ジュリエットに傷心 レオス・カラックス 『ポンヌフの恋人』
パリのポンヌフ橋をねぐらにする孤独な青年アレックスは、ある日橋に流れ着いた娘ミシェルと出会う。ミシェルとともに過ごすうちに、アレックスは彼女が自分の中でかえがえのない存在になっていくのに気づく。ミシェルも辛い過去ややがて失明する事実を乗り越え、彼の思いを受け入れる。橋の上で粗末ながらも楽しく暮らす二人。だがその日々は長くは続かなかった・・・
こんな事態であるのにこっそりUPです・・・ 1991年にフランスで公開された名作が、この度デジタル・リマスター版となって帰ってきました。アート系の映画にうといわたしでも、その名はさすがに存じていました。ただ。今回この映画を見てみようと思ったのは、たまたま今年の初めにリバイバル版の予告編を見たから。
大音響とともにパリの夜空を彩る盛大な花火。その下でよれよれになって躍る二人の男女。この映像に、文字通り打ち上げ花火を至近距離で喰らうような衝撃を覚えたのでした。
そして一転して、降り積もる雪の中、橋で抱きしめあったまま動かない二人。ああ、なんかこの人たち死んじゃいそう! このあとどうなるんだろう? ・・・と無茶苦茶彼らの行く末が気になってしまい、銀座まで出張して見にいいってきたのでした。
まあ主人公二人の境遇がホームレスという時点で普通の恋愛ものではないだろう、とは思ってはいました。しかしここまで心がひりひりするような話だとは。アレックスもミシェルもあまりに捨て鉢というか自暴自棄なところがあり、時として攻撃的でもある。お願いだからもっと自分を大切にしなさい!と思わずにはいられませんでした。目を刺すような光溢れる映像と、耳をつんざくようなサウンドがまた感覚をひりひりさせます。
わたしが強烈に印象に残ったのは、どちらかというとアレックスの方でした。この男、ミシェルを手放さないためには手段を選びません。後先考えずに全力で行動します。
普通の恋愛ものなら彼女のために身をひいて・・・という場面でも、徹底してエゴイズムを貫きます。たとえミシェルが失明したとしても、アレックスは彼女が自分の前から消えてしまうことが耐えられないのです。その愛情は、恋人に対するものというより、むしろ子供が母を慕うような気持ちに近いと思いました。普通子供にとって母親は絶対不可欠な存在であり、母親の事情がどうあろうが離れ離れになることを恐れるものです。
そういえばミシェルが「橋」にとどまる理由は劇中で語られましたが、アレックスがなぜあそこまで橋にこだわるのかは明かされませんでした。よく「橋の下で捨てられた」などと言いますが、もしかしたら彼も昔そこで母親に捨てられたのかもしれません。そしてそこで待っていればいつか迎えに来てくれる・・・ そんな望みを持っていたのかもしれません。
さて、この作品レオス・カラックス監督の「アレックス三部作」の最後を飾る作品となっております(各作品は主人公の名前と役者が共通するだけで、特に前後関係があるわけではありません)。二作目でもヒロインを務めたジュリエット・ビノッシュと監督は恋人同士だったそうですが、『ポンヌフ』撮影が難航するとともに二人の関係は悪化し、ついには破局を迎えたとのこと。その辺の事情が、あのやや唐突とも思えるラストシーンに投影されているような気がします。まるで「本当はこうなったらいいのになあ」という監督の呟きが聞こえてくるかのようです。
この別れがよほどショックだったのか、以後カラックス監督は八年後の『ポーラX』まで沈黙を保ちます。そしてそれ以後は2008年のオムニバス映画『TOKYO!』のうちに一編しか撮ってないという・・・ きっとものすごくひきずってしまうタイプなんでしょうね・・・ 『ポンヌフ』しか見てないわたしが言うのもなんですが、もっとがんばってほしいと思います。
『ポンヌフの恋人』は現在首都での上映は終ってしまいましたが、引き続き横浜・大阪・福岡などで上映予定。20年経ってもなお鮮烈なその映像、ストーリーを、未見の方はぜひ味わってみてください。
Comments