失われた時を留めて 松江哲明 『フラッシュバック・メモリーズ 3D』
昨年の東京国際映画祭で注目を浴びた風変わりな音楽映画がありました。記憶障害をわずらってしまったアーティスト・GOMA氏の演奏を、なぜか3Dで演出したという。少し前にこちらの方でも上映されたので、変わったもの大好きなわたしは張り切って観てまいりました。『フラッシュバック・メモリーズ3D』、ご紹介します。
2009年、ディジュリドゥエ奏者として内外で高い評価を得ていたGOMA氏は、高速道路を走行中追突事故にあう。その事故により、彼はわずか前の記憶ですら思い出せない高次脳機能障害をわずらうこととなってしまった。言い知れようのない不安や苛立ちを抱えながらも、家族に支えられて、再び音楽活動を始めるGOMA氏。この作品ではそんなGOMA氏の半生を織り交ぜながら、渾身の演奏を映し出しています。
皆さんは「ディジュリドゥエ」って知ってますか? わたしはもちろん知りませんでした! オーストラリアに伝わる民族楽器で、やたら長いホルンのような尺八のような形状をしています(上の画像参照)。ものによっては渦巻状だったり箱状のものもあるようですが。
音色はこれまたリズミカルな尺八といった感じでしょうか。ちょっと聞いてみたいという方はこちらの本作品の予告編をご覧になってみてください。これがメインの演奏ですから、わたしたちが普段「ライブ」と聞いて思い浮かべるギターがあって歌詞があって・・・というものとはやや違う趣のものであります。目を閉じて一心不乱にそのディジュリドゥエを吹くGOMA氏の姿は、アーティストであると同時に修行者のようなイメージを見るものに与えます。
「ディジュリドゥエが楽器であることさえ忘れてしまった」にも関わらず、手に取ると自然にそれを奏で出すGOMA氏。映画などで記憶を失ったスパイがピンチに直面した時、「体が覚えていた」ということで目にも止まらぬアクションを繰り出すシーンがありますが、そういうことって実際にあるんだなあ・・・と感じ入りました。恐らくそれは事故前にGOMA氏が膨大な修練を積んでいたからこそ、だと思いますが。
そんなGOMA氏と仲間たちの背景を、スナップ写真やこれまでの演奏風景、果ては絵で描かれた青空や円を基調とした抽象画などが飾り立てています。映画の形態が3Dなため、奏者と背景には独特な距離感が生じておりました。
監督の松江哲明氏はこの映画を3Dで撮影した理由をこのように語っておられます。
「今を生きる彼をドキュメンタリーの手法で撮影することは必然だったが、彼が無くした過去も「現在」として同時に表現しなければいけない、と僕は考えた。そのためには3Dをパーソナルな表現として捉え、立体感や奥行きをレイヤーとして認識する必要があった。」
う、うむ。正直わたしにはむずかしい・・・ ただ3Dによって前と後ろで距離感が生じることにより、過去の自分の写真が自分だとは思えないようなGOMA氏の不安感や、現実がどこまで確かなものなのかわからない浮遊感のようなものが伝わってきた気がします。
ひとつ印象的だったのが事故の直前、お嬢ちゃんと一緒に車で行こうと思っていたのに、なぜかイヤな予感がして一人で行くことにしたという話。「不思議」というほかありません。こういうこともあるので「イヤな予感」というのもけっこう馬鹿にできないものだな・・・と思いました。
演奏とアーティストの半生を交互に語る、という形式には二年ほど前の『たまの映画』を思い出したりもしました。『フラッシュバック・メモリーズ』はこれからも大宮・札幌・横浜などで2D版も含めながら上映していくようです。くわしくは公式サイトをご覧ください。
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