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November 29, 2006

悪い子の学習帳 劇場版完結編 金子修介 『デスノート the Last name』

20061128182556「こいつには魔界のお得な情報が満載だ。読むたびに寿命が百日ずつ縮まるがな」
「なるほど、こいつは便利だ・・・ ってこれ“恐怖新聞”じゃねーか!!」

失礼しました。週間少年ジャンプに連載された人気漫画を二部構成で映画化。原作とは異なる「誰も知らないラスト」とは果たして?
第一部のレビューはこちら
http://sga851.cocolog-izu.com/sga/2006/07/post_4922.html

「デスノート」を操り、まんまと捜査本部に潜入した夜神月(ライト)。だが最大のライヴァル「L」はまだ彼への疑いを捨ててはいなかった。そんな時再び「キラ」のものと思われる犯行が行なわれる。しかしライトは身に覚えがない。もしやこの世にまた別のデスノートが出現したのか? 死神の目を持つ少女「ミサ」の登場により、物語は混沌を深めていく・・・・

肝心の結末はバラしませんけど下のほうに行くにつれどんどん筋がばれていくので、未見の方はどうぞご注意ください。
さて、今回の劇場版、大きく三つのパートに分けられます。
・ミサ登場編
・高田清美編
・最後の対決編
こんな感じかと。この構成を見てお分かりのように、序盤から中盤にかけてはミサと高田の両ヒロインがかなり目立っています。ライちゃんとLの字の丁々発止の対決を期待していたわたしは、少々アテが外れました。そう言えば忘れてました。カネやんは当代きっての「女優萌やし」監督であることを。第一部ではそれほど目立ちませんでしたが、この第二部では戸田恵梨花と片瀬那奈という「お好み女優」を嬉々として撮っているのがはっきりとわかります。特に片瀬嬢演じる「華のない」高田清美が、デスノートを手にしたことで怪しい毒花へと変貌していく様子は目を見張るものがありました。
そんなわけで途中までヒロイン中心で進んでいくものの、話がつまらなくなるわけではわけではありません。クライマックスを盛り上げるための前座として楽しむことができるでしょう。

えー、前回わたくし金子監督をいい意味で「子供っぽい」と評しました。しかし彼も人の親である以上、やはりライトを手放しで応援するわけにはいかないようです。その親=公人としての役割をになっているのが、原作では引き立て役にしかならなかったライトの父、夜神総一郎。第二部の中盤から、鹿賀丈史の熱演もあって徐々に存在感を増していきます。一方でライトもまた監督の分身であり、自分と似ているという点では息子のような存在ともいえます。終盤での総一郎氏の姿から「間違ってる! お前は間違ってる! でも可愛い!!」 そんなカネやんの叫びが聞こえてくるようでした。いやあ、親って本当にありがたいものですね。

原作の特色の一つには「英雄の否定」というものがあったと思います。こういっちゃなんですが、ライトもLもその最期はとてもかっこいいとは言えない、「無様」なものでありました。しかしこの劇場版では二人ともギリギリヒーローとしての誇りを失わずに退場していきます。少なくともわたしにはそう感じられました。この辺が大場つぐみ氏と金子監督の感性の違いかもしれません。
問題のラストのしかけ、わたしには十分満足のいくものでした。あまり誉めすぎると期待をあおってしまうかもしれませんが、本当によくあんな手段思いついたなー、と。映画スタッフに拍手です。

原作終了、第一部公開、そしてこの度の完結編と、大変楽しいお祭りでした。第一部が公開からわずか三ヶ月でテレビでやったこともサプライズでしたし。そうとわかってたら劇場までわざわざ観に行かんかったのに・・・ ま、ともかく祭りが終ってしまうのはなかなか寂しいものですね。

2006112818271220061128182816蛇足ながら、ラスト近くの脚本には次の二行を加えたほうがよりわかりやすかったと思います。

「バカな・・・ そんなことまでして・・・・」
「勝ちたかったんですよ。聞いてませんでしたか? わたしは負けず嫌いなんです」

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November 27, 2006

仮面らいだー カブトくんヒビキさん 12の巻

『カブト』も今年もそろそろ大詰めですね

その1
20061108180935_1「パンチでーす」
「キックでーす」
「ふたりはグラホパでーす」

「前回の反省をふまえ、デュオに転向しました」
「では聞いてください
ミュージックスタート!」

20061127191820♪グラホパ グラホパ
ダーティで フラフラ
ふたりはグラスホッパ~

一匹去ってもう一匹
ぶっちゃけキリがない


20061127191914方袖あってもふたりは
めちゃくちゃラフだし

キックとパンチを繰り返すたび
(深く)
(暗く)
なるね~♪


20061108181544_1「今回はイライラはしない・・・・

だがつまらん!」

「お前・・・

なかなかひどいヤツだな」


その2
20061127192009「よう
すっかり寒くなっちまったな
ブルブル」
「まったくだ
オレんちなんか昨夜とうとうコタツ出したぜ」
「コラァアア!!」
「?」

20060606213344_2「なんだヒビキさんか」
「いい若いもんがまだ11月だというのに
そんなにモッサリした格好をして
恥ずかしいとは思わんのか!」
「このクソ寒い中フンドシ一丁のあなたの方が
どうかしてると思いますけど」
「なんだとおおお!!」

20060708202436_2「わかりましたから
そうガンガン怒鳴らないでくださいよ
最近オレ体調悪いんです
・・・と言ってる間にもなんか気が遠くなってきた・・・」
「やばい。オレもだ・・・・」
バタ
ドタ


2006112719210720061108182050_1「あら、冬眠に入っちゃったのかな?」
「いや・・・ むしろ死んでるっぽいな」
「もう冬ですもんね」

カブトに最大のピンチが!!
次回未定


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November 26, 2006

大きなモノまで ベルナール・ウェルベル 『蟻の時代』

20061124203654_1前作のレビュー
http://sga851.cocolog-izu.com/sga/2006/09/post_b115.html
を読んで、どれほどの方が興味をもってくださったのか、いささかこころもとありませんが、本日はおフランスの奇天烈小説『蟻』の続編をご紹介いたします。

