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October 29, 2015

君よ、心に尻尾は突き立っているか 斎藤敦夫・河村友宏・小森啓裕 『GAMBA ガンバと仲間たち』

Gamba1かつてTVアニメ化もされた斎藤敦夫の名作児童文学を、日本におけるCG製作の雄「白組」が映画化。あまり話題になってませんが、これ本当によかった… 『GAMBA ガンバと仲間たち』、ご紹介します。

町に住むドブネズミのガンバとマンプクは、ある日突然海を観にいこうと思い立つ。たまたま港では船乗りネズミたちのパーティーが行われていて、二匹も飛び入りで参加することに。主催者のヨイショとトラブルもあったが大いに楽しんでいたところへ、弱りきった一匹の子ネズミがやってきた。その子ネズミ…忠太がいうには、彼の故郷が恐ろしい白イタチのノロイに襲われて壊滅状態なのだという。はじめはいきり立っていた船乗りネズミたちだったが、「ノロイ」の名を聞いた途端引っ込んでしまう。途方に暮れる忠太を見てガンバは「俺が一緒に行く」と申し出るのだった…

原作ではその姿に心打たれた14匹がガンバと忠太に同行しますが、映画版ではTVと同じ総勢7匹がノロイ討伐行に向かいます。わたしが特に好きなのはこの出崎統氏が監督したテレビシリーズでして。再放送のたびに夢中になって観たし、DVD-BOXを買った唯一のアニメでもあります。アニメをウン十年観続けて、いまだにオールタイムベストの五本の指に入ります。
ですから今回の新作、おそらく自分の中で出崎版を越えることはなかろうと思ってました。でもひさしぶりに「ガンバ」にスポットをあててくれたことが嬉しくて、いわばご祝儀の様な気持ちで観に行ってきました。そしたらそれはもう~ ボロボロダラダラズビズビと泣きましたね… 泣きすぎて頭が痛くなったくらい(^_^; あらためて自分はこのガンバの物語が本当に好きなんだな…と感じ入りました。

「ガンバ」のストーリーでまず思い出すのは黒澤監督の名作『七人の侍』です。その面白さゆえに多くのフォロワーを産んだこの作品に、斎藤先生も影響を受けたのかもしれません。また絶対悪である魔王に純真な者たちがパーティーを組んで打倒に向かうあたりは『ロード・オブ・ザ・リング』というか『指輪物語』をも想起させます。
ただこの二つの先達に比べて「ガンバ」が際立っているのは、主人公たちがなにしろちっぽけな存在であること。なんせ彼らはネズミさんたちですから。人間よりも大幅にサイズは小さいですし、都会・自然を問わず多くの敵に絶えず狙われています。そんなネズミさんたちが到底かなわないような化け物を相手に、決して希望と明るさを失わず果敢に立ち向かう姿に、おじさんは泣かずにはいられないのでした。そしてその信念が絶体絶命のその時に思わぬ奇跡を呼ぶクライマックスにはすでに知っている話だというのに、頭頂からつま先まで鳥肌が立ちまくりました。

こっから先はちょっとネタバレで。

今回のバージョンでちょっと物足りなかったのが出発からあっという間にノロイ島に着いてしまうこと。これは尺の都合上仕方なかったのかもしれません。その代わりとてもよかったのはTV版でひとつのキャラに統合されてたボーボとマンプクがちゃんと二匹のキャラに分けられてたことですね。この二匹戦力的には著しく下の方のやつらなんですが、マンプクはとにかくガンバを信じる気持ちが熱い。臆病な性分のくせに親友を思って地獄のような場所までついていきます。そしてボーボは… ボーボはねえ… 原作を読んでる人はマンプクと分けられた時点で察してるかと思いますが、彼についてはやはり本編をごらんいただきたい。原作でのイカサマとのやり取りが特に胸に残ったわたしとしては、もう何も言えません

加えてもうひとつ感動したのが入場時くれたカードのQRコードを読み解くと観られる映画の後日談。わずか3分ほどのセリフなしの映像ですが、これがまたむちゃくちゃいいんですわ… これ、普通にEDで流せばよかったじゃん!とも思いましたが、正規の絵本調のEDもまたそれはそれですばらしいのです。

Gamba2というわけで『GAMBA ガンバと冒険者たち』は現在公開中ですが、興行的にはかなり苦戦していて、早いところでは明後日、ほかのところでも来週中にはおおむね終了してしまうようです。最初は「それなりに後に残ればそれでいいか」なんて思ってましたが、この映画のことを思い返す度に「やっぱりもっともっと多くの人に観てほしい」という思いが募るばかり。そしてこれを機に原作やTV版にも興味をもってほしい。すでに朝一の回しか残っていないとこもありますが、観られる方はガンバって早起きしてぜひご鑑賞ください!


