怪人二十面走 レオス・カラックス 『ホーリー・モーターズ』
まだGW中に観た作品の感想をちまちまと書いています… 熱狂的なファンと高い評価を得ているものの、寡作で知られるフランスの鬼才レオス・カラックス。その待望の13年ぶりとなる新作長編が日本でも公開されました。『ホーリー・モーターズ』、紹介します。
早朝、厳重な警戒の中、豪邸から出てくる一人の初老の男。彼は乗り込んだリムジンの中で貧しい老婆へと変装する。橋で物乞いをしたあと、再びリムジンに乗り、今度は特殊撮影のスタジオに入る男。その後も変装を繰り返しながら、男は忠実な運転手と共にリムジンでパリの街を縦横無尽に走り回る。
あらすじだけ読むとよくわからないと思いますが、映画を実際に観てもなかなかよくわかりません(笑) パリの街を車で走りながらシュールで不条理な物語が展開していくあたりは、『地下鉄のザジ』を思い出しました。『ザジ』のどんちゃかやかましいカラーと比べると、こちらはもう少ししっとり落ち着いている感じではありますが。
足りない頭で色々考えてみるに、この映画はまず『ザジ』と同じく「夢」を描いた作品だと思いました。ここで言う「夢」とは希望や目標のことではなく、単にわたしたちが寝ている間に見ているアレのことです。
夢というのはストーリー的に脈絡がなく、舞台・背景が頻繁に変わることも珍しくありません。そして取り返しのつかないことをしてしまったり、うっかり死んでしまったりしても大抵はそのまま進んでいくもの。
一見わけわかんないような映画であっても、自分が日ごろ見る夢のことを思い出すと「あるある」と共感できたのでした。
もうひとつ、これは「役者」の映画でもあるんじゃないかなあと。こんなに多種多様な人間になりきらなきゃいけない職業があるとすれば、それはスパイか役者さんしかいないと思います。ひっきりなしにオファーがあり、有能な運転手(秘書?)が付いているところを見ると、この役者さん、さぞキャリアのある名優なんでしょうなあ。
ただいささか窮屈そうなのは彼が素に戻れるのはそれこそリムジンの中だけだということです。車の中から出た途端、彼は別人になりきらなければいけない。ではなぜ彼が本当の自分でいられるのは「車の中」だけなのか? すいません。わかりません。
ただ車ってのは移動するための機械であり、基本頻繁に動き回っているものです。そんな車の特性が映画界や役者という職業の流動性・不安定さと重なるような気はします。
他に『ポンヌフの恋人』しか観てない身で語るのも大概大それているんですが、代表作のあらすじをさらっと読んだ限りではカラックスって「悲恋と放浪」がテーマの人なのかな、と思ってました。でも『ホーリー・モーターズ』を観ると放浪はともかく、もう悲恋にはそれほど興味がなくなっているような。次に撮りたい作品は「スーパーヒーローもの」ということなので、むしろ「超人願望」みたいなものに関心がむいているのかもしれません。もっともその「スーパーヒーロー」も「必ずしも何かと闘わなくてもいい。何か超能力を持っている存在」ということなので、いまよく作られているアメコミヒーロー映画とはだいぶ違うものになりそうです。観てみたいですね!
『ホーリー・モーターズ』は公開から二月近くが経っていますが、まだメイン館のユーロスペースで辛うじて上映中。他の地方の劇場へもこれから巡回していくようです。とりあえずこの予告編を見て、そのわけわからなさを少しでもわかってほしいです。
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