お笑いドストエフスキー フョードル・ドストエフスキー リチャード・アイオアディ 『嗤う分身』
『メアリー&マックス』『人生、ここにあり!』『ブランカニエベス』など「エッジの利いた」突き刺すような作品をよく配給してくれるエスパース・サロウさん。そのエスパースさんの最新配給作は、これまた他に類を見ない、不思議な印象を残す映画。文豪ドストエフスキーの短編をぶっとんだ形でアレンジした『嗤う分身』、ご紹介します。
とある会社に勤める青年サイモンは、気が小さく影が薄いため、気のある同僚ハナにもなかなかアタックできないでいた。そんなサイモンの会社に、ある日彼と瓜二つの青年ジェームズが雇われる。最初こそジェームズと楽しくはしゃいでいたサイモンだったが、何をやらせても要領よくこなす「分身」を見ているうちに、次第に苛立ちが募るようになってくる。そして意中のハナまでもがジェームズのとりこになってしまった時、サイモンの精神は崩壊を始めていく…
「ドストエフスキー 分身」でぐぐると幾つか感想記事がヒットしますが、原作小説もなかなかに変な話。特に説明もなく主人公の前に自分とそっくりな男が現われ、ドタバタやってるうちに最後はえらいところに連れて行かれてしまう…という。聞いたところによるとドストエフスキーが相当追い詰められてる時に書いた話なんだとか。不条理系でいかれちゃってる文学作品というとカミュの『異邦人』やカフカの『変身』などが思い浮かびますが、重厚なイメージのあるドスさんがそっち系の話も書いていたとは意外でした。
映画は原作のストーリーを生かしつつ、後半あたりからさらに独自の展開を見せていきます。そして原作よりもさらに輪をかけてヘンテコ(笑)。まず時代と国がどこなんだかよくわからない。やけに古めかしい機械を使ってるところを見ると、戦後まもなくくらいの時代かな…とは思うのですが。ついで青空というものがまったく出てこない。写されるのは建物の中か、夜のシーンかのどちらかです。あと極めつけは西洋人しか出てこないのに、なぜか劇中で日本の古い歌謡曲がちょくちょく流れるんですよ。『上を向いて歩こう』とか『ブルーシャトー』とか。このポカーン具合は『動くな、死ね、甦れ!』でいきなり炭鉱節が流れてきた時の感覚を思い出しました。
とまあヘンテコずくめの本作品ですが、主人公の心情はけっこうストレートに伝わってきます。特に私のような平々凡々の小心者にはね… 少し高圧的に出られただけでシオシオになってしまったりとか、美人の前で張り切ってるのにまるで相手にされないあたりとか、あまりにも自分のことのようで見ていて果てしなく落ち込みました(笑) こんなにまじめに一生懸命やってるのに、どうして僕は幸せになれないんでしょう。そう思うと現実世界もなかなか不条理なものですよね(いや、そんなに真面目にやってもないか)。
こういう「分身」に悩まされる話、エドガー・アラン・ポーの『世にも怪奇な物語』の第二話や、筒井康隆の『ミラーマンの時間』などもそうでした。藤子・F・不二雄の短編にもあったかな。あ、こないだの『ザ・マペッツ2』もそうだ。あんましわたしは自分とそっくりな人間と会ったら…とか考えたことないですけどね。もしそんな体験をしたらサイモン君以上に滅茶苦茶苛立つと思います。
『嗤う分身』は第一陣は今日で大体終了してしまった感じですが、これからかかる映画館もいろいろあるようです。自分としては本年度の『リアリティのダンス』と並ぶヘンテコ大賞でした。
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