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October 26, 2015

箱庭か箱舟か ロイス・ローリー&フィリップ・ノイス 『ギヴァー 記憶を注ぐ者』

Ph04ようやっと試験が終わりました… いえーーーい! というわけでブログも少しペースをあげていきたいと思います。いけるといいな! 本日は一風変わったSF映画『ギヴァー 記憶を注ぐ者』をご紹介します。

平穏そのもののある都市で、すくすくと育った青年ジョナス。学校の卒業式の日、彼は特別な資質を持つ者にしか与えられない職「レシーヴァー」になることを命じられる。「レシーヴァー」には、封印された人類の歴史・記憶を、これまで保存してきた「ギヴァー」から受け継ぐという務めがあった。最初は恐る恐るであったが、狭い都市の中しか知らなかったジョナスはその豊かで激しいイメージに夢中になっていく。

ディストピアものは大きく二つにわけられると思います。ひとつは「荒廃型ディストピア」。文明が崩壊した厳しい自然の中でどうやって生き延びていくか…というストーリーのものです。『マッドマックス』『北斗の拳』『風の谷のナウシカ』などがこれにあたるかと。
もうひとつは「管理型ディストピア」。徹底的に管理された未来社会で人間らしさを奪われた人々の苦闘を描く作品です。『地球へ…』『時計じかけのオレンジ』『DTエイトロン』(マイナーだなあ)などがこちらにあたります。

で、この『ギヴァー』はバリバリの「管理型」のお話であります。ぱっと見た感じ、ジョナスたちの世界はそんなにひどくは見えません。住んでる人たちはみな優しくて上品だし、笑顔にあふれている。そしてなにかあるとすぐに「謝罪します」と言うくらい謙遜であります。しかしそれがおかしいな~と思い始めるのは、ジョナスがギヴァーからの教育を受け始めるあたりから。ここにいたってようやく画面にほんのりと色が付き始めます。冒頭からずっとモノクロだったのはオシャレ演出ではなく、都市の住人が色や強い感情を薬によって奪われていたからなのか…と判明いたします。さらに「夜は外出禁止」「家族以外の異性には触れない」といった多くの規則もなにやら冷たいものを感じさせます。

といって彼らにとっての過去の社会…現代の我々の社会が必ずしも理想郷ではないことも語られます。いまの世界では絶えずどこかで殺し合いが行われているわけですからね。無菌状態で育ったジョナスが、いきなりそうした情景を目撃した時のショックははかりしれません。映画の中での残酷描写にすっかり慣れてしまい、時にはゲラゲラ笑いながら観てることも多いわたしですが、ジョナスのそうした痛々しい描写は幼いころきつい暴力描写をうっかり見てしまい、トラウマになりかけた記憶を呼び起こさせます。

社会の欺瞞に気付き、人間の残酷さも知ってしまったジョナスが、いったいどういう道を選ぶのか… それがこの映画の最大の山場であります。

原作は20年ほど前に米国でベストセラーとなった児童文学。なるほど、その詩情と深いテーマはいわゆる「ライトノベル」とは一線を画するものがあります。正直「触れるだけで情報が伝わる」とか、「境界線を越えたら洗脳が解ける」という強引でご都合主義的な設定が気にならないでもなかったですが(原作読めばわかるのかな?)、美しい映像と劇伴に気持ちよくさせられてしまい、いつの間にか「細かいことだよね」と見過ごしている自分がいました。(そのムーディーなメイン曲はコチラで聴くことができます)。

20071017195727その『ギヴァー 記憶を注ぐ者』ですが、公式サイトを見たらもう愛媛でしか上映がなくなっていました(^_^; 年明け早々にはDVDが出ますので気になった方はそちらでごらんください。メリル・ストリープとかジェフ・ブリッジスといった大御所も出てるのになんでしょうね、このえらくひっそりした扱いは…(地味な内容だからです)。

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October 19, 2015

こんな体に誰が四た ジョシュ・トランク 『ファンタスティック・フォー』

Ffrb1本年度最後のアメコミ映画(だと思った)は、マーベルユニバース最初のヒーローチームを新鋭ジョシュ・トランクがリブートさせたこの作品。『ファンタスティック・フォー』ご紹介します。

リード・リチャーズは子供のころからテレポーテーション装置の開発に情熱を燃やし、ご近所に迷惑をかけたりしていた。そんな彼の才能を評価していたのは、幼馴染のベン・グリムただひとり。しかし発明コンテストで試作機が高名なストーム教授の目に止まり、リードはその研究室に迎え入れられる。教授の子供たちのスーとジョニー、プロジェクトに呼ばれたビクターらと協力し、ついにリードは念願の装置を完成させる。だがその功績が軍に奪われそうなことを知った彼は、仲間たちと共に「テレポーテーションに成功した最初のメンバー」として歴史に名を残そうとする。