不可解な連続失踪事件の記憶がまだ生々しいフォンテーヌブローで、またしても奇妙な事件が発生する。密閉された部屋の中で怪死を遂げた兄弟。死因は毒物によるものだったが、これは事故なのか? 他殺なのか? 若き警視ジャック・メリエスは、事件の謎を追う。
一方同じエリアにある蟻の都市ベル・オ・カンでは、新女王シリ・プー・二(変な名前)が反逆者たちに頭を悩ませていた。彼らを操っているのは、どうやら「指」という怪生物らしい。女王は「指」を征伐すべく、朋友で経験豊富な探検家の103683号(後に長いので103号に短縮)をリーダーとした十字軍を結成する。十字軍の成果やいかに。

SFではファースト・コンタクトものというジャンルがあります。異星人と地球人が初めて遭遇したらどうなるのか?その状況をシミュレートした作品群のことをそう呼びます。しかしわざわざ宇宙へ行く、あるいは来てもらわなくても、地球にも異なる文化を持った生命が存在しているのです。そいつが、まあアリさんなわけですけど。
もっともアリさんたちは我々の全体像が未だにつかめていなくて「指」なんて呼んでくれてますし、こころないガキどもがその命をもてあそんだりするので、すっかり人類に不信感を抱いている模様。果たして両者の間にコミュニケーションは成立するのでしょうか。

わたしが持っている版には「『蟻』を読んでなくても楽しめます」なんて書いてありますが、前作の登場人物・登場アリが引き続き出てきますので、やはり『蟻』のあとにトライすることをおすすめします。
可憐なヒロインだった56号は、腹の肥大化とともにすっかり「女王様」的な性格に変貌を遂げ、彼女に萌えていたわたしは少々失望いたしました。一方おばさんなのに男らしい103号は相変わらず。今回は旅の仲間に各種のアリはもちろんハチ、カブトムシといった仲間までひきつれ、さらにファンタジックな冒険へわたしたちを誘います。

加えて今回もミクロの世界における楽しいウンチクが満載。一例をあげるなら「肝臓ジストマ」という寄生虫に関して。羊の中に住むこの生物の卵は宿主の中では孵化せず、フンと共に外へ出てから幼虫となります。この幼虫はさらにカタツムリに食われ、アリをひきつける粘膜をまとってまた外に出ます。そして今度はアリに食われ、アリを上手に操縦してやっと羊の体内に戻ります。一体なんでこんなにややこしいサイクルが必要なのか? ムシの世界はまことにナンセンス・オブ・ワンダーです。

2006112420380320061124203838画像はわたしが持ってるジャンニ・コミュニケーション版ですが、やはり現在は角川文庫版のほうが入手しやすい模様。『もやしもん』などで微小な生き物に興味を持たれた方は是非どうぞ。そして物語は文庫オリジナルである『蟻の革命』へと続きます。

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November 23, 2006

我痛むゆえに我在り 下田正美 『ゼーガペイン』

20061123142301二ヶ月ほど前に終了したアニメ作品。ここ5年くらいでもっとも感銘を受けたテレビアニメでした。

臨海都市・舞浜に住むソゴル・キョウは快活な男子高校生。元水泳部の友人たちと仲たがいしてはいるものの、幼馴染のカミナギ・リョウコらと楽しい学園生活を送っていた。ある日キョウはミサキ・シズノという謎の少女に誘われ、「オケアノス」という戦艦に招かれる。そして巨大ロボット「ゼーガペイン」に乗り込み、人類を脅かす「ガルズオルム」なる組織と戦ってくれるよう頼まれる。よくできたゲームだとばかり思っていたキョウは軽く引き受けるが、その日から彼の周辺で現実は徐々にほころびをみせていく。疑問にも思わなかった両親の不在。壁に刻み込まれた警告のメッセージ。そしてキョウは自分と世界の根幹を揺るがすある事実を知る。
・・・できればここから先は未見の方は、何らかの手段(バンダイチャンネルもしくはレンタル)でもって、6話まで見てから読んで頂きたい。
その真実とは


彼らの住む「舞浜」は量子コンピューターが作り出したヴァーチャル空間であり、そこに生きるものは全てサーバーを走るプログラムにすぎないというものだった。一人の科学者が引き起こした災厄により人類は肉体を喪失。一部のものだけがかろうじて電子情報として生き残った。本当の意味で生きるため、自分の肉体を取り戻すため、キョウたちは絶望的な戦いに身を投じていく。
「自分の見ている世界が現実のものではないかもしれない」 このテーマ自体はそんなに目新しいものではありません。P・K・ディックの諸作品や『マトリックス』がなければ、恐らくこの作品は生まれなかったことでしょう。しかしここまで「意識のみの世界」を徹底させたものはなかったんじゃないでしょうか。また敵側の尖兵「アビス」と「シン」もデータをもとに作られたクローン人間であるため、死んでも死んでもよみがえってきます。そんなところにも「個人の存在の希薄さ」が表れていました。

仮想現実の世界はそれなりに便利で楽しい。しかし世界の真実を知ってしまったキョウは、いたるところで作り物の空間の限界に突き当たります。
この作品は仮想現実の世界を否定してはいません。これを否定してしまったらアニメの作り手たちはおまんまの食い上げになってしまいますし(笑)。ともかく、時には気分転換に、あるいはストレス解消に、空想の世界で羽を広げるのも悪いことではないでしょう。
しかしそうした快感は、現実が基本にあって初めて健全に楽しめるものであることをこの作品は主張します。敵は、そして時には味方までもがキョウに「肉体派は本当に必要なのか?」ということを問いかけます。それに対し彼は若者らしい健やかさで、「実際に触れることの素晴らしさ」を説きます。果たしてその思いが報われる日は来るのでしょうか。

もう一点特筆すべきは、作品の「舞台」である“舞浜”の美しさ。たぶん実際の舞浜(町)とも違う、この世には存在しない町。その町は美術スタッフの力と物語の背景のゆえに独特の印象を残します。はかなげで空ろで、でもどこか懐かしい。こうした感覚をテレビアニメで味わうのはごく稀なことであります。
20061123142229『ゼーガペイン』は現在DVDがリリース続行中。バンダイチャンネルでも配信中です。さらに世界観を共にするテレビゲーム『ゼーガペインXOR』が発売中(わたしゃやってないけど)で、年末にはその続編『NOT』も発売予定とのこと。
もっと話題になってもいいと思うんですがーねー

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November 20, 2006

戦国鬼嫁日記 ~大河ドラマ『功名が辻』より⑰

はい、こんばんは! チヨざんす! えーと、あれ、大変よねー。必修科目を履修してないとかいうやつ。
ぶっちゃけ世界史なんて習わなくてもいいと思うのよ。だってこれから日本は鎖国に入っていくんだから。何の役にも立たないでしょ?

