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November 26, 2006

大きなモノまで ベルナール・ウェルベル 『蟻の時代』

20061124203654_1前作のレビュー
http://sga851.cocolog-izu.com/sga/2006/09/post_b115.html
を読んで、どれほどの方が興味をもってくださったのか、いささかこころもとありませんが、本日はおフランスの奇天烈小説『蟻』の続編をご紹介いたします。

不可解な連続失踪事件の記憶がまだ生々しいフォンテーヌブローで、またしても奇妙な事件が発生する。密閉された部屋の中で怪死を遂げた兄弟。死因は毒物によるものだったが、これは事故なのか? 他殺なのか? 若き警視ジャック・メリエスは、事件の謎を追う。
一方同じエリアにある蟻の都市ベル・オ・カンでは、新女王シリ・プー・二(変な名前)が反逆者たちに頭を悩ませていた。彼らを操っているのは、どうやら「指」という怪生物らしい。女王は「指」を征伐すべく、朋友で経験豊富な探検家の103683号(後に長いので103号に短縮)をリーダーとした十字軍を結成する。十字軍の成果やいかに。

SFではファースト・コンタクトものというジャンルがあります。異星人と地球人が初めて遭遇したらどうなるのか?その状況をシミュレートした作品群のことをそう呼びます。しかしわざわざ宇宙へ行く、あるいは来てもらわなくても、地球にも異なる文化を持った生命が存在しているのです。そいつが、まあアリさんなわけですけど。
もっともアリさんたちは我々の全体像が未だにつかめていなくて「指」なんて呼んでくれてますし、こころないガキどもがその命をもてあそんだりするので、すっかり人類に不信感を抱いている模様。果たして両者の間にコミュニケーションは成立するのでしょうか。

わたしが持っている版には「『蟻』を読んでなくても楽しめます」なんて書いてありますが、前作の登場人物・登場アリが引き続き出てきますので、やはり『蟻』のあとにトライすることをおすすめします。
可憐なヒロインだった56号は、腹の肥大化とともにすっかり「女王様」的な性格に変貌を遂げ、彼女に萌えていたわたしは少々失望いたしました。一方おばさんなのに男らしい103号は相変わらず。今回は旅の仲間に各種のアリはもちろんハチ、カブトムシといった仲間までひきつれ、さらにファンタジックな冒険へわたしたちを誘います。

加えて今回もミクロの世界における楽しいウンチクが満載。一例をあげるなら「肝臓ジストマ」という寄生虫に関して。羊の中に住むこの生物の卵は宿主の中では孵化せず、フンと共に外へ出てから幼虫となります。この幼虫はさらにカタツムリに食われ、アリをひきつける粘膜をまとってまた外に出ます。そして今度はアリに食われ、アリを上手に操縦してやっと羊の体内に戻ります。一体なんでこんなにややこしいサイクルが必要なのか? ムシの世界はまことにナンセンス・オブ・ワンダーです。

2006112420380320061124203838画像はわたしが持ってるジャンニ・コミュニケーション版ですが、やはり現在は角川文庫版のほうが入手しやすい模様。『もやしもん』などで微小な生き物に興味を持たれた方は是非どうぞ。そして物語は文庫オリジナルである『蟻の革命』へと続きます。

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Comments

私もちょうど今日、『蟻の時代』を読了しました。
(『~革命』はまだ)

感想を書かせていただこうとおもうのですが、
「さっくりバージョン」と「じっくりバージョン」
どっちがよろしいでしょうか?

Posted by: 秦太 | November 26, 2006 11:29 PM

よかった・・・ 一人いらっしゃった>興味を持ってくれた人

そりゃあもうこってり濃厚なやつを(笑)
大変でない程度でかまいませんので

Posted by: SGA屋伍一 | November 27, 2006 09:41 PM

お待たせしてしまいました。
お言葉に甘えて、長々と書かせていただきます。
なお『蟻』『蟻の時代』とも、図書館に返した後なので、多少の記憶違いはあるかと思います。

先に、ネガティブな感想からまとめて書いちゃいましょう。

第一に指摘しなければならないのは、翻訳についてです。
訳者はきっとフランス文学の翻訳にかけては一流の人たちなのでしょうが、(訳者あとがきに正直に書いてあるように)生き物については門外漢で、生物名の誤訳・珍訳がむちゃくちゃ多いです。

例えば作中に「スリポンタケ」という謎のキノコが登場しますが、正しくは「スッポンタケ」です。
単なる誤字、ではすまされません。
なぜならこれにより、あまり資料を調べず訳していることが推測できるから。
辞書で名前だけ引いて書き写すから、こんな間違いをするんです。
私が5年前に撮ったスッポンタケの写真がこちら↓
http://photos.yahoo.co.jp/ph/aaoe/vwp?.dir=/420a&.dnm=5e38.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t
ね、実物の画像を見たら"スリポン"じゃなく"スッポン"だと、一目瞭然でしょう。
野生動物の物語を訳すんだから、知らない生き物についてはせめて市販の図鑑くらい参照してほしいものです。

