炭坑節は大河に響いて ヴィターリー・カネフスキー 『ひとりで生きる』
ヴィターリー・カネフスキー「伝説の三部作」第二弾。前作『動くな、死ね、甦れ!』のラストをあらかた割っちゃってるので、その点ご了承ください。
あれから数年後、成長したワレルカは、ガリーヤの妹ワーリャと思いを通じ合うようになる。だが相変わらず無鉄砲なワレルカはまたしても問題を起こし、生まれ育った町を離れることに。
たどりついた見知らぬ土地で、なんとか職を得るワレルカ。彼はそこで希望をつかむことができるのか。
まず驚くのは前作ラストで消息不明だったワレルカ君が、ごく普通にスーチャンの村で暮らしているということ。そして登場するガリーヤの妹ワーリャ。妹・・・・ 妹なんかいたか?
たぶん彼女は「もしガリーヤが生きていたらこうなったであろう」ということで、用意されたキャラクターなのでしょう。
実際には『動くな~』から二年しか経ってないのに、ワレルカ=パーヴェル・ナザーロフ君からはマーク・ウォルバーグらしさがすっかり抜けていて、「子供の成長は早いなあ」ということを実感せずにはいられません。それどころか、ガリーヤを演じていたディナーラちゃんとベッドシーンまで演じている。・・・おじさんはなんだかちょっとさびしいです。
・・・作品全体の印象としては、だれもが叫びまくっていて、シンプルかつ力強かった前作と比べると、こちらはうって変わって物静かで、叙情的なタッチ。色がついたせいか、幻想味の濃いカットが多数ありました。
序盤には『動くな~』にはなかったコテコテなギャグもあります。頽廃した学校の中で、若さのままに暴れまわるワレルカを観ているのはなかなかに楽しい。しかしやがてだんだんとトーンが重苦しくなっていくのは、前作と同様です。以後例によってどんどんネタバレしていくので、お気をつけください。
ワレルカの中には二つの相反する思いが混在しています。故郷で暮らしていたい。遠くへ行ってみたい。愛する人たちのそばにいたい。愛するひとたちのそばにいてはいけない。
そんなワレルカの姿は、故国に帰れたはずだったのに、あえてことを起こして異国にとどまった旧日本兵ヤマモトとシンクロいたします。
前作と同様に、こちらでも懐かしき日本の歌が何度か流れます。よさこい節、炭坑節、富士山・・・ 我々からすればちょっとずっこけるあたりですが、ワレルカにとっては見知らぬ国への憧れをかきたてるような、そんな作用があったのでしょうか。
またしても愛する少女を裏切ってしまうワレルカ。彼を追い込んでいくものは貧しさと、皮肉な運命と、男としてのどうしようもなさと・・・それからなんなのでしょう。とりあえず「共産主義の矛盾」とか、そういうものではないと思います。
付随して思い出した作品を二つ挙げます。アゴタ・クリストフの小説『悪童日記』三部作と、西原理恵子の漫画『ぼくんち』。二つとも劣悪な環境で、アナーキーに生きる子供たちを描いた作品。唯一無二の存在だった二人がやがて分かたれて・・・というところは『悪童日記』を、厳しい現実ゆえに早く大人になることを余儀なくされるというところは『ぼくんち』を思い起こさせました。『ぼくんち』からは他にも共通するところが幾つかありました。サイバラ先生はけっこう映画を観ている方なので、もしかしたらこの辺からの影響もあったのかな・・・と妄想したりして。
ワレルカ少年のお話はひとまずここで幕を閉じます。『動くな~』とこの『ひとりで生きる』がカネフスキー監督の自伝であるならば、続く物語・・・なぜ映画作りを志したのかとか、無実の罪で投獄された経験なども観たかったところですが、もう語られることはないでしょう。また同じ話の繰り返しになる、と考えたのかもしれません。
一方主演のパーヴェル君はその後リアルでワレルカ状態になってしまったようで、その様子は三部作のラストを飾るドキュメンタリー『ぼくら、20世紀の子供たち』(93)で語られます。が、わたしはどうやら観れなさそう。はにゅ~ん いずれまた特集上映があることを願います。
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