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August 29, 2014

放浪とホドロフスキー アレハンドロ・ホドロフスキー 『リアリティのダンス』

Rtd1熱狂的なファンを持ちながらも、長い間新作が途絶えていた変態監督アレハンドロ・ホドロフスキー。しかしこの度二十数年ぶりに待望の長編映画が完成いたしました。監督自身の少年時代をモチーフとしたという『リアリティのダンス』、ご紹介いたしましょう。

1920年代、軍事政権化のチリ。ユダヤ系ロシア人のホドロフスキー一家はその地で小さな商店を営んで暮らしていた。父のハイメは地域でひとかどの人物になろうと様々な活動に精を出す。また、息子のアレハンドロを強い男にするべく厳しく鍛えるのだった。しかし優しく傷つきやすいアレハンドロにとって、父の訓練や意地悪な級友たちは何かと悩みの種となるのだった。

なんてほのぼのしたストーリーなんだ… とても『エル・トポ』や『サンタ・サングレ』と同じ監督の作品とは思えない(笑) しかしまあそこはアレハンドロ・ホドロフスキー。映画のそこかしこに江戸川乱歩的な人たちがちらほらうろついていたり、予想のはるか上を行くような珍妙な展開が待っていたりします。ヘンテコといえばアレハンドロの巨乳のお母さんは常にオペラ調で歌うようにしか言葉を発しません。このことからも監督の少年時代をモチーフにしたといっても、かなり脚色や創作が加えられていることがうかがえます。

映画の冒頭から天使のようにかわいらしい美少女が登場するのですが、まずこの美少女がヅラをかぶった男の子だったということにたまげました。そしてこの男の子が監督のアレハンドロさんの少年時代だという… あんなグログロな映画撮ってて変態丸出しの役を演じてたホドさんが、こんな清らかで純真なお子様だったなんてとても信じられませんw そういえば先日『ホドロフスキーのDUNE』で観たホドさんは映画についてニコニコとさわやかに語るおじいさんで、そのふたつともまた違った印象でした。人間って深いですよね… 大きな才能のある人ともなればなおさらです。

どちらかといえばアレハンドロ少年より、お父さんのハイメさんの方が『エル・トポ』などのころのホドさんのイメージに近い気がします。息子を星一徹のように鍛えるところは、『DUNE』に取り組んでいたころ、お子さんにみっちり武術その他のトレーニングを施したなんてエピソードを思い出させます。あと硬派だったお父さんが色々あって人々のために何かしようとする…というあたりも『エル・トポ』の主人公を連想させます。
以後は後半のストーリーをばらしてるので未見の方はご了承ください。
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後半はアレハンドロ少年よりハイメ父さんの方が俄然比重が大きくなり、彼の旅というか放浪が話の中心になっていきます。
ほんでお父さんが旅の途中で関わる人っていうのが、彼が手をくだしてるわけでもないのにバタバタと死んでいくんですよね。息子のアレハンドロ君もそこまではないまでも、何度か「死」に関わったりする。全体的にうっかりちゃっかりした笑えるムードなのに、どうしてこの映画はこうも死の気配が濃厚なのか… まあ普通にこのころのチリには一件のどかな日常の中にも死がゴロゴロ転がってたということなんでしょうか。

そんな死を巻き散らかしてるかのようなエズメ父さんを演じているのは、これまでも監督の映画に出演してきた長男のブロンティス・ホドロフスキーさん。この映画はある意味親子のすれ違いと和解を描いた作品でもあると思うのですが、先のドキュメンタリーで笑顔で語らっていたホド親子を思い出すと、なんだか胸がほっこりするわたしでした。
Rtd2『リアリティのダンス』はまだちょぼちょぼ上映しているところがあるようなので、ヘンテコでいやされる映画が好きな人はどうぞごらんになってください。
ホドロフスキー監督は次回作はフランスのコミックを原作とした『フアン・ソロ』をやりたい、と語っておられましたが、『リアリティのダンス』の続編的な自身の青年時代を描いた作品を予定している、との情報もあります。いずれにしても御年85歳。体に気をつけてまだまだ長生きしてほしいものです。


