箱庭か箱舟か ロイス・ローリー&フィリップ・ノイス 『ギヴァー 記憶を注ぐ者』
ようやっと試験が終わりました… いえーーーい! というわけでブログも少しペースをあげていきたいと思います。いけるといいな! 本日は一風変わったSF映画『ギヴァー 記憶を注ぐ者』をご紹介します。
平穏そのもののある都市で、すくすくと育った青年ジョナス。学校の卒業式の日、彼は特別な資質を持つ者にしか与えられない職「レシーヴァー」になることを命じられる。「レシーヴァー」には、封印された人類の歴史・記憶を、これまで保存してきた「ギヴァー」から受け継ぐという務めがあった。最初は恐る恐るであったが、狭い都市の中しか知らなかったジョナスはその豊かで激しいイメージに夢中になっていく。
ディストピアものは大きく二つにわけられると思います。ひとつは「荒廃型ディストピア」。文明が崩壊した厳しい自然の中でどうやって生き延びていくか…というストーリーのものです。『マッドマックス』『北斗の拳』『風の谷のナウシカ』などがこれにあたるかと。
もうひとつは「管理型ディストピア」。徹底的に管理された未来社会で人間らしさを奪われた人々の苦闘を描く作品です。『地球へ…』『時計じかけのオレンジ』『DTエイトロン』(マイナーだなあ)などがこちらにあたります。
で、この『ギヴァー』はバリバリの「管理型」のお話であります。ぱっと見た感じ、ジョナスたちの世界はそんなにひどくは見えません。住んでる人たちはみな優しくて上品だし、笑顔にあふれている。そしてなにかあるとすぐに「謝罪します」と言うくらい謙遜であります。しかしそれがおかしいな~と思い始めるのは、ジョナスがギヴァーからの教育を受け始めるあたりから。ここにいたってようやく画面にほんのりと色が付き始めます。冒頭からずっとモノクロだったのはオシャレ演出ではなく、都市の住人が色や強い感情を薬によって奪われていたからなのか…と判明いたします。さらに「夜は外出禁止」「家族以外の異性には触れない」といった多くの規則もなにやら冷たいものを感じさせます。
といって彼らにとっての過去の社会…現代の我々の社会が必ずしも理想郷ではないことも語られます。いまの世界では絶えずどこかで殺し合いが行われているわけですからね。無菌状態で育ったジョナスが、いきなりそうした情景を目撃した時のショックははかりしれません。映画の中での残酷描写にすっかり慣れてしまい、時にはゲラゲラ笑いながら観てることも多いわたしですが、ジョナスのそうした痛々しい描写は幼いころきつい暴力描写をうっかり見てしまい、トラウマになりかけた記憶を呼び起こさせます。
社会の欺瞞に気付き、人間の残酷さも知ってしまったジョナスが、いったいどういう道を選ぶのか… それがこの映画の最大の山場であります。
原作は20年ほど前に米国でベストセラーとなった児童文学。なるほど、その詩情と深いテーマはいわゆる「ライトノベル」とは一線を画するものがあります。正直「触れるだけで情報が伝わる」とか、「境界線を越えたら洗脳が解ける」という強引でご都合主義的な設定が気にならないでもなかったですが(原作読めばわかるのかな?)、美しい映像と劇伴に気持ちよくさせられてしまい、いつの間にか「細かいことだよね」と見過ごしている自分がいました。(そのムーディーなメイン曲はコチラで聴くことができます)。
その『ギヴァー 記憶を注ぐ者』ですが、公式サイトを見たらもう愛媛でしか上映がなくなっていました(^_^; 年明け早々にはDVDが出ますので気になった方はそちらでごらんください。メリル・ストリープとかジェフ・ブリッジスといった大御所も出てるのになんでしょうね、このえらくひっそりした扱いは…(地味な内容だからです)。
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