たった一人の一号 和智正喜 『仮面ライダー 誕生1971』
本日はわたしが21世紀に入って刊行された書物の中で、もっとも偏愛している「小説」『仮面ライダー』の第一部を紹介します。
時は1971年。城南大学の若き研究助手、本郷猛は、同僚の楠木美代子とドライブを楽しんでいるとき、突然謎の怪物に襲われる。本郷が意識を取り戻した時、彼の体は見知らぬ施設のベッドの上にあった。謎の組織「ショッカー」の魔の手にかかったのだ。
だが本郷の体はまた別の一団の手により、ショッカーから奪い去られる。彼らは自分たちを「アンチショッカー同盟」と名乗った。そしてその奪取の際行われた戦闘で、本郷は自分が改造手術により、計り知れない感覚・膂力を得たことを知る。アンチショッカーの一員らしき男、ハヤトは本郷にこう言った。
「本郷猛、『ショッカー』と戦う人間となれ」
最初の仮面ライダー「本郷猛」を主人公としたリメイク作品には、劇場版『THE FIRST』および『THE NEXT』があります。
が、この作品は時代設定を現代に移し変えたそれらとは違い、原典と同じ1970年代を舞台としております。
そしてこの世界には「仮面ライダー」は彼一人しかいません。
誕生から現代に至るまで、多くの少年たちに親しまれてきたヒーロー「仮面ライダー」。シリーズを重ねるごとにその名を持つヒーローは増え続け、現時点では軽く60名以上はいます。
しかし本来「仮面ライダー」は一人であるはずだったのでした。そうならなかったのは、テレビで本郷猛を演じた藤岡弘の、不慮の事故のため。藤岡氏が撮影できる状態ではなくなったため、スタッフは急遽仮面ライダーには「二号」が存在したことにしてしまいます。この二号が明るい性格で、バチッとした変身ポーズまで決めてしまったことにより、ライダーの人気はウナギのぼり。代替わりによる成功に気をよくしたスタッフは、以後も定期的に新しいライダーを作り続け、そして現代に至っているというわけ。
実は藤岡氏が演じていた初期はそれほど人気があったわけでもないようです。もし彼が事故らなかったら、『仮面ライダー』は『ロボット刑事』や『変身忍者嵐』のような、石ノ森氏が作りあげたマイナーヒーローの一人としてみなに記憶されることになったかもしれません。
で、この作品はオリジナルの最初の方向性どおり、仮面ライダーに二号も三号も存在せず、永遠にただ一人の存在だとしたら・・・という設定のもと作られています。
そんなハードボイルドな設定もさることながら、わたしが心魅かれるのは「ヒーローがなぜ戦い続けるのか」、その理由が古今の作品の中で、もっとも納得のいくものだったから。
以下は作品からの引用。
「人間は寿命が来たら死ぬ。だからといって、病に苦しむ患者を助けることを躊躇う医者がいるか? 火の中にとりのこされた人間を救わず、引き返す消防士がいるか?」「おまえの仕事は、暗闇にとり残された人を救うことだ」
「『ショッカー』を倒すことなんか、二の次でいい」
実はわたしは「正義」という言葉があんまり好きではなくて(笑)。大人になればなるほど、「正義」を名乗る人々の胡散臭さが、ついつい鼻につくようになってしまいました。
実は同じことは石ノ森先生も感じておられたようで、原作版において、ライダーは自分のことを「正義の味方」とは一度も名乗っていません。
そんなひねた大人にとって、本郷猛の「戦う理由」はとても心地よく胸に響いたのでした。
このほかにもわたしのツボにささりまくるセリフやシチュエーションがてんこ盛り。「どうして、なぜそこでこんなにも欲しかった言葉を言ってくれるんだーっ」状態の乱れうちです。アメリカに『ダークナイト』があり、『スパイダーマン』があるのなら、日本にはこの小説版『仮面ライダー』がある。そう自信をもって言い切れる作品であります。
それほどな大傑作にも関わらず、レーベルが消滅したためにこの作品は1部、2部が刊行されたところで、永らく未完となっておりました。が、先日6年ぶりにエンターブレインより完結編を含めた合本版が出版されました(画像は当初出版された第一部)。完結はすっかり諦めていたので、書店にてその本を見つけたときには「うがうあうあうああああ!!」と叫んでしまうところでした
おいおい二部・三部も紹介していこうと思っております。
最後は作中に出てくる、今から38年前に語られたある言葉をもって締めるといたしましょう。
「せめて、見たかったな。もう少し先の世の中を」
「未来は、いい世界になってるだろう ・・・・・・そうだよな」
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