この木なんの木そして父になる木 ジュリー・ ベルトゥチェリ 『パパの木』
夏休み現実離れした映画ばかり観ていたので、すっかり感性が中二ムードになってしまったわたし。このままじゃいけない! もっとアーティスティックでソフィスケイトされたセンスを保たなくっちゃ! …というわけで沼津で遅れてかかっていたしっとり系のヒューマンドラマ観てきました。『パパの木』、ご紹介します。
オーストラリアの自然豊かな土地に住むピーターとドーンは、四人の子供たちに恵まれ仲むつまじく暮らしていた。ところがある日、仕事から帰ってきたピーターが心臓発作のため突然亡くなってしまう。最愛の人を失ったドーンは子供たちの世話もままならず、精神的にまいっていく。そんな折り子供たちの一人のシモーヌは、家のそばに立っている巨大なゴムの木から死んだはずの父の声を聞く。シモーヌは父の魂がゴムの木に乗り移ったと信じ込み、暇を見つけては木の上に上るようになるのだが…
広大な大地。どこまでも続く山なみ。やっぱアメリカの風景はスケールがでかいよなーっ! と思い込みながら途中まで観ていたのですが、シモーヌたちがクリスマスだというのに暑そうな日差しの中海水浴をしているシーンで「???」となりました。その後会話の中で「シドニー」という言葉が出てきた時点でようやく「ああ! ここオーストラリアなのか!」と気づいた次第です。
だってさー 普通オーストラリアだったら出てきますよね。コアラとかカンガルーとか。オペラハウスとか。ところがどすこい出てくるのはカエル、コウモリ、クラゲ、トカゲといったなかなかに不気味らしい動物さんたちばかり。これはどうやらこの映画に「自然というのは決して人間に優しいばかりではないんだよ」というテーマがこめられているからのようです。本当に「老後は田舎でロハスでヘルシーなライフを満喫したいよなー」と考えている人の夢を粉みじんにぶち砕いてくれるような作品です。
親を失った少女が自然のぬくもりに触れて「お父さんはいつまでもわたしを見守ってくれるのね! ありがとう! わたしはたくましく生きていくわ!」というお話とはちょっと違うので、これから観られる方はどうぞご用心ください。
あとこの映画、主人公はシモーヌだけではなく、お母さんのドーンにもかなりの比重が置かれています。演じるは最近ラース・フォン・トリアーにえぐいことばかりやらされているシャルロット・ゲンズブール。こちらでは辛うじて普通のお母さんでしたけど、精神の危うさは健在です。
そんな風によろよろしてたかと思えば職場の雇い主と急速にいい仲になってしまったりするからポカーンです。普通こういう映画に出てくるシングルファーザーの恋人というのは、熟女とのエッチだけが目的で子供たちへの優しさはうわべだけだったりするのですが、この「お母さんの恋人」が普通にいい人なんですよ。決してわたしと同じ職業だから言ってるわけではありません。
なのにその優しさがわからず冷たい態度をとり続けるシモーヌが憎たらしくてたまりませんでした。決してわたしと同じ職業だから(略)
えー、私情はひとまず置いといて。
「一家の中心を失って、子供より先に親が参ってしまう」「子供が死んだ親と交信を試みる」というところは去年観た邦画『聴こえてる、ふりをしただけ』と似ていました。あと最近「幼くしてお父さんを亡くしてしまう話」では『蜂蜜』『ブラック・ブレッド』などがありました。名作劇場のアニメの主人公なんかは割りかし親を亡くしても立ち直りが早かったりしますが、現実や大人のための子供映画ではそう簡単に割り切れるものではなく。そういう姿を見るのは胸がキリキリと痛みますね。わたしの親父なんか70でもピンピンとしてますが、ええ、いつまでも長生きしてほしいものです…
以下ネタバレで
果たして本当に大樹に父の魂が宿っていたのか。映画でははっきりそれを明らかにしてない… というより恐らくはシモーヌの思い込み&偶然が重なっただけのように思われます。でももしゴムの木にお父さんの意志が込められていたとしたなら、「自分のことはいつまでもひっぱらないで、早く新しい生活を始めなさい」ということだったんじゃないかな… と思いました。冒頭でパパがトレーラーで家を丸ごと運んでいくシーンにもそんな意味があるような気がします。
『パパの木』は沼津でも一週間前に終了(^^; でも東北・関東・中国・四国あたりでもまだちょぼちょぼと公開してますね。地味ながらシミジミいい映画なので気の向いた方&上映館が近くにある方はぜひ。
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