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February 28, 2010

ウィー・アー・ザ・ワールドチャンピオン クリント・イーストウッド 『インビクタス 負けざる者たち』

100228_184014番長グループの抗争により、校内暴力が激化の一途をたどる南阿弗利加高校。その学校へ、一人の熱血教師が赴任してくる。彼は「お前たちを愛している! 愛しているから殴るんだ!」と、わけのわからぬ理屈でラグビー部を創設。だがいつしか生徒たちも彼に感化され、一同は共に花園を目指すことに・・・ これは一人の教師による七年間の戦いの記録・・・ではなく。近年の目覚しい活躍により、いまや「世界のオヤジ」となってしまった感さえあるクリント・イーストウッド最新作。『インビクタス 負けざる者たち』紹介いたします。

90年代の南アフリカ。黒人にも平等な権利が与えられ、それまで優位に立っていた白人たちは、彼らの報復に怯えていた。だが30年獄にあり、新たに大統領となったマンデラは、白人たちにも協力を呼びかける。彼はほとんど白人で構成されたラグビー代表チーム「スプリングボクス」をそのまま残し、来るワールドカップで優勝を果たすよう願う。新たな国を築こうとするマンデラと、低迷から脱しようとするボクスのキャプテン、フランソワ。それぞれの戦いを続ける二人の魂は、次第に強く共鳴しあう。

この映画を見ていてわたしが思い出したのは、2007年の作品『ラストキング・オブ・スコットランド』でした。こちらは少々フィクションが入っているものの、やはりアフリカの実在の大統領を主題とした映画です。黒人の大統領が白人の青年と友情を交わす・・・といったストーリーも、どことなく似ています。
しかし、アミン大統領がウガンダで成したことは恐るべき虐殺行為でした。この辺からわたしたちが学べるのは、権力というものはバケモノだということです。それまでは立派だった人間が、権力を手にした途端醜く変わるといった例は決して珍しいものではありません。だからこそ、マンデラ氏がその力を報復に用いなかったことは驚嘆に値します。

あるインタビューでイーストウッド氏はこう述べていました。「人生の中で最も大事な30年間を奪われた男がどうしてそんな寛容な気持ちになれたのか? そのミステリーを解きたいと思った」

で、このミステリーの答えというのは、やはり表題となっている詩の一節にあるのではないかと思いました。それはマンデラ氏が獄中でどんぞこにあった時、彼に再び立ち上がる力を与えてくれた言葉です。
 「私はいつも私の運命の主人なのであり 私はいつも私の運命の指揮官なのだ」

自分を気の遠くなるほどブタ箱にぶち込めていたのも白人ならば、彼に希望を失わせなかったのも、また白人の詠んだ詩だったわけです。この辺から、マンデラ氏は自分の真の敵が特定の人種ではなく、人々の心の中にある「憎悪」であることに気づいたのでしょう。人の真の強さとは、まず自分を制すること。そして恐怖や憎悪といった負の感情に飲み込まれないこと。そんなことをこの映画から学ばされました。

ただこの映画、個人的には昨年の
『チェンジリング』『グラントリノ』ほどには、胸に迫るものはなかったような。近年のイーストウッド作品では、人間の負の面も強烈に描かれています。だからこそ、その中にあってもたくましさや尊厳を失わない主人公たちに、強く心打たれるわけで。
しかし今回のこの『インビクタス』では、その「負の面」の描かれかたが、けっこうあっさり風味だった分、前の二作ほどのインパクトもなかったような。そんなこと言いながら、ラストで大統領とフランソワがガッキと握手するシーンでは、滝のように号泣しておりましたが(笑)

しかしラグビーってのはすごいですね・・・・ 15対15で相撲を取っているようなものです。サッカーだったら(10分限定で)それなりにプレイできる自信はありますが、ラグビーは無理です。死にます。