当ブログでも扱いましたが『ファンタスティック・フォー』は以前に二部作で映画化されております(1作目の記事はこちら。2作目の記事はこちら)。映画でも漫画でもうじうじ悩むヒーローが多いマーベルユニバースにあって、ファンタスティックフォーは例外的に明るくのんきなキャラクターたち。体に変化が生じた時こそそれなりに悩んではいましたが、「ま、これはこれで仕方ないよね」となかなか気持ちの切り替えが早かったように記憶しています。
しかし今回のリブート版は実にマーベル作品らしい鬱々と悩むスタイルに変更されています。まあどうせ新生させるのだったら、前と同じことをやったって意味ないですからね。それに体がゴムや岩になったら、もっともっと深刻に苦悩するのが普通だと思います。「クローネンバーグ大好き」を公言するトランク監督は、そこに目をつけて『ザ・フライ』のように暗いほうへ暗いほうへストーリーを運んでいきます。
ただ問題は一生懸命暗いムードで語っていたお話が、ラスト20分くらいですごくわかりやすい普通のアクションものになってしまうところ まるでそれまで『モーニング』誌で連載されていた漫画が、ラスト数回で突然『コロコロコミック』に移籍したような感じです。
これはどうも20世紀FOXが「これでは売れまい」といろいろ横やりを入れたりいじくったりしたせいでそんな作りになってしまったようです。それで結局売れなかったのだからなんともやるせないものがありますね…

すでに出来上がってしまった作品に対して「ああすればよかったこうすればよかった」というのは、なんだか死んだ子の年を数えるようですごく後ろ向きな行為だと思うんですよね。それで今回はわたしなりに「ここをこうすればよかった」という点をいくつか考えてみました(日本語おかしいよ)。タイトルにちなんで4点あります。あ、ラストまでネタバレ全開ね♪

①「リードとベンの友情」
この映画のテーマのひとつはリードとベンの友情にあると考えてます。唯一無二の親友を心ならずもひどい目にあわせてしまった。そこでいかに懸命に罪を贖うか、一方あわされた方はいかに相手を許すか…ということを丁寧に描いてくれたらとても感動したと思うのですが、映画では「いつの間にか仲直りしてた」という感じでした。まあ「成り行きで一生懸命共同作業してたら、なしくずしに元鞘におさまった」ということもあるでしょうけど。

②「ビクターの思考」
1年ほどの放置プレイの末に「地球を滅ぼしてこの惑星を守る」と大暴れするビクターさん。わけがわかりません。普通は里心がついて「早く帰りたい」と思うものでは? 自分を置いてった連中への逆恨みが高じてそうなってしまったんでしょうか? 未知のエネルギーと融合しておかしくなってしまった人の思考を理詰めで説明するという方が無理なのかもしれませんが、エンターテイメントならそこはもう少し自然に話を運んでほしかった。もしかしたらあの惑星はソラリスよろしく意思を持っていて、ビクターはその意思に乗っ取られたのだ、とか

③「冷たいリード君」
前半ではあれほど必死にビクターを助けようとしていたリード君ですが、クライマックスでは全く迷いなくビクターを地球の敵として葬り去ります。そりゃ確かにそうするしかなかったのかもしれませんが、かつての研究仲間なんだからぷちっとくらい悼んでやってもいいんじゃないか? さすがにここは脳内補完がむずかしい(^_^;

④「X-MENとのリンク」
今回の大きなウリのひとつは「X-MENと世界を共有している」という設定だったと思ったのですが、本編ではエックスメンの「エ」の字も出てきませんでした。ファンタスティック・フォーなんて今となっては地味な素材なんだから(あっ)、X-MENからサブキャラの2,3人もカメオ出演させてその設定をもっと前面に出すべきだったのでは? 脚本だってX-MENシリーズを手掛けているサイモン・キンバーグが書いてるんだから。とりあえずそういう情報があったらもっと多くのオタクがホイホイと喜んで観に行ったと思います。 もったいね~
1507038mlと、ここまでぐちぐち文句を書くのも結局はこの映画が好きだからなんです。ゆがんだ愛情の表れですね。メタメタになった山場でも這いつくばってたリード君が懸命に立ち上がる姿には燃えましたし…
『ファンタスティック・フォー』はまだ二週目なので全国の映画館で公開されてますが、果たしてどれほどもつでしょうか(^_^;
驚くべきことにけっこうな赤字となったこの映画の続編を、FOXさんは諦めずに作る予定だそうです。あとからキンバーグさんが「X-MENの世界とは別」と言い出して目が点にもなったりしましたが、一応X-MENとのコラボ作品も企画されてるという噂。カオスですね…


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October 15, 2015

不殺仕事人 ドラマ版『デアデビル』シーズン1なんちゃって総解説

51rbfpnqsml__sx351_bo1204203200_映画だけでなくTVドラマにまで拡大を続けるマーベル・シネマティック・ユニバース(…)。その最新作でNYの暗黒街を舞台とした『デアデビル』がこのほどNetflixより配信されました。その面白さに「ああっ」と言う間に全話視聴してしまったので、感想をまとめておきます。完全ネタバレの観た人むけです。

