怪獣王誕生 円谷英二・本多猪四郎 『ゴジラ』(第1作)
映画としては約10年ぶりの復活ということでガンガン盛り上がってきた『ゴジラ』。その前夜祭ということで、今から60年前に公開された第一作が大々的にリバイバルされました。先日日比谷まで行って観てきたのでご報告します。まずはあらすじから。
戦争の記憶もまだ新しい1950年代中ごろ。太平洋上で貨物船や漁船が次々に消息を絶つという事件が起きる。未知の生き物が関わっている可能性があるということで、古生物学者の山根教授は生存者のいる大戸島へ調査に向かった。そこで教授は驚愕すべき光景を目の当たりにする。山の陰から前世紀の巨大生物の生き残り「ゴジラ」が姿を現したのだ。やがてゴジラは海を泳いで東京へ上陸し、復興して間もない首都を火の海に包んでいく。
まあストーリーはいまさら語るまでもないというか、誰でも知ってる名作。わたしもいろんなところで聞きましたし、かなり昔ノベライズを持ってて繰り返し読んだりしてました。
しかしやはりいくら話を知っていても、怪獣映画というやつは実際に観てみないと真価がわからないものですね… 読むと観るとでは大違い、でありました。
まず大スクリーンで見るゴジラが怖い。整った造形の時もあれば、時々妙に崩れているときもあるんですが、それがまた怖い。リマスター版とはいえ不明瞭な部分も多い白黒の映像(特に夜のシーン)がまた怖い。そうした怖さが、本当は着ぐるみだとはわかっていても思わずそのことを忘れさせます。本当に巨大な何かが街を闊歩しているようにしか見えなくなります。
先に述べたノベライズでは山根教授の目を通して「泣いているように見えた」という一文があり、わたしはちょっとそこが好きだったんですけど、映画本編を観てみるとゴジラにはそんな甘っちょろい感情は無さそうな気がします。「泣く」ということだけでなく、一切の感情を超越した恐ろしい何か… そんな風に見えました。
少し前、この1作目は反戦映画か否か、みたいな論争が巻き起こりました。わたしはまず第一に怪獣映画であるけれど、その中にずっしりと社会的テーマを織り込んだ作品だととらえています。ゴジラが通り過ぎたあとの、傷を負い打ちしおれた人々の情景や、自分の発明が一層の殺戮を生むのではないかという芹沢教授の恐怖は、嫌でも「戦争を二度と繰り返してはならない」という思いを呼び起こさせます。
こういった真に迫った社会的テーマは、後続の作品にはほとんど受け継がれてませんね 早くも第3作の『キングコング対ゴジラ』ではお気楽なプロレスショー的な雰囲気が満ちております。以後、時折風刺めいた要素の入ったものも作られますが、この一作目ほどわかりやすく重みのあるものはありません。これはゴジラシリーズのみならず、以後の怪獣映画すべてが追随できなかった部分と言えましょう。
あと21世紀の現代の目から見ると、1950年代の東京の町並みというのが見ていて楽しゅうございました。『ALWAYS』などでも当時の風景は描かれていますが、やはりCGで再現されたものと、実際の映像とでは微妙に違います。ファンタジーのように少々美化された景観も悪くはありませんが、白黒とはいえ本当にあった風景には力強い存在感がありますし、なによりスクリーンで見られたのは貴重な機会でした。
『ゴジラ デジタル・リマスター版』はまだ今週4日までは上映してるところがちょこちょこありますね。BSプレミアムでも近々放映するようですが、やはりゴジラ映画はスクリーンで見てナンボのものだと思います。そして新作はいよいよ今月25日公開。胸が高鳴ります!
Comments
> これはゴジラシリーズのみならず、以後の怪獣映画すべてが追随できなかった部分と言えましょう。
直接的な「戦争」という観念から変換されてしまっているんですが、金子版の「怨念」みたいな「戦争への憎悪」も強力だったと思います。
Posted by: ふじき78 | July 05, 2014 12:47 AM
>ふじき78さん
GMKはわたしも大好きな作品です。あの戦争への怨念をストレートにぶつけた映画の同時上映が「とっとこハム太郎 ハムハムランドの大冒険」だったこと十年たった今も忘れられません
Posted by: SGA屋伍一 | July 07, 2014 10:34 AM