じゃ、今日の「戦国鬼嫁日記」いきましょうか。タヌキのダンナと新ミッチーの間で揺れ動く宿六。ギリギリまで「どっちにしよっかなー」とか悩んでた。んっとに煮えきらねーっつーか。でも結局は優勢気味の徳川側に付くことにきめたの。迷ってたのがバレバレだったもんで、「信用してもらえるかなあ?」って不安がってた。ちゃっちゃと決めないからこういうことになるんだろうが! 仕方ないからあたしはダンナあてに一筆書いて宿六に持たせた。なんて書いたかって?
「カズトヨをひいきしてくれたら、一ヶ月大奥に出張してあげてもいいわよ♪ うっふ~ん」
こんな感じ。でもちょっと待って。「大奥」っていつの時代の話よ。自分で書いててわかんなくなってきた・・・ いまちょっとヨッパラってるから、まあ勘弁して
とにかくこの手紙が功を奏して、宿六はダンナの信用を得たわけ。そんなわけであたし近々大奥に行かなきゃいけないんだけどさ。それはさておき。
いよいよ決戦が始まる直前、ダンナは連合の組長たちを集めて決起集会を開いたの。戦の名目は一応サルジュニアを守るため、ってことになってたけど、ダンナが天下を狙ってるのはミエミエだったから、みんなどれほどついてきてくれるか不安だったんでしょうね。この時珍しく宿六が調子こいて「自社ビルもシマもチャカも全部総長におあずけします!」とかおべんちゃらをふりまいたの。そしたら周りの組長たちも「ワイも!」「てめえも!」「オンドレも!」ってあとからあとから付いてきて、かなり連合のテンションが上がってきた。そんでますます宿六はダンナのお気に入りになったってわけ。まあこの策ってもともと堀尾さんがセガレに託したもんだったんだけどね・・・ わが夫ながらちゃっかりしてるわよ

そしていよいよ極道史上最大の戦いと言われた「関ヶ原抗争」の始まり。それぞれ十万ずつくらいの勢力をひきつれ、岐阜県の原っぱに集合したわけよ。本当に警察は何やってんのかしらね。
集まった連中のほとんどはなんつーかあんまりやる気なくって、主力が必死こいてタマとりあってるのを遠巻きにしてみてた。あっち側なんかその辺すごい露骨で、奮戦してるミッチーをダーレも助けにいってやんない。これってイジメじゃないかしら? そんな感じで半日戦況は膠着してたそうよ。
ここで流れを変えたのが、みんな覚えてるかしら? ヒデジとならんでアニキの跡継ぎ候補だったヒデアキ。一応ミッチーサイドだったんだけど、アホな上に優柔不断で、この期に及んでまだどっちに付くか決めかねてた。ダンナは前々からこいつに「裏切れ」って脅迫してたんだけど、一向に態度がはっきりしないんで、ぶちきれてヒデアキ軍にどかすか機関銃をぶっぱなした。可哀相に肝の小さいヒデアキはパニクっちゃって、ミッチー側に総攻撃を始めたわけ。これがまあ決定打になって、ミッチー軍はあっという間に総崩れに。

この時宿六が何してたかって言うと、最初は毛利組の見張りをずーっとやらされてた。でも連中がいつまでたっても動こうとしないもんだから、宿六もすっかり手持ち無沙汰。やっと前線に出た頃にはあらかた戦は終了してた。まったく毛利も宿六もなんのために岐阜県まで行ったのやら。
戦い終わって日が暮れて。ミッチーは命からがら京都へ逃げていった。徳川のダンナの大勝利。ダンナは「おかしいのう、こんな風景6年くらい前にも見たような・・・」とか呟いてたって。バクチに勝った安堵感でボケに入っちゃったのかもね。
20061120181558このコーナーも残すところあとわずかかしら。次回はミッチーのその後とおべんちゃらのご褒美について。お別れはこの曲!
♪タンタンタヌキの旦那様~
キャ! 恥ずかしい!


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November 19, 2006

硫黄島からの写真 クリント・イーストウッド 『父親たちの星条旗』

20061119190522太平洋戦争を日米の双方向からステレオ形式で描く「硫黄島二部作」の第一部。アクション俳優から名監督へと華麗な転身を遂げたクリント・イーストウッドの最新作です。

「時として、一枚の写真が大きな力を持つことがある」
勝敗もおおよそ決した太平洋戦争末期。日米両軍は洋上に浮かぶ重要拠点・硫黄島にて戦火を交える。お気楽ムードで上陸した米軍の兵士たちがそこで見たものは、姿の見えぬ敵に次々と蜂の巣にされる友軍の姿だった。
それでもなんとか戦いに一段落がついたある時、衛生兵「ドク」ら6人は、景気付けに島のてっぺんにたかだかと星条旗を掲げる。この様子を写した写真が本国で大きな話題を呼び、彼らは至急アメリカに呼び戻されることになったのだが・・・・

この映画のテーマは「英雄」ですね。この言葉に男は弱い。なかでもアメリカのボーイたちには、効果抜群の殺し文句だと思われます。
恐らく兵士たちの多くは西部劇の保安官なんかに自分を重ねて、「無法者たちから世界を守る」くらいの気持ちで戦地へと向かったのだと思います。この映画のメインとなる若者たちはみないいヤツです。朗らかで仲間思いで、純粋で正直。だからこそ彼らは戦場へ行き、それゆえに深く傷つくことになります。現実は当時の映画ほどかっこよくはなく、ひたすらむごく滑稽なものでしかない。混乱した戦場で仲間から撃たれる兵士たちがそのいい例です。
主人公たちを英雄としたのはその戦果ではなく、「ただ旗を掲げた」という単純な行為でした。別に困難を乗り越えたわけでも、彼らでなければならなかったというわけでもない。しかし大衆は勝手に想像を広げ、国は彼らを資金繰りの材料にします。それまでの地獄からはおおよそ思いも付かない歓待をうけながら、彼らはまた別の苦しみを経験します。(オレたちは英雄でもなんでもないのに) ・・・その自覚のために。

