ところがこちらでは一応戦闘スキルも持ってるものの、もっと恐ろしくえげつないやつらに翻弄されてえんえんと悩む、そんなポジションでした。そうですよね… 監督がドロドロの情念の好きなヴィルヌーヴさんですもんね… そんなズバッと解決スキッと爽快な流れにはならんですよね…
ただ今回はなかばを過ぎてもあんまりその情念みたいなものは漂ってきません。えぐくてグロい残酷描写こそふんだんにありますが、基本的にドライにドライにお話は語られていきます。だもんでいつもと違うタッチでいくのかな…と思ってたらクライマックスでそれまで抑えられていた情念がドバ―――――ッと噴出して、圧倒されました。うーん、これこれ。これこそがやはり本来のヴィルヌーヴ節であります。

あとヴィルヌーヴさんは「人はどうしてこれほどまでに残酷になれるのか」ということをずっと考えてる気がします。『灼熱の塊』や『プリズナーズ』ではそうした残酷性から生み出される暴力の連鎖をとめたい、という願いも感じられました。しかし『ボーダーライン』ではもうそれは無理なんじゃなかろうか…みたいな諦観が漂っていてさみしゅうございました。それほどにここで描かれている暴力は圧倒的で支配的であります。

わたしがこの映画で特に印象に残ったのは麻薬カルテルのボスの正体。以下、かなりネタバレしてるのでご了承ください。
sad
sad
sad
sad
顔の皮をはいだり、手足のもげた死体をつるしたり、敵組織の娘を酸のプールにつきおとしたりする。そんな蛮行を指示する男はどんなバケモノなのだろうと思っていました。ところが終盤明らかになるボスは、ごく普通のパパさんとして妻子となごやかにご飯をたべているのですね。そこだけ見るならば一般のお父さんと違うところは家と料理が豪華なことくらいです。これはフィクションですけど、きっと本物のカルテルの親玉もそんな感じなんじゃじゃないでしょうか。血の気も凍るような残酷な命令をくだしながら、家ではよき家庭人として穏やかに暮らしている。そういう割り切りがきちっとできなければ麻薬戦争の大物なんて務まらないのかもしれません。その陰で蟻んこのように踏みつぶされていく命のことを思うと、本当にぞっとしますけどね…

そんな組織のボスをおいつめていくのがベニチオ・デルトロ演じるアレハンドロ。おそらく原題の「シカリオ」は彼のことを指しているのでしょう。わたくしこれまで観てきたベニチオさんというと、『シンシティ』の首が取れかかってた悪役とか、ジャングルで衰弱してるゲバラとか、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のへんてこな商人とかそんなんばっかりだったので、今回の鬼気迫る演技にはそのギャップにびっくりしました。というか、こちらの方が本来の姿なのでしょうね。いままで変な役でしか見てなくてどうもすいませんでした。

Yjimagebl『ボーダーライン』というか『シカリオ』は好評を受けてはやくも続編が決定したとのこと。え… ここで終わっておくのが美しいと思うけどな…
またヴィルヌーヴ監督は次はあの『ブレードランナー』の続編を手掛けるとのこと。かなり意外なチョイスですけど彼があの名作をどう料理してくれるのか楽しみです。


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April 18, 2016

おかしな一人と一匹 テリー・ジョーンズ 『ミラクル・ニール!』

400pxpioneer_plaque_svg『スタートレック』『ミッション・インポッシブル』『スターウォーズ』などドル箱シリーズの出演でいまや世界的大スターの感があるサイモン・ペグ。そのペグさんの新作は彼の王道に戻った実にしょうもないコメディ映画。『ミラクル・ニール!』、ご紹介します。

1972年、宇宙人へのメッセージを積んで地球より飛び立ったパイオニア10号は、航行から43年を経てついにその目的を果たす。メッセージの金属板(上部画像参照)を受け取った宇宙人たちは銀河法にのとって、一人の男に全知全能の力を与え、地球人が有害が無害か確かめようとする。テストに受からなかった場合、当然地球は消滅。そしてその被験者に選ばれたのはニールという英国のさえない教師であった。

この金属板、わたしは学研まんが・ひみつシリーズの第1巻『宇宙のひみつ』で知りました。ですから昔の宇宙好きの子供たちにはよく知られた話だったんですけど、ここんとこずっと目にしてなかったなあ~ 冒頭でこれが出てきたときよくいえば懐かしい、悪く言えば古臭い思いが胸を満たしましたw

