山田風太郎に関しては色々言わせてもらいたい⑲ 『柳生忍法帖』
忘れたころにやってくる山風コーナー。今回は初心に帰る(なんで)という意味で、わたくしが一番最初に読んだ山風作品であり、現在コミカライズ『Y十M』が連載中の『柳生忍法帖』をお送りします。
暴虐の君主として名高い会津の加藤明成。彼は配下の「会津七本槍」を用いて、自分に逆らった家老・堀主水ゆかりの女たちを、次々と手にかける。だが将軍の孫娘たる千姫の制止により、なんとか七人の女が生き延びた。千姫はこの復讐を彼女らの手で果たさせてやりたいと願うが、仇の「七本槍」はみな人技を越えた奇怪な武芸を有する者ばかり。 たおやかな女人たちが太刀打ちできる相手ではない。そこで千姫は一人の男を彼女たちの武芸指南役として呼び寄せる。その男の名は、柳生十兵衛三厳・・・・・
会津といえば幕末において最後まで徳川に忠誠を尽くした藩として知られていますが、その初代藩主・松平正之の前に、加藤という一族が支配していた時期がありました。これはその時代のお話。
主人公は柳生十兵衛。彼に関しては将軍家光の武芸指南役であったのに、まったく手加減をせず、家光をコテンパンにうちのめしたため、将軍家の怒りを買いクビになったという話が残っています。おとうさんの必死の根回しを一瞬にしてパーにしてしまう息子。笑えますね。
こうした十兵衛の気質を「融通の利かない剣術バカ」と見るべきか、あるいは「ついつい権力に逆らってしまう反骨の男」と見るべきか。とりあえずエンターティメントにおいては断然後者の方がかっこいいに決まっております。こうして、山風ワールドにおける最大最強のヒーローが誕生いたしました。数ある山風キャラクターの中でも、三本もの長編の主役を勤めているのは彼だけです。
「わずかな女人さえ守れぬのであれば、徳川幕府など存在する価値がない」
天下の江戸幕府にさえ、臆することなく傲然といい放つ十兵衛。このセリフについて作家の田中芳樹氏は、「まず現実的にありえない」と評していましたが、お稽古とはいえ最高権力者をも容赦しない柳生十兵衛ならば、これくらいのことは言いそうな気がします。ついでながら、田中氏は「柳生十兵衛というのは、もう山田風太郎が作り上げた伝説の剣豪ということでいいのではないか」とも述べております。こちらは素直に賛同したいところです。
この十兵衛の豪放なキャラクターもさることながら、自分が直接戦うのではなく、美女たちのサポートに徹するという設定が独特です。また悪役の「会津七本槍」、こいつらが七人とも変った芸・容姿・名前を持ち、大変覚え易く面白いやつら。大道寺鉄斎(鎖鎌)、 平賀孫兵衛(槍使い)、具足丈ノ進(犬使い)、 鷲ノ巣廉助(強力)、司馬一眼坊(鞭使い)、 香炉銀四郎(投網漁)、漆戸虹七郎(隻腕の剣士) ・・・・と、なぜかみな名前が五文字でそろっているのがご愛嬌です。
一方で難点・・・というほどでもないにせよ、ちょいと「うむ?」というところを。
まずこの話、「忍法帖」特有の悲劇性があまり感じられません。忍法帖の主人公というのは登場した時点で「かわいそうな目に遭う」というのが保証されてるようなものですが、この作品における十兵衛にはそういう暗い面がまったくない。最初からコメディ調のものは例外として、これほど爽快な忍法帖は大変珍しいです。
もひとつ。この作品「忍法帖」と銘打っているのに、忍法の出番がほとんどない(笑)。一応ちょびっと出てくることは出てきますが、どちらかといえばメインは「忍法」ではなく「武芸」。でも『柳生武芸帖』にしてしまうと五味康祐氏の名作とかぶってしまいますしねえ。
しかしまあ、反権力的な姿勢とかゲーム的な戦闘形式、そして何より貪欲な娯楽性などは、紛れも無く忍法帖のそれであります。
前にも書きましたけど、わたしが最初に手に取った版は、毎日新聞社から「柳生十兵衛三部作(トリロジー)」と銘打って出されたものの第一弾でした。そこに書かれていたコピー・・・・「非道の権力者に天誅を。淫虐の魔王・会津四十万石加藤明成に立ち向かう若き剣侠・柳生十兵衛。」・・・・にはコテコテながら、ハートにビリビリくるものがあったんですねえ。
その後も色んな版が出てますが、現在では講談社文庫のものがお手軽かと存じます。
Comments
こんにちは。<日曜にシャバに出てきた
ありらりら。SGA様も最初に読んだ山風がこれでしたか。
私も、あちこちに書いているように、最初がこれでした。でも山風の最初、というより、当時柳生十兵衛ものをまとめて読んでいて、買いたい本をリストにして書店に持って行ったら、
「…何かの研究ですか?」
と言われた、そんな時代でした。ネットで本なんか買えなかったし、某○マゾンみたいに次々とオススメ本が出てきたりしなかったし。
とまれ、当時はワタクシも高校3年の春、17歳になったばかりのうら若き乙女でありましたよ。そして十兵衛は初恋の人でありましたよ。
