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October 01, 2005

福田己津央 『機動戦士ガンダムSEED』を軽くかばってみる 無印編

本日続編が終了する『ガンダムSEED』。色々キズも批判も多い作品ですが、当ブログの「なるたけいい所を見つける」という趣旨のもと、まずは正編について語ってみたいと思います。
この『SEED』、オリジナルとなにが違うというと、セリフがとてもわかりやすい(笑)。富野作品のセリフまわしって、意味があるようなないような、つながってるようなつながってないような、そんな感じですからね。それがかえってリアリティを増したり作品に深みを与えたりしていました。ですから古くからの一部のファンには、その『SEED』の明快さが、どうやらお気に召さなかった模様です。

けれどもわたしとしては『SEED』のある要素が、原点に非常近いと感じました。主人公キラ・ヤマトは友人を助けるためにとっさにガンダムに乗りますが、彼しか扱える人間がいない多め、なしくずしに正式なパイロットにさせられてしまいます。それまで学生にすぎなかった彼は、戦闘を重ねるたびに、相当なプレッシャーに苦しめられます。でも仲間を守るためには戦うしかない・・・・というのが前半の主なストーリーです。
『Z』以降の続編もそれなりに楽しんで観ていたわたしですが、それらはオリジナルと「何かがちがう」と感じていました。何が違っていたのか、『SEED』を観ていてやっと気づきました。
キラやアムロは好きで戦ってるわけではありません。やらなきゃやられる状況だから仕方なくやっている。それに対し『Z』や他の続編では、主人公たちはむしろ自ら進んで戦闘に加わっていきます。だからそれなりの緊迫感はありますが、命を奪い、奪われることに対する恐怖はあまり感じられませんでした。対してそんな状況が十代の少年にどれほどの苦しみをもたらすのか、原点や『SEED』はアニメなりにしっかりと描いていました。

また、シンプルであるがゆえに、作品の持つメッセージも大変はっきりしていました。繰り消しますが、キラは「友人たちを守るため」と自分に言い聞かせて戦いつづけます。しかし、途中で「それではいつまでたってもキリがない」ことに気が付きます。多くの物語では大抵敵を倒してめでたしめでたしとなります。世界の多くの指導者も「やられたらやりかえして」解決するという論理で動いています。でも現実はそれでは解決せず、敵を倒すたびに、さらに憎しみが深まり、また新たな争いの火種が産まれる。作中人物の言を借りるなら「どちらかが死に絶えるまで続けるしか」ないわけです。じゃあどうすれば争いを止められるのか。見ていた青少年諸君がそのことについて少しでも考えてくれるなら、この作品には価値があったと思います。

次は続編『SEED DESTENY』をかばってみる予定。いけるかッ!?(笑)

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Comments

本音はかばってやりたい
まさとしでございます。
>明快さ
ごくまれに台詞の使い回しがファーストとかの
パクリとかたたかれてもいました。
>でも仲間を守るためには戦うしかない
「SEED」の良さはこういう事態の感情を
書いてる点が大きいと思います。
1STED「あんなに一緒だったのに」はまさに
この作品を象徴してる曲だと思います。
>じゃあどうすれば争いを止められるのか。
幼い友達や友人たちとも戦いたくない・・・・
周りのどうしよも無い連鎖の繰り返しから
キラが進んだ道は・・・どうすれば戦いを
止めさせられるか?
両陣営にも加担せず、という独自の道でした。
>憎しみが深まり
ガンダムシリーズ中、兵士や
一般市民のモラルが最悪だった事に
気がつきましたでしょうか?
自分の好きなように顔かたちを決められる夢を
望みながら、それが思い通りにならないと
一転して滅ぼす態度をとる。それを煽動する
宗教団体は連合軍を牛耳って戦争を
あおるわ。開戦も一方的なミサイル攻撃がきっかけ・・・。うん、さいあくだよ。
人種とか、2人の主人公の成長に重きが置かれた前作でしたが「SEED・D」最終回を見終わった後で比べるとやはり「SEED」の方が面白かったような・・・・・・・。
因みに気に入ってるキャラは
フラガマンとラクス様。
MSはストライクがお気に入り。
今日は立川の某模型店で「SEED・D」の
「天空のキラ」を見てました。ルージュのシールドを持ったストライクが妙にかっこよかった。
>いけるかッ!?(笑)
今行きます!じゃ無かった。
ちゃんとシンのすけのこと書いて
やって下さい。
ではでは。

