時には子のない母のように ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『灼熱の魂』
首都圏から四ヶ月ばかり遅れて上映。レバノン生まれの劇作家の戯曲を原作としたカナダ映画で、第83回アカデミー賞外国語映画部門を最後まで受賞作と争った『灼熱の魂』、ご紹介いたします。
現代のカナダ。プールで急に具合を悪くし、ほどなくして息を引き取った一人の女性がいた。彼女は双子の子供達に奇妙な遺言を遺していた。それぞれ会ったことのない父と兄を探し出し、封のされた手紙を渡し、しかる後に双子に宛てた手紙を読め、というものだった。母にあまり良い感情を抱いていない弟は相手にしなかったが、姉はその遺志を遂げようと母の故郷である中東へと渡る。そこで彼女が知ったのは、あまりにも壮絶としかいいようのない母の半生であった。
作品の舞台となる中東の某国、都市名はチラホラ出てくるんですが、肝心の国名が出てきません。わたしが物知らずなんでわからないんだろうな~と思ったら、あえてぼやかしてあるというか、架空の国・歴史のようです。ただこの映画で語られる多くの悲劇・・・宗教上の対立、それゆえに起きる紛争、容赦なく引き離される親子や恋人達、子供さえ容赦しない虐殺・・・は、頻繁にニュースで見聞きするように、中東では珍しくない「現実」なのでしょう。
昨年同じ時期に公開されていた『サラの鍵』と、よく並べて語られていた本作品。たしかに国家の暴力に翻弄された、一人の女性の秘められた過去を徐々に解き明かしていく・・・という構成が良く似ています。作品の大きな柱が「母性」であることも共通しています。よく似た親がらみの話といえば、最近『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』と『ヒューゴの不思議な発明』がありましたが、父の謎を追いかける話がハートウォーミングタッチになるのに対し、母の謎を追う話はどうしてトラウマ必至の残酷物語になるんでしょうね・・・
あと『サラの鍵』はすでに終わった過去の物語をいまにつなぐ物語であるのに比べ、『灼熱の魂』は現代なおも続いている問題にいかにけりをつけるか、という話だと思いました。
さて、ここからは例によってネタバレざます・・・
観終わったあとわたしが感じたのは、ヒロイン・ナワルはどうしてここまで残酷な事実を子供達に明かさねばならなかったのか?ということでした。そんなショッキングな秘密は、それこそ墓場の中まで持っていけばいいのに、と思いました。
でもあとからつらつら考えてみるに、彼女は例え子供達を傷つけても、伝えたい感情があったのかなと。その感情とは、早い話が「愛」です。
彼女は思ったのかもしれません。長男が結果的に殺人&拷問マシンとなってしまったのは、母親の愛情を自分が与えてやれなかったからではないかと。であれば、彼に「母はお前を何があっても愛している」と伝えねばなるまいと。
そして双子の方ですが、弟のセリフからもわかるように、親子の関係はあまりしっくりいってなかった様子。そりゃあ双子が生まれた経緯を考えれば普通の親子のようにニコニコ愛せないのは当然のことと言えます。しかし経緯はどうあれ自分の子がかわいくないわけはない。素直に愛したいのに父親のことを思い出すとそうできない・・・ 彼女はずっとそんなジレンマを抱えていたのでしょう。だから双子達に、「素直に愛情を示せなかったのはこういう事情があったからなのだ」と知らせたかったのだと思います。
果たしてそうやって愛情を伝えたことで子供達は救われたのでしょうか。救われた、とわたしは信じたいです。
ちなみにこの作品の原題は『Incendies』。フランス語で「火」や「火事」をあらわす語だということです。たぶんその「火」とは、ナワルの怒り・復讐の炎だとわたしは考えます。怒りは確かに人にエネルギーやパワーを与えます。でもやはり幾ら怒りを燃やしたところで、誰も救われはしないし、何も解決しない。全てを明らかにして「許し」というリセットをして、初めてそれぞれは前に進めるのでは・・・という作者からのメッセージが感じられました。ずっと抱えられていたナワルの怒りが消えた場所がプールだというのがなんとも象徴的です。
『灼熱の魂』は公開が終わってしまったとこも多いですが(沼津も今日まででした
)、東北・九州・四国などではこれからかかるところもある模様。てゆうか5月2日にはもうDVD出るじゃん・・・
しかし『ムカデ人間』など配給してる一方でこういうの重厚なのも扱ってるアルバトロスフィルムは、本当にわけがわからない会社であります。
Comments
伍一君☆
これ、気になっていたけど見なかったやつだわ。
なんとなく辛そうで・・・
やっぱりトラウマ必至なのね。
ところで最後のかかとは何かな?