宇宙人が地球を簡単に吹っ飛ばそうとするところや、それに頼りない男が振り回されるあたりはやはり英国のSFコメディ『銀河ヒッチハイクガイド』 を彷彿とさせます。あと星新一や筒井康隆の短編にもちょくちょくこんな話があったような。ごく普通のサラリーマンか何かが突然神にも等しい力を授かって…という。ユーモア作家だったら一度は挑んでみたいテーマなのでしょうか。ちなみに原題は『Absolutely Anything』。直訳すると「絶対的な何か」、意訳すると「神様」ってとこですかね。

とあるサイトではあらすじで「全知全能の力を与えるけどその男はその力を愛犬とお喋りにしか使わなくて…」と紹介されてましたがこれはウソですね(笑) けっこういろんなことに使ってます。ただ銀河コンピューターは最近のMacやウィンドウズよりも融通が聞かないみたいで、ニールが願ってたことの30%くらいずれた反応を見せます。「生徒を静かにさせろ!」と言えば爆破事故を起こして全員死なせてしまうし、「生き返らせろ!」と言えばゾンビにしてしまうし… そんなブラック風味のボケとツッコミがいちいちツボにはまりました。

あとやっぱり話が俄然面白くなるのは犬が喋り出してから。話せるようになってからの第一声が「ビスケットくれよ!ビスケットくれよ!」だったりします。うちの婆さん猫がいまちょうどこんな感じです。犬は猫より頭がいい、みたいなイメージがありますけど、厳密にいうと賢いのは訓練された犬ですよね。訓練されてなければ犬も猫もそんなに変わりないと思います。このデニス君も相当頭が悪そうだし品はないしご主人様の足をひっぱるしでかなりの駄犬であります。それでもニールを一途に心配してるところは本当に愛らしいし泣かせます。猫派のわたしも「犬もいいなあ…」としみじみ思いました。たぶんこれ、デニス君が猫だったらあまり話として盛り上がらなかったと思います。個人的にはもっともっと犬の登場場面を増やしてほしかったです。

わたしてっきり「結局はニールが根はいいヤツなんで、宇宙人の試験に合格する」みたいなそんなオチを予想しておりました。ところがこれがこちらの予想をはるかに上回る展開が待ってまして。このサプライズだけでもご飯が10杯はいけるくらい痛快でした。この気持ちよさ、ぜひ多くの人に体感してほしい…

Mcnl1スタッフ・出演にモンティ・パイソンのメンバーが多く関わっているのも見どころのひとつ。わたしゃあんまり知らないんですけどね。
『ミラクル・ニール!』は現在全国の映画館で中規模程度で上映中であります。愛犬は地球を救うのであります。


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April 12, 2016

魔法少女ユキコ☆マギカ カルロス・ベルムト 『マジカル・ガール』

Mcg2「日本の魔女っ娘アニメをモチーフにしたヨーロッパ映画」ということで気にはなってたのですが、近くでやってないし観たら暗い気分になりそうなので敬遠していたこの作品。先日上映館の近くまで行ったので勇気を振り絞って観てきました。『マジカル・ガール』、ご紹介します。

白血病を患う少女アリシアは日本のアニメ「魔法少女ユキコ」が大好き。余命わずかな娘のために、アリシアの父は彼女がひそかにほしがっているユキコのプレミアもののドレスをなんとか手に入れようとする。
同じ町に住むバルバラは夫から愛されていながら精神的に不安定な状態にあり、友人の前で洒落にならないことを言ったりして彼を困らせていた。アリシアとバーバラの運命はやがてあることをきっかけに複雑につながりあう。

以下、肝心なところはばらしませんが大体の展開がよめてしまうと思うので未鑑賞の方はご了承ください。

わたしがこの映画に興味を持った理由の一つは、監督が「『まどか☆マギカ』に影響を受けた」と語っていたからです。そのことを意識して観るとなんとなく『マジカル・ガール』のテーマがつかめてきます。
それは「もし魔法によって幸せになれたとしても、その作用でほかの誰かが不幸になる。そして最終的には一度は幸せになった者にも負のカルマが跳ね返ってくる」ということですね。
二回あるものがぱっと消されてしまうシーンがありますが、あれは「誰もが魔法使いになれる」ということを暗示してるんだと思います。で、この映画でいう魔法というのはそんなに幅広いものではなく、単に「他の人をあやつったり支配したりする力」のことをさしてるのではなかろうかと。意識的・無意識的にかかわらずね。