#1 「戦いのゴング
デアデビルがなぜ特殊能力を得たか、ヘルズキッチンがどれほど腐敗してるかが説明される第1話。この回のみニコニコ動画の特別配信で見ましたが、なぜか合間にお笑い芸人さんたちの解説が入っていて非常に邪魔でした(なだぎさんは好きですけど)。CGもワイヤーもなく鍛え抜かれた肉体がひたすらぶつかりあうアクションシーンに息を呑みました。特に印象深いのは、予告でも使われていたデアデビルが口から血を垂らしながらゆっくり起き上がる例のカット。「けっとばされてもすぐおきろ ふんづけられてもまたおきろ」という『けろっこデメタン』の主題歌が思い出されます。

#2 「カットマン」
誘拐された子供を追ってマフィアと戦っていたデアデビルは、ミスから重傷を負って通りがかった看護師に助けられる… 早くもコテンパン状態になってて、この調子で13話もつのか!? とすごく心配になる第2話。
ドラマ版デアデビルの大きな特徴のひとつである「痛描写」が光る回。ヒーローは普通殴られても平然としてるものですが、DDの場合は「肉がじくじく裂けてるなあ」「内出血で鈍痛が響いてるなあ」という感覚がよく伝わってきます。それはともかく、個人的にはこの回がベストエピソードでした。
かつての自分のように父の名を呼びながら泣きじゃくる子供のために、満身創痍の体でマフィアの巣窟に乗り込むマードック。その手が幼きものに届いた時、わたしの鼻水は滝のように流れ落ちたのでした

#3 「吹雪の中のウサギ」
冒頭とクライマックス以外は地味な法廷劇がつづく第3話。そしてラストシーンで満を持して「名前を言ってはいけないあのひと」…ウィルソン・フィスクというかキングピンが登場します。この回が「ピン」で遊ぶボウリング場から始まるのはその伏線だったのか? まあこの「キングピン」という呼称、シーズン1では結局最後まで使われませんでしたけどね… 正義のために戦っていたのに思わぬ犠牲者を出してしまい、うちのめされるデアデビルの姿が胸に迫ります。

#4 「故郷」
もったいぶった初登場の直後に画廊のオーナーといい感じになってしまうフィスク。その影でマードックと関わったた看護師のクレアはロシアン・マフィアに狙われて絶体絶命のピンチに。罪無きものの命が風前の灯のまさにその時、絶妙なタイミングで現れる正義の味方…という非常にヒーローものらしいエピソード。でもシーズン1でそういう話、第一話とこの回くらいでしたねえ~ 落ち込み気味のマードックを慰めるクレアの言葉に鼻水が垂れ、デートを邪魔されてロシア人をボコボコにするフィスクに小便が漏れました。

#5 「火の海」 #6 「濡れ衣」
フィスクさんの個人的な怒りをかったために追い詰められるロシアン・マフィア。そのとばっちりでヘルズ・キッチンは火の海と化し、デアデビルは濡れ衣を着せられて警察からも追われる身に… あれ? 元々追われてたっけ? 無実を証明するためにロシアン・マフィアのボスを抱えて廃ビルに逃げ込んだDDですが、警官隊に囲まれるわ、ボスは死にそうになるわでシーズン1前半最大のピンチに陥ります。『デアデビル』の悪役というのはどいつも極悪人ばかりで決して許してはいけないやつらばかりなんですが、それでもどうしても憎めないところがありまして… それは彼らが「悪人なりに全力で生きてる」からなんだと思います。決して相容れない存在のマットとウラジミールがドカバキ殴りあいながら、最後の最後にちょっとだけお互いを思う。そういう話にわたし弱いんです。

#7 「スティック」
6話までを第1部、8話からを第2部とするとインターミッション的なエピソード。マット少年を格闘技に導いたスティック師匠との出会いと再会が描かれます。このスティック師匠、亀仙人やヨーダとは違って人格的に相当問題があります。弟子のマットのことも案じてはいるようですが、その愛情の示し方が恐ろしくひねくれていたり。スティック先生の上にいるのは誰なのか、彼らが狙っていた「ブラックスカイ」とはなんだったのか、このシーズンでは結局明らかになりませんでした。次シーズンへの伏線でしょうか。あとDDはずっと徒手空拳で戦っていましたが、師匠との再会に思うところがあったのか、この回から棒の武器「ビリークラブ」を使うようになります。

#8 「鏡に映る亡霊」
気弱なぽっちゃりおデブだったフィスクが、なぜ悪の帝王キングピンとなったかを描く回。「ぼくたち似てるよね」「似てへんから」というやり取りがありましたが、やはり似てるというか共通項の多いお二人さん。父を殺されたマットと、父を殺したフィスク。この合わせ鏡のような構造がドラマ版の骨子となってる気がします。そしてラストでいよいよ表舞台に乗り出すフィスク。がんばれ! 負けるな!とつい応援したくなります(^_^;

#9 「自分の中の悪魔」
最強の敵を迎えて最大のピンチを迎えるデアデビル。その最強の敵というのが「忍者」というのがなんともアレですが… ともかくDDのやられっぷりがあまりに痛々しくて目を覆いたくなります。こんなに頻繁に痛々しい目に会うヒーローって他に『ワイルド7』の飛葉チャンとデロリンマンくらいではないでしょうか。あと忍者さんはあんなに強かったのに退場の仕方がすげーあっけないあたりが忍者らしくてよかったです。
 