そういえば、ムカデ人間もまだ見てない・・・
Posted by: ノルウェーまだ~む | April 21, 2012 08:54 PM
>まだ~むさん
こんばんばん
はっきり言ってきついです。ミステリーとしてもよくできてるんですけどね
まだ~むにはこの作品よりムカデ人間より、『サラの鍵』があってると思います。まだ観てなかったらDVD化の際にぜひ
最後のかかとの点々はちょっとネタバレになっちゃいますが、ヒロインのお母さんが孫を孤児院へ預ける際に、またあったときにすぐわかるように入れた刺青なんですね。泣ける話です
Posted by: SGA屋伍一 | April 21, 2012 11:44 PM
レバノンの歴史背景に暗いため、はっきりとは言えませんが、この物語の背景にある村(国)は、全くの架空のものではないように思います。
あの村はイスラム原理主義の強い村で、移民で入って来たユダヤ人(キリスト教)と対立しており、その男性と子供を作っちゃったから、村を追い出される羽目に。
長男のいた施設を焼いたのは、パレスチナゲリラと言われる連中で、姉弟が兄と父を探す協力をしてくれたのは、パレスチナ解放機構ではないかと思うのです。
違ったらすいません。
それから、incendiesは確かに「炎」という意味でなんですが、ちょっとおかしいと思って、辞書で調べてみました。
「激情」とか「戦火」という意味が有りました(複数形で使用)
映画の解説のサイトでは、私の見た限りは、全て原題は「炎」になってましたわ(^_^;)
日本人がよくやるまちがいですね。
個人的には『サラの鍵』よりも『灼熱の魂』の方が、全体のまとまりが良いので好きです。
Posted by: サワ | April 22, 2012 12:12 PM
>サワさん
詳しい解説ありがとうございます。
作者がレバノン出身ということなので、たぶんそちらをモデルにしてるところはあるでしょうね。少し前の『戦場でワルツを』を思わせるところも色々ありましたし
ただヒロインが大物政治家を暗殺してしまうところなどはさすがに創作でしょうね
>「激情」とか「戦火」という意味が有りました(複数形で使用)
あらら。仮に「戦火」の意味だとすると邦題はかなりかけ離れちゃってますね。どちらの意味にもとれるようなストーリーでしたが
わたしは『灼熱の魂』はあまりにもきつすぎて、まだ心温まる場面の多かった『サラの鍵』の方が好きです。『灼熱の魂』もまったく救いがなかったわけじゃないですけどね
Posted by: SGA屋伍一 | April 22, 2012 08:43 PM
>果たしてそうやって愛情を伝えたことで子供達は救われたのでしょうか。救われた、とわたしは信じたいです。
いえ…
残念ながら、私にはそうは思えません。
私がナワルの立場だったら、墓場までこの秘密を持って行きます。
こんな残酷なことを子どもたちに教えてしまった母親が
私はどうしても許せないので、この映画は嫌いです。
中東の理不尽な世界、レバノンの内戦の残酷さ、を伝えたいためにこの映画を作ったかと思われる監督も、
こんなに残酷な話を作らなければならないのかという理由で嫌いです。
ところで伍一さん、ノルウェーまだ~むさんの所から参りました。
世間は狭い!