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August 25, 2014

怪獣王(何度目かの)復活 ギャレス・エドワーズ 『ゴジラ GODZILLA』

Br1jizicqaazcen当ブログ開設直前(笑)の2004年末の『ゴジラ FINAL WARS』から約9年半。日米の違いこそあれ、ようやくあの怪獣王が永い眠りから帰ってまいりました。すっかりブームに乗り遅れてしまった感はありますが、『GODZILLA』紹介いたします。

1999年、フィリピンで謎の巨大生物の化石と卵が発見される。その場所にはやはり巨大な何かが海へと這い出て行った痕跡も残されていた。それからほどなくして、日本のジャンジラ市で原発が何らかの原因により暴走。以後ジャンジラは厳重に封鎖され、人の出入りできない土地となってしまう。
15年後、子供のころジャンジラに住んでいた青年兵、フォードは父・ジョーが日本で逮捕されたという報せを聞いて現地へ向かう。ジョーは妻を死においやった原発事故の真相を暴こうと、立ち入り禁止区域への侵入を試みたのだった。ジョーをいさめながらも結局その情熱にほだされたフォードは、二人でジャンジラへの潜入を試みる。二人は町の奥深くで、いずこかの研究施設により保護されている大きな「繭」を目撃。彼らが見守る中、その繭は激しい鼓動を刻み始めた…

エメリッヒが作った前のハリウッド版(1998)の翌年からお話が始まってるあたりに、なにかこう、作為的なものを感じます(笑)
1954年の第一作から60年、ゴジラは時代と共に様々に立ち位置を変えて参りました。核の象徴といわれたり、憎めない暴れん坊として描かれたり、子供のヒーローとして活躍したり。単純なモンスターとして扱われることもあれば、旧日本軍の怨霊として現れたこともありました。
で、今回はどうかというと、これは劇中で渡辺謙さんがきっぱりすっぱり言っちゃってくれます。

「人間は自然には決して勝てない」と。

つまり今回のゴジラは人間を脅かす自然の猛威として描かれています。たしかに人間がいくら文明を発展させ、巨大な建物をこしらえたとしても、ひとたび自然が暴れたらほとんどのものはこっぱミジンコになってしまいます。劇中の「ゴジラを殺すために原水爆の実験が行われたが、大した効果がなかった」というくだりは、かつて「核兵器を投下してハリケーンを消滅させる」というのんきな計画があったことを思い出させます。しかし実際はハリケーンのエネルギーは当時の核の核兵器の数十万倍はあり、この一件をとってみても自然災害さんはレベルが違うな…と言わざるを得ません。
じゃあビッグな災害が押し寄せたら人間は諦めるしかないのか。そうではないことをギャレス・エドワーズ監督は主人公親子を通じて語ります。ジョーは災害の原因を必死でつきとめようとし、フォードは自分含め多くの人の命を救うべく奔走します。その努力が報われるという保証は全くないにもかかわらず。こういうアリさんのような立場から怪獣=災害を見つめる、という姿勢は確かに第一作を踏襲していると思いました。
あと自然は感情も何もありませんが、そのあまりのパワーを目にして信仰を抱いてしまう者もいる、みたいなこともちょこっとですが描かれてましたね。この辺は元寇の役の時の台風を日本人が「カミカゼだ」と思いこんだあたりとも似ています。

まあ語り口が真面目すぎるゆえか、エンターテイメントとしてはクライマックスに至るまでがなかなかたるいというか、テンポがややずれてるようなところはあります(^_^; これはギャレス監督の特性ですかね… デビュー作の『モンスターズ/地球外生命体』
でもそういうところはありました。監督は違いますが春のリメイク版ロボコップもそんな感じでした。
だがしかし、です。映像的ド迫力という点では『モンスターズ』や『ロボコップ』のはるか上を行っています。怪獣たちの破壊力を体感するだけでも、映画館に行く価値は十分にあります。まだ観てない方はぜひアリさんの立場になって、できるだけでかいスクリーンでそのインパクトを味わってほしいもの。

