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April 25, 2015

ハリウッドVSブロードウェイ アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』 

Bdm1本年度アカデミー賞作品賞受賞作は、『バベル』のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが手がけた一風どころか百風くらい変わった長回し映画。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』、ご紹介します。

リーガン・トムソンはかつて『バードマン』というヒーロー映画で大人気を博した俳優だったが、その後はヒット作にめぐまれず鬱々とした日々を送っていた。再び脚光を浴びたいと願った彼は、俳優を目指すきっかけとなったレイモンド・カーヴァーの小説を舞台化し、ブロードウェイでの公演にこぎつける。
そしていよいよプレミア公演が始まるが、成功への不安、実力はあるが何をやらかすかわからない共演者、ぎこちない娘との関係、絶えず耳元でささやいてくる謎の声などの様々なストレスから、リーガンは著しく消耗していく。

はっきり言って難しい映画です(笑)。現実的な話かと思いきやリーガンが超能力を使ったりするし、特殊な撮影方法で最初から最後までほぼ長回しが続いてるように見せたり、深遠なテーマがあるかと思えばベタベタなギャグがあったり。
とりあえずわたしは「自己の存在の消失に抗おうとする」話だと感じました。リーガンは自分という人間が過去に演じた「バードマン」というキャラクターに覆いつくされているのでは、と怯えています。そして彼が演じる舞台の登場人物も、「わたしは存在しない」と嘆きます。

で、いま影が非常に薄くなりつつあるメディアというと「舞台」がそれにあたるかと思います。かつては舞台って娯楽の王道だったのだと思います。人が演じる物語を見たければそれしかなかったから。
しかし映画・テレビが発明されると、人々はもっともっと多くの場所で自由に「芝居」を見られるようになりました。舞台ではとても不可能な広大な場所や、超自然的な現象まで再現できるようになりました。舞台が娯楽の主流でなくなったのも仕方なきことでしょう。
そこで舞台は「芸術」として生き残ろうとします。知性と資産のある都市部の人のみが楽しめる高級な楽しみとして。ですがそうなるとどんどん庶民の大多数には縁もゆかりもないどうでもいいものとなっていきます。
そして舞台を観に来てる人たちがみな芸術的感性に優れている人かというとそうでもなく、この作品の中で「その後のディナーのことばかり考えてるジジババばかり」なんて言われたりして。
さらに舞台から娯楽の王道の座を奪った新作映画ですら、スマホさえあればいつでもどこでもサクッと楽しめる「ネット配信」やSNSにその座を追われようとしています。
そんなジリ貧の状況ので演劇が活路を見出すにはどうしたらいいか。そりゃ、やっぱり生身の役者がハイテンションでがんばるしかないんじゃないでしょうか。やっぱり舞台の強みというのはすごそこで本物の人間が動いて喋ってるところにあるわけですから。血を流すくらいの本気を出せば、スクリーンには出せない迫力というのも生まれてくると思います。また、映画と違ってカットもできませんから息を呑むような緊張感も漂ってきます。この映画がずっと長回し風なのは、舞台の「カットできない」連続性を表していると考えます。
そうした熱演や緊張感が、もしかしたら世間の予想を超えた「奇跡」を生むこともあるかもしれない… この映画にはそんなイニャリトゥ監督の切ないイニャリ、じゃなくて祈りが込められているような気がしました。

で、なんでその仮想敵にアメコミ映画が選ばれたのかといえば、そら、いま映画でアメコミものが最も勢いがあるからでしょうね… 「最近の映画はアメコミばっかし」という評者がいます。確かに10年前と比べたら本数は多くなってますけど、「それだけ」ということはないでしょう。エンターテイメントだけでも古代劇、西部劇、SF、ファンタジー、ガンアクション、カーアクション、サスペンス…他のジャンルだって色々作られてます。ただ興行収入が特に多く、なぜかアカデミー賞を取るような名優たちがこぞって参加してるのがアメコミものなので、他と比べると著しく目立っている、というのはあると思います。
不遇の時代からずっと観ているものとしては嬉しい反面、ここ数年の躍進ぶりには首をひねるばかりです。たぶんこの隆盛ももう少ししたら終わるのでは。だからアート指向の方々がやっかまれるのもわかりますが、せめていまくらいは楽しませてもらってもいいじゃないですか!!! ハアハア… 話が横道にそれました。

