1987年のサイドウェイ 吉田修一・沖田修一 『横道世之介』
最初はぜんーぜん観る気なかったんですが、ネット等で「今年を代表する邦画」という噂を聞いて、「それじゃ・・・」と観にいってまいりました(流されやすい)。吉田修一原作・沖田修一監督のダブル修一が贈る『横道世之介』、ご紹介します。
1987年、長崎から大学進学のため、一人の垢抜けない青年が東京へやってくる。彼の名は横道世之介。バイトにサークルにごく普通の大学生活を謳歌する世之介。周囲は時に彼をうっとおしく思いながら、次第にその純朴な人柄に魅せられていく。
唐突に時は流れて現代。かつて世之介と親しかった人々はふと彼のことを思い出す。世之介は果たしていまどうしているのだろう・・・と。
世之介君の個性を説明するのは微妙に難しいです。まず彼は決して特別な人間ではありません。変わっているところといえば鳥の巣のような頭くらいで、そのほかは平々凡々でいかにもその辺にいそうな青年です。しかし彼には不思議と人を和ませる力があります。なんでかといえば彼は人にいらだったり怒ったりする表情をほとんど見せないから。かといって朝ドラによく出てくるような「他人の幸せがわたしの幸せなんです!」というキャラでもない。彼は自分に接する全ての人に優しいけれど、その優しさは暑苦しくなく、極めて自然体のものであります。
そしてこの彼の人となりは作品の主な舞台である80年代後半=バブル期を象徴しているようにも思えます。バブル期ってよく軽くて薄っぺらくて・・・みたいな評価をされます。確かにそういう側面や弊害があったこともぬぐえません。でも2013年の現在から振り返ると、とても和やかな時代であったなと思います。冷戦が終わって核戦争で地球が滅亡する脅威はなくなったし、景気はどんどんよくなるし、この先将来もずっと和やかなんじゃないの? ・・・そんな風に思えた時代。まあ今も日本は多くの国に比べればのんびりした国かもしれませんが、長引く不況や先の震災を経た今となっては、かつてのような無邪気さを取り戻せないことも確かです。
わたしがこの映画を観ようと思った動機は冒頭に述べたとおりですが、もう一つ原作が『悪人』の吉田修一氏だったから、というのがあります。しかし『横道』が平凡で和やかで性的に淡白なお話だったのに対し、『悪人』は犯罪がらみで哀切で愛欲ドロドロな内容。何から何まで対照的であります。
それでも不思議と通じる部分もありました。それは「儚さ」ということ。『悪人』の二人の愛がとても儚いものだったように、世之介と彼が生きた時代もまた、とても儚くまぶしいものでありました。あと両作品とも主人公の母親を余貴美子が演じております。
以下は大幅にネタを割ってますんでご了承ください。
この作品があの新大久保駅乗客転落事故をモチーフとしていることもなんだか象徴的でありました。あの時代決して相思相愛というほどではなかったにせよ、日本と近隣の国の関係も極めて和やかでありました。しかしあの事件が起きた2001年以降、極東の国際関係はだんだんギスギスして参ります。まるで世之介の死と共に平和な時代が終わってしまったかのように。でも映画の中の人々が世之介を思い出して微笑むように、穏やかさを求める気持ちを忘れないでいたいものです。
観た時少し不思議に思ったのが、どうしてあんなに熱烈に愛し合っていた世之介君とショウコちゃんがさくっと別れてしまったのかということ。たぶん彼らはあのあと自分が打ち込むべき道を見つけて、そっちに熱中しているうちに疎遠になってしまったのでしょうね。これもまた青春のよくあるときめきメモリアルです。
『横道世之介』はあんまし客入りが芳しくなかったらしく、すでに終わってしまったところも多々あり(^^; 名画座なんかで細々とかかってるので、見逃した方はその辺をチェックしてみてください。
Comments
「観た時少し不思議に思ったのが、どうしてあんなに熱烈に愛し合っていた世之介君とショウコちゃんがさくっと別れてしまったのか?」確かめるため原作を読みましたが、何も書かれていませんでした。(笑)ほぼ原作に忠実な映画化なことがわかっただけで、モヤモヤ感は解消しませんでした。
Posted by: まっつぁんこ | April 21, 2013 09:23 PM
>まっつぁんこさん
おひさしぶりです。わたしも原作ぱらぱらと読んでみましたが、「本当に、なんでもないことで別れてしまった」みたいなセリフで済まされてましたよね(笑)
そういえば『悪人』の方はラストの意味ありげなヒロインのセリフ・表情に関して、もっとはっきりわかるように書いてありました
Posted by: SGA屋伍一 | April 23, 2013 08:46 AM