『マジカル・ガール』にはいくつか乱歩を連想させる要素も見え隠れしています。バーバラが訪れる部屋に黒蜥蜴のマークがあったり、映画のエンディングで美輪明宏が歌っていた「黒蜥蜴のテーマ」が流れたり。あとアリシアのお父さんが使っていた検索サイトがグーグルでもヤフーでもなく「RANPO(RAMPO?)」だったり。そういえば乱歩の作品にも人を意のままに操ろうとする作品が幾つかあったような。『心理試験』とか『目羅博士』とか。ひとつのことに異常なまでの執着を抱く心理描写などもちょっと乱歩っぽかったです。

そんなわけで覚悟していたように非常に意地悪で気の滅入る映画でありました。それでも途中何度かくすくす笑えるシーンがあったのが救いです。やっぱりシリアスなムードの中、突然長山洋子のアイドル歌謡が流れて、アニメのコスプレをした女の子が突っ立っていたら日本人としては笑ってしまいます。こういうの、西洋の人たちにはどういう風に感じられるのか聞いてみたいところですね。
監督さんはインタビューの中で『キルラキル』にも触れていたり、来日中どこぞのバーでウルトラ怪獣やふなっしーを落書きしてったりと相当なオタクさんのようです。でも『マジカル・ガール』はそんなにオタクオタクしてなくて、アート映画としても十分通用する点は見事だと思いました。

今年は他にも日本やその文化をモチーフとした渋い洋画が幾つか公開される予定です。すでに公開中の『リザとキツネと恋する死者たち』(トニー谷)や、ガス・ヴァン・サント監督の『追憶の森』(樹海)、スコセッシ監督の『沈黙』(遠藤周作原作)などなど。イタリア映画祭限定ですが「鋼鉄ジーグと呼ばれた男」(ロボアニメ)なんてのもあります。個人的には『沈黙』がかなり楽しみ。

Mcg1『マジカル・ガール』は好評につき現在公開拡大・延長中であります。この映画の関係で『まどか☆マギカ』に興味を持った方はぜひそちらもご覧くだされ。


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April 06, 2016

タケシとヒロシの間に 石ノ森章太郎・金田治 『仮面ライダー1号』

Mr1g1ここ数年、毎回アレな出来にも関わらずアクの強い企画にひかれてつい行ってしまう春の仮面ライダー映画。今年はいつもと違う重厚な雰囲気や脚本を井上敏樹氏が務めるということで「もしや…」と期待してみた(懲りないw)のですが果たしてその結果は。仮面ライダー45周年記念作品『仮面ライダー1号』、ご紹介します。

仮面ライダーゴーストこと天空寺タケルは、街で暴れている怪人の一団と、彼らに追われている少女と出会う。さらにそこへ少女を守ろうとする一人のただならぬ風格の男が現れる。彼はこの世に誕生した最初の仮面ライダー、1号こと本郷猛であった。そして追われていた少女は猛にとって父のような存在であった立花藤兵衛の孫・麻由であった…

え~、結論から申しますと、藤岡弘、さんのアイドル映画でした! つまり藤岡さんが自分の言いたいメッセージを全開で発信し、若い女の子といちゃいちゃし、かっこいいところではバシッと決めるそういう映画でした。
わたくしさすがに仮面ライダー1作目は生まれてなかったこともあってそんなに観てないのですが、本郷猛ってそんなに自己主張の強いキャラではなかったんではないでしょうか。こう言ってはなんですけど、もっと没個性的というか平均的な正義の味方だったように思います。藤岡さんも当時は駆け出しということもあって、自分の個性を前に出すことよりも「本郷猛」というキャラクターを演じることを優先していたでしょう。
ところが今回の映画では藤岡さんが普通に藤岡さんのまんま仮面ライダーを演じています(笑)。後輩のゴーストに「命とはなんだ!?」と哲学的な問いかけをし、現代の若者たちに戦争や環境問題について警告を発しておられます。
本郷さんも長い間海外をさすらってるうちに、社会問題について深く考えるようになられたのかもしれません。石ノ森章太郎先生もヒーロー漫画の中でよく公害や差別問題を題材にされてましたしね… でもそれにしてももう少しバランスよくというか、活劇の合間にさりげなく、という風にできなかったものでしょうか。
さらに必然性もなく出てきたノバショッカーの計画や、脈絡もなく出てくるアレクサンダーの魂とやらが混乱を増幅させてくれます。