#10 「親友との対立」
前回ラストで親友のフォギーに正体がバレてしまったマット。彼が今までなにをしてきたのか知ってしまったフォギーは激しく動揺する。あの時 同じ花を見て美しい といった二人の心と心が今はもうかよわない。あの素晴らしい愛をもう一度~♪ …9話でメタメタにやられてしまったため、今回マットは寝たきり。ひたすらフォギーへの弁解を繰り返します。その中で語られる二人の学生時代の話にほっこりしたり、マットがヴィジランテ(自警員)への道を歩み始めたきっかけに沈んだ気持ちになったり。デアデビルの超聴力というのはもちろん戦闘にも役に立ちますが、なによりもまず「弱者の悲鳴」を聞き逃さないためにあるんだなあと。あと「こんなことしてたらいつか死ぬぞ!」「ぼくの能力を説明するのは難しい」というセリフにうなずくことしきり。

#11 「正しき者の道」
邪魔者は全て片付けた!と意気揚々だったフィスクさんですが、何者かの罠にはまりパーティーは大参事。愛する人も重態に陥ってしまいます。おろおろしまくりのフィスクにいつになく優しい言葉をかけられた腹心の悪メガネは単独である行動に出、それが裏目に出てしまうことに… このウェスリーさんも生かしておいてはいけない極悪人でしたが、亡くなってみるとちょっとさびしかったりして。デアデビルはようやくそれなりに動けるようになり、フィスク配下の仕立て屋さんと激しいバトルを繰り広げます。ん? このスーパーヒーローものなのに敵がチンピラばっかりというあたり、『怪傑ズバット』を彷彿させます。あと11話に至っても例のコスチュームが登場せず海賊マスクのままとか、「思い切ってるよなあ」と思いました。カレン役のロザリオ・ドーソンさんもこの回で退場。『シン・シティ』でも見てましたがこのドラマでめっちゃ好きになりました。

#12 「残しゆくもの」
ナンバー2まで奪われて怒りが天まで突き上げてしまうフィスク。彼をはめたのは一体何者か。そしてその怒りはフィスクの正体を探るジャーナリスト、ベン・ユーリックに向けられる。このドラマで主人公サイドのお父さん的なキャラと言っていいベンさん。死亡フラグがバンバン立ちまくる中、彼は果たして生き残ることができるのか。いや!お願い!死なないでベンさん! …この回のアクションの見所は、マットがスーツ姿のままでバルクールを駆使して麻薬の製造所を突き止めるシーン。よたよたしてたボスの一人マダム・ガオも意外な強さを発揮してたまげました。

#13 「デアデビル」
シーズン1最終回。頂点から底辺にまで転落したフィスクは恋人と新天地を目指そうと決死の脱出を試みるが、その前にやっとこコスチュームを着用したあの男が立ちはだかる。デアデビルとキングピン、宿命の二人の対決のゆくえは果たして…(大体予想つくけれど)。このドラマ版『デアデビル』って1,2話をプロローグとするならば、あとは「いかにしてキングピンが没落していくか」という話だったなあ…としみじみ思いました。愛を知ったために築き上げた全てを失ってしまうって、ロマンチックですねえ。演じるは『ジュラシック・パーク』でも出演してた「微笑みデブ」ことヴィンセント・ドノフリオ氏。彼の新たな代表作となったといっても過言ではないかと。そしてマットを演じてたチャーリー・コックスもナイーブながらも信念を貫き通すヒーローを体現していて素晴らしかった。『スターダスト』『博士と彼女のセオリー』などでも見ていたのですが、そちらではあまり印象に残らなかっただけに(^_^;
あとこのドラマ、シーズン1で切りよく終わってくれた点も大変良かった。『エージェント・オブ・シールド』でもそうでしたが、そういうところにスタッフの良心を感じます。

Fb4665f0Netflixでは今後同じくNYを舞台として『ジェシカ・ジョーンズ』『ルーク・ケイジ』『アイアン・フィスト』を製作予定。その3名とデアデビルが『ディフェンダーズ』を結成するそうです。また『デアデビル』も「アメコミドラマ史上最高傑作!」という評を受けてかシーズン2が製作決定いたしました。おいかけるの本当に大変なんですけど…


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October 13, 2015

リトルランボー/怒りの脱出 ヤルマリ・ヘランダー 『ビッグゲーム 大統領と少年ハンター』

Photo夏から秋にかけて活躍が目立ったサミュエル・L・ジャクソン。いまもっとも勢いのある黒人俳優といっていいでしょう。今回はそのサミュエルさんの出演作でも、『アベンジャーズ』や『キングスマン』と比べるとちょっと目立たなかった『ビッグゲーム 大統領と少年ハンター』をご紹介します。