アメリカにとってはいわば「正義の戦い」とされている太平洋戦争。その実態を、イーストウッドは極めて真摯に忠実にえぐりだそうと努めています。むしろ日本に遠慮しているくらい。自信も生粋のアメリカ人であるのに、醜い部分からも目をそらさない東木さんの意気や良し。そうした姿勢が本作品を太平洋戦争を学ぶための優れた教材としています。
同時に彼はそこで戦った父たちを愛情をこめて清々しく描きます。そう、みんないいヤツなのに、どうしてみんなあんなにひどい目に遭わねばならないのでしょう? その答えは、映画の中ではっきりと提示されています。

難点を幾つか。時系列があっちに行ったりこっちに行ったりするので、途中どの出来事がどの前(後)に起きたのかわからなくなります。も少しわかり易い構成でも、問題なかったと思いますが。またメインのキャストがみんな有名ではなく、しかもそろって同じ格好をしているので、誰が誰なのかわからなくなります。ネイティブ・アメリカンの人だけはさすがにいつでも見分けが付きましたけど。
あとせっかく「日米双方向から」とうたってるんですから、もう少し日本側の様子も写して、第二部にシンクロするようなシーンが欲しかったですねえ。今回日本人は顔すらまともに映ってませんでした。

20061119190634その穴倉でもぞもぞやってた謎のヤーパンたちは何を思い、何を考えていたのか。それは年末に続いて公開される第二部『硫黄島からの手紙』で明らかにされます。第一部よりさらに内容的に辛い映画になりそうですが、とりあえず観にいく予定です。


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November 18, 2006

適当掲示板38&10匹くらいニャンコちゃん小行進

突然ですが今回は「32」の『ナルニャー国物語』の続きから始まります。
2006071914065020060719141326
「しっかりするんだ、SGA! 傷は浅いぞ!」
「アニキ・・・ どうやら、オレもうダメみたいっす・・・
いままであり(ガクッ)」
「SGAああああ!」


いきなり死んでてすいません。そんなわけで今日は猫画像特集です。すでにハテナやらmixiやらに貼ってものもありますが、勘弁してつかあさい。
まずは近所でよくみかけるやつらから
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左から三つ並んだ写真はよく道で行き会う親子です。いまだになついてくれません。それはたぶん、わたしがよく昼寝を邪魔するからでは・・・と、今画像を並べてて気づきました。右端のやつはいつもワンコのように舌ベロを出しています。病気でしょうか。

20060813174149200610221734142006072419562920060724212621

左ふたつは従姉妹の家の野郎です。前にも紹介したことありますが、口周りに泥棒ヒゲのような模様がついてるのがチャームポイント(?)。よく人のヒザに勝手に上がってきて、足をしびれさせてくれます。
右ふたつは夏に撮った友人宅の子猫。カラスに食われそうになってるところを助けられたそうです。苛酷な運命に負けずに大きくなってください。

ネタをふたつ
20060815161640
「待て君!
はやまるのはまだ早い!」

「あの・・・
ただ下見てただけなんですけど・・・」
「へ?」


2006050205524620061029060313
「おう!
よく来たな。
まあ入れよ」

「あんがと。
でも君んちの玄関、ちょっと狭いかな・・・」


アレクサンダー・シル助の思い出と共に
Sil1_2_thumb
ではまた

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November 17, 2006

箱入り娘の作り方 京極夏彦 『魍魎の匣』

20061117203503先日最新作『邪美の雫』が刊行されたので、今回は「京極堂」シリーズでもっとも思い入れのある第二作『魍魎の匣』について書いてみようかと。第1作『姑獲鳥の夏』についてはこちらをどうぞ
http://sga851.cocolog-izu.com/sga/2005/08/post_47e3.html

戦後まもなくの東京。武蔵小金井駅のホームで、一人の少女が列車にはねられた。一命をとりとめた少女は、しかし運び込まれた病院から、こつぜんと姿を消してしまう。
それを境に、都内ではおぞましい事件が頻発する。少女たちの連続失踪事件、あちこちで発見されるバラバラ死体・・・・ 列車事故の現場に居合わせた刑事・木場は、友人である「京極堂」こと中善寺秋彦の手を借りて、消えうせた少女の行方をつかもうとするが。
「匣の中には綺麗な娘がぴつたり入つてゐた。」
「につこり笑つて、『ほう、』と云つた。」
章の合間に挿入される奇妙な幻想小説。その意味が明かされるとき、匣の中から魍魎が姿を現わす。

この本を読んだのもかれこれ10年以上前。前作『姑穫鳥の夏』にそれほど感銘を受けなかったものの、辰巳四郎氏の「シリーズ装丁」に弱かったわたしは、「もう一作付きあって見るか」という感じで本書を手に取ったのでした。
ところが読み始めて、50P、100Pと進むうちに、どんどん物語にのめりこんでいくわたし。ページを繰る手が止まらなくなっていき、しまいには授業中までこっそり隠れて読みふける始末。結局ほぼ二日で700ページはあろうかという大作を一気に読み終えたのでした。「20代のころに読んだもっとも面白い本」を決めるとするなら、まず本書が頭に浮かびます。
いったい何がそんなに面白かったのか? まず展開にも語り口にも名状しがたい熱気がこもっていました。さらに第1作ではまだ肉付けがぼんやりしていたレギュラーたちが、非常に精彩に富むようになってきています。特に「事件を解決しない探偵」榎木津礼二郎が本格的に暴走していくのは、この第二作から。加えてこの作品の根幹を成す「匣の中の娘」の正体・・・・ この真相があまりにも意外で残酷で哀しい。それがエピローグの余韻を味わい深く、忘れがたいものにしています。