100228_184055さて、ご高齢なのに全然休まない御大の次の作品は、フランスを舞台にした超常現象の話となるそうです。なぜここで超常現象? いや、きっと御大にはふかーい考えがおりなのでしょう。
主演にはまたしてもマット・デイモン。「硫黄島二部作」「親心二部作」に引き続き、後に「マット二部作」と呼ばれるようになるのかは、まだわかりません。


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February 23, 2010

適当掲示板93&集まれへんないきもの

毎度どうもっす。SGA屋伍一です。当ブログに関するご意見、ご感想そのほかありましたら、こちらにカモンファイヤーです。
さて・・・ 最近博覧会とか、行楽に全然行ってません・・・ ので、今回は蔵出し企画です。わたしがもっぱら近隣で見かけた愉快な仲間たちをご紹介いたしましょう。
まずはこちらから

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昨年の夏に西伊豆にある三津(みと)シーパラダイスという水族館に行ってきたのですが、その時の画像。そいつをいまごろになって貼るというこのあつかましさ(笑)
都会の水族館に比べればややひなびたところではありましたが、ご覧のように様々なナマモノがたくさんいて、思った以上に楽しめました。水族館には付き物のイルカやアシカもいますよん。


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続きましては友人・知人が買ってるちょっと変わったペットさんを。向かって左の二枚はKさんの飼ってるイモリさん。「かわいいでしょ?」と言われて、わたしは「・・・ええ」と答えることしかできませんでした・・・
向かって右の二枚は行きつけのガソリンスタンドで飼われているフクロウ。店主さんがなぜかこの種の猛禽がお好きなので。近隣のみなさんからマスコットのように可愛がられております。


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続きましては伊豆で見かけたある風景。向かって左二枚は伊東市の途中で見かけた「かえる屋」というお店のキャラクター。「いきもの」じゃないですけど、そのシュールな造形がなんだかツボにはまってしまったので
向かって右二枚は熱海から初島へ向かう途中でついてくるカモメの群れ。かっぱえびせんを差し出すと我先にとこちらに殺到してきます。ちょうど『ファインディング・ニモ』にあった「ちょーだいちょ-だい」という、あのシーンそのまんまです。


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こちらは道端で見かけた虫さんたち。できたらクリック拡大してご覧ください。向かって左から
☆弱っていた蝶(種類不明)。
☆カマキリ。片腕だけワンポイント彩色が施されていて、なんだかネイルアートのようです。
☆センチコガネ。宝石とみまごうばかりの輝きですが、動物のウンコにたかる虫だそうで
☆アカスジキンカメムシの終齢幼虫。背中にヒゲ面の大仏さまが描かれております


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最後はお約束。向かって左二枚は以前紹介したチャッピーとクロスケ(そう勝手に名づけた)。この子らももうだいぶ大きくなりました。向かって右二枚はモン吉先生の尻尾と寝顔。本当にいつもいつも、よくたれています。


動物を見ていると、なんだか心豊かになりますよね!
それはともかく、あ~~~どっか行きてえ!

行こう・・・ その内・・・・


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February 20, 2010

博士の異常な劇場 テリー・ギリアム 『Dr.パルナサスの鏡』

100220_183427名匠テリー・ギリアムの最新作にして、実力派ヒース・レジャー最後の遺作。本日は話題性十分の『Dr.パルナサスの鏡』をご紹介いたします。毎度出遅れとりますがー

とある町の片隅で、怪しげな興行を行っているパルナサス博士とその一座。舞台に据えられた鏡の中に入った者は、自分の望みどおりの世界を体感することができるという。客層の悪さに悩まされながらも、めげずにショーを続ける博士たち。ある日博士の娘は、橋の下に吊るされて死にかけていた一人の男を救う。記憶をすっかり失っていた男は、そのまま一座に拾われることに。折りしも博士のもとには、「約束のものを返してもらう」と言うこれまた謎めいた男が訪れていた・・・・