フィンランドの男にはある年齢に達すると、一人山中で一昼夜を過し、獲物を狩って来なくてはならないという掟がある(らしい)。少年オスカリはその試練に挑んでいたが、折悪しく上空を飛んでいたエアフォース・ワンで大統領を狙ったテロが発生。なんとか脱出した大統領と鉢合わせする。オスカリは護衛を失った大統領を守って、凶悪なテロリストたちと戦うことになるのだが…

ま、普通に考えて「そりゃ無理だろ」って思いますよね。だから予告を見たとき「このガキンチョは幼児のころから山奥で育ったモーグリのような野生児で、大人顔負けの戦闘能力を持ってるんだろうなあ」と予想しておりました。ところがどすこい本編を観てみたら、のび太…とまではいかないものの、その辺の小学高学年とさほど変わらないスペックしかない。狩猟用の強い弓を渡されても弦をいっぱいにひくほどの力もない。いったいどうやって悪者たちと渡り合うのか頭をひねりました。もしかして大統領の方がものすごく強くて少年はオマケとか?と思いましたが、サミュエル・L・ジャクソンなのに大統領も常人なみの戦闘力でした。

そういう時力を試されるのが脚本家の筋運びです。力量が著しく異なる二つのチームの戦いを、いかに自然に接戦に持ち込むか… 結論から申しますと「そこそこ苦しいところもあったけど、まあがんばったんじゃないかな! お疲れ様!」という感じでありました(^_^; ですからこの映画は刑事コロンボのように細かい違和感がいちいち気になる人にはむいてないと思います。子供の運動会を温かい目で見守るようなお父さんのようなまなざしで鑑賞いたしましょう。
そういえば昔親しんだ児童文学にはその辺の子供が大の大人を向こうに回して大活躍する話がけっこうありましたよね。『十五少年漂流記』とか『少年探偵団』とか『ズッコケ3人組』シリーズとか。そういうものだと思って観た方が楽しめるかと思います。

あとこの映画の見どころをひとつあげるとすると、「いつになく優しいサミュエル・L・ジャクソン」でしょうか。史上最も映画で「ファック!」と叫んだとされ、大体10人以上は軽く殺してるんじゃないか…という役柄ばっかりのサミュエルさん。ですが『ビッグ・ゲーム』では相棒が年端もいかぬ少年ゆえ、普通に模範的な大人を演じております。わたしの半端なリスニング能力でチェックしたところ、今回は1回も「ファック!」とは言ってませんでした。なんだ、ものたりない… じゃなくて、やれば出来るじゃないですか~ これからも子供の前では丁寧な言葉で話し続けてほしいものです。ズボンにおしっこをひっかけた話とかはしてましたが。

フィンランド主体で撮られたアクション映画という点でもちょっと珍しい作品ですね。こちらに入ってくるフィンランド映画ってわたしの知る限りではほのぼのとした人情味豊かなものがほとんどなので。たまに『アイアン・スカイ』のような珍品もありますが。ちなみに監督は「ヤルマリ・ヘランダー」さんというちょっと吹き出してしまうようなお名前です。
021この『ビッグゲーム』、公式サイトを見ても8月からデータが更新されておらず、恐らくもう公開終了したものと思われます(^_^; DVDがそのうち出るんでしょうけど、こちらも今のところ特に正式な発表はなし。気になった方はレンタル店の新作の棚をこまめにチェックされてください。

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October 07, 2015

怪演総進撃 諌山創・樋口真嗣 『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』

公開初日こそ賛否両論真っ二つだったものの、日が経つにつれどんどん酷評が目立って行った実写版『進撃の巨人』前編。このままいくと後編ではどうなってしまうのだろう… と戦慄しながら待っていた『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』、ご紹介いたします。Skeow1謎の巨人化現象により絶体絶命の危地から脱出したエレン。だが彼を危険視した調査兵団は、人間に戻ったエレンを厳重に縛り上げ、銃殺の刑に処すことを決める。またしてもピンチに陥ったエレンを救ったのは、突如として飛来した謎の巨人であった。ミカサやアルミンが戸惑うのをよそに、巨人はエレンをいずこかへ連れ去っていく。果たしてエレンと仲間たちの運命は。そして人類は巨人の恐怖から解放されるのだろうか…

というわけで?予想通りめっためたに批判されている本作品。確かに悪いところは10や20ではありませんでした。でもいいところもいっぱいありました! ですからわたしはもっぱらいいところだけを取り上げていこうと思います。

まず1点目は、後編が映画オリジナルの展開であったこと。前編はおおむね原作と同じ流れだったので、原作を読んでるとどうしても先の展開が読めてしまうところがありました。しかし今回は原作とは別に物語に決着をつける!ということで「先のよめない面白さ」がありました。

2点目は「前編の伏線が生きてくる」ということ。冒頭で転がってた不発弾、巨人がいきなり出現した理由、爆弾泥棒たちの正体、エレン(人間体)の必殺技など、一か月経って忘れかけてたあれやこれやが後編では思わぬところで再登場したり明かされたりします。確かに100点満点といえるほどきれいに着地はしてませんでしたが、いきあたりばったりでなく、ちゃんと考えられて脚本が書かれてたんだなあ…ということはよくわかりました。

