メリーさんの秘密 ジョン・リー・ハンコック 『ウォルト・ディズニーの約束』
いやあ、『アナと雪の女王』、100億越えの大大大ヒットですごいですねえ。そんなアナ雪大ヒットの影に隠れて、同じディズニー関連なのにひっそりと公開を終えようとしている映画があります。名作『メリー・ポピンズ』の知られざる秘密に迫った『ウォルト・ディズニーの約束』、ご紹介します。
1961年、作家のトラヴァース夫人は、代表作『メリー・ポピンズ』映画化の交渉のため、イギリスからアメリカへと渡る。彼女は映画化にはあまり乗り気ではなかった。『メリー・ポピンズ』にはトラヴァース夫人の少女時代の辛い思い出が封じ込められていたからだ。オーストラリアでやさしい父親とともに過ごした少女時代と、60年代のディズニーとの激しいやり取りを交差させながらお話は進んでいきます。
きっといつの時代も原作者って映像化には複雑な思いがあると思うのです。単純に評価されて嬉しい、という気持ちもあるでしょう。しかし自分が込めた思いがきちんと反映されずに気落ちすることもあるのでは。ことに『苦○列車』の西村○太氏のような偏屈者の場合は。
トラヴァース夫人もよくいえば真摯な人なのでしょうけど、とにかく自作へのこだわりがものすごい。彼女にしてみれば巨人ディズニーに自分のメリーさんを好き放題されてたまるものか、という作家としての矜持があったのでしょう。傍から見てると「それくらいいいじゃん」と思えるようなことさえ一歩もゆずりませんw 「赤は一切使うな!」とかね。絶え間ないダメだしを受けながら映画を作らねばならなかったスタッフに感情移入すると、げっそりとやせそうな気分になります。というか、よく映画完成したよなあ… まあそんなものづくりの現場を社会科見学してるようで、面白くもあったのですが。
社会科見学といえば60年代のディズニーランドを見られたことも面白かったですね。今から比べればかなりシンプルですが、そこに集う人たちの笑顔は今の夢の国とも変わりなく(今の人が演じてるんですけど…)。わたしもちょっとスペースマウンテンもエレクトリカルパレードもないかの時代のディズニーランドで遊びたくなってしまいました。
もう一つ面白いというか興味深かったのはトラヴァース夫人がとにかくアニメを毛嫌いしていたこと。今はさすがに「アニメは低俗」という人も少ないでしょうけど、勃興期にはこういう風に「軽いもの」として嫌悪感を示す保守派もいたのでしょうね。
とまあ60年代編はいろいろ考えると楽しいんですが、少女時代編はズシーンと胸にこたえます。彼女がなぜ『メリー・ポピンズ』を書いたのか。その理由があまりにも悲しいものだったからなんです。以下は若干ネタバレくさいですが…
人は辛いとき、悲しいとき、フィクションに慰めを求めることがあります。文才のある人は叶えられなかった望みや理想を、フィクションの中でかなえようとすることもあります。『メリー・ポピンズ』もまたそういう作品のひとつだったということなのですね。そしてディズニーもまた『メリー・ポピンズ』を映画化することで、悲しい思い出に決着をつけようとしていたことが語られます。
トラヴァース夫人の父親もまた夢物語に逃げ場を求めた人でした。あまりにも優しくて繊細だったために、銀行の仕事に耐えられなくなってしまった彼は、酒を飲むことと娘と遊ぶことで現実の辛さをまぎらわそうとします。
わたしが実は一番共感したのがこの辺だったりして… いや、わたしはそれほど仕事に追い詰められてるわけじゃないですけど、それでも疲れて帰って来た時に小さな女の子が「遊ぼ~♪」と満面の笑みで駆け寄ってきたら、そりゃあもう「遊ぶ!遊ぶ!遊んじゃるわおりゃああああああ!!(# ゚Д゚) 」 …となります。
でもやはり子供を逃げ場にしてはいけませんね。これ、わたしの子供じゃなくて姪っ子のことなんですけどね。次は8月まで会えなそうなんですよね。会いたいなあふううううう…
なんか、さびしくなってきちゃったので今日はこれでおしまい。
『ウォルト・ディズニーの約束』はそんなわけであと二日くらいで終わりそうなので、興味のわいた人は金曜までにがんばって観にいくか、名画座でかかるのを待ってください。
Comments
アニメももうちょっと場を読むような作風だったらいいけど、まんまカトゥーンなので・・・ホビッドのスマウグとか、カトゥーンキャラだったら作者、怒るでしょ。そんなニュアンスだと思いますよ。原作もっと大人しくてしめやからしいから。
Posted by: ふじき78 | April 24, 2014 10:47 AM
>ふじき78さん
そういえば原作にはペンギンが踊るシーンはないとか。この時代にCGの技術があったらよかったのになあ…と思いながら観てました
Posted by: SGA屋伍一 | April 25, 2014 09:09 PM