「高尾山ハイキング」の日記のコメントをご覧あれ。
Posted by: zooey | May 16, 2012 12:05 AM
>zooeyさん
おお、こちらにもおいでませ
うーん、わたしはなるべくいい気持ちで劇場を出たいのでね(笑) いいほうに考えました
実際にお母さんである方からすればどうにも許しがたいところもあるのでしょうけど
どなたかが「オイディプス王」に例えていましたが、なるほどと思いました
>「高尾山ハイキング」の日記のコメントをご覧あれ。
あ、びくびくしながら(なぜ?)読んでました
まだ~むさんとももう二年くらいのおつきあいになるかな?お上品なのにお茶目なところもある楽しい方ですよ
Posted by: SGA屋伍一 | May 16, 2012 09:31 PM
これは今年のベスト候補なんですよね。
確かに子どもにどうしてそれを言ったのか? は気になる所ではあるけど、それはこの映画の主旨ではないもんね。
聞いちゃった方は衝撃ではあるけどさ。
そうだねえ・・・ 真実を知ってもらいたい、という本能って人間にはあると思う。 自分が生きた証となるのが子どもだったとして、「1+1=1」の関係しか成すことができなかったし憎しみもある、しかしながら子どもだから可愛い訳ですよ。
可愛いなら言わなきゃいいじゃんという意見はごもっともだと思いますが、敢えてそこで明かすことで自分の苦しみを知ってほしかった(知った後ですぐ亡くなったから、ナワルのショックだって大きかった訳ですね)、そしてその苦しみの向こうにある真実に向かい合って生きていってほしいという願いも込めた告解だったと思いますよ。
と、マジレスすんまそん。
Posted by: rose_chocolat | May 17, 2012 09:32 AM
>rose_chocolatさん
こんばんは
そうですね。この映画の趣旨ってなんでしょう? やはり戦争の悲惨さとか復讐心のむなしさだと思うのですが、「実は…だった」という寓話的な部分が強烈すぎて、人によってはその辺があまり伝わらないかも
まあ完成度が高くて体裁の整ってる話より、おさまりが悪くても強烈なエネルギーがほとばしってる作品の方が印象には残りますけどね
ナワルが真実を告げたことには、民族性もちょっと関係してると思うのです。日本人は当人の幸せのためならウソや秘密も仕方ないと考える人が大半だと思うのですが、ムスリムやクリスチャンといった一神教の人々は大事な事実は当人に積極的に告げるべきだと思うのかもしれません。ウソや秘密というのは意外なところからばれてしまうことも多いですからね
そういえばオイディプスについて言及していたのはroseさんだったかな… お邪魔しようと思っていてついつい伺いそびれてしまいました。どうもすみません
Posted by: SGA屋伍一 | May 18, 2012 08:38 PM
お久しぶりです。
私好みのトラウマや苛酷な運命テンコ盛りの作品でした。
私もサラの鍵と比べながら観ましたが
ドラマティックだという点ではこちらが好きかな。
ほんとなんでナワルはこの苛酷すぎる秘密を
墓場まで持っていかなかったのかなぁ
でもSGAさんのおっしゃるように
彼女は子供たちに伝えたかったのでしょうね。
どんなに痛みを伴うとしても「愛」を伝えたかったのでしょう。
生前はしっくりといってなかったシモンに対してもでしょうが
何より,長男に事実と「それでもあなたを愛している」という思いを
伝えたかったのでしょう。
受け取るには重すぎる荷だったかもしれませんが。
それでもあれでよかったと私も信じたいですね。
Posted by: なな | June 11, 2012 08:39 PM
>ななさん
こんばんは。こちらもご無沙汰しておりました
ななさんはこういう炎のように激しい主人公、ストーリーの映画がお好きでしたもんね。わたしはただただ圧倒されましたが、一応「納得した派」です
いま親にも愛されない子供が多くいますけど、たとえこんなきつい形であったとしても、「子供」たちにはやはり愛されてることが伝えられねばならないのでしょうね。まあわたしの母親は愛情表現に関してはドライなほうですが(笑)、本当に当たり前の家庭に育ったことがありがたいと思えます。
その当たり前なはずの家庭すらない子供達もたくさんいるわけですから・・・
Posted by: SGA屋伍一 | June 11, 2012 11:14 PM