「奇跡」といえばこんな素っ頓狂で面白い題材の映画ができたことがまず奇跡であります。そしてその主演がかつて『バットマン』でスターとなったマイケル・キートンだというのも奇跡。いや… ふつうやらんでしょう(笑) でもプライドも何も投げ捨ててやっちゃうところが凡百の俳優とは違うな…と思いました。ちなみにティム・バートンは大方の反対を押し切ってキートンをバットマンに選んだ理由について「そんなの目を見ればわかるでしょ! あいつ明らかにいかれてるもん!」と答えられたそうです。
そして彼がアカデミー主演男優賞こそ逃したものの、ノミネートされて十分に張り合い、再び評価されつつあるのもまさしく奇跡であります。リーガンの結末は煙にまくような、あまり明るい希望はもてなさそうなものでありましたが、キートン氏にはますますの活躍が期待できそうです。アメコミの関係あるなしに。
Bdm2というわけで『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は現在全国の映画館で上映中です。万人受けする作品じゃないかもしれませんが、個性的で実験的な映画が好きな方はぜひごらんください。少なくともここ十年のオスカー作品賞では、もっともへんてこな一本です。


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April 21, 2015

ビフォア親離れ リチャード・リンクレイター 『6才のボクが、大人になるまで』

6bo1今年のアカデミー賞で『バードマン』と並んで「2強」と言われたこの作品、先日こちらでもようやく遅れてやってきたので張り切って観てきました。「ビフォア三部作」などで知られるリチャード・リンクレイターが新たに生み出した実験作『6才のボクが、大人になるまで』、ご紹介します。

メイソンJr.は年の近い姉と、母の3人でアメリカの地方に住んでいる6才の少年。貧しい生活から抜け出したい母は、ある時彼らを連れてヒューストンに移り住み、そこで大学に通うようになる。やがて母は新しい恋人を見つけ、メイソンJr.や姉も彼と暮らすようになるのだが… カメラはメイソンが「大人」になるまでの12年間の姿を追っていく。

この映画がすごいのはフィクションではありますが、本当に12年かけて少年の成長を撮り続けたということですね。「役者も年をとる」ということを逆手にとって年月の移り変わりを描いた作品には、日本でも『北の国から』『渡る世間に鬼ばかり』などがありますが、言ってみればこれらは「後付け」的な作り方であります。状況が許す限り続きを作れるならどんどん続きを作っちゃおう、という(それはそれでなかなか出来ないことだとは思いますが)。
対して、この『6才のボク~』は最初から12ヵ年計画で毎年毎年映像を撮っていき、最終的に一本の映画に収める意というやり方。10年一昔とはいいますが、映画撮影においてここまで遠大な計画はちょっと聞いたことがありません。スタッフ・キャストに不慮の事態でも生じたらたちまち企画は頓挫してしまったことでしょう。実際監督はメインキャストで親友でもあるイーサン・ホークに「撮影期間中に自分が死んだなら、自分の代わりに作品を仕上げるように」と申し渡していたそうです。いまさらですが、無事プロジェクトが完走したことに心からお祝いを申し上げたいですね。

さて、このようにコンセプトは実に他に類を見ないこの映画ですが、ストーリーはというと、実に普通のことしかおきません。事件らしい事件といえば、少年の二人目の父親が酒に酔って大暴れするくらいのものです。十代の多感な思春期を描いた作品といえば当然こっちは期待するじゃないですか。クラスメイトの女の子に心ときめいたりとか、不良少年の一団と血まみれの抗争を演じたりとか、ドラッグにはまって身を持ち崩したり、チンチンに毛が生えたりとかそういうことをです。
ところがお話は時折不穏なさざなみを立てることもあるものも、大事にはならずにさっと安全な方向へ戻っていきます。これは主人公のメイソンJr.の気性のせいもあるかと思います。児童のころはそれなりに快活なところもあるものの、年をとるにつれどんどんクールなすかした兄ちゃんになっていきます。決して嫌味ではなく、両親を大事に思ういい子でもあるんですけどね。リンクレイターもそういう子だったのか、主演のエラー・コルトレーンのムードに合わせたのか、なんとなくそういう流れになっちゃったのか、あえて日常を描き続けることに狙いがあったのか…
ともかく彼とその家族を通じて、私たちはここ十二年のアメリカの平凡な人々の生活を追体験していくことができます。
「日常」といえばオタクとしてはアメリカの子供たちを取り巻くサブカル描写が楽しかったですね。テレビに映ってるのが『ドラゴンボール』だったり、『ハリー・ポッター』の出版記念イベントで盛り上がってたり、「あの子は『ダークナイト』も『トロピック・サンダー』にも興味ないって言うんだ」というセリフなどなど。
しかしこれまたメイソン君が成長して写真にのめりこむにつれ、その手の話題はほとんど出てこなくなってきます。まあそれが「成長」ってもんですよね… だけどいい年こいてロボやアニメばなれできてないオッサンとしてはちょっとさびしかったぜ!