とまあつらづら理由を並べてみましが、仮にいまこの小説に出会ったとしたら、同様の感動が得られるかどうか。と言うのは本格ミステリーが熱く、そして自分がそれにのめりこんでいたあの時だからこそ、あんなに興奮したのでは・・・そんな気がするからです。
島田荘司と綾辻行人が中心になって呼び起こした本格ブーム。それに付随して多くの作家たちが世に出て行き、小説以外のメディアにも飛び火していきます。そのブームの頂点がこの京極夏彦のデビューでした。それまであまり本格系の作品には与えられなかった推理作家協会賞を、この年『魍魎の匣』が受賞したことにそれが象徴されています。
その後も講談社を中心として多くの個性的なミステリー作家がデビューしましたが、いまだにこの京極氏を超えるスターは出ていないような気がします。また、前回述べましたようにこのシリーズは「本格」の王道とはやや言いがたいものがあり、それがもっとも高い評価を得たことで、以降ガチガチの本格ミステリーよりも多ジャンルとの複合的な作品の方が盛んに発表されるようになりました。いわゆる「多様化」ってやつですね。

それからさらにくだって2006年現在。友人から聞くところによると、いまはどちらかという「ミステリー」と冠を付けると本が売れないような状況らしいです(『ダ・ヴィンチ・コード』は?)。ではどういうものが売れるかというと、「泣ける」とか「純愛」を全面に出したものがもてはやされているようで。そういえば昨年話題になった『容疑者Xの献身』もそんな売られ方でしたしね。
20061117203547とはいえ歴史は繰り返すと申します。そろそろまた京極氏を超える、あるいは匹敵するような巨星がババーン!と登場するのでは・・・ そんなことを期待している今日この頃であります。

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November 15, 2006

風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい⑮

20061115194658『風雲児たち』コーナー15回目は、志士たちに先駆けて外国と格闘せざるをえなかった二人の若者について書かせていただきます。潮版22巻のラスト2章から、29巻の最後まで、リイド版16巻70ページから最終20巻最後までの話です。

幕府に命じられ泣く泣く日本を去っていったシーボルト。彼は日本に一人の娘を残していきました。その娘の名は「いね」。成長するにしたがい、まだ会ったことのない父への思いを募らせるイネ。彼女は蘭学と医学に励むことで父を身近に感じようとします。しかし封建的な社会で女性が医学を学ぶのはほぼ不可能。さらに彼女にはハーフであるゆえ、外見的にも非常に目立つ存在。そんな二重の壁を乗り越え、少しづつ夢へ近づいていく様子が描かれます。
全てのマンガを平等に愛すみなもと先生。当然少女漫画も大好きです。ゆえに本作品の美女はみな少女漫画ちっくに、あるいはアニメ風に描かれていたりします。おイネちゃんも例外ではありません。無印版『風雲児たち』後半は他に目立ったヒロインがいないためか、彼女は特に気合を入れて可愛く描いてあるような気がします。もはや歴史的人物というよりアニメキャラのようですが、その分画面も華やかでございます。

もうひとりは中浜万次郎。ジョン・万次郎という名のほうが知られているでしょうか。土佐の船乗り(しかも下働き)に過ぎなかった彼は、沖で嵐に遭遇したことから、想像を超えた旅に出ることになります。漂流、無人島での生活、アメリカ人たちとの出会い、そして開拓時代の合衆国へ・・・・ 漂流記というと思い出すのは、先に紹介した大黒屋光太夫。けれど万次郎の旅は光太夫のそれほど深刻には描かれていません。むしろ痛快な冒険活劇のようです。恐らく大西部を生で見た唯一の日本人、ジョン・万次郎。その青春がにぎやかに元気よく語られます。

この二人について先生は、「底抜けに明るい」人物だったのでは、と想像しておられます。それほどにポジティブでなければ、たぶん苛酷な状況の中で押しつぶされてしまったであろうから。逆境だらけの境遇を二人は発想の転換と笑顔で強かに乗り切っていきます。不幸に思えるような環境も、考え方次第で幾らでもハッピーにできる・・・そんなことをおイネとジョン・万から学ぶことができるのではないでしょうか。

20061115194724この美女と野人の物語は、「幕末編」においてもなお続行中です。激動の時代を迎えた日本を、二人はどう生きたのか。楽しみに見守っていきたいと思います。


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November 13, 2006

平成ライダーの六年間を振り返る 555編⑤

20061112201441では555編ラストは思い出の名場面で。完全ネタバレなので了承シクヨロ

第1話:ふりしきる雨のなか、自分から多くのものを奪った従兄弟の前に立ちふさがる勇治。そして純真だった青年は、怪物へと姿を変える・・・ のっけから主人公そっちのけで進行するストーリーに、「これまでとは違う」なにかが感じられたのでした

第8話:先の記事にも書きましたが、場所を隔てて巧と勇治が「夢」について語るシーン。「夢がない」ことを笑顔で言う巧に対し、暗い面持ちでつぶやく勇治。後の展開を象徴しているかのよう。この回ではラストで海堂がギターを窓から投げ捨てるシーンも胸にしみた

第12話:第二のライダー登場!に興奮していたのもつかの間、変身を解いた途端、装着者は土くれとなって息絶えてしまう。これまでも装着者を死へと誘うアイテムは数多くあったが、ここまで極端、あるいはショッキングなものは珍しい

第17話:「戦うことが罪なら・・・オレが背負ってやる!」 オルフェノクももとは人間だったことを意識してスランプに陥ってしまった巧。しかし目前で人が灰にされてしまうのを見て、再び戦場に立つ覚悟を決める。戦うことがなぜ罪であるのか? そのもうひとつの理由は中盤で明らかにされる

第26話:第三のライダー・デルタ登場。またしても装着者も真意もわからない、不気味な形での登場。のちにあれほど弱体化するとは思わなかった

第30話:乱戦の最中、ファイズとホースオルフェノクは、とうとうお互いの素顔を知る。これでようやく誤解も解けるか・・・と思いきや、策士草加の陰謀で再び元の木阿弥に

第34話:ラストにおけるアレ。わたしとしてはこのシーンのために『555』という物語はあったのだと思います

第38話:とことん追い詰められながらも、だれを恨もうともせず、怪人たちにむかって「おまえらの仲間になるくらいなら、死んだ方がマシだ!」と言い放つ巧。先の記事にも書いたシーンです