Photoちなみにギャレス監督が一作目以外で特に好きなゴジラ映画は『ゴジラ対ガイガン』だそうで… わかんねー(笑) 真面目一辺倒のようで、怪獣バトルにわくわくする、そんな子供心もきちんと持ち合わせているようです。
『GODZILLA』は既に世界中での大ヒットを受け、2018年に続編公開が決定しています。4年後ってオリンピックかい!? たぶん2016年にスターウォーズのスピンオフも撮らねばならないギャレスさんのスケジュールを考慮してのことかと思われますが。 
続編ではモスラやキングギドラも登場するとの噂。楽しみのような心配のような… いやいや、めっちゃ楽しみですよ!

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August 23, 2014

アンナと雪のない北海道 ジョーン・G・ロビンソン 米林昌弘 『思い出のマーニー』

Omn1先日映画・アニメ界に衝撃を与えた「ジブリ解体」のニュース。これがもしや最後の長編となってしまうのか… というわけで『思い出のマーニー』、紹介します。

札幌に住む病弱の少女杏奈は、医師のすすめで夏休みの間叔父夫婦のいる田舎に静養することになる。養母との間にわだかまりを抱えている杏奈は人とうまく接することができず、静養先の同年代の少女たちとも衝突してしまう。
ある日杏奈は一人で湖をスケッチしていた際、古い洋風の屋敷を発見する。杏奈はその屋敷に惹かれるものを感じて浅瀬を渡って向かうが、ついた途端に眠り込んでしまう。水かさが増して帰れなくなり途方に暮れていた彼女の前に現れたのは、マーニーと名乗る不思議な金髪の少女だった…
以後、杏奈はこの世ならざる気配を感じながらも、マーニーとどんどん仲を深めていきます。

北海道のど田舎に存在する金持ちの外人の女の子… ちぐはぐというか違和感をぬぐえません。しかし米林監督の絵力には、そうしたちぐはぐさをねじふせるパワーを感じました。湿っ地屋敷の風景、水にぬれる杏奈の足の質感、おばさんちで取れたトマトなど、ひとつひとつの風景や小物が確かな存在感をもってわたしたちの前に迫ってきます。
こうした絵力は、監督の前作『借りぐらしのアリエッティ』ではそれほど感じられませんでした。偉そうなものいいですが、米林氏の確かな成長が認められます。

さて、とくにとりえのなさそうな男の子が目の覚めるような美少女と出会って、特に理由もないのにほれられてしまう… という話はよくあります。ただ本作の主人公の杏奈ちゃんはボーイッシュであっても女の子。なぜだ!? 百合ものがやりたいのか!? と思いましたが違いました(^_^; これは宣伝のミスリードのせいもあると思います。
マーニーが出会ったばかりの杏奈をなぜ突然「大好き」と言うのか? これはストーリーが後半に入るにつれだんだんと明かされていきます。以下ネタバレになるのでご了承ください。
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観た方には言うまでもないですけど、マーニーの正体というのは杏奈のおばあちゃんの少女時代の姿でありました。わたしは「誰かに愛されたい」という杏奈の孤独な思いが、おばあちゃんの霊というか残留思念をひきよせたのでは…と解釈しました。その正体が明らかになる過程で、おばあちゃんが「本当は杏奈のそばから離れたくなかった」「誰よりも杏奈を愛していた」ことがわかり、杏奈は胸の傷を癒し、同時に人を許すことを学んでいく… 実にこころにくい構成であります。

