死んだはずだよ大泉さん 加納朋子 深川栄洋 『トワイライト ささらさや』
←これはあんまり関係ありません。
わたくし映画にはまる前に、どっぷりとミステリーにはまっていた時期がありました。その浴びるように読んでいた中に、東京創元社で賞を取られた加納朋子先生の『ななつのこ』もありました。北村薫の影響を感じつつも、章の合間に童話を挿入していくという独自の構成に感銘を受けたわたしは、2作目の『魔法飛行』にも手を伸ばしたのでした。
それから約20年(…)、奇妙なご縁で再び加納作品に興味を抱き、この度映画化された作品を原作ともども鑑賞いたしました。『(トワイライト )ささらさや』、ご紹介します。
ずっと家族というものと縁が薄かったうら若き女性「さや」は、優しい夫とめぐりあい、かわいい赤ん坊を授かり、ようやく幸せな家庭を手に入れる。だがその喜びもつかの間、夫は不慮の事故であっけなくこの世を去ってしまう。葬儀の席で呆然としていたさやは、経をあげにきた僧侶に助けられる。そしてその僧は驚くべきことを告白する。実は自分は一時の間この僧の体を借りた彼女の夫の霊なのだと…
その後赤ん坊を奪おうとする夫の遺族から逃げてきた「佐々良市」でも、さやが困ったことがあるたびに、夫は誰かの体を借りて彼女の前に現われるのだった…
というわけで『ゴースト ニューヨークの幻』を少し思わせるストーリーですが、そちらと違うのは霊であるだんなさんがその度に違う人の姿で現われるということですね。若い男の時もあれば、おばあちゃんの時もあり、幼い子供の時さえある。そして加納先生はミステリー作家でもあられるので、各章にひとつずつちょっとした「謎」が提示されます。もっともミステリー的な謎といっても殺人事件には発展したりせず、ごく日常のちょっとした不思議…という程度のものです。
あと考えようによってはとてもかわいそうな話なのに、死んじゃっただんなさんの語り口があまりにもひょうひょうとしているせいか、作品全体に心地よいユーモア感が漂っています。『ささらさや』という柔らかなタイトルが示すように、喜びも悲しみもさわやかに熱くならずに語られていくお話なのですね。物語のクライマックスでさえ、「え、これで終わりなの?」と思うくらいあっさりと通り過ぎていきます。
で、映画の方。まず大きな改変はイケメンサラリーマンだった旦那さんが売れない落語家の大泉洋になっちゃってます。それはどうよ… とは思いましたが、確かにいまをときめく大泉氏だけに幽霊なのにすごい存在感はありましたw
加えて原作ではあくまでさやと夫の交流がお話のメインとなってますが、映画の後半では死んだ夫とその父親との関係にだいぶスポットがあてられます。これもテーマが二つに分かれてしまった感はありましたが、石橋凌の熱演のせいか素直に感動してしまいました。おそらく監督の深川氏は男性だけに「自分が息子を亡くした父親だったら」ということに興味がむいてしまったのでしょうね。「しゃべりすぎ」とよく言われる日本映画。この作品もちょっとセリフがくどいところもありましたが、父子のすれちがいのくだりをずっとセリフなしで描写していたのはよくがんばっていたと思います。
あともうひとつ原作と映画との違いで印象に残ったのは、最後のある一言。その一言は原作では「やがて言うだろう」と予告されて終わり、そこでとどめておくのが小説のタッチによくあってます。しかし映画でははっきりとその一言が話されるのですね… そこで「ずりーよ」と思いつつもぶわっと涙腺が崩壊してしまいました。
子役のかわいらしさや達者さにも感銘を受けました。赤ちゃんのユウタロウ君が愛らしいのはもちろんのこと、さやの親友の息子大也君役のお子さんはまだ小さいのに長いセリフをよどみなくしゃべり続け、その記憶力や堂々たる態度に脱帽いたしました。将来が楽しみです。
ちなみに舞台である「佐々良市」は架空の町だそうです… 検索してもそりゃみつからないわけだ。
『トワイライト ささらさや』は現在全国の映画館で上映中。公開初週は見事第1位に輝くという快挙をなしとげました。
小説ではNHKでドラマ化された続編『てるてるあした』や、さらに続きとなる『はるひのの、はる』といった作品もあるので、近いうち手を伸ばしてみたいと思っています。
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