…よかった点もあげておきましょう。まず予告にもあった暗闇の中立ち上がるちょっとマッチョのネオ1号のビジュアルが大変かっこよかった。ここだけでもまあなんとか元は取れたかな、という気もしないでもありません。
あと古びたガレージで本郷がおやっさんの写真を拾って「帰ってきたぜ…」とつぶやくシーン。ここに限ってはちゃんと藤岡さんも本郷猛を演じていたと思います。
他にはキャリアもあるのに地獄大使を嬉々として演じておられる大杉漣さんとか。ディケイド劇場版もあったからこれで二度目ですかね。お疲れ様でした。最初の方で竹中直人がカラオケに興じてるシーンで場内の子供たちが大うけしてたのもよかったです。そんなもんかな~

また当分「1号」を映画化することはないでしょうけど、できたら和智正喜先生の小説『仮面ライダー 誕生1971』を原作に忠実に映画化してほしいんですよね… さらにできたら金子修介監督で、長谷川圭一氏か小林靖子女史の脚本で。わたしが生きてる間になんとか…なんとか実現しないものですかねえええ(別に不治の病でもなんでもありません)

Mr1g2『仮面ライダー1号』は現在全国の映画館で中ヒット中。あとライダー関連ではアマゾンプライムビデオとやらで『仮面ライダーアマゾンズ』というダジャレみたいな企画が配信されていて話題を呼んでいます。冗談みたいなタイトルの割にこちらは初期平成ライダーを思わせるムードで本当に面白そう。でもそれだけのために入会するのもなんなのでDVD化をじっくり待ちたいと思います。


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April 04, 2016

DC福音書 ザック・スナイダー 『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』

20160404_125314八年前、バットマンについてあれこれ書いた記事で、こんなことを述べました。「付かず離れずという関係のバットマン&スーパーマン。果たして映画で共演することはあるでしょうか?」 とうとう実現しちゃいました… 『マン・オブ・スティール』に続くDCスーパーヒーローたちの一大叙事詩『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』、ご紹介します。

スーパーマンと宇宙よりの侵略者ゾッド将軍が激闘を繰り広げてから数年後。世論はその後人命救助に奔走するスーパーマンを称賛するものと危険視するものに大きく二分されていた。そんな中、ゴッサムシティにてヴィジランテ(自警団員)・バットマンの活動が激しさを増していく。実はバットマンは先のスーパーマンの闘いの際地上でその脅威を目の当たりにし、彼を排除する方法がないものか思案を巡らせていた。運命に導かれるようにやがて相対するバットマンとスーパーマン。さらに彼らの共倒れを狙う大富豪レックス・ルーサーの思惑もからみ、二人の英雄の一大対決へと発展していく。

アメコミに詳しくない人でも名前くらいは知ってるであろうスーパーマンとバットマン。まさしくアメコミの中でも1,2を争うほどの超メジャーヒーローです。ただその名の通り超人であるスーパーマンに比べると、バットマンは一応ホモ・サピエンスにすぎません。はたしてまともな勝負になるのか?と思われる方もおられるでしょう。しかしアメコミ史を通じて二人は割と何度も対決していますw よくあるパターンはスーパーマンが悪者に操られて…というものですね。で、そういう場合バットマンがどう相手するかというと大抵の場合は知恵と機転でなんとかします。なんせ「世界最高の探偵」という異名も持つバットマン。コミックではエイリアンやプレデターやターミネーターとも対戦してますが、いずれの場合も退けています。DC世界ではもしかすると宇宙最強の存在でさえバットマンの深慮遠謀には歯が立たないのでは…という雰囲気さえあります(まあそればっかりだと話が盛り上がらないのでささいなことでピンチになることもよくあるんですが)。そんなわけで身体能力にはものすごい差があるわけですが、十分勝負は成立するわけです。