『未来世紀ブラジル』で名を馳せたものの、大コケしたり、会社と大喧嘩したり、はたまた作品がポシャっちゃったりと毀誉褒貶の激しいギリアムさん。彼に対するわたしの認識は、「現実と妄想の混交を描くひと」というものです。本当にこれほどまでに長いキャリアを誇りながら、作るもののテーマがずっと一貫してる人も珍しい。ただテーマは一緒でもその度に手を変え品を変え、時にはエンタメよりだったり、時にはアートよりだったりするので、「マンネリ」という印象はありません。

で、そのお家芸とでもいうべき「妄想」の描写、今回も思いっきり突き抜けておりました。このお年でここまで弾けられるというのは、本当に素晴らしい。こういうしっちゃかめっちゃかなビジュアルが大好きなわたしとしては、十分楽しませてもらいました。

アクシデントには事欠かないギリアム氏ですが、今回も重要なキャストであるヒース・レジャーの急死という事態に見舞われました。それでも必死に映画を作り続ける監督と、ボロボロになってもショーを続ける博士の姿が、なんだか重なって見えたりして。
博士が監督だとするなら、妙に親しげな悪魔はスポンサー(映画会社)で、一座の面々はまとまらないスタッフを表しているんでしょうか? ・・・・そいつは例によって考えすぎか
しかしまあ、映画の中に夢や理想の世界を求めているという点では、わたしたちもこの作品に出てくるお客さんたちとさほど変わらないと思います。

先のアクシデントですが、ヒースの親友三人がかわるがわる代役を務めることにより、映画はなんとか完成いたしました。ちょっと強引ではありますが、この豪華俳優たちの競演も映画の見所のひとつです。

ちなみに各俳優に対するわたしのイメージは以下の通り。一緒に印象に残っている出演作も挙げておきます。

☆ヒース・レジャー・・・・ 故人。ジョーカー 『ブラザーズ・グリム』『パトリオット』『ダークナイト』
☆ジョニー・デップ・・・・ コスプレさん 『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ 『エド・ウッド』ほか
☆コリン・ファレル・・・・ 『アレクサンダー』でのホモ描写がきつかった 『アレクサンダー』『デアデビル』
☆ジュード・ロウ・・・・ 最近が影が薄い。毛も薄い。『ホームズ』で挽回を 『ロード・オブ・パーディション』『A.I.』

ファンの方、なにとぞご容赦のほど・・・・

以下はちょっとネタバレです

ひとつ不満があるとすれば、ヒース他が演じたトニーの扱いに関してでしょうか。わたしは彼が善人であると信じたかったので。少なくともヒロインを助けたい、と必死になるその姿に、偽りはなかったはず。それが急転直下してああいう形になってしまったので、「そりゃねえだろ~」と思ってしまいました
まあこの皮肉っぽいというか、意地悪っぽいところもギリアム氏の個性のひとつなんでしょうかね・・・・


さて、最近読んだインタビューの中で、ギリアム氏はキャストの一人で今をときめくジョニー・デップ氏について、次のように語っておられました。
「彼のことは大好きだよ。嫌いでもあるけどね。(中略)ヤツは僕のビッチではいてくれないんだ。あいつはティム・バートンのビッチなんだよ

・・・・・これまたすごい三角関係。しかしこのトライアングルは、ややギリアムさんに分が悪いかなあ。

100220_183633一方のティム・バートンはあてつけのようにデップ出演の『アリス・イン・ワンダーランド』を公開予定。二人の妄想を見比べてみるのも一興かと。
また、ギリアム氏は一度頓挫した『ラ・マンチャの男』に再びチャレンジするそうです。がんばれギリアム! 切ない片思いのことは忘れて!

