おれたちに国はない コーエン兄弟 『ノーカントリー』
カントリーノー
この道を ずっと 行けば
あの世へと 続いてく 気がする
カントリーノー
アントン・シガーは必殺仕事人である。人呼んで「酸素ボンベのシガー」。ただ彼は仕事でというより、気分で人をばらすことの方が圧倒的に多い。
そのアントンの大事(でもないか?)な仕事料が、組織の抗争のドサクサに紛れて奪われた。盗んだのはたまたまそこを通りかかったルウェリン・モス。いまでこそしがない一低所得労働者だが、かつてはベトナムで「地獄のモス次郎くん」(監督S・キューブリック)と恐れられた男だ。
行く先々で盛大な迷惑をふりまきながら、南部街道を追いつ追われつする二人の男。そしたさらにそのあとを、一人の老保安官がヨタヨタとおいかけていく・・・・
コーエン兄弟の作品は世評高い『バートン・フィンク』と『ファーゴ』を見たことがあります。質の面はともかくとして、両作品とも箱の中の虫を小突き回しているような意地悪さが感じられ、あまり好きにはなれませんでした(と言いながら、『バートン・フィンク』は面白く観ました
)。
で、今回のこの『ノーカントリー』、いま述べたような「意地悪さ」は希薄になっていましたが、一緒にコーエン兄弟の持ち味(だと思う)であるすっとぼけたユーモアセンスまで薄味になってました。
わかるようで、微妙にわからない作品。作品の七割がたは一風変わったサスペンス・アクションとして見ることもできますが、残り三割のところで急に定型を逸脱し、観客をはぐらかします。この辺が「文芸性に富んでいる」「芸術性が高い」と評される所以なんでしょうな。
思わせぶりなセリフや構図もてんこ盛り。果たして自分もどこまでわかっているか怪しいものです。とりあえずそれでもがんばって一生懸命考えてみました。というわけでこっから先はかなり主観が入ります・・・・
まず多くの人の疑問が集中するのは、「なぜシガーが凶行を繰り返すのか」というところでしょう。まるで飯を食うように、屁をひるように人を殺めるシガー。そのくせ彼はいっつも悲しげというか困ったような表情を浮かべております
そんなシガーや最近の恐ろしい事件について考えますと、「ある種のひとびとには、生来『ひとを殺ろさなきゃ』というスイッチが深層心理の中に備わっていて、一度そのスイッチが入ってしまうと、もう自分ではどうしようもないのでは」なんてことを思ってしまいます。ちょうどプログラムの命ずるがままに動く機械のように。
これは非常におっかない考えです。まず、そうであるなら彼らには人を殺す理由なんてないことになる。二つ目にその種の人間がこの世にどれほどいるかわからない。三つ目に「自分にはそんなスイッチなんてない」と証明するのは極めて難しいことだと思われるからです。
そしてアメリカは多くのネイティブやメキシコ人の屍の上に築かれ、その後も内外で大量の血を流し続けてた国です。あるいはシガーはそんなアメリカの裏面を象徴したキャラクターなのかもしれません。
不可解と言えばもう一人の主人公・モスにもよくわからないところがあります。どうもこの男、自ら進んでピンチを招き寄せているというか、自分をその中においやっているようなフシがあります。彼もシガーと同じくずっと仏頂面ですが、ただ一度だけ晴れやかな笑顔を見せる場面がありました。それがわたしにはまるで「ああ、楽しいゲームだったな」と言っているように思えてなりませんでした。
最後に秘宝さんからの受け売りネタをひとつ。
いまを遡ること数年前、コーエン兄弟は『To The White Sea』という作品を企画しておりました。大戦中日本に不時着した米軍のパイロットが、道中出会うジャッピーどもを片っ端からぶっ殺しながら、オホーツク海まで逃避行を続ける、という内容(ちなみに主演にはブラピが予定されていました)。
が、この企画は諸事情で流れました(・・・・)。それでも「出会った奴らは皆殺し、みたいな話やりてえよなー」と兄弟が悶々としていたころ、ちょうど目に留まったのがこの映画の原作『血と暴力の国』だったんだとか。
コーエン兄弟・・・・ つくづくおそろしかヤツラです。
みなさんもどうぞ、警戒を怠りませんよう。
ところで
←コレ
珍しく上手に書けたと思うんですが、どうでしょう。






















