第44話:結花の正体を知ってしまった啓太郎。しかし彼はみじろぎひとつせず、結花を「ひし」と抱きしめる。いやあ、へタレが男になる瞬間って、本当にいいものですね

第48話:「おれは生きる! 生きて戦う!」 陰険・狡猾・横恋慕と三拍子そろった草加雅人。その草加が初めて光り輝いて見えたシーン。しかしその意気込みとは裏腹に・・・ 小説『異形の妖花』あとがきには、この回の脚本を読んだ時の村上幸平氏の反応が書かれている。爆笑した

劇場版:こちらもいろいろありますが、やはりクライマックスにおける
「楽じゃねえなあ、お前らの期待に応えるのも」
「どけ、オレが通る道だ」
の前後に尽きると思います

最終話:巧VS勇治最後の戦い。「君は死ぬのが怖くないのか?」「怖いさ! だから戦ってるんじゃねえか!」
全てが終わった後、画面に現われる穏やかな風景。それは現実なのか? それとも・・・


(よせばいいのに)「もし『仮面ライダー555』の続編を新作劇場版で作るとしたら」
降りしきる雨を、軒先でやり過ごしている啓太郎。(そうか・・・ あれからもう4年・・・)
ある日テレビから衝撃的な映像が流れ出す
「大変信じがたい事実ですが、“オルフェノク”と呼ばれる新生物の存在が確認されました」
“王”の復活により蜂起する大量のオルフェノクたち。それを目にした啓太郎はある決意を固める
「これを打てばベルトを巻けるかもしれない。だが可能性は五分五分だ・・・」
「構いません、三原さん! やってください!」
「しょうがねえ、おれっちも手を貸してやっぺよ」
そしてよみがえる電光の騎士
「変身!」
だが戦力差はあまりにも圧倒的
「だめだ! こいつら数が多すぎる!」
(あいかわらずだせえなあ、啓太郎。もっとしゃっきりしろよ)
「ずるいよ、たっくん・・・ 自分ばっかりそんなところで・・・ でも、そうだよね。負けられないよね・・・」

『仮面ライダー555』新作劇場版 『レクイエム・フォー・ドリーム』
「いつか・・・ 世界中の人の心が・・・」
近日公開予定(やるわけない)
20061112201535
残すところやっとあと三分の一となりました。
そういうわけで次は『剣』です。

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November 10, 2006

死体・オブ・エンジェル ブライアン・デ・パルマ 『ブラック・ダリア』

20061110182034ジェイムズ・エルロイの暗黒小説を鬼才ブライアン・デ・パルマが完全映画化。果たしてその成果は?
あらすじですがこないだ紹介した原作↓
http://sga851.cocolog-izu.com/sga/2006/10/la_1f6c.html
と大体同じです。違うのは2時間で終らせるために後半ガンガン早回しになってしまうこと。できればあと三十分は欲しかったかなー。『LAコンフィデンシャル』なんかこれより長い原作を上手にまとめてましたけどね。

で、久々にストーリーを賞味してわかったのは、記憶にある以上に変態的な話だったということ。なんせ惨殺死体に萌えてしまったり、欲情してしまったりする話なもんで。もしエルロイがダリアさんに母親を重ね合わせているとしたら、なんか相当やばいと思います。
むごたらしいエリザベス・ショートの亡骸に面したことで、徐々に精神に余裕がなくなっていくブライチャート。最初は節度ある紳士だったのに、下半身にも暴力にも無節操になっていきます。ロバート・K・レスラーの『FBI 心理分析官』でしたか。あれの中に「暗闇の中を覗き込んでいるときには、向うも我々を覗き込んでいるということを忘れてはならない」という一文がありました。あまりに深い精神の暗闇と接してしまうと、警察官といえどもその毒気にあてられて参ってしまったり、同化してしまったりする。おそがい話ですね。

で、監督のデ・パルマ。この人がまた変態的な方でして、そういう意味ではこの映画にはとてもふさわしい方でした。どう変態かと申しますと、この人は根っからのサド気質なんじゃないかと。作中人物をいろいろひどい目にあわせて「あひゃひゃ」と笑ってるような、そんな話が多いですね。そんでこのいじめ方がまたねちっこい。ブライチャート=エルロイ、エリザベス=その母みたいなことを先回書きましたが、デ・パルマにとっては二人とも他人でしかないので、いじめかたも情け容赦ありません。そんな作中人物に対しての距離の違いが観ていて面白かったです。

デ・パルマ氏は凝りに凝ったカメラワークでも定評のある方です。今回も幾つかやってくれました。たとえば映画の中で映画を上映してたりとか(ただその「映画」の内容があまりに痛々しい)。同じ場面を違う角度から二度写して、最初の時に隠されていた事実を暴き出したりとか。他にも幾つかありますんで、興味のある&湧いた方は探してみてください

俳優さんで言うと悪い意味で目立ってたのが、エリザベスにそっくりな悪女マデリンを演じたヒラリー・スワンク。ここまで女らしい格好が似合わないとは・・・ これからはボーイッシュ路線一筋でいったほうがいいんではないでしょうか。
20061110182100ま、題材が題材だけにあまりスカッとする話ではありません。それでも「観てみたい」と思った方(いるかなあ)はどうぞ。現在まだ辛うじて公開中です。


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November 08, 2006

仮面らいだー カブトくんヒビキさん 11の巻

しぶとく続いてます(笑)

20061001190228_2「レディース・アンド・ジェントルメーン
今日は芸術の秋ということで
俺たちの隠し芸をこころゆくまで楽しんでもらいたい

トップバッターはこの二人
キック&パンチのバッタ兄弟だあ!
はりきってどうぞ!」


20061108180935「パンチでーす」
「キックでーす」
「ふたりはグラホパでーす」

「それにしてもアンちゃん、最近景気悪いなあ」
「ホンマや。世の中どうなってまうんやろ」
「お先真っ暗やなあ」

20061108181406「お前はなんかいいことあったか?」
「なーんも。あんちゃんは?」
「あるわけなか」
「おれらもこの先どうなってまうんやろ」
「どうせろくなことあらへんやろ」
「しょせん日陰もんやしな」
「はあ・・・」「はあ・・・」
20061108181544
「あああああ!!
見ていてイライラすんだよ!
てめえらの芸は!!」

「というか・・・
これは芸なのか?」


20061001190228_320061108181928
「えー、気を取り直しまして
お次はサンダーブラザーズのバンド演奏です

曲目は昔なつかしの『アリス』メドレー
では、はりきってどうぞ!!」
(ぎゅぎゅぎゅぎゅおーん)


20061108181758♪キミの瞳は百万ボルト 
 地上に降りた最後の天使

 You are rolling thunder
 突然過ぎた~

 ライライラライララライララ雷ラ~


20061108182050「・・・あのさ。どっちがトドロキでどっちがザンキさんだっけ」
「勘弁してくださいよ。何回説明したと思ってんですか」

次回もまた、会えるといいね!