『~大人になるまで』という邦題ですが、果たして人はいつごろ大人になるもんですかね。これに関しては様々な意見があるかと思います。以前カラオケで誰かがそんな歌を歌っていたとき、その場にいたアラフォーの面々が「本当に… いつなるんでしょうね」と言い出した時にはさすがにやばいと思いました。
6bo2『6才のボクが、大人になるまで』は現在まだちょびちょびっと上映館が残っているようです。おっつけDVDも発売されるでしょう。
先日『スターウォーズ』の新予告編が発表されましたが、メイソンJr.にはぜひ少年の心を取り戻してまたお父さんと盛り上がってほしいものです。
ちなみにリンクレイター監督はメイソン君のその後の変化を追った続編も構想中とのこと。挑戦はまだまだ続くようです。

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April 18, 2015

木星のプリンセス ウォシャウスキー姉弟 『ジュピター』

Jpt1『バードマン』『ワイルドスピード/スカイミッション』『セッション』と、批評家も一般の映画ファンも大絶賛の作品が続く中、先月公開なのにもうすっかり影が薄くなってしまった作品があります。それはあのウォシャウスキー「姉」弟の最新作『ジュピター』。あらすじからご紹介しましょう。

生まれる前に父と死に別れ、貧乏な母に育てられた少女ジュピターは、トイレ掃除をはじめとする過酷な労働の日々にうんざりしていた。ある日事情でまとまったお金が欲しくなったジュピターは、「卵子を提供すればそれなりのお金がもらえる」といういとこの言葉を信じ、指示された病院へ向かう。だが彼女が手術室のベッドに横たわった途端、医師たちは異様な宇宙人へと姿を変えた。実は彼女は地球の正当な所有権を持つ女王の生まれ変わりだったのだ。ピンチの彼女はイケメンの宇宙戦士に救われる。そして彼女をめぐってイケメンと宇宙の王族たちの間で熾烈な争奪戦が始まる…

と、ここまで読んだだけで頭がクラクラしてくるかと思います(^_^;
観ていて姉弟の出世作『マトリックス』とちょこちょこ共通点があることに気づきました。まず「世界には実は我々の知らない支配者がいて、人間たちをエネルギーとして消費し(ようとし)ている」という点。そして「主人公はただ一人その状況を打破できる救世主である」という点です。
違うのは、『マトリックス』が「オレが世界を救ってやるわー! おんどりゃー!」という男気溢れる作品だったのに対し、『ジュピター』は「誰かピンチのあたしを助けて~! おねが~い!」という乙女心キュンキュンな話だったというところですね。これは二作品の間にウォシャウスキー兄が姉になってしまったという深い事情が関わっているものと思われます。

『マトリックス』との共通点はもうひとつあります。『マトリックス』一作目は「生活に疲れた労働者が見た夢・願望の話」という解釈もできるのですが、これもトイレ掃除に疲れた女の子の夢の話と思えなくもありません。
脈絡もなくストーリーが進んでいったり、登場人物がどうなったかもうやむやのままで、プカプカ空を飛んでたり、「もう死ぬ!」と思ったけど意外と大丈夫だったり… 皆さんはそんな夢見たことありませんか?
ただ、夢の話というのはえんえんと聞かされてると嘉門達夫の『夢』という歌にもあるように「そりゃああんたは自分で見たからいいけど 聞きたくもない そんなわけのわからん話」と愚痴りたくもなるものです。
『マトリックス』や去年大好評だった『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』だって一歩間違えたらそうなってたと思うのです。でもちょっとした工夫とか、テンポや盛り上げ具合で多くの人が楽しめる作品に仕上がってました。『ジュピター』にはそれが足りなかったのかもしれません。