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February 17, 2010

魁! ハードボイル道 『仮面ライダーW』を語る②

100217_172846絶妙のコンビで、数々の敵を退けてきた章太郎とフィリップ。だがある時敵の罠にかかった二人は、絶体絶命のピンチに陥る。そんな彼らを救ったのは一年ぶりに姿を現した最凶のメモリ「ファング」だった。新たな力を得て、より一層激しい戦いへと身を投じていく「ダブル」。そんな折、風都に「照井竜」という男がやってくる・・・

第二のライダーを向かえ、そろそろ折り返し地点を迎えようとしている『仮面ライダーW』。今回は「ハードボイルド」という視点からいらんことを語らせてもらいます。
「ハードボイルド」の始まりは一応1929年、ダシール・ハメット原作による『血の収穫』からとなっております。登場人物の内面には一切触れず、ただ起きたことだけを簡潔に伝えていく手法が、硬くゆでた卵のようにシンプルでストレートということで、いつしかそう呼ばれるようになったのでした。
それゆえハメット作品の主人公(サム・スペード、コンチネンタル・オプなど)の内面は容易には図れず、冷血動物のような印象を受ける人も数多くいます。

ただご存知のようにハードボイルドが大衆に広く人気を得るようになったのは、そのあと登場したレイモンド・チャンドラーの功績によるところが大きいです。チャンドラーの創造した探偵フィリップ・マーロウは「オプ」やスペードに比べれば、おおよそ人間的で親しみやすい人物。有名なセリフ「タフなだけでは生きている意味がない」が示すとおりです。

で、『W』でいうと、このマーロウのような立場にあたるのが章太郎(タフ以外の部分が多すぎるような気もしますが)。ハメット系の探偵にあたるのが、照井竜なんではないかと。まあ照井氏は登場早々にして、かなり章太郎に感化されてしまった感はありますが あとさらに後に登場した「悪党は皆殺し」的な探偵、マイク・ハマー(BY ミッキー・スピレーン)も入っているかもしれません。

このハメット的なキャラとチャンドラー的なキャラの立ち位置の違いとか、主張をめぐるぶつかり合いなんかをこれから期待したいものです。


さて、スタッフについても少々。一回目の記事で「サブライターは「荒川稔久氏」と書いちゃいましたが、この人その後全然登板しませんね 代わりに目立ってきているのが主にウルトラ系で活躍されていた長谷川圭一氏。氏の重厚でハードな脚本には『ネクサス』のあたりから特に注目してたので、『W』参戦は実に嬉しいことであります。それまでにはあまり見られなかった軽妙なギャグなんかには、「こういうのも書けるんだ」という驚きもあり。


ただ最近の展開でちょっと納得いかなかったのが、ナスカ・ドーパントこと園崎霧彦氏の性急な退場に関して。まだまだ活かしようのあるキャラだったと思うんですがね~ 死なすにしても、体に異常が出てきたりとか、章太郎と和解したりとか、その辺の描写をもっと前もってじっくりとやっていただきたかった。あの二話でそれらすべてをパタパタっとやられてしまったので、「とにかく急だった」という印象が強いんですよね。もしかするとなんか中の人の事情でもあったんかな~と、いらんことを勘ぐってしまったりして。

100217_173013・・・と文句も書いちゃいましたが、謎の女「シュラウド(屍衣という意味だったかな?)」やかなりの強敵らしい「ダブリューのメモリの持ち主」も登場し、「いっそう盛り上がってきたな~」と感じる今日この頃。
一年ものにとって三クール目というのは、一番中だるみしやすいあたりですので、その点どうぞ気をつけていただきたいものです。
『仮面ライダーW』は現在日曜朝八時にて放映中。

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February 13, 2010

モンスターズ・キング モーリス・センダック スパイク・ジョーンズ 『かいじゅうたちのいるところ』

100213_194807_2かいじゅうたちのいるところ・・・・ そりゃぶっちゃけうちの実家のことではありますまいか。モーリス・センダックの名作絵本を、鬼才というか超個性派のスパイク・ジョーンズが映画化。『かいじゅうたちのいるところ』、ご紹介いたします。

