風と雲とギャグと 『風雲児たち』を語ってみたい⑪
みなさん、こんばんは。
今日は『風雲児たち』三大悲劇(勝手に作った)の一つである、いわゆる「爆走」について語ります。潮版で17巻、リイド版で12巻101Pから最後までのお話です。
子平、彦九郎、良沢、光太夫・・・・ それぞれの物語が幕を閉じ、『風雲児たち』も大きな節目を迎えます。ここにひとつ大きな問題が持ち上がりました(笑)。それは『風雲児たち』は幕末の群像を描くのが目的だったのに、単行本(潮版)が18巻に達しても黒船来航はまだ50年先、という事実です。もともとこのマンガ、10巻ないしは15巻で終る予定だったそうです。歴史って怖いですねえ。
そこでとうとう編集部より指令が下されました。「大至急幕末へ向かわねばゆるさーん!!」 先生は切腹前の誰かさんのように悩みまくり、しまいに連載を落っことすという事態にまで発展。
しかしこのままではいつまで経っても幕末にたどりつけないのも確か。かくして単行本一冊で30年をぶっとばす、「爆走」の開始とあいなります。
そのために犠牲となったエピソードも数知れず。特にいろいろ前フリがあったのに、結果的にスルーされてしまった頼山陽の物語などは、いまなお読者から「読みたい」という声が寄せられております。他に割を食った人というと、田沼意次の回でちらっと述べた最上徳内さん。彼に関しては奇跡的な命拾いやら、愛妻との感動的な再会やら、けっこう描かれているのですが、まだまだ面白い事実があったという後半生は、まるまるオミットされました。近藤重蔵、伊能忠敬らも同様です。
そんな慌しい中でも、高田屋嘉兵衛とゴローニンに関するエピソードは非常に感動的なものになっています。日露交渉失敗のため、両国の間に生まれた緊張関係。それを和解させるべく、体ひとつでおろしやに向かっていく嘉兵衛。「こっから先どうなるんじゃー!!」というところでバサッと話は飛んじゃいますが、続きは司馬遼太郎は『菜の花の沖』で読めるそうです。
マンガの連載ってなかなか計算どおりにいかないもんですよね。構想ウン年かけて何ヶ月で打ち切りとか、人気が出てしまったために無期限に渡って連載が延長されたりとか。『風雲児たち』もそんな「計算違い」な作品のひとつなわけですが、このマンガにはこの先まだまだ試練が待ち受けているのでした。それについてはまた。
Comments
「爆走」突入に至るまでの関係者の葛藤を想像すると胸が痛みます。
きっといろんな人がつらい思いをしたのでしょう。
しかしこの事件は作品の価値を下げたのでしょうか?
端折られたエピソードは、「サモトラケのニケ」の頭と両腕かもしれません。
もしかすると、「三大悲劇」の残りのふたつも?
Posted by: 秦太 | July 22, 2006 12:14 AM
>「爆走」突入に至るまでの関係者の葛藤を想像すると胸が痛みます。
そうですね。特にみなもと先生はかなり精神的に参られたのでしょうね。いささか茶化してしまったようで、ちと反省
「爆走」に関してわたしは一応肯定的に考えています。ですから「作品の価値を下げた」とは思ってませんが、残念な思いもあるのも確か。『宝暦治水』のように、いつかこの辺を題材にしたコンパクトな外伝が読めたら嬉しいですね
>「三大悲劇」の残りのふたつも?
残りの二つは掲載誌に関するアレとアレです(笑)。「あとから資料が見つかった」というのは悲劇というほどではありませんし
Posted by: SGA屋伍一 | July 22, 2006 01:36 PM
すいません長文を避けたら削りすぎで言葉が足りませんでした。
ちゃんと書きます。
SGAさまの書かれたことに、私は同感なので、上に書いたのは反論とかじゃまったくありません。
爆走が「作品の価値を下げた」とSGAさまが思っていると私が思っているとSGAさまに思わせてしまったとしたら(ややこし)、それは私の言葉が足りなかったからで、私はSGAさまが「作品の価値を下げた」と思っているなどと思っておりません(ああややこし)。
爆走で様々なエピソードが端折られた事に残念な思いがある、というのも、もちろん同感です。というか、ほぼ全読者がそうでしょう。
そしてその「残念な思い」は強い磁力を帯びて、この作品を「よくできた江戸時代通史マンガ」以上のものにしているんじゃないかと思うのです。
作者の無念に共感し、作品が完全なものにならなかった事を惜しみ、スルーを強いられた物語に思いをめぐらす・・・ああ、もう離れられない(笑)
茶化してしまってちと反省・・・なんて、心配ご無用ですよ。
みなもと先生は、むしろ笑ってもらうほうが喜ばれるんとちゃいますか。
>残りの二つは掲載誌に関するアレとアレです(笑)
おっしゃ予想的中!つーかアレとアレに決まってますね。
これらも、まっことまこと残念な事件でしたが、結果的に、あくまで結果的にですが、この作品に読者をより惹きつける何かを加えたようです(以前あるサイトでそれを「読者のサポーター化」と表現したことがあります)。
私自身も、あの断絶がなければ、今日までこの作品とお付き合いする事はなかったでしょうし。
もちろんそれはラッキーな偶然ではなく、作者のリンコピンばりの不撓不屈のたまものですね。
Posted by: 秦太 | July 23, 2006 02:07 AM
いやいや、こちらこそ気をつかわせてしまったようで申し訳ありません
尊敬する(マジ)秦太さまとほぼ同意見でうれしいです
>作品が完全なものにならなかった事を惜しみ、スルーを強いられた物語に思いをめぐらす・・・
そう。語られなかった部分は「自分で調べる」という楽しみもあるんですよね。幸いいまはネットなんつー便利なものもありますし
でもやっぱりみなもとマンガで(繰り返し)
>「読者のサポーター化」
そうですね。あくまで仮の話ですが、『風雲児たち』がすごいメジャーな作品になってたら、ここまで入れ込むことはなかったかもしれません
再開したときは「おれたちが支えなければ・・・」みたいな使命感を覚えたものです(←大きなお世話だよなー)
最近はそういう危機感があまり感じられなくて、安心だったりちょっとさみしかったり
Posted by: SGA屋伍一 | July 23, 2006 08:56 PM