こういう明らかな誤訳以外にも、ヘンテコな所がたくさんあります。
アリに寄生する蜂(たぶん針の穴を通るくらいの微小種)を「スズメバチ」と訳す蛮勇にはクラクラきました。

最低なのが、「アブラムシ」です。
ご存知のとおり、「アブラムシ」は「アリマキ」と「ゴキブリ」に共通の和名です。
信じられないことに、訳者は両方とも「アブラムシ」と訳しています!
しかも気まぐれに「アリマキ」、「ゴキブリ」と別々の和名も使ってみたりもしている!!
こればかりはもう、生物知識以前の問題だと思います。

あとがきによると、訳者は翻訳にあたり奥本大三郎氏に助言を仰いだそうですが、ほんとは奥本氏が訳されたらよかったんですよ。
当代随一の昆虫好きにしてフランス文学者なんだから、最適任者です。
(ただし次に書く理由から、奥本氏がこの本を訳す気になるかどうかは、やや疑問ですが…。)

Posted by: 秦太 | December 04, 2006 12:31 AM

第二の問題点。
まぁ訳者はしかたないとして、作者ベルナール・ウェルベル氏の見識はどんなもんでしょうか?
著者略歴には過去に科学雑誌の記者をしていたとあります。
残念ながら、それにしては科学的な知識・思考方法が身に付いていないようです。

もちろん小説なんだから、何もかも現実の自然界と同じでなくてもかまわないし、作中のアリが現実のアリと違っていてもいいでしょう。
でも、フィクションでも「わかっている人」ならこんなことは書かないぞ、という描写が、この小説には沢山あります。

2例だけ挙げます。

作中、フランスで郵便物に紛れ込んだ赤アリが遥かネパールに運ばれ繁殖する、という挿話があります。
ネパールでフランス産そっくりのアリを発見した研究者は、おおいに悩んだ末、「たまたま似た形のアリがいたんだろう」と結論しましたとさ…って、ちょいまたんかいコラ!!
あまり専門家をナメないでいただきたい。
同種らしき生物が異常に遠隔な地域で発見されたら、生物学者なら真っ先に人為的移動を疑いますよ。
だって実例は、過去にいくらでも確認されているんだから。
「他人の空似」ですませるなんて、絶対にない!

それから、作中に何人もアリを研究する人物が登場しますが、"吸虫管"を使う描写が一度もないのはどうしたことでしょう?
吸虫管は、小型昆虫の調査に重宝するアイテムで、私も自作の吸虫管を長年愛用しています↓
http://photos.yahoo.co.jp/ph/aaoe/vwp?.dir=/420a&.dnm=fe6c.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t
アリのような小型昆虫を、生きたまま傷付けずに扱う際には、必須のはず。
吸虫管を使わないもんだから、専門家のハズの登場人物も、アリの取り扱いがヘタクソです(『蟻の時代』終盤のドタバタなんか特に)。

こういう不自然な描写を散見するにつけ、この人、生物系大学生レベルの科学知識も怪しいんとちゃうかと疑ってしまいます。

Posted by: 秦太 | December 04, 2006 12:35 AM

第三の問題点は、第二と密接に関連する、作者の自然観についてです。
私は、どうにもこの人の描くアリの世界には、違和感を覚えます。
一言でいえば、アリなのに人間的すぎます。

電子計算機に例えれば、人間=パソコン、アリ=電卓くらいの差異があると思います。
人間から見たアリの不思議さとは、「電卓がより集まって、一見してパソコンなみの複雑なことをやってのける」(我ながらヘタな例えですが)そういうことでしょう。
作中のアリ、あれはもう、電卓よりパソコンに近いです。MSXかファミコンベーシックくらいでしょうか(笑)

『蟻』の最後の方に、「アリは、共産主義者でも無政府主義者でもなく、なによりもアリそのものなんだ」というような台詞がありました。
この小説で一番好きな言葉です。
しかし残念なことに、作者はアリをそのように描く事ができませんでした。

作中のアリは、個体毎に明確な個性があり、化学物質で記録するには複雑すぎる情報を交換し、世代を越えた伝承を共有し、長時間の記憶を保持し、抽象的な概念を思考し、未来を予測して行動を選択し、異種他個体とさえ高度な会話を交わします。
要するにそれは、擬人化したアリに過ぎません。

アリの社会は驚くほどに人間社会と似ており、また途方もなく異なるもの。
だから現実のアリは、この小説に描かれたアリよりも、もっともっと奇妙で魅力的な生き物です。

私はそんなアリの挙動を、天体運動のように、化学反応のように、あるがままの姿で記述する小説を読んでみたく思います。
しかし生き物を主人公にしたフィクションで擬人化を排することは、本当に難しいようです。
先日話題になった漆原友紀さんの『蟲師』は、その稀有な成功を収めた傑作だとつくづく思いました。