母と姉の三人で暮らす小さな男の子のマックス。ある晩母親とケンカをしたマックスは、家を飛び出してしまう。たまたま川岸で見つけた小船に乗って、マックスが着いた場所はかいじゅうたちが暮らす不思議な島だった。

わたしが聞いたところによりますと、この映画一度完成してから、その後一年もの間お蔵入りしてたそうです。スパイク・ジョーンズが「オレ様に任せたということは・・・どうなるかわかってンだろうな!」と言ったかどうかはわかりませんが、かなり好き放題に作ったようで。しかしできたものを見てワーナーの幹部さんたちは「こんなもんかけられるわけねえだろがーっ!!」と大激怒。実際テスト試写を見せられた子供たちはギャンギャン泣き出すという有様で、結局いろいろ手直しが加えられることになり、ようやく公開に至ったというわけ。
当初できたヴァージョンがいったいどういうものだったのか、ちょっとだけ見てみたい気もします。
さて、わたくし予告編などを観てまず思い出したのがピクサーの名作『モンスターズ・インク』。毛むくじゃらの怪物に子供がひしとつかまっている絵から、なんとなくあのアニメを連想したのですね。それでこの映画にもあんな風な笑えてあたたかいそういうムードを期待していたのですが、これが微妙にはずれてまして。かいじゅうたちはかいじゅうなのにけっこうリアルな人間関係に苦しんでいたりして、思った以上に現実的?なお話でした。
それまでアメリカのありがちな家庭の話だったのに、急に時空を越えてファンタジーの領域に入ってしまうあたり、面食らう方もおられることでしょう。ただこの話、家出した少年がどこかのお金持ちの屋敷にでも少しの間やっかいになった・・・と考えるとしっくり来るような。

家族であるならば、本当はプライバシーなんていらないし、寝る時だって一緒がいい。でもいつの間にか事情ができて、バラバラで過ごすことが多くなり、お互いぎこちなくなってしまう。かいじゅうたちのケンカを見ているうちに、そんなどこかの「家庭の事情」が思い浮かんでしまいました。K・Wが連れ歩いてる二匹のフクロウは、たぶんコンピューター・・・彼女の仕事のことを表しているんじゃないでしょうか。

また、かいじゅうたちはすぐにいじけたりとか、意地悪だったりとか、短気だったりとか、みな子供っぽさを持っています。でもなりはでかいし、力もハンパじゃない。そんなかいじゅうたちが、子供のまま大きくなってしまったオトナたちのように見えてしまいました。まさにそういう大人子供な自分には、色々と痛いところのある映画でした(^^;

ただ、気に入ったところも色々あります。ヴィジュアル的には大変素晴らしく、マックスとかいじゅうが砂漠をテクテク歩いてく図や、彼らがこしらえるヘンテコなとりでなんかは特に印象に残りました。またCG全盛の時代にあえて気ぐるみというアナクロな技術を使い、ここまで独特な世界を作り上げたことも評価してます。

20080106190141ちなみにこの「かいじゅう」、原題では「wild things」となっています。直訳すると「野蛮なモノ」というところでしょうか。「モノ」というと、なんだか生き物というよりは、心の中に宿る何かみたいな気がしませんか?

レビューを書くのがぐずぐずしているうちに、近所のシネコンではぼちぼち公開が終りそうです。ただ本国ではまあまあヒットしたようで、ワーナーのお偉いさんたちもホッと一息というとこでしょうか。がおー

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February 09, 2010

ダンサー・イン・ザ・カンコク ポン・ジュノ 『母なる証明』

100209_185948このタイトルってやっぱり『人間の証明』から取ったのでしょうか。お母さん、ボクのアレ、どこ行ったんでしょうね。ほら、なんてったっけ。あれですよ、あれ