3点目は「久々の東宝怪獣映画復活」ということと、「この映画でしか見られない映像がある」ということ。このブログを始める直前の『ゴジラ ファイナルウォーズ』から11年、ようやっと日本の怪獣映画の総本家とも言える東宝が本格的に怪獣映画を作ってくれました。しかも監督は平成ガメラの樋口真嗣氏。それだけでたとえどんなに内容はひどかろうとも応援したくなるというものです。さらに日本独自の撮影技術と言える「特撮」がふんだんに使われているのも嬉しい。まあぶっちゃけCGにそれほどお金がかけられなかったからかもしれないですが、特撮には特撮にしか出せない味があるわけで。VFXと比べてどっちが優れている、劣っている、ということではなく、いろんな技法があることがいいのだと思います。
とはいいながらも、これからますます特撮は消えゆく存在となっていくでしょう。デジタルに追われていくフィルム撮影のように。だからこそわたしは応援したいんですよね…
あと後編は前編よりもちゃんと怪獣映画になっていたと思います。前編のダイダラボッチみたいな妖怪じみた巨人も強烈ではありましたが、わたしはやっぱりちゃんとかっこいい怪獣のバトルがみたい。そこへいくと後編ではスピーディな怪獣2頭のガチンコあり、怪獣対さらにでかい大怪獣のバトルありと大変楽しませていただきました。

最後にほめるべき点は「主人公たちがちゃんと成長してる」ということ。第1部では非情な現実にうちのめされ、悪い大人たちのいいなりになっていたエレンとミカサですが、第2部ではうっかり流されそうになりながらも、ちゃんと自分の頭で考えて何が悪いのか、何が理不尽なのか自分の頭で答えを導き出しています。
脚本町山さんの言によるとこの作品の主題は「右翼も左翼も相打ちになって滅んじまえ」ということだったそうで。たしかに権力者というのは、思想の別なく「大義のためには少数の犠牲はやむを得ない」と庶民を切り捨てる例が多い。自分たちの身はしっかりと安全なところに置いといて。
この実写版『進撃の巨人』からは「ずるい大人たちはもっともなことを言って君たちをだまそうとするけれど、そんな大人たちにだまされず何がおかしいのか自分の目で見極めてほしい」という若者たちへのメッセージを感じました(この説教くさいところが一部の人はダメだったようですが(^_^;))。

ただほとんどベタ誉めスタンスのわたしでさえ、エンドロール後のあれはどうかと思いました。もう一人の脚本担当の渡辺雄介氏は『ガッチャマン』でも同じことをやってましたがあれがクセなんでしょうか。あえてああいうオチにしたのであれば、さらにクオリティとカタルシスを向上させた続編を作ってみせるのがクリエイターとしての筋だと思います。「もういいよ勘弁してくれ」という声が怒涛のごとく聞こえてきそうですが、わたしは待ちます。

275px20120720さて、ここまで読んで「お、興味なかったけど面白そうじゃん」と思われた方、どうかわたしの感想は信用しないでください。もし「なんだか危ない予感がする」と思われたならスルーするのが吉だと思われます。
時々「この人の批評は信用している・できない」という文を目にすることがありますが、何を観て何を観ないか決めるのはあくまで自分のセンスではないでしょうか。でも逆にどんなにフルボッコな映画でも「面白い!」と思えたらそのことを自信を持って言い続けましょう。そう負けないで泣かないで消えてしまいそうな夜は あなたの声を信じあるけばいいの。
かなり酒が入っていて気が大きくなっているせいか今日は結構偉そうなことを書きました。えへんぷい。『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』は1週目で『ヒロイン失格』に逆転されてしまいましたがまだまだ大ヒット公開中。前編はたしか今週で大体終わってしまうようなので、一気観するならおはやめにどうぞ!

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October 02, 2015

蟻男の恐怖 ペイトン・リード 『アントマン』

20150926_1751187年前に書いた「アベンジャーズ」の記事でこんなことを書きました。「『アントマン』がいつの間にか(企画から)消えてしまい、代わりに『アイアンマン2』があがっています。まああんまり当たる話とも思えないので、賢明でしょう。」
…本当にごめんなさい(^_^; マーベル・シネマティック・ユニバース・フェイズ2の最後を飾るのはどんどん小さくなれる奇妙なヒーローのお話。『アントマン』、ご紹介します。

正義感から企業グループにハッキングし、大損害を与えたスコット・ラングは、その罪で刑務所に服役することに。無事刑期を終えてシャバに戻ってはきたものの再就職は難しく、元妻に「娘に会わせたくない」とも言われてしまう。鬱憤のたまったラングは悪い仲間に誘われるまま、ハンク・ピムという老人の家の金庫破りを決行する。だが金庫の中には金目のものはなく、奇妙な潜水スーツが一着あるだけだった。遊び半分にそれを着て、手のひらのスイッチを押したラングは、驚くべきことにアリと同じ大きさにまで縮小してしまったのだった…

