美少女戦隊ヴィヴィアンガールズ ジェシカ・ユー 『非現実の王国で ヘンリ-・ダーガーの謎』
1973年、一人の男がこの世に生を受けました。男の名はSGA屋伍一。彼の存在は世界平和を百年早めたと言われていますが、同時にギャグの歴史を二百年遅らせたとも言われています。
そして同じ年にアメリカのシカゴで、ほとんど誰とて知ることなく、一人の老人がこの世を去りました、老人の名はヘンリー・ダーガー(もしくはダージャー)。大家夫妻は彼の部屋を整理していて、驚くべきものをみつけます。それは15000ページの原稿と数百枚の挿絵からなる物語『非現実の王国で』。ダーガーは一体なんのために、なにを思い、それほどまでに膨大な量の仕事を成し遂げたのか・・・・・
まずは『非現実の王国で』の内容から。子供を迫害する邪悪な王国グランデリニアン。そこで奴隷として虐げられていた七人の姉妹・ヴィヴィアンガールズは、驚異的なモンスターやアビエニア国の助けを借りて、グランデリニアンの軍人たちに果敢に戦いを挑みます。
ダーガーさんのアートは全体的にファンタジックでメルヘンチックであるものの、時に悪趣味で時に残酷。裸の少女にペニスがついていたりとか、内臓をぶちまけて死んでたりとか。そのアンバランスな組み合わせは、異様な迫力を持って見るものの心に突き刺さります。
ダーガー氏は極端に人付き合いを避け、ほとんど仕事場とアパートを往復するだけの日々を送っておられました。後に知られることになるわけですが、彼の人生の中心はアトリエであるそのアパートの一室ありました。ひたすら空想を広げ、絵と文章を書き続ける毎日。言ってみればひきこもり系オタクの元祖みたいなものかもしれません。ただ凡百のオタクと違うのは、彼が萌えていたのは他者が作ったものではなく、自分の作り上げたキャラ・世界だったというところ。
いつも同じ服を着て、ゴミ箱をあさり(資料集めのためだったらしい)、部屋の中で奇怪な声をあげていたダーガー氏は、周囲の人々から少なからず奇異の目で見られていたようです。
昨年末劇場でこの映画の予告を見たときから、彼の存在はわたしの心を強くとらえていました。人はなぜ文章を書き、物語を作るのか。「食ってくため」という人もいるでしょうけど、それを生業にできるのはごくごく一部の人間だけです。
また別の理由として「自分の存在を世に知らしめたい・知ってほしい」というのがあります。自己顕示欲、といってしまえばそれまでですが、こうした欲求は多かれ少なかれ誰の心にもあるものではないでしょうか。わたしがこんなやくたいもないブログを続けている理由のひとつも、その辺にあるような気がします。
また、創作とは関係ないところで、人はどうしても人のぬくもりを求めたがるものであります。それらの欲求を軽く超越しちゃってるこのダーガーさんとは、いかなる人物なのか・・・・ その答えが知りたくてたまりませんでした。
で、作品を見て得た自分の答え。「人はなぜ物語を作るのか」 それはやはり、それが好きだから、でしょう。他人が見る・見ない以前に、想像をめぐらしてストーリーをつむぐこと・・・・ それを生まれながらの欲求としてもっている人々がいます。ことにダーガー氏の場合は好きというより、空想を巡らすことが息をするように自然なことだったようです。証言によると「恐らく寝る時間も極めて少なく、いつも机につっぷすように寝ていた」とのこと。ただの義務感や逃避では、それほどの情熱は注げないはずです。
あと極力人との関わりを避けていたダーガーさんですが、そんな彼にもごくわずかながら心を許していたひとたち、支えとしていた人々がいました。それを知って「やはりひとは一人では生きられないのだな~」ということをしみじみ感じ、ちょっとほっとしたりしました。
もっともこの映画は、わたしみたいに(笑)無理やり答えを出そうとはしません。そもそも主題となってる人物の姓ですら本当は「ダ-ガー」なのか「ダージャー」なのかわからない。さらに彼を知る人たちの証言も、自信を持って言ってるわりにはけっこう食い違っていたりしていて。また『非現実の王国で』の中にも「なんでこんな風にしたんだろ」という謎が無数にちりばめられています。監督はそれらの疑問に関して「ただわからない」と述べるだけ。それがヘンリー・ダ-ガーという人物の正体をいっそう不確かで、幻想味の強いものにしておりました。
友達もほとんどなくご近所から不気味がられてるダーガーさんに、将来の自分の姿を見る思いでした(笑) おらもダーガーさんに負けずに、ひさしぶりに創作活動に励んでみようかしら。
あと狭い範囲で観察したところによると、男の七割はさびしがり屋さんで、三割はナルシストですね。たち悪いのは両方兼ね備えているヤツ。わたしですか? うふふふふ(きんもー)
Comments
SGAさん、こんにちは!