・・・・首都圏より三ヶ月ばかり遅れて上映、話題の韓国映画『母なる証明』ご紹介いたします。

とあるひなびた村に住む、一組の親子。息子のトジュンは知的障害者ではあったが、母親はこの息子を何よりも深く愛していた。だがある日、この村で一人の女子学生が殺されるという事件が起き、トジュンはその容疑者として警察に連行される。トジュンの無実を信じる母は、その容疑を晴らすべく奮闘するが・・・・

わが国でも高く評価されているポン・ジュノ監督。でもわたし、彼の作品にはちょっくら苦手なところがありまして。普通に面白いとは思うんですよ。ですけどこの人、こちらが固唾を呑んで見守っているようなところで、「ぽかーん」としちゃうようなギャグをかましてくれるじゃないですか。
例えば彼の名を一躍メジャーにした『殺人の追憶』。みなが真剣に犯人の手がかりをつかもうとしている中、ソン・ガンホ演じる刑事はこう叫びます。「つまり犯人は・・・アソコに毛が生えてない、ツルツルのヤツなんですよ!」

あの・・・ そこは笑うところなんですか? 笑えばいいんですか? ポンさん! ポンさああああん!!

ただ今回のこの『母なる証明』、いろんなところで絶賛されてるし、予告を見るとなんだかとってもシリアスな感じ。
そんで、「ふ・・・ こいつ色々考えて成長しやがったな・・・」なんて思っていたのですよ。ところが実際に観てみたら、これがいつもと全然変わらねえでやんの(笑)

息子のために執念を燃やす母親と言うと去年の『チェンジリング』を思い出します。しかしあちらの主演のアンジェリーナ・ジョリーがまことに絵になるというか、様になるのに対し、こちらのおかんはやることなすこと空回ることはなはだしく。おまけに息子の方も記憶がなんだかおぼつかなくて、いらんところでいらんことを思い出したりする。観ていてあまりに可哀想で、悲しくて。でも笑える(笑) うーん、これやっぱりギャグと思っていいんでしょうか? あれ? 違うのかな? もうわたし、よくわかんない!

いい加減マジメなことも書いておきましょう・・・ 以下はネタバレ臭いので未見の方はご注意ください。

この映画で強く感じたのは、「誰もが殺人者になりうる」ということ。
よく新聞や雑誌のコラムなどで、殺人犯を糾弾する記事があるじゃないですか。まあ確かに糾弾されてしかるべきなんですが。
時折ひっかかるのは書いている人が、犯人を自分とは別種の生き物のようにとらえていること。まるで「自分はたとえ何があろうとこんな罪は犯しません」とでも言うように。
しかし人生先に何があるかまったくわからないわけです。もしそれまでに経験したことがないような苦境に立たされたとき、想像を絶するような憎しみに包まれた時、それでも自分は「絶対に人を殺さない」と言い切れる人がいるでしょうか? あるいは殺意がなくとも、何かの弾みでうっかり人を死に追いやってしまう・・・そんなことは絶対にないと、誰が断言できるでしょう。
いや、わたしだってある程度の自信はありますし、本当にそうなりたくないとは思いますよ。ただこの映画を見ていると、「誰もがふとしたきっかけで、人殺しになってしまうことはある」・・・と、そんな怖い考えが思い浮かんでしまうのでした。


この映画には、非常に印象的なダンスシーンが二回あります。ひとつは冒頭で、ひとつは終了間際に。
冒頭のシーンでは、「なぜこの人はいきなり踊りだしてるんだろう」と、ややあっけにとられました。しかし最後のダンスシーンを見ていて、冒頭の方も納得がいきました。

人はなぜ踊るのか? それはきっと、苦しいこと、悲しいことを忘れたいから。衝動のおもむくままに体をくゆらせることで、辛い記憶を胸の奥に押し込めたいから。躍るアホウに見るアホウ。同じアホなら躍らにゃソンソン♪ そんな感じ え? 違う?