アントマンの誕生は1962年。『Tales to Astonish』というオムニバス・シリーズの1エピソードに登場したのがその始まりでした。翌年の『アベンジャーズ』創刊号にてアントマン=ハンク・ピムは恋人のジャネット・ヴァン・ダイン=ワスプと共にアベンジャーズの創設メンバーに参加します。
その後巨大化して「ジャイアントマン」になったり、また小さくなって「イエロージャケット」と改名したり、それぞれのコードネームに二代目が登場したり、自らの看板タイトルがないにも関わらず(ないせいか?)アントマンは非常に不安定な活躍を続けます。
大きさの不安定さは精神の不安定を招くのか、いつしかピムは精神を病み、妻のジャンを殴ったり仲間のアベンジャーズを罠にはめたりヒーローらしからぬ行動を連発します。「アントマン クズ」で検索しますと大量の情報がヒットするのがその特徴をよくあらわしていますね(^_^; サイズだけでなく器量もアリ並みに小さいというか。思うにマーベルには他にトニー・スターク、ブルース・バナー、リード・リチャーズといった科学者系のヒーローが3人もいるので、ピムは差別化のためにクズ系の科学者ヒーローとして特化していったのでしょう。
そんなクズヒーローをどうやって映画化するのかドキドキしながら楽しみにしていたのですが、製作が進むにつれ二代目のスコット・ラングが主人公となることを知ってちょっとがっかりしました。ピムに比べれば(元犯罪者ではあるものの)人格者ではありますが、ある期間ずっと死んでたりしてかなり影の薄いキャラクターだったからです(ちなみにアントマンには3代目もいますが、この男も相当の問題児だったりします)。

しかしさすがそこは安定のMCU。コミックでは華のなかったスコット・ラングを見事に魅力的な共感のできるキャラクターに作り上げ、「アントマン」の物語を一級のエンターテイメントに仕上げてやがり参りました(あと先生的な立場となったハンク・ピムも原作のようなクズではありませんでした・笑)。
この「共感しやすい」という点が今回特に重要なポイントかと。ラングは娯楽映画においては実はそんなに珍しいキャラではありません。人生に一度失敗して、最愛の家族はいるもののうまくいってない状態。そこで立派な父親となるべくビッグな試練に挑もうとする… そんな映画、ぱっと10はタイトルが思い浮かびます。
ですがこれがMCUの中ではとても斬新な設定だったりします。MCUのヒーローたちはみんな人間臭く好感のもてるやつらですが、大金持ち、神様、天才、暗殺者、超人、宇宙人の養子と我々とは縁の遠い存在でもあることも確か。そこへいくと就職に悩むスコット・ラングは隣近所に住んでいてもおかしくないようなめっちゃ身近な男です。おそらくこの『アントマン』は『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』で宇宙規模まで広がってしまったMCUが、わたしたちの「小さな世界も同時にある」お話でもあることを再認識させるために作られたものだと思われます。

マーベルと切り離して考えても『アントマン』はとてもセンス・オブ・ワンダーに満ちた独特な作品です。まずこれまで実写でこんなにアリをフィーチャーした映画はちょっと思い当りません。少し前邦画で『アリのままでいたい』というのがアリましたが、あれはアリは一部しか出てこないそうです。その点『アントマン』ではアリにもさまざまな種類があり、どんな特徴をもっているのかわかりやすく教えてくれます。そしてアリが大活躍します。アリなのに。
実はわたしもアントマンの活躍を読んだことはほとんどなくて、「小さくなることに何の利点があるのだろう…」と常々感じていたのですが、映画を観ると「小さいってこんなに便利なんだ! 小さいって素晴らしい!」と思えてくるから不思議です。
さらに映画ではまれにしか映し出されない「小さいものの世界」が、最新の映像技術でもってきめ細かに描かれてわたしたちを驚かせてくれます。この一点だけを持っても『アントマン』は十分観る価値のアリな映画と言えるでしょう。

MigそしてMCUはいよいよさらにスケールの大きな「フェイズ3」へと移行していきます。
今後の予定を簡単に記しておきましょう。

2016年:『キャプテン・アメリカ:シビルウォー』 『ドクター・ストレンジ』(オカルト系)
2017年:『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2』 『スパイダーマン』(3度目の新生) 『マイティ・ソー:ラグナロク』
2018年:『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォーPART1』 『ブラック・パンサー』(ジャングル系?) 『キャプテン・マーベル』(女子力高め系)
2019年:『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォーPART2』 『インヒューマンズ』(宇宙人系?)

7年前、わたしはこうも書きました。「2011年は『スパイダーマン4』もありますし、アメコミ的にすごい年になりそう。その時、ぼくは一体幾つになってるんだろう? ・・・・考えたくもねえ」
いまはすでに2015年。2019年にははたして… ま、そんときゃそんときですよね!!

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