ただ最近のジブリ全体… 『コクリコ坂』『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』…に言える話ですが、この話が『トトロ』や『ラピュタ』が好きなお子様たちにも楽しめるかといえば少々疑問です。『マーニー』も宮崎御大は「内面の話だからアニメでやるのは不可能」と言ってたくらい感情の機微を細かに描いた作品なので、杏奈と同じくらいの子じゃないと理解するのは厳しいでしょう。そんな子供置いてけぼり作品ばかり作っていて、ジブリ経営的に大丈夫なのかな…と思っていたら、「ジブリ(いったん)解体」のニュースが飛び込んできたのでたまげました。
まあジブリが消えたとしてもあの「宮崎さんっぽい絵」のアニメが作られるならばファンは安心すると思うのですが… 10月から始まる宮崎吾朗氏の『山賊のむすめローニャ』にもあの画風が受け継がれているようなので、その辺に期待したいと思います。Omn2しかしディズニーにひきつづきこちらまで「男の影が薄い・肝心なときに役に立たない」という流れなのはどういうことなのか。わたしも役に立たないことにかけては自信がありますがね。
『思い出のマーニー』は「ジブリ初登場なのに1位を逃した」というこれまた事件でしたが、いい映画なのでできれば多くの人に見て欲しいです。あと1,2週か… まだマーニーあう!


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August 14, 2014

怒れる森の魔女 ロバート・ストロンバーグ 『マレフィセント』

Mft1みなさん、お盆休みいかがおすごしでしょうか。わたしはだらけきっていて、いつも以上に眠いです。こうやって書いている今でさえ、果てしなく深い眠りに落ちて行きそう… というわけで本日は『眠れる森の美女』を原案とした大ヒット公開中の『マレフィセント』、ご紹介します。

そこは中世ヨーロッパっぽいけど明らかにファンタジーの世界。妖精たちの森と人間たちの世界は境界によって分かたれ、お互い干渉せずに暮らしていた。将来妖精の女王となる少女・マレフィセントは、ある日財宝目当てで森に侵入してきた少年・ステファンと出会う。二人は魅かれあうが、ステファンは成長するにつれ人間界での栄達を求めることに必死になり、やがて森の境界に姿を現さなくなる。
時は流れ、森と接する国のヘンリー王はその傲慢さゆえ、妖精たちの世界への侵略を始める。だがマレフィセントの強大な力の前に人間たちは敗退。王も瀕死の傷を負う。ヘンリー王はマレフィセントを倒した者に王位を譲ると宣言。それを聞いたステファンの胸に、ある謀略が思い浮かぶ。

この映画の話を聞いたとき意外だったのが、『眠れる森の美女』の魔女に「マレフィセント」という固有名詞があったことですね。童話だと大抵魔女は「魔女」としか書かれてないじゃないですか。実際この名前は元々の童話からあったものではなく、1959年のディズニー映画でつけられたもののようです。お姫様の名前が「オーロラ」というのもディズニーオリジナルのようですね。
わたしゃそっちの方の映画は観てませんが、ざっと紹介を読むと有名な『眠り姫』のストーリーをほぼ踏襲しているようです。かわいいお姫様が悪い魔女の呪いにかかって永遠の眠りについてしまうが、王子様のキスで目覚める。おしまい。で、今回は見るからに悪そうな「悪い魔女」マレフィセントを主人公にして、彼女がどうしてそんな意地悪な魔法をかけたのか…というところに焦点があてられています。

まあいろんな人が言ってるので恐縮ですけど、これ『アナ雪』ですよね。
共通点を挙げていきますと
・恐ろしい魔女も、実はピュアで孤独な女の子だった
この辺はおじさんとしては30年くらい前の氷室冴子先生の小説『シンデレラ迷宮』を思い出します。いい話なんで若い方はぜひごらんください。いまはキンドル版でしか読めないようですが…
以下、どんどんネタバレになっていくのでお気をつけください。

・ヒロイン?は強大な魔力を持っているけれど、自分には完全にコントロールできない
・魔力のおまけで変った生き物を生み出してしまう
・よからぬたくらみを抱くイケメンが出てくる
・「真実の愛」で愛する者を救い、自分も救われる
・その「真実の愛」を抱く者は年下の女の子だったりする