もっともわたしは一風変わったSFのガジェットが出てくるだけでも嬉しくなってしまうので、それだけでもけっこう楽しめました。たとえば翼や装甲が本体に密着せずに、磁力か何かで結ばれてプカプカ浮いている飛行機など。コンバトラーVが合体寸前の状態でそのまま飛んでいるような状態と言えばわかってもらえるでしょうか(むずかしいか…!)。そんで状況に応じて本体にピタッとくっついたりします。こういうメカ描写はこれまでほとんど見たことがなかったように思います。あとジェットでも翼でもなくローラースケートみたいな靴で空中を縦横無尽にかけめぐる描写も見ごたえありました。
あと先のアカデミー主演男優賞に輝いたエディ・レッドメインのへたれっちな演技や、作品での死亡率が90%を超えると言うショーン・ビーンの生死も見所と言えるでしょう。
Jpt2『ジュピター』は本国・日本ともに評判があまりかんばしくないゆえ、上映もあと一週ほどで終わりかもしれません。気になる方は今のうちに。
コケ続きのウォシャウスキー姉弟に果たして次のチャンスはあるのか!? がんばれ! 俺は応援してるぞ!!


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April 13, 2015

ゴミの山のヒーローたち アンディ・ムリガン スティーブン・ダルドリー 『トラッシュ! この街が輝く日まで』

Tskk1『リトル・ダンサー』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』などで知られるスティーブン・ダルドリー監督の最新作は、ブラジルの底辺で懸命に生きる少年たちの胸のすく冒険物語。『トラッシュ! この街が輝く日まで』、ご紹介します。

リオデジャネイロ郊外のゴミ山に住む孤児のラファエロとガルドは、ある日ゴミの中からひとつの財布を見つける。財布には札のほかに、少女の写真や暗号めいたものが書かれた紙片が入っていた。それを拾ったことがきっかけで、ラファエロたちは市の上層部の関わる大きな陰謀に巻き込まれ、ついには命さえ狙われ始める。だが少年たちは勇気と機転で巨悪たちに必死に立ち向かっていくのだった。

原作は『アバウト・ア・タイム』などでも知られるアンディ・ムリガン。スラムに生きる少年を描いた作品というと、『ツォツィ』『シティ・オブ・ゴッド』『スラムドッグ$ミリオネア』などが思い浮かびます。どれも過酷な社会の中で、子供なのに子供であることを許されず、辛い選択を迫られる痛切な作品でありました。
で、これもそういう悲しいお話かというと確かにシビアなストーリーではあるんですけど、主人公たちの明るさゆえか不思議とこちらに元気を与えてくれる映画となっています。
貧困や政治の腐敗といった社会問題もモチーフのひとつではありますが、メインとなっているのはラファエロと仲間たちの冒険物語なんですね。彼らが何度も悪漢たちの追跡をかわし、仲間のために協力しあって自分たちの正義を貫こうとするその姿は、『ハックルベリー・フィンの冒険』『少年探偵団』『十五少年漂流記』『黒い兄弟』といった少年たちのための手に汗握る名作児童文学を彷彿とさせます。

だからその分「現実的でない」と感じる方もおられるかもしれません。大金ゲットよりも「正しいことを行う」ことを選び、殺されそうになっても節を曲げないラファエロ君はある意味大人が望む子供の理想像です。(そんな子供おるかいな~)とは思いますが、(こういう子供が後に社会を変えていくリーダーになるのかな… そうなったら嬉しいな… )ともくたびれたおじさんは思うわけです。
ラファエロがなぜ顔も見たこともない男(財布の持ち主)の願いをかなえてあげようと思ったのか、劇中では「正しいことをしたいと思ったから」という言葉以外、あまりはっきりとは語られません。マーティン・シーン演じる牧師の教えが心に届いていたから、というのも確かにあると思います。しかしわたしはそれよりも何よりも、財布に入っていた男の娘の写真を見たからでは…と考えます。これまた見ず知らずのその少女を笑顔にするために、ラファエロは小さな体で途方もなく巨大な敵と戦うことを選んだのではなかろうかと。こうなるともう大人も子供も関係なく、一人の立派な騎士であり、ハードボイルドの実践者であります。こんなにもかっこいい「男」の姿に年の差も関係なく憧れずにはいられませんでした。またラファエロを支えるガルドやラットといった少年たちも見ていてにまにまさせられる、実に気持ちのいいやつらです。

常識的に考えてスラムの子供たちが警察をも牛耳る権力者にかなうわけはありません。ラファエロも冒頭の映像で「これを誰かが見るころ、ぼくは生きていないだろう」と語ります。果たして奇跡の一発逆転はあるのか。その答えはぜひこの映画を実際に観て確かめてほしいところです
Tskk2…がもう大体公開終わっちゃってますね… ご興味おありの方はDVDを待つか名画座をチェックされてみてください。そんなに話題になりませんでしたが、今年に入って公開された中ではかなり気に入った1本です!


