山田風太郎に関しては色々言わせてもらいたい⑰ 『エドの舞踏会』
これはだいーぶ前に読み終えてたんですけどね。『幻燈辻馬車』を読み終えてからにしようと思って。理由は後ほど説明します。
後の海軍大将・総理大臣である山本権兵衛は、上官である西郷従道から奇妙な任務をおおせつかる。政府が企画した鹿鳴館の舞踏会に、参加を渋っている夫人たちをひっぱり出してほしいというものだった。惚れた女を遊郭から強引にかどわかすほどの豪傑も、こうしたデリケートな仕事にはただ困惑するばかり。それでも彼はダンスの指導者である大山巌夫人とともに、明治の大物たちの家庭を地道に回っていく。
そんなわけで山本氏は主人公というよりか狂言回しですね。主人公はそのエピソードごとにスポットがあたるマダムたち。章題も「井上馨夫人」「伊藤博文夫人」という風になっております。明治ものの中でも特に「女性」「妻」をテーマにすえた作品といえるでしょう。
冒頭で西郷弟の「綺麗に着飾ってはいるものの、こないだまで芸者・花魁だった人たちがどれほどいるか」なんてセリフがあります。「人間は口から肛門までの一本の管」ということを山風は言っておりました。それじゃ幾らなんでも即物的すぎ、とは思いますが、ようするに「人間はみな同じ。生まれは関係ない」みたいなことが言いたかったんじゃないでしょうか。外見はいくらでも繕える。でも真に気高いかどうかは、生まれではなくてその生き様が決めるもの。誇りのため、あるいは夫のため、懸命に生きる八人の夫人の物語を読んでいると、そんな風に感じられます。
この作品は、できれば『警視庁草紙』『幻燈辻馬車』のあとに読んだほうがよろしいかもしれません。なぜなら『エドの舞踏会』はこの二作品と登場人物が多数重複しているからです。
たとえば『警視庁~』で井上馨と紙幣偽造事件がからむエピソードがありましたが、「井上馨夫人」ではその後のことが語られています。同様に「黒田清隆夫人」は「春愁 雁のゆくえ」(『警視庁草紙』所収)の、「伊藤博文夫人」「大隈重信夫人」は「開花の手品師」(『幻燈辻馬車』所収)の後日談としても楽しめるでしょう。さらに山本氏と共に狂言回しを務める大山捨松はやはり『幻燈~』の「鹿鳴館前夜」でも姿を見せていますし、「陸奥宗光夫人」では「明治もの」でよく名前が出てくる三島通庸が登場します。
川路利良にしろ原胤昭にしろ、山風作品では同一人物なのに出る作品によって微妙に性格が違う場合が多々ありますが、それも山風の狙いなのやもしれません。同じ人間でも年を経ていけば性格は変るかもしれないし、少し角度が違っただけでも、印象がガラリと変わることがあります。井上・黒田も『警視庁~』では極悪人のような印象を受けますが、『エドの~』を続けて読むならば、また少しイメージが変るかもしれません。
そんな『エドの舞踏会』、ちくま文庫より少し前に出てましたけど、今はまた入手困難な様子。ネットで古書サイトを探してみてください。実は先日某O市のブックオフでみかけたんですが・・・・
Comments
以前一度コメントさせていただいたんですがブラウザ不調で送れませんでした(汗)
私は『エドの舞踏会』は、『警視庁』の後に読みました。
明治物は著名人が重複して登場するストーリーが多く、しかも作品によって
同じ登場人物でも全く性格やイメージが違っていたりして、山田の解釈の広さに
驚かされますよね。
同じ登場人物を扱いながらいかに様々な物語が作れるか、
さすがストーリーテラーと呼ばれるだけあるなあと関心しっぱなしです。
Posted by: みずぐきまり | December 09, 2006 11:07 PM
>ブラウザ不調で送れませんでした(汗)
たぶんココログがメンテに入っていたからだと思います。二度手間になってしまい申し訳ありませんでした
>同じ登場人物でも全く性格やイメージが違っていたりして、山田の解釈の広さに
驚かされますよね。
ですね。上にも書きましたが、『明治断頭台』を読むと冷徹な川路大警視にもこういう時代があったんだな・・・と。原胤昭も『地の果ての獄』と『明治十字架』ではやや印象が異なります
前のことはすっかり忘れて書いてた、という可能性もありますが、ファンとしては「これも計算のうち」だったと信じたいところ(笑)
作品の枠を越えて色々つながりを見つけられるのが、「明治もの」の面白いところですね
Posted by: SGA屋伍一 | December 10, 2006 09:31 PM