ディズニーでいう「愛」っっていったら、少なくとも『美女と野獣』『アラジン』くらいまでは男と女のLOVEだったと思います。まあ最近でも『プリンセスと魔法のキス』や『ラプンツェル』あたりはそれがあてはまりますか。しかしこの二作で言われる「真実の愛」というのは完全に家族や保護すべき対象に向けられるものになっています。確かにうまくいく例もありますが、男女間の愛というのはとかく性欲とか年収とかステータスとか余計なものがからみやすいものです。そこへいくと家族に向ける愛というのはもっと純粋なものでありますし。
あとセレブの男女の愛というのもとてもうつろいやすいものですよね。色々破局を経験してきたアンジェリーナ・ジョリーも、子宝に恵まれてようやく「真実の愛」(恥ずかしいな、この語)にめぐり合えたのならめでたいことではないでしょうか。

こっからは結末も明かしちゃいますがcoldsweats01
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自分としては悪者のステファン王の扱いが残念でした。彼だって最初はいいところがあったわけじゃないですか。ぐれてからも少しは良心が残ってたからマレフィセントの命を奪わなかったわけだし。
だもんで罪をあがなうために死んじゃうのは仕方ないとしても、せめていまわの際に「ぼくちゃん、間違ってた。許してねん」とかつてのいいところを思い出して欲しかったです。でないとマレフィセントにもオーロラにもあとあと心にしこりが残ると思うんですけど、普通に極悪人として救いのかけらもなくお亡くなりになったのでなんかむなしかったですね~ そのあとダメ押しのように「めでたしめでたし」で終わってしまったのでなおさらむなしさがつのりました。

Mft2とはいえ全体的には普通に楽しめたファンタジー映画でした。特にマレフィセントの従者となるカラス人間はよかったですね。演じるサム・ライリー君は『オン・ザ・ロード』などで主演を演じていますので気に入ったお姉さんはチェックしてみてください。

『マレフィセント』は公開して一ヶ月が経ってますが、『アナ雪』ブームの勢いを駆ってか、現在実写洋画ではナンバー1のヒットとなっているそうです。次は「『シンデレラ』の継母は実はいい人だった」という映画ができるかも。


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August 11, 2014

ほどほどにホドロフスキー フランク・パビッチ 『ホドロフスキーのDUNE』

Hsd1最近暑いせいか更新が遅れがちですw これももうかれこれ一ヶ月前に観た映画。ここで気を取り直して遅れを取り戻していきたいと思います!(できるかなー)。それでは『ホドロフスキーのDUNE』、ご紹介しましょう。

あらすじ:『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』で名をはせた鬼才アレハンドロ・ホドロフスキーは、1975年、その勢いを駆って人気SF小説『デューン』の映画化に乗り出す。その情熱は多くの才能や著名人を引き寄せ、彼の夢とプロジェクトは果てしなく広がっていく。だが諸事情によってこの企画はボツになった。おしまい。

あっ… 最後まで書いちゃった… まあそんなドキュメンタリーです。
『デューン 砂の惑星』はその後デビッド・リンチにより映画化されました。公開された時話題を呼んでいたのはうっすらと覚えています。それから数年後して、気まぐれでシリーズの第一部も読みました。これまただいぶ記憶がおぼろげですが、こむずかしい設定と理屈の多い『スターウォーズ』という印象でした。どちらかというとスターウォーズの方がこれの影響を受けているんですけどね(^_^;

完成しなかった映画のドキュメンタリーというと、テリー・ギリアムの『ロスト・イン・ラ・マンチャ』(未見)などもありますが、そんな映画、観て面白いのか?という人もいるかもしれません。ところがこれがけっこうひきこまれるんですよ。特にSF映画が好きな人だったらぜひ観てほしい作品です。
まずホドさんが原作小説からどんどん空想を膨らませ、さらには暴走していく様子が一緒にトリップしているようでめっちゃ楽しいのです。人間の脳内にも無限の宇宙があるわけですが、ホドさんの宇宙はまことに摩訶不思議で、こちらの想像を絶するような世界を垣間見せてくれます。