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April 06, 2015

穴とクッキングの女王 片岡翔 『たまこちゃんとコックボー』

Tkkb1当ブログでおいかけてきた片岡翔監督の新作が、とうとうホームグラウンドの小田原でも上映。いやー、めでたい! というわけでその『たまこちゃんとコックボー』、ご紹介します。

広島に住むひよこちゃんは、中三になっても「お菓子の国のプリンセス」になることを夢見ているちょっと変わった女の子。当然学校ではあまり居場所がなく、そんな彼女の親友といえるのは優しい幼馴染のイソップ君だけだった。ある日、お気に入りのアニメ『たまこちゃんとコックボー』を観ていたひよこは、その世界に入りたいと願っている内に本当にアニメの中に入り込んでしまう。

『たまこちゃんとコックボー』、これは本作品のタイトルでありますが、何年も前から広島で放映されていた天気予報のアニメシリーズでもあります。くわしくはこちらを見ていただきたいのですが、「突然始まるアニメーションの内容があまりにも衝撃的かつ天気予報は画面の隅に小さく表示されるだけであるために、視聴者は肝心の天気情報を得ることを忘れがちになる傾向にある。」とのこと。そのアニメはこちら。ふっきれてますね… 最後に入る食べ物たちの一言がなかなかに秀逸です。
これをyoutubeで見た秋田のTV関係者の方がほれ込んで、「ぜひうちでも!」ということで遠く離れた秋田放送でも放映されることになったんだとか。いい話ですね。

さて、映画のほう。天真爛漫なひよこちゃんはまことにかわいらしい。ちょうどこないだ家に来てた4歳のめいっこがこんな感じでした(彼女の夢はプリンセスになることではなくプリキュアになることでしたが)。
ただ幼稚園のころならまだ微笑ましいけど、15歳になってもまだそんな感じだと周囲はさすがにひきます。心配もします。進路も決めなくてはなりません。ひよこちゃんもそういった周りの視線を感じてブルーになったりするわけです。そのひよこちゃんの切ない思いがヘンテコな奇跡を呼び起こします。

実写とアニメのコラボというと、ちょうど先日観たシュヴァンクマイエルの一連の作品を思い出します。シュヴァンクマイエルの作品では実写で現実の世界を、アニメで幻想・妄想の世界が描かれますが、その二つの間でひょいひょい行ったり来たりしてしまうところも似ていました。穴の中からのぞき見る構図もよく使われていたような。
ただシュヴァンクマイエルのグロくて毒気に溢れた世界に比べると、片岡監督の世界はとてもキュートでやさしい。夢の中に逃げたがる少女を「現実を見ろよ! オラア!」としばくのではなく、「うんうん、そういうこともあるよね。つらいよね」と傍らで語りかけるように穏やかに成長に導いていきます。

片岡ファンとして今回も「キタキタ!」と思ったのは印象的な公園が出てくるところ。氏の作品には本当によく公園が登場します。あてずっぽうかもしれませんが、それは公園には人を童心に返らせてくれる、そんな力があるからじゃないでしょうかね。40のおっさんのわたしでさえ、公園のそばを通ると(周りに誰もいなければ)ブランコに乗りたくなりますし。
もうひとつ嬉しかったのは以前観た短編『ヒゲとりぼん』を思い出させるところが色々あったこと。そちらではやはり不思議な雰囲気を持つ不登校の女の子を演じていた椎名琴音さんが、こちらではちょっと大人びたお姉さんを演じておられました。また機会があったら『ヒゲとりぼん』も見直してみたいですねい。

Tkkb2『たまこちゃんとコックボー』は現在こちらの劇場で上映中。えらいよコロナワールド。そういえば片岡監督と時々タッグを組む今泉力哉監督の『たまの映画』も小田原コロナワールドで観たのでした。「たま」つながり。


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