私は、この映画を見て、いろいろなことを考えさせられてしまいましたけれど、
SGAさんも、ハラワタを晒け出していらっしゃって、読みごたえがありました。
ゴッホも死ぬまで評価されなかったのですが、(ゴッホと比べるのはちょっとどうかと思ったので、自分の記事に書きませんでしたけど)
ヘンリー爺も、アーティストとして、人の評価だとかそういうことを考えずに、自分の世界に逃げ続けたんですよね。
私は、近所の人の意見や、不幸だったかどうか、そういうのは、余計なお世話じゃねーかって、映画見ながらずっと思ってしまいました。
あ、でもね、この記事は、とっても良かったですよ。
(最後のキモイ笑顔を除いて・笑)
SGAさんなりにすごく堪能されたのですね♪
Posted by: とらねこ | April 19, 2008 02:48 PM
>とらねこさま
お返しありがとうございました
はらわたさらしてごめんなさい。内臓を見られるのって、ちょっと恥ずかしいですね・・・(ぽっ)
そういえばわたしも「かんしゃくをおこして書いたものを破り捨てた」なんてエピソードに「うーん。ゴッホみたい」と思いました
。あれをみてドンびきしないで、ちゃんと保存しといた大家夫妻は偉いなーと
しかし確かにゴッホに比べると、ヘンリー翁のアートは見る人を選ぶものかもしれませんね
あと「絵を見ましたよ」といわれてヘンリーさんが目をむいた、というくだりはちょっと笑えました
ご存知のようにわたしは流されやすい性格なもんですから、一目を気にせず徹底してマイロードを歩み続けたヘンリーさんの生き様に、ちょっと憧れみたいなものを感じたのでした
>最後のキモイ笑顔を除いて・笑
ショック! 自信あったのに!
(ナルシー?)
>SGAさんなりにすごく堪能されたのですね♪
そうですね。当たり前のことですが、やっぱり人一人の人生は重いな、と。才能に秀でた人ならなおさらですよね
Posted by: SGA屋伍一 | April 19, 2008 08:40 PM
はじめまして。
とらねこさんもSGAさんも、ダーガーの描く少女たち並に
内臓をさらけ出されていて(不謹慎)、刺激になりました!
「なぜ人は書く?」という考察を読ませていただいて。。。
この映画で初めて知ったのですが、
ダーガーは父親に絵本を与えられたり、
読み書きを教わったりしていたのですね。
そうやって教育された人だったから、
自分の思い描く世界を文字で現して
確固たるものとしたいという欲があったのかな、
と気づきました。
TBさせていただきます。
Posted by: 紫式子 | April 20, 2008 01:24 AM
>紫式子さま
はじめまして。ご来訪ありがとうございます
いや~ とらねこさんのはともかく、わたしのはあんまり人に見せられるような内臓じゃないんですけど、「刺激になった」とおっしゃってもらえると正直嬉しいです
そういえば上の記事では父親からの影響についてなんも書いてませんでしたね

たしかにおっしゃるとおりだと思います
仕立て屋さんだったそうですから、お父さんも手の器用な方だったんでしょうね
しかしもし仮に彼のアートをお父さんが見たとしたらなんと言うか・・・ ちょっと気になります
わたしも後ほどお邪魔させていただきます。よろしく
Posted by: SGA屋伍一 | April 20, 2008 07:29 PM