さて、これから辛気臭い話になります(^_^;
よく言われる話でありますが、スーパーマンはキリストがもし現代に現れたヒーローだったら…という発想のもと作られています。前作『MoS』、そして今回の『BvS』は特にこの辺を意識していると思いました。仮に現代にキリストが人間の姿で現れたら世界はどうなるでしょうか。おそらくたちどころに戦争、飢餓、格差といった問題は解決しないでしょう。逆にこの映画の様に支持するか排除するかで大きな対立が生まれると思います。キリストはそんな対立に心を痛めたり、自分の存在に悩んだりしながら、とりあえずできる範囲で人助けにがんばるだろうと想像できます。
一方でバットマンは不幸な目にあって信仰を捨ててしまった人の代表です。神はいないか、いても自分たちは助けてくれない、自分たちでなんとかするしかないと考えます。特に今回バットマンはスーパーマンたちが瓦礫を巻き散らかしていた下にいたので、神を憎んでる風でさえあります。キリスト自身は立派な人であったかもしれないけれど、もし彼がいなければ多くの宗教戦争やテロも生まれなかったのではないか? 歴史を俯瞰してそんな風に考える人も少なからずいます。この映画のバットマンはそうした人々の代弁者でもあります。
というわけでスーパーマンもバットマンも自分なりに世の中をよくしようと思って行動してることには変わりはありません。それに対し自分の欲望のために二人を戦うよう仕向け、漁夫の利を得ようとしているのがレックス・ルーサーです。彼はキリストが活動していた時代、民衆を扇動して彼を迫害したユダヤ人のラビのような立場でしょうか。スーパーマンを公聴会に呼び出して罠にはめようとするくだりなどは、キリストの死の直前ラビたちが茶番劇のような裁判を開いて彼の罪をでっちあげたことを思い起こさせます。
こう、なんというか聖書にあてはめようとすればするほど、暗い話になっていきますね(^_^; 以下ラストまでネタバレしていきますので未鑑賞の方はお気を付けください。

sun
newmoon
sun
newmoon

レックス・ルーサーにあおられてスーパーマンを殺そうと躍起になるバットマンは、やはり聖書の使徒行伝に出てくる「パウロ」と通じるところもあります。ラビたちから教育を受けたパウロは、もともとクリスチャンを熱心に迫害する側でした。しかしキリストの無私の愛を知り、以後はその弟子を名乗るようになります。バットマンもスーパーマンがわが身をなげうって世界を守る様子を目の当たりにし、初めて彼が尊敬に値する男だと考えを改めます。この時スーパーマンの命を奪ったものが槍であるというのも、キリストの死の様子と重なっています。
スーパーマンの死後反省したバットマンは、彼の意思を継ぐことを表明します。当時の文化圏にひろくキリスト教を広めたパウロのように、世界中から「スーパーマンの弟子」たちを集めようとします。すでにその場にいるワンダーウーマンなどはギリシャ神話系のキャラクターですが、そうした点からもストーリーが世界規模・地球規模に発展していくことがうかがえます。そしてサーガは次章『ジャスティス・リーグ』へとつながっていくわけですね。

この作品には感心した点と強引だなあと思った点、両方いっぱいありましたが(笑)、感心した点をひとつあげるなら二人の和解のきっかけが「お母さんの名前が一緒だった」というところに目をつけたことです。アメコミを(邦訳限定で)二十年読んできたわたしですが、この映画を観るまで二大ヒーローのお母さんが二人とも「マーサ」だったのには全然気が付きませんでした。おそらく偶然の一致かと思われますが、かなりのアメコミオタクでなければそんなことに注目したりしないはず(たぶん)。その偶然のネタをお話の転換点となるあたりまで昇華させたことについては監督・脚本家を素直に讃えたいと思います。

20160404_125336『バットマンVSスーパーマン』は現在本国で爆発的に、日本ではそこそこヒット中。マーベルと比べるとやや不安が残るDCエクステンデッド・ユニバースですが、無事予定が進行していくことを祈ります。今後の予定といたしましては早くも9月にバットマンの悪役たちがチームを組む『スーサイド・スクワッド』がひかえています。そして来年には『ワンダーウーマン』と、本作品の直接の続きとなる『ジャスティス・リーグpart1』が予定されています。『ジャスティス・リーグ』はアメコミ版『七人の侍』を目指すということでわたしなどは心躍るわけですが、すべては『BvS』の成功次第。がんばれ!