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November 06, 2006

山田風太郎に関しては色々言わせてもらいたい⑯ 隆慶一郎氏との関連について

20061105214905突然ですが、みなさんは「隆慶一郎」という作家をご存知でしょうか。もともと映画やテレビドラマの脚本で長く活躍されていた方ですが、1984年『吉原御免状』で小説家デビュー。以後『影武者徳川家康』『一夢庵風流記』など「こんな題材・切り口があったのか」というような作品を次々と発表。時代小説に新風を吹き起こします。けれど小説家としてはわずかに5年ほど活動された後、惜しまれつつ他界。世間的にもっともよく知られてるのは、恐らく漫画『花の慶次』原作者としてでしょうか。

で、前置きが長くなりましたが、この隆先生、山風を参考にしてたんじゃないかな~というフシが多々ありまして。それは隆作品によく出てくるモチーフが、山風が好んで用いていたものと共通しているからなんです。たとえば隆氏の『吉原御免状』ほか幾つかの作品には山の民・サンカが登場しますが、山風も『いだてん百里』『忍法封印』ほかでこの一族を登場させています。最近このサンカをテーマとした作品もあまり珍しくなくなってきましたが、それも隆作品がメジャ-になって以降からのような気がします。また隆氏(と原哲夫)が一躍有名にした“前田慶次郎”にしても、山風が『叛旗兵』で先駆けて題材としていますし、さらに大久保長安、柳生一族、吉原といった要素も、二人はよく好んで使っていました。
時代設定という点でも二人には通ずるものがあります。けっこう時代がバラけているように思える忍法帖ですが、全27作品中11作品が徳川幕府草創期(家康~家光のあたり)に集中しています。隆作品に至っては全体の8、9割がこの時代を舞台としています。
単なる偶然ということもありえますが、こんだけ色々重なっていると疑りたくなるのが人情ですよね。

とはいっても別人ですから、もちろん違うところもたくさんあります。山風では「男の中の男」である柳生十兵衛が、隆作品ではなかなかしょぼい役回りであるとか。また、全体として山風がシニカルで悲劇的な作風なのに対し、隆さんのほうはもう少し体育会系よりというか、カラッと明るいムードに包まれています。その辺は戦時中戦う機会も与えられず「列外」とされた山ちゃんと、戦地で堂々と上官に逆らってボコボコにされたという隆さんのキャラの違いからくるもんでないでしょうか。ただ、体育会系といっても隆さんにはロマンチックなところもあり、ランボーの詩集を没収されないよう『葉隠』に差し込んで戦地に持っていった、なんていい話が某作品の巻頭に書かれていました。

20061105190449実は一昨日の4日が命日だった隆慶一郎氏。その辺の書店でもまだ普通に手に入りますので、山風と読み比べてみるのも面白いんではないでしょうか。マイベストは『死ぬことと見つけたり』(新潮文庫)と『花と火の帝』(講談社文庫)。ただこの二作品、両方とも未完なのよね・・・(それでも十分面白いけど)。あとウィキぺディアに書かれていましたが、「峰隆一郎」という似た名前の作家さんと間違われる方も多いとか。ご注意を。


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November 03, 2006

サイバラ・クロニクル 四度目の戦慄 西原理恵子 『いけちゃんとぼく』『パーマネント野ばら』

20061103175727_1先日我らが女王様が二冊のご本を相次いで出されました。今回はそれらについて語ります。

まず角川書店より出された『いけちゃんとぼく』。「西原理恵子はじめての絵本!」というふれこみで、通常よりやや大判です。ある田舎町に住む、いじめられっ子の「ぼく」。でも悲しいことがあっても大丈夫。「ぼく」にはいつも慰めてくれる秘密の友人「いけちゃん」がいるから。形が決まってなくてふわふわしてて、「ぼく」以外のひとには誰も見えない。そんないけちゃんと幼いぼくの日々が、時に愉快に、時に物悲しく語られています。
名作『ぼくんち』で培われた優しい語り口は、さらに簡潔に、さらに情愛深く。いい年した野郎の涙腺を、ダイレクトに刺激いたします。
この「いけちゃん」の設定とか形とか、なんとなくスペインのマイナー児童文学アニメ『くじらのホセフィーナ』を思い出させますね(知ってる人いるでしょうか・・・)。少年が大きくなったとき、彼と奇妙な友人は別れなければならない。そのあたりも似ています。
「ぼく」の住んでいる村は、『ぼくんち』と同様、西原さんの故郷がモデルになっているようです。では「ぼく」は彼女、もしくは彼女の兄がモデルなのかというと、あんまりそんな感じはしません。作品に溢れる主人公への惜しみのない愛情は、明らかに母親が息子に注ぐそれです。すこしづつ成長していく「ぼく」が微笑ましく、そして寂しい。そんな女王様の心境がよく表れています。でも確か女王さまのご子息はまだ小二。いまからこんなに寂しがっていて、この先いったいどうなってしまうんでしょう。

