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September 28, 2005

平成ライダーの六年間を振り返る クウガ編②

『クウガ編』第二回は「“仮面ライダー”としての『クウガ』」ということで。
実はこのクウガというヒーロー、作中で「仮面ライダー」と呼ばれたことは一回もありません。世間的には怪人と同じ扱いで「第4号」と呼ばれています。正体を知る人々は単に「クウガ」と呼びます。そんな「クウガ」のどこが「仮面ライダー」なのか、考えてみたいと思います。

オリジナルの仮面ライダーは、最初ドクロをモチーフとしたものだったそうです(「ズキン!とくるものが無ければダメなんだ」石ノ森先生・談)。しかしそのあまりのショッキングさから、製作サイドは却下(笑)。そこで先生がなんかガイコツに似た物を・・・・ということで思いついたのがバッタだったという話。ともあれこの話からわかるように、仮面ライダーのあのデカ丸の目というのは、もともとドクロの目なんですね。
そんなわけでライダーというのは生まれながらのヒーローではないことがわかります。もともとは悪の組織が作った人間兵器なわけですから。それがシリーズが人気を博すにつれ、ヒーローの代名詞となっていった。これはこれでいいんですが、石ノ森先生はことあるごとに「ライダーは基本的には怪人と同類」とおっしゃっておられました。ですから仮面ライダーが正義なのは、その出自・ルックスのゆえではなく、行為のゆえということ。この点が『クウガ』に忠実に受け継がれた点です。

まずオリジナルのデカ丸の目。そして復活した場所が埋葬所や教会の側であることも、死体→ドクロを連想させます。
そしてはやくも初期の段階で、クウガもまた正義の化身でもなんでもなく、単なる「戦うための兵器」であることが明らかになります。さらにはパワーアップするにつれその破壊力は甚大なものとなり、力が極限に達した時、世界に終末をもたらすほどの存在であることも明かされます。この究極体のクウガは全身真っ黒であちこちとんがっており、どうみても悪の怪人といったデザイン。むしろ宿敵である0号=ダグバの方がカラーといい、スタイリッシュなデザインといい、正義の味方然としています。なぜ製作者たちはこれほどまでにクウガに負のイメージをちりばめたのでしょうか。

その答えは先ほども述べたように、「肝心なのは外見や環境ではなく、精神」ということを訴えたかったからでは、とわたしは考えます。「クウガ」はしょせん道具・あるいは手段にしかすぎません。それを弱者を守るために用いるならば、悪しき存在も正義の味方となりうるわけです。そして「クウガ」を用いる人間、五代雄介は幸いなことに、青空と笑顔を愛する純朴な青年でした。彼の体を張った行為により、人々は次第に「第4号」をヒーローとして認知するようになっていきます。そして五代の人を思いやる心は、最終的にクウガの究極の負の力にも打ち勝ちます。こうした展開から、わたしたちは「ひとはどんな厳しい環境にあっても、気高い精神を保つことができる」という結論を見出す事が出来ます。これは石ノ森先生のオリジナルでも描かれたことです。「体はもろくて弱いものだからな。・・・・だが精神は永遠不滅だ!」(原作『仮面ライダー』より)。
もちろん、心とて弱いものである時があります。むしろ、弱い時の方が多いかもしれません。しかし誰でも心を鍛えることにより、どんな逆境にも絶えることができる。英雄になることができる。そうあってほしい。・・・・・そんな願いをこの作品からは感じました。

次回はたぶん『クウガ』のテーマについて語る予定。

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September 26, 2005

山田風太郎に関しては色々言わせてもらいたい③ 『甲賀忍法帖』

まだ続いてたのか、という感のこのコーナー。今日は映画『SHINOBI』で話題沸騰中のこの作品を取り上げます。

江戸時代草創期、三代将軍を長男竹千代とするか、次男国千代とするか、江戸幕府ではそれぞれを擁する派閥の暗闘が繰り広げられていた。大御所徳川家康は、伊賀・甲賀の忍者十人ずつを双方の代理として殺し合わせ、勝ち残った方を後継者にすると宣言。ちょうどそのころ、甲賀の弦之助、伊賀の朧は、両家の因縁を乗り越えて将来を共にしようと誓い合っていたのに・・・・

山風忍法帖の記念すべき第一作。デビュー作には作者の全てがあるといいますが、こののち十年に渡って発表される忍法帖の主な要素を、すでにこの作品の中に見ることが出来ます。このシリーズの特長である奇想天外な忍法(というか超能力だわな、ほとんど)のアイデアも、質・量共にもっとも充実してるといっていいでしょう。後期の作品にはあまり見られなくなった医学的なこじつけ・・・・・例えば斬っても斬っても死なない忍者については「人間の新陳代謝を極限にまでたかめてうんたらかんたら」みたいな説明があります・・・・・もふんだんです。

そしてこの『甲賀忍法帖』は漫画界にも多大な影響を与えています。この忍者集団の対抗戦は横山