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April 01, 2016

子連れ恐竜地獄旅 ピーター・ソ-ン 『アーロと少年』

Apatosaurusu最近ディズニー本家やユニバーサル・スタジオにちょっと押され気味のCGアニメのパイオニア・ピクサー。危機感を感じているのか?今回はいつもより早いペースでの新作発表となりました。恐竜をモチーフとした『アーロと少年』、ご紹介します。

中生代において巨大隕石が地球に衝突しなかった世界。滅亡を免れた恐竜たちは、言葉を話したり牧畜・農耕ができるほどの文化を育てていた。アパトサウルスの少年・アーロは家族の役に立とうと家畜の世話をがんばるが、臆病な性格のために失敗がつづいていた。彼を案じた父親は別の仕事として食料泥棒を捕まえることをアーロに託す。張り切ったアーロは見事に食料泥棒を捕まえる。それは彼が初めて見る人間の子供だった…

謎の生物と人間の子供が友達になるという話はよくあります。E.T、アイアン・ジャイアント、のび太の恐竜、恐竜物語REXetc… ただこれらの場合守ってあげる立場にいるのは大体人間の子供で、喋れるのも人間の方です(当たり前だ)。しかしこの『アーロと少年』においては庇護者となるのも言葉を話すのも謎の生物であり、人間の方は「うがー」としか言いません。この逆転の構図に「思い切ったな…」と当惑しつつ、ピクサーらしい実験精神に感銘を受けました(^_^;

主人公たちが意味不明な原語しかしゃべらない『ミニオンズ』、主人公たちはおろか登場人物すべてが「フガフガ」しか言わない『ひつじのショーン』など、近年の海外アニメのクリエイターたちはこぞって「言葉を越えたコミュニケーションの表現」にチャレンジしているように思えます。『アーロと少年』においてはアーロはよくしゃべるので彼の感情・思考は手に取るようにわかります。しかし原始人君の思いというのはわたしたちが想像するほかありません。この原始人君、怒りや嬉しさというのははっきり顔に出すのですが、「悲しさ」だけは涙を流すわけでもなく、むっつりした表情で見せるのみ。おじさんはおいおい大げさに泣かれるよりもこういう方がよほどもらい泣きしてしまいます。たとえば原始人君がさびしそうに棒を倒してあることを伝えるシーンがあるのですが、棒が倒れただけで鼻水がジェット噴射状態になってしまいわたしもいよいよおしまいだと思いました。
あとアーロの方は人間を「友達」という風に思ってたようですが、食うか食われるかの世界で初めて彼に助けてもらった原始人君は、アーロのことを父親か母親の様に思ってたんじゃないかなあ…と考えると、またしても鼻水がナイアガラ状態になるわけです…

ただ食料が乏しい世界においては「誰かを守る」というということは厳しい試練になることがあります。自分が食ってくだけでも十分大変なわけですから。実際このアニメには他の生き物を食う・利用することしか考えてない恐ろしい恐竜たちも多数登場します。やさしいアーロのお父さんでさえ「食料泥棒はぶっ殺せ」みたいなことを言います。ここでわたしが思い出したのは名作児童文学『子鹿物語』(NHKでアニメもやってました)。主人公の少年は「畑を荒らすから」という理由で仲良しだった子鹿をお父さんに撃たれてしまいます。それが現実というものなのかもしれません。
そんな世界でアーロはあえて「殺さない」ことを選択します。そのことで大きなものを失うことにもなるのですが、それでも少年を許し、必死で守り通します。これは誰にでもできることではないです。よほど器の大きな人間(この場合は恐竜)でないと無理でしょう。この物語は子供だったアーロが別の子供を守ることで、自分の目標であった父親に近づいていき、さらにビッグな男になっていく、そんなお話だと思っています。その懐の大きさこそが、原題『The Good Dinosaur』のGoodにあたるものなのでしょう。甘くぬるいファンタジーと感じられる方もおられましょうが(大体恐竜がしゃべってるし)、この映画を観る子供たちにはそんなスケールの大きい大人を目指してほしいものです。

一点ちょっと物足りなかった点。この映画だけでなく、ここ数年のピクサー作品に言えることですが、『トイ・ストーリー3』までのピクサーにはクライマックスにおいてこちらの度肝を抜くようなスペクタクル・アクションがほとんどの作品に備わっていたのですね。それだけドタバタ動き回りながらも、最後はきっちり感動させるというのもピクサーのすごいところでした。そういう予想を越えるようなアクションがなかったのはやはり少しさびしい。相当レベルの上がってしまったディズニーご本家に拮抗していく上でも、新人監督さんたちにはその辺がんばっていただきたいです。

Photo『アーロと少年』は現在全国の映画館で公開中。『ドラえもん』に真っ向からぶつけたのはまずかったような気もしますが、それでも『ひつじのショーン』特別編に比べるとかなり健闘しております。
ピクサーが次に送り出すのはあの『ファインディング・ニモ』の続編。今夏公開予定ということで、やっぱりハイペースであります。


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