イジメとイマジネーション ガボア・クスポ 『テラビシアにかける橋』
振り返れば今月は人が食われる映画か人を食ったような映画しかみていませんでした。ので、締めは心温まる感動作を。
全世界が涙したという名作文学を映像化。『テラビシアにかける話』です。
家ではいけてない家族に始終文句を言われ、学校ではいじめっ子にこづかれてばかりいるさえない男の子のジェス。彼の慰めはスケッチブックに自分の空想を描くことと、美人の音楽の先生だけだった。ある日転校してきた風変わりな女の子・レスリーに徒競走で負けたジェスは、なけなしのプライドまでずたずたにされてしまう。
しかしレスリーに類まれな文才があることを知ったジェスは、彼女の家がすぐ隣ということもあり、次第に親しい友情を築いていくようになる。近所の森の奥深くを、架空の王国になぞらえた彼らはそこを「テラビシア」と名づけ、さまざまな想像をめぐらせる。
「僕は絵を描く。君は文を書け。そして藤子不二雄みたいなビッグな作家になるんだ!」
だが彼らの行く手には、想像を絶する試練が待ち受けていた・・・・?
実はこの映画、あまり素直に楽しめないものがありました。それはまったくワタクシ的な理由によるものです。そんなわけで今回はほとんどどうでもいい自分語りです(またかよ)。
この映画の主人公のジェスくん、わたしのしょぼ臭い少年時代と重なるところがたくさんあるんです。
列挙してみますと
・自分が兄弟の中で一番割りを食ってるように思えた
・姉ちゃんのお下がりを持ってかされてからかわれた
・イジメラレッ子というほどでないにせよ、学校ではよく小突かれる方だった
・体格のいい女子が無理を言ってきても逆らえなかった
・よく漫画のネタやら発明のアイデアやらをノートに書きとめていた
・そんでそれを勝手に読まれて「へたくそ」とか言われた
・「こんなチンケなところいつか出てやって、都会でビッグになってやるんだ!」と野望に燃えていた
・ボロボロの木のウロを秘密基地に見立てて悦に入っていた
・・・・えー、映画とは多少異なる部分もありますが、まるで自分のどんくさい子供時代のトラウマを次から次へと回想させられるようで、「お願い! もう勘弁して!」と拉致監禁された乙女のように、身もだえしながら鑑賞することになったのです(笑)。
レスリーのように、まるで男の子みたいに快活な女子の友達も、一応いました。本当に「女の子」と意識させない、「気の合ういいヤツ」みたいな。ただ彼女と私の家は遠かったので、ジェスとレスリーのように毎日二人っきりで遊ぶということはできず、彼らほど仲良くもなれませんでした。その点はジェスとレスリーが少し羨ましく思えました。ちなみにその「友達」はもう何年か前に結婚し、いまは愛知の方で元気にやっているそうです。
あとわたしは自分のノートを誰かに見せるなんてことはとても考えられなかった。それはジェスよりもずっと絵が下手だったからだし、子供の癖にずいぶんかっこつけたことも書いてあったから。だから勝手に見られると恥ずかしさのあまり、烈火のごとく怒り狂ったものでした(笑)。
あのノート、いまでも実家の屋根裏のどこかにあるんだろうな・・・・ 見てみたい気もしますが、悪い夢でも見そうな気がするので、やっぱり忘れることにします。
なんとなくネガティブな記事になってしまいましたが、客観的に見るならばとてもいい映画だと思います。なんだかんだ言って泣き所ではけっこう泣かされたし(笑)。特に子供たちに見てほしい。周りにある自然、友達、そして君たちが持つ想像力は、とっても大切な財産なんだ・・・・ということをこの映画を通じて知ってもらいたい。きっと世の中にはそのことに気づいていない子供たちもたくさんいると思うから。かつてのわたしのように。
自分の周りを理想郷とするも、牢獄とするも、結局はイマジネーション次第・・・・ そういうことですよね?
書きおえてみれば、またかなり恥ずかしい内容になってしまったな・・・ 最近羞恥プレイが癖になってるのかしら。やばいっす(ああせっかくいいことかいたのに)

















