100209_190010最初の方で文句も書きましたが、全体的に手に汗握らせられる、とてもひきこまれる映画でした。後味も前二作より良かったし。

というわけで、『母なる証明』はまだぼちぼちと全国を巡回中。マザコンを自認する方はぜひご覧になってください。わたしですか? いや違いますよ。な、おかあちゃん(嘉門達夫ネタ)


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February 08, 2010

なまもの地球紀行 ジャック・ペラン ジャック・クル-ゾー 『オーシャンズ』

081120_100611自然系のドキュメンタリーを扱うのは久しぶりですなー 2006年の『ホワイト・プラネット』以来かもしれません。70億をかけて世界の海を撮影したという、『オーシャンズ』、ご紹介します。

地球の実に70%を覆っているという海。カメラはそこに生きる、多種多様な生き物を追いかけます。浅瀬から深海まで。極地から熱帯まで。イグアナ、タコ、クジラ、カメ、カニ、シャコ、イルカ、アザラシ、その他本当にたくさん。そこはまさしく生き物の宝庫であります。そして、わたしたち人間がその世界に及ぼしている影響についても、映画では語られます。

少し前、バジリコより出版されていた『へんないきもの』という本が話題になりました。わたしも愛読しておりましたが、紹介されているうち、半分近くは海を住処とするいきものだったような気がします。それだけ海にはへんてこなヤツラが多いということですね。『へんないきもの』は大変面白い本でありましたが、惜しむらくは写真がほとんどなかったということ。しかしこの映画でそのうちの幾つかを実際に見られたのは僥倖でした。
例えばニューネッシーの正体であったというウバザメ。体長はおよそ12メートルほどもあり、洞穴のようなでかい口をぽっかりと開けっぱなしのままずっと泳いでいます。ネッシーに勝るとも劣らないほどの怪生物といえましょう。
あとその本ではコウイカが体をチカチカ点滅させて獲物を誘う、といった記述もありましたが、それも実際に見ることが出来ました。よく旬のものとして食卓にあがるコウイカは、こんな意外な芸当もできるんですのよ。

以下、印象に残ったシーンをさくさくっと挙げていきます。

クジラいろいろ

やはりスクリーンで見るクジラはでかいですね。実物ほどではないにせよ。重厚なマッコウクジラ、ややグロテスクなザトウクジラ、そして地球最大の生き物であるシロナガスクジラ。続けて見せてくれたので、それぞれの形状の違いがよくわかりました。


海中に突っ込んでいく海鳥

正確な種名は忘れました・・・・ まるで上空から放たれたミサイルがごとく、魚の群れをねらって一直線に潜水していきます。その勢いはまさしくすさまじいの一言でありました。そういえば『ホワイトプラネット』でも「100m潜る」と言われるウミガラスが紹介されていました。


カニカニ合戦

なんでか理由はよくわかっていないのですが、コシマガ二と呼ばれるカニは、ある時期群れを成して海底を移動します。やがて群れと群れとが激突し、積み重なったカニで巨大な山ができます。そうですね・・・ カニが『300』を演じたらちょうどこんな風になるんじゃないかと。本当に数が半端じゃないので、節足動物が苦手な人が見たら卒倒するかも。


ほかにも夕暮れを背に海上をジャンプするイルカや、沈没船の中に築かれている魚たちの王国などは、とても幻想的で一見の価値ありです。

映画では後半、急に環境に関する重いメッセージが語られます。美しい映像に浸っていたところに、突然冷や水をかぶせられたようでした。うーん、確かになんとかせねばならないのですが・・・ この構成に関しては、見る人によって意見が分かれるところでしょう。

090116_183023『オーシャンズ』は現在全国各地で公開中。でっかいことはいーことです。そのでっかさを、ぜひスクリーンで体感されてください。「こういうのだったら、NHKでも見られる」とか言わないで