あともうひとつすごいのは、あまり物を知らない私ですらたまげるようなビッグネームが、次から次へと登場してくること。メビウス、ギーガー、ダン・オバノン、オーソン・ウェルズ、ピンク・フロイド、果てはミック・ジャガーやらサルバトーレ・ダリまで… どなたもこなたもそのまんまSFに出てきそうなお名前であるのが素敵です。さらにすごいのは、そんなビッグネームどもが多少の差こそあれ、ホドさんが声をかけるとみんな「うん、やるよ」と返事しちゃうんですよ! 当時名を知られていたとはいえ、まだ若いホドさんにどうしてみんなそろってその申し出にうなずいたのか。それはやっぱり、彼の情熱とカリスマ性ゆえでしょうか。

ただしつこいようですが、結局この『DUNE』は日の目を見ませんでした。残念、観たかったな…とは思いますが、総計12時間ともなると映画会社が難色を示すのも無理からぬことかと思います。あと構想を聞いていますとけっこう残酷なシーンがあったり、難解な部分も多いようなので、仮に尺をめちゃくちゃ縮めてもヒットは難しかったのでは。もっともホドさんは映画が売れるか売れないかなんて、あまり気にしちゃいなかったようですけど。彼は単なる商売ではなく、後世に影響を残す一大芸術プロジェクトとしてこの企画に臨んでいたので。
実際、当初の予想とは違う形ではありましたけど、確かに『DUNE』のプロジェクトは後の作家・作品に大きな影響を与えることになりました。その詳細についてはドキュメンタリーを観て知ってほしいところですが、ただひとつ例をあげるなら、冒頭に述べた『スターウォーズ』も『DUNE』の企画がなかったらもっと別なものになっていたことでしょう。

で、特に爆笑したのが、後にリンチ版が完成した時のホドさんの反応ですねw 彼はデビッド・リンチの才能を認めていたので、「きっとすごいものを作っただろうなあ… きい! 悔しい!!」と公開されても観るのをいやがったそうです。しかし頼もしい長男に一喝されて、しぶしぶ劇場に足を運ぶホドさん。果たして彼はどんな感想を抱いたのか… すいません。ここも実際に聴いて確かめてくださいw
しかしこのホドロフスキー長男の人格者ぶりはものすごいですよ。『エル・トポ』で素っ裸にさせられて、『DUNE』では主役を演じるべく星一徹のような特訓を施されたにも関わらず、まったくぐれていない。しかもダメダメになった親父を叱り飛ばすことまでしている。そして現在公開中の『リアリティのダンス』ではまたまた親父の変態につきあわされて、とんでもないことまでさせられている。西洋の人ではありますが、さながら生きた仏を見ているような気持ちになりました。
20130602_164945『ホドロフスキーのDUNE』はまだ渋谷のアップリンクを初め、けっこういろんなところで上映中・予定。同時に二十数年ぶりとなる新作『リアリティのダンス』も公開中です。先週観て来たので近々こちらの感想も書きます。その間に、まだ3本レビューが残っているんですけどね…


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August 04, 2014

装甲騎兵ボトムクルーズ 桜坂洋 ダグ・リーマン 『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

Aynik1「日本のライトノベルを、ハリウッドがトム・クルーズ主演で映画化!?」と聞いたときはびっくりしました。まあライトノベルといっても『涼宮ハルヒ』とかああいったものとは違うようですが… 本日はその『オール・ユー・ニード・イズ・キル』、ご紹介します。

近未来、人類は「ギタイ」と呼ばれるエイリアンと熾烈な戦闘を繰り広げていた。高性能なパワードスーツの開発で戦局を五分に戻した人類は、決着をつけるべく大規模な侵攻作戦を計画する。軍の広報士官ウイリアムは将軍の機嫌を損ねたことからその最前線に送られ、たちどころに戦死してしまう。だがいまわの際に青いギタイの体液を取り込んだ彼は、自分が作戦参加直前に「生き返って」いることに気づく…