それにしても『女の子ものがたり』といい、『毎日かあさん』といい、最近の彼女はめっきり“子供”を描く人になってしまったなあ、と思っていたら、今度は大人の恋を描いた作品が出ました。タイトルは『パーマネント野ばら』(新潮社より。ここには前に連載売り込みに行って、断られていたと思ったが・・・)。出もどりで子持ちのなお子さんの家は、山のど真ん中にあるパーマ屋さん。そこは近所の中高年のオバ様たちの、恋愛相談室・ザンゲ室でもある。そんな女傑たちの壮絶な愛となお子さんの密やかな恋の物語。すさまじく品のいいネームが飛び交ってた『ぼくんち』と、孤独な心を切々と歌い上げた『上京ものがたり』をミックスさせたような味わいです。でもこの二つを混ぜあわせるのは、なかなか強引ではないでしょうか(笑)。でもまあ「ひとりでも生きていけるけれど、どうしても恋を求めてしまう」大人の女性の心情が物静かにつづられていました。ろくろく恋愛をしてないわたしがそんなことを言うのは、正直気がひけるんですが。

この二冊、あらすじだけ聞くと、まるで違うお話のように感じられます。方や子供のファンタジー、方や大人のロマンスですから。ところがどっこい続けて読むと、『いけちゃん~』と『~野ばら』には実に深いつながりがあることがわかります。もちろん直接的な正編・続編というわけではありませんが、一つのお話を違う形で発展させていったような、そんな関係。続けて出したのは、そのことを知って欲しかったからじゃないかなあ・・・なんて思ったりして。もちろんただの偶然ということも十分ありえますが。
これまで書いたサイバラ女王様の記事は以下の通り。ヒマ&興味があったら見たってください。
http://sga851.cocolog-izu.com/sga/2005/01/post_3.html
http://sga851.cocolog-izu.com/sga/2005/05/post_3430.html
http://sga851.cocolog-izu.com/sga/2006/01/v3_567f.html
20061103175823


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November 01, 2006

戦国鬼嫁日記 ~大河ドラマ『功名が辻』より⑯

ごぶさたしてました~ 千代ざんす~ あー、よかったわねー、日本ハム。44年ぶりだってさ。はっきり言って選手新庄しか知らないんだけどさ。このあとどうすんのかしらねー、新庄。よかったらウチの組に来てもらえないかしら。ほら。ウチの組ってイケメンが皆無に等しいから。この際多少くどいのはガマンするから。こないだマチャミが新しい組立ち上げたらしいんだけど、あっちはけっこうそろってるらしいのよ。イケメンが。ああ、ムカつく! 

ま、それはともかく今回の鬼嫁日記はじめましょうか。実はねー、こないだとうとうお亡くなりになったのよ。サル兄貴。なんだか一週間の間に急速に老けた感じだった。あれは絶対チャチャに生気を吸い取られたのよ。その証拠にあの子、もういい年のはずなのに、未だに童顔だし。怖いわねー
で、兄貴が亡くなったあと誰が天下を継ぐか・・・ 一応兄貴には子供いたけどまだガキンチョだしね。並み居る群雄を治めきれるわけがない。ここでまずトップに躍り出てくるのが例のタヌキオヤジの家康さん。そういや信長のボス亡き後兄貴と一戦やらかしたことがあったっけ。まだまだ諦めてなかったのねー。そいでこれが最後のチャンスとばかりに、ばんばんえげつないことやりだしちゃって。これまでは釣り好きの癒し系だとばっかり思ってたのに、もうイメージ台無し。あのでかいお腹のなかは真っ黒けッけだったのねー

さて、これに対抗するのは新ミッチーこと石田三成。ちょっとこいつ生意気よね。だって織田の頃から兄貴に仕えてた宿六をさしおいて豊臣のリーダーになろうってのよ? 年功序列はどうなるのよ!
でも、この人の様子見てたら、アタシなんだか可愛そうになってきちゃった。何でかって言うと、この人あの幸薄かった明智のミッチーにそっくりなんだもん。どこが似てるかって言うと
・インテリ ・出世が早くてみんなにねたまれる ・わがままなボスにふりまわされる ・ボスの奥さんから不倫をもちかけられる ・歌舞伎出身 ・幸薄そう
そうそう、あだ名もおんなじ「ミッチー」だしね。まあこれがあたしが勝手にそう呼んでんだけど。
で、このミッチーが家康のダンナに張り合おうといろいろがんばるんだけど、これがまた空回ること甚だしい。強引に家中をまとめようとしたらかえって思いっきり反感買っちゃって、加藤やら福島やらにドスで追い回されるはめに。そんでミッチーが逃げ込んだところが、なんとびっくり家康のダンナのとこ。ダークサイドに転じたダンナのことだから、てっきり外におっぽり出すのかと思いきや、これが意外や意外。きちんとかくまってあげたって言うから太っ腹だわ。伊達にでかい腹してないっつーか
まあこの事件がきっかけで、ますますダンナの方が勢いづいてきちゃったってわけ

でもダンナに警戒する人たちもいた。一人が例の前田なんたら。影が薄いからてっきりいないもんだとばっかり思ってたら、なんかの拍子にぴょこっと出てきた。もっとも一週間で死んじゃったけどね(笑) 一体なんのために出てきたのやら。
もうひとりは越後の上杉組。「やんのか!? コラ」ってヤンキー丸出しの手紙をダンナに送りつけてきた。ほんで抗争が始まったわけだけど、こいつらもどうにも影が薄いのよねー  話の中には出てくるけど、実際に見たものはいない、みたいな。そういえば夏に攻めてきた武田組も似たような感じだったかな? まあ連中にかんしちゃ来年派手にスポットがあたるらしいから、そん時いろいろわかるみたいよ

で、この時うちの宿六がなにしてたかってえと、「どっちに付こうかなー 迷うなー」とただウロウロするばかり。男なら「この気に乗じてオレが天下取ったる!」くらいの気概を持ちなさいよ! 主役なんだし!
でもねー、さすがにここにきてあたしにもわかってきた。やっぱりこいつ、頂点に立つような器じゃないのよ。でもそれもいいかな、なんて。だって兄貴のとこもダンナのとこも家庭がドロドログチャグチャなんだもん。天下人の家庭ってどうもそうなっちゃうものみたいでさー。だったらほどほどの金と地位でガマンしようかなって。これが「守りに入る」っつーことなのかね

20061101195301そんで次回はいよいよ「鬼嫁日記」最大のクライマックス! ・・・の予定。期待してね!
そいじゃお別れの曲行きましょうか
♪さよならは別れの言葉じゃなくてー
ちょっと! これマチャミの曲じゃない! ナメてんのか!!

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