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February 03, 2010

燃えろファイヤー ジャック・ロンドン 『火を熾す』

100203_172036お久しぶり~の読書記事。今回は一昨年話題を呼んだジャック・ロンドンの新訳短編集『火を熾(おこ)す』をさくさくっとご紹介いたします。

火を熾す
生への執着

まずは表題作と、末尾の一編。両方とも極限状況にあって、なんとか生き延びようとあがく一人の男の姿を描いた作品。ジャック・ロンドンお得意のテーマですね。『白い牙』の冒頭にも通ずるような。
ただこの二編、似ているようで微妙に対になっております。前者が極めてシリアスなムードであるのに比べ、後者はなんだか笑えるのです。これは主人公の命をおびやかすものが方や「寒さ」であり、方や「空腹」であるからでしょうか。
それにしてもツバを吐いたら、冷気のあまり空中でそれが弾けたという描写は、想像するだに恐ろしいものがあります。いまの寒さなんてこれに比べればかわいいもんだ・・・ へくしょい!


メキシコ人
一枚のステーキ

こちらは都会における「戦う男」、および「貧乏」をテーマにした二編。『メキシコ人』はとある反政府組織に属する青年が主人公。組織の金が底をつくと、彼はどこからか大金をもってかえってくる・・・というストーリー。
一体青年は何者なのか、というミステリーっぽい要素に加え、メキシコを搾取するアメリカへの怒りが作品にこめられています。
『一枚のステーキ』は一人のロートルのボクサーが、なんとか生活の糧を得ようと不利な試合に臨む話。巧みなボクシング描写は手に汗握らせます。映画ファンとしては『ロッキー』や『シンデレラマン』などを思い出すところ。
「なんとかして勝ちたい」という男の思いが強く伝わってきて、彼の勝利を願わずにはいられません。果たしてその結果は?


水の子

今度は南洋を舞台にしたおとぎ話。ポリネシアの小船の上で、作者と思しき男は、村の古老からひとつの奇妙な話を聞きます。
それまでシビアな話がつづいただけに、骨休みのようにほんわ~としたムードに包まれました。暖かな海の空気や南国情緒に、心癒される一編。


生の掟
戦争

これまた生と死の狭間を描いた二編。前者はまるで『楢山節孝』のように、部族から捨てられたネイティブ・アメリカンの長老が、迫り来る死を前に物思いにふける話。後者は南北戦争を舞台に、一人の兵士の冒険を描いた話。
先に紹介した二編に比べると、こちらはさらに「死」に対して達観したような、醒めた雰囲気が漂っています。『悪魔の辞典』で知られるアンブローズ・ビアスの作品にも、こんな空気が感じられました。


影と閃光
世界が若かったとき


「ロンドンさんってこんなのも書けるんだ~」と思ってしまう、H・G・ウェルズ的ホラ話。『影と閃光』は「いかに姿を見えなくするか」という発明に熱中する、二人の天才の競争を描いた作品。『世界が若かったとき』は、突然獣人へと変身してしまう若き資産家の悩みを描いたお話。ウェルズというよりかは『ジキルとハイド』といったとこでしょうか。
ほかの作品には文学的というか、人間・命に対する深遠なテーマがうかがえるのですが、この二編からはあまりそうしたものは感じられませんでした。「バカだな~」とニヤニヤしながら楽しませていただきました。


ロンドン氏はその生涯において二百本もの短編を著したそうです。この短編集はその中でも特に優れたものを厳選した決定版といっていいでしょう。これまでに既に訳された短編が多く含まれているのが、その証拠かと。ちなみに表題作『火を熾す』は、『焚き火』という題で幾つかの短編集に収録されています。

081203_173823長々続いたジャック・ロンドン特集もこれにてひとまず終了。だって入手しやすいものは大体読んじゃったんだもん。どこぞの出版社の方、なるたけ安く、なんかまた出してくれませんかねえ。光文社新訳古典文庫さん、どうですか? 『海の狼』とか『赤死病』とか・・・・

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