以後、ウィリアムというかトム・クルーズは死ぬたびに一日前に逆戻りし、何度も作戦を成功に導こうとがんばります。その過程で「戦場にいきたくねー! こわいよー!」と駄々コネまくりだった彼は、次第に戦闘プロのイーサン・ハントの顔に変貌していきます。こういうのわたし好きなんですよね…
ただそのイーサン・ハントなみの戦闘力をもってしても異星人から地球を救うのはかなりインポッシブルなミッションのようで、何回も何回も何回も死んで、そのたびに何回も何回も何回もやり直してるのに、なかなか解決の糸口がつかめません。かつてスーパーマリオやゼルダの伝説をプレイしたときの「またここで死んだよ! こんなの絶対クリア不可だよ!」とのたうちまわった記憶が甦る人も多いでしょう。

タイムスリップに話を戻しますと、以前は超科学によって発明されたタイムマシンでグイーンと空間を飛ぶのが定番でしたが、最近では色々変り種なやり方がありまして、こないだの『X-MEN』では「意識だけ超能力で過去に飛ばす」という新趣向を試みていました。『オール・ユー・ニード~』もそれと似たところがありまして、「宇宙人が過去に戻る超能力を持っててそれが伝染する」という方法を取ってました。従来より一層現実的な方法になり… なってないか。どっこいどっこいといったところですね(^_^;

この映画のもうひとつの目だった特色は兵士たちが着るパワードスーツであります。ここ数年でSF映画のパワードスーツも色々出てきましたが、本作品のパワードスーツは『エリジウム』より厚く『エイリアン2』よりシンプル、といった感じでしょうか。宇宙怪獣と戦うのであればガンダムは無理でも、せめてイングラムかスコープドッグくらいは作らないと厳しいと思うんですけど、そんなに遠くない未来ではまだロボを量産するのは難しいってことなんでしょうかねえ。確かにあれくらいのなんちゃってスーツであれば、ちょいと科学が進歩すればザクザク作れそうでその辺はリアルでした。機動性も申し分なさそうだし。ただあまりにも搭乗者がむき出しになってる部分が多く、スーツというよりはフレームといった印象。もう少し怪獣の爪やら牙やらを防ぐために鉄板で覆って欲しいと思いました。

そんななんちゃってフレームで必死に戦っているうちに、彼はただ一人自分の事情を理解してくれる女性士官に恋をします。けれど彼が何度トライしてもこの女性将校は途中で戦死を免れません。この「この人また死んじゃうんだろうなあ。かわいそうだなあ」という思いが高じて恋をしてしまうあたりも『オール・ユー~』の独特なところかと思います。去年の『オブリビオン』がさらにロマンス重視な作りだったのと比べると、『オール・ユー~』はもっと「男の戦い」みたいな要素が前面に出ていた感じでしたが。ダグ・リーマン監督は『ボーン・アイデンティティー』といい『ジャンパー』といい、異常な状況に立たされた主人公が最初ヘナヘナしながらも、ヒロインに勇気付けられてなんとか現状を打破しようとがんばる話が好きみたいですね。

それにしてもトム・クルーズさん、かつては『7月4日に生まれて』とか『レインマン』などで重厚な人間ドラマも多くこなしていたのに、最近ふっきれたようにメカやアクションが目立つ映画にばかり出ています。アラフィフになってますます元気にマシンを操る様子には「よし! 俺も負けてられない!」と思わせられます。Cmp4actors1986to2012この画像なんか見ると、彼の「老けなさっぷり」は異常ですよ。ぜひ荒木飛呂彦先生と共にこのまま不老の記録をのばしていってほしいものです。

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』はトム様主演で日本ゆかりの作品であるにも関わらず、日本での売れ具合は「ぼちぼち…」というところでしょうか。興味のある人は映画館に急いでください。あと1、2週の公開だと思われます。

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