当時は山風の作風なんぞ全く知らず、この『柳生忍法帖』でも、十兵衛はやっぱりかっこいいなという確信を深めただけで、ストーリーとしては確かに破天荒であり、残ったのは「白」と「赤」の色の強烈な印象でした(白は女性の肉布団(笑)の肌、赤は血)。
哀しい忍法帖じゃないから記憶にあんまり残らなかったのか、当時もし哀しい話を読んでいても、感じ取るには私が幼すぎたのか、今となってはわかりません。
当時読んだのは何文庫だったか…百鬼丸さんの切絵調の表紙が良かったですね。
(それにしても田中芳樹、人の作品にはまともな批評してるな(笑))
で、その次の山風作品がいきなり『柳生十兵衛死す』(これも百鬼丸さん版表紙が好き)でしたねえ。これは何方かが言ってましたが、確かに、山風作品の中では最後に読むべきものでした。でもあくまで「山風」ではなく「柳生もの」として読んでいたので、当然これになったわけです(『魔界転生』は当時全然話題になってなかったので、十兵衛ものであることすら知らなかった)。
確かに最後に読むべきもので、当時の私にはとんと良さがわからず、山風は時々店頭で見つけてパラパラと読んでは、トンデモ忍法(筒枯らしとか)をよくもまあ考え付く人だなあという記憶しか…
大人になって、他の哀しい忍法帖も全部読んだ後に初めてこの『死す』を読んで、正に圧巻、口が顔の半分ほどに開きっぱなしになりました。
ちなみに、この『柳生』の加藤明成って、確かに私の中では初めて知った会津藩主ですが、会津に行くとおっそろしく存在薄いですね。若松城内の展示にも、ほんの一時期の領主としてしか書かれてなかったような…まあホントに、作品にあるような暴虐の君主だったら当然ですけどね。
そもそも、会津をもらって、故郷の若松から「会津若松」と名づけ、切支丹にもなった蒲生氏郷と(レオ氏郷記念館ちゅうのもある)、保科正之の後はいきなり戊辰戦争なのが会津。これは加藤明成がどうとかじゃなく、会津の歴史そのものがいきなり保科から幕末まで出番がない。徳川草創期の次がいきなり幕末~明治のレトロ風味なんですなあ。そりゃ観光も厳しい…と思います(会津の方済みません、でも私長州人じゃないんでまた行ったら泊めて下さい)。
ちなみに、峰隆一郎(ホントに、某巨匠と紛らわしい名前である)の柳生十兵衛シリーズの最初の方では、出奔に際し、オヤジの宗矩に、
「上様に尻でも狙われたか」
と笑われてます。一応、最初は知恵伊豆同様、家光の小姓上がりでもあったらしい(知恵伊豆の方は無事にジャ○ーズ事務所の掟の如く、最初は尻貸して出世したんかいのう)。
五味康祐作品では、オヤジの命令で出奔を装って諸国探索に出たらしい。
ぐっと下がって、時代劇「将軍家光忍び旅」(古いな)では、身代わりにコロッケを立ててお忍びの旅をする家光の護衛でくっついてます(by勝野洋)。
で、あれほどの剣豪ながら死因が不明、故郷で殺されたというだけなので、『柳生十兵衛死す』というトンデモ傑作が生まれたわけですな。
山風作品があろうがなかろうが私の中で彼はヒーローなのか。今や山風作品なくしてヒーロー像はないのか、それも今となっては自分の歴史の埃のどこかに埋れてます。
Posted by: 高野正宗 | March 28, 2007 11:17 AM
退院おめでとうございます
>最初に読んだ山風
まあわたしの場合ハッタリに弱い人間なもんで「驚天動地の三部作!!」みたいな売り文句にコロッとやられてしまったわけですよ
そういえば当時は本の情報といえば新聞や小説誌の書評なんかから、コツコツ拾っていくしかありませんでしたねえ。『本の雑誌』や『ダ・ヴィンチ』が創刊されたときは「ようやくこういう雑誌が」と思ったものでした
>残ったのは「白」と「赤」の色の強烈な印象でした(白は女性の肉布団(笑)の肌、赤は血)。
頭に鮮明なイメージを植え付ける文章。山風の本領ですね。でもあえて突っこませてもらえるなら、「白」は雪の方じゃないですか? エッチ!!(失礼)
で、『柳生十兵衛死す』は買ってあるけどまだ読んでません。原型である『忍法創世記』よりも数段レベルアップしてる・・・と考えていいのでしょうか
>加藤明成
調べてみて知ったことですが、ケンカして逃げ出した家老を、おっかけて殺したという話は本当のようですね。どこを見ても「暗愚」ということで評価が一致しております
>お尻
隆慶一郎の『柳生非情剣』では、弟の友矩がそういう役回りであったと書かれています。戦国の気風(笑)がまだ残っていた時代ということですね
十兵衛も色々小説のネタにされてるようですが、結局山風の十兵衛を越えるものはないんじゃないでしょうか。宮本武蔵の引き立て役みたいにされてることも多いですね
>
Posted by: SGA屋伍一 | March 28, 2007 08:58 PM