ヒトとアリの社会の決定的な違いは、前者のみが文化的遺伝子(ミーム)を発達させている事でしょう。
ヒトは核酸の遺伝情報によらず、脳の記憶と思考によって自身の性質を変化させ、それを世代を越えて伝達する事ができます。
「アリはなによりもアリ」であるためには、ミームを発達させてはいけなかったのです。
しかしるにウェルベルは、ついにミーム導入の誘惑に勝てませんでした。
『蟻の時代』では、ついにミームの象徴というべき、化学物質で情報を保管するアリの図書館まで登場してしまいます。
あるいは「アリに文化が導入されたらどうなるか」という思考実験が作者の主眼だったのかもしれません。
しかし作者は、2作品ともこれからという所で女王を退場させてしまい、その試みを自ら中断させてしまいました。
残念です。

思うに、擬人化を排する鍵は、進化的視点の導入でした。
ベル・オ・カンの女王たちが行ったような改革は、アリ(を含むヒト以外の全生物)においては、繰り返される世代交代を通じて、進化によって獲得されるものです。
僭越ながら、もし私がアリをテーマに小説を書くなら、100万年、1000万年オーダーの、アリの進化の歴史を描こうとするでしょう。
『蟻』『蟻の時代』にもアリの進化について多少の言及はありますが、その内容は目的論的・通俗的なもので、作者が進化に対し理解も関心も薄いことを感じさせます。

進化的視点を欠くかわりに持ち込まれているのは、神秘主義的なアリ賛美と人間文明批判です。
『蟻の時代』では、地下世界でアリと共生することを選んだ人々が、アリを模倣したアリ人間になっていきます。
アリがアリであるように、ヒトはヒトなのであって、むやみにアリの真似をしても上手くいくはずがないのに…。
『アリの時代』の最後に、103号が人間社会を批判する大演説をしますが、あれはもう著者が自分の信条をアリに言わせているだけで、ちっともアリらしくありません。
この辺、正直言って、読んでいて気持ちが悪かったです。
(あんまり詳しくないのですが)どうも著者はニューエイジ思想というやつに変にかぶれちゃってる気配を感じます。

Posted by: 秦太 | December 04, 2006 12:41 AM

はい、散々にケナしてしまいました。
でもご心配なく、2作品とも最後まで読んだんです。
面白くなければそこまで付き合ったりはしませんよ。

良かった点その1
そもそも、上に書いたような問題点は、裏返しに本作の魅力になっています。
突っ込みどころ満載というのは、トンデモ本的に美味しいということですもんね。
コラム的に挿入される「相対的かつ絶対的知識のエンサイクロペディア」。
これがまた、ホラばっかり吹いててぜんぜん信用できない代物ですが、どこまで本当か検証したり、元ネタを推理したりするのは刺激的な知的トレーニングになります。

その2
作者のアリにかける思い入れと、知識量、それを小説に盛り込む力技は、素直にすごいもんだと思います。
全体を通してみると、SFとしてもミステリーとしてもどうかと思いますが、個々の場面の描写は確かに奇想に富んでいて面白い。
赤アリと小型アリの大戦争、有性アリたちの婚姻飛翔、シロアリの巣への探検行、アリとヒトの直接対話etc.
読み終えてみると、お話の流れよりも、場面場面の印象が鮮明です。
どこかで覚えのある感覚。荒俣宏の『帝都物語』の、あの強引な博覧強記の面白さに似ているように思います。

その3
欧米人の書いた小説をほとんど読まない私にとっては、この作品に登場する人間たちは、ある意味アリ以上に奇妙な存在でした。
実際へんですよ、この人たち。
会話の流れとか、人間関係とか、やはりどうも日本人とはだいぶ違うようで、興味深かったです。

まぁもちろん、アリで小説書こうと企むなんて手合いは、フランス人の中でもよほどの変人に相違ありませんので、ウェルベル氏や彼の作品の登場人物をフランス人の典型のように考えては、フランス人もいい迷惑でしょう。
でもそれでも、やっぱり日本人じゃこうは書かないな、という点はいろいろありますよね。
「指」の脅威に対してアリが反抗する、までは分かるけど、それが十字軍結成というスタイルをとるのは、ちょっと思いつかないですよ。
私にはよく分からない「コミューン」というものに、何か深い憧憬を抱いているらしいのも、フランス人的と言っていいのかな?
なんにせよ、未知の世界をかいま見せてもらいました。