Posted by: まさとし | October 02, 2005 12:04 AM

お待たせしました。
>ファーストとかの
パクリとかたたかれてもいました。

稲妻がキラキラリン♪と光って「この感じ・・・・○○○か?」とかですね。

>「SEED」の良さはこういう事態の感情を
書いてる点が大きいと思います。

「戦争は嫌い」といいながら、目の前で今まさに友達が殺されようとしていたら・・・・ 意外にこういう当たり前の考えの主人公って少ないですね。 

>両陣営にも加担せず、という独自の道でした。

『SEED』はそれでいいと思いますけど、現実の戦争はなかなか少人数では大局を動かせないのがつらいとこです。

>ガンダムシリーズ中、兵士や
一般市民のモラルが最悪だった事に
気がつきましたでしょうか?

確かに軍・民衆の愚かしさに関しての描写は目立っていました。ただ、最近の中東や極東の情勢も似たり寄ったりですね・・・・

>気に入っているキャラ&メカ

気に入っているというか、気になったのはサイ。続編じゃとうとう出番ありませんでした(笑)。
メカはバクゥが好きです。ブリッツやフォビドゥンも面白いですね。

>シンのすけのこと

オラ、「ですてにー」で、全てをなぎ払うぞ~
・・・・がんばります。

Posted by: SGA屋伍一 | October 02, 2005 11:33 PM

本当は自分のとこで書きたいけど
劇場版「ターンエーガンダム」を見ていて「SEED」の物足りない部分が少し分かった気がしているまさとしでございます。というわけで
ほそくであ~る!(ギンガナム調で)。
はっきり言って・・・・・・・脚本家に逆らってしまいそうな程、物語を引っ張る個性の強いキャラがいない!のも一つではないでしょうか。いいとこ取りばかりした結果、ビジュアル的にはいいけどなんともキャラが立たない結果になったのではないでしょうか(前から思うけど話の間で口パクで話してる情景を実際に声当てれば少しは話が膨らんだのではと思うのは私だけでは無いと思うが)。
最近、東方師匠とか月面の御大将とかに、はっとさせられている自分がいました。
「SEED・D」ですがDVD最終巻で何と40分の特典映像がつくそうです。おそらく、収拾出来なかった最終話の後始末ではないかと思われます。前作同様、総集編だらけのツケをここで払うつもりだがもう騙されますまい。最終話を見直していてミネルバ組(というよりシンとルナ)に救いがねえぞ!~ひでえ・・・と思っていたのでつい。・・・いやターンエーがあまりに面白かったから反動もあるし。ではでは。

Posted by: まさとし | October 05, 2005 09:27 PM

>脚本家に逆らってしまいそうな程、物語を引っ張る個性の強いキャラがいない!のも一つではないでしょうか。

そうですね。富野御大は『SEED』を「プログラムピクチャーだよね」評したそうですが、確かに「この作品にしかいない!」という強烈なキャラはいないかな。強いていうならイザークくらいか?
ただそういう強烈キャラって時として主役を喰っちゃうこともありますんで、諸刃の刃ですよね。

>ターンA
はどちらかというと前半の「擬似世界名作劇場」みたいな空気が好きでした。富野作品はどれも最初の1クールが一番面白いと思うわたし。ギンガナムさんの声はムウ・ラ・フラガの中の方でしたね。

で「D]の方は近々書きますんで、もうしばらくお待ちください。

Posted by: SGA屋伍一 | October 05, 2005 10:04 PM

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