Posted by: 秦太 | December 04, 2006 12:46 AM

最後に、2つオマケです。

オマケ1
『蟻』前半に赤アリたちと激闘を繰り広げるライバル、「小型アリ」。
小さいけれどタフで狡猾なアイツらは、作中で遠い国からやってきた事が暗示されていました。
この小型アリのモデルは、「アルゼンチンアリ」に間違いないと思います。
アルゼンチンアリはその名が示すとおり南米原産のアリですが、現在世界征服を遂行中です。
フランスでは、すでに広大な土地が彼女らの金城湯池と成り果てました。
日本にも、1993年に進入してしまいました。
http://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/kankyo_seikatsu/argentina/index.html
本当に「指」と戦争をしているのは、主人公たち赤アリではなく、脇役小型アリなのです。
しかも、勝利を収めつつあるのは、我々人間ではなく、小型アリの方です!

オマケ2
『蟻』に登場する「6本のマッチで4個の正三角形を作る」というパズル、SGA様は解けましたでしょうか?
私はダメで、作品内で示された正解にはたどり着けませんでした。
でも、他の解答なら3種類も考えついたんですよ。
そのうち1種類は、『蟻の時代』で登場したパズルの答えと同じでした。
残りの2種類は、実際に作ってみましたよ↓
http://photos.yahoo.co.jp/ph/aaoe/vwp?.dir=/420a&.dnm=db37.jpg&.src=ph&.view=t&.hires=t
おあとがよろしいようで。

乱筆乱文失礼いたしました。

Posted by: 秦太 | December 04, 2006 12:50 AM

予告どおりじっくりこってりありがとうございました
覚悟はしていましたが、やはり専門の方からみると色々問題点があるようですね・・・・

まず
>訳
>作者
に関して。ウェルベルさんは科学者としてではなく、アマチュアのアリ好きのファンタジー作家としてとらえたほうがよいということですかね。
「スズメバチ」に関しては「フランスのスズメバチはそんなことすんのかなあ」くらいに考えてましたが・・・ イモムシに卵を産み付けるジガバチの仲間を誤訳したのでしょうか

>作者の自然観
確かにアリがこんなに短期間で文化を着々と拾得していけるのであれば、いまごろとっくに人類はやつらに淘汰されてしまったことでしょう。その辺はわたしも「強引だなあ」と思いながら読んでおりました。これがそれこそ宇宙から飛来した謎の生物であれば問題ないのでしょうけど

秦太様は蟻の実態について詳しく知っているだけに、本書での「擬人化」が気になったようですね。わたしなぞは「地球上に全く異なる知的生命体がいて、我々と接触をはかろうとする」というアイデアに、妄想と知りつつ非常にわくわくするものを感じるのですよ。例のえんえんとテレビを見ながら論評する場面も現代版『ガリバー旅行記』ととらえて楽しく読みました(『新・猿の惑星』にも似てます)。
>神秘主義的なアリ賛美と人間文明批判
とのことですが、わたしは作者が単に「人類もアリのようになれ」といっているようには思えません。そうであればアリ化した人たちをあんなに気味悪く書いたりはしないでしょう。『蟻の時代』ラストにおいて人と蟻は真剣に討論できるところまでこぎつけますが、それでもどこかかみあっていないというか、お互い理解しあったというには程遠い状態のように感じられます。「アリはアリであり、ヒトはヒトにしかなれない」という結論は変っていませんし、また『蟲師』にもあった「やつらとは決して友達にはなれない。でも好きでいるのは自由だ」というスタンスにも通ずるものを感じました

思った以上に間違いが多いようで少々落胆はしましたが(記事にあげた肝臓ジストマについても怪しくなってきました。ウィキぺディアの「寄生虫」の項に似た例が書かれているので、「丸きりウソ」ではないと思いますが)、それでもわたしはこの小説を買いたいと思います。秦太様も「力技」や「奇想」を高く評価しておられますが、蟻の物語と人間の物語を無理矢理でも融合させたという奇抜極まる発想や、「トンデモ」ではあっても無限に広がっていく空想の風呂敷は、やはり並外れたものがあります。また、昔ムシ好きだった大人がこれを機にムシへの興味を思い出してくれたらいいなあ、とも思いました。

>登場人物
正編に出てくる失業者には、しょぼくれ者として共感を抱いてしまいました(笑)。わたしも実際に知り合いがいるわけではないですけど、おフランスでは特に知識偏重というか、「賢けりゃいい」みたいな風潮があるそうです。そういうところはよく表れてるなあと思います。理想社会への憧れなんかも、他の国より熱いものがあるようですね

>クイズ
一応解けたかと記憶してます。というのは、昔似たような問題を教えてもらったことがあったので。
「答2」に拍手です。これはある意味正答より面白い(笑)

お忙しいなか丁寧に解説してくださったことに、重ねてお礼申し上げます。ひきつづきどうぞよろしく

Posted by: SGA屋伍一 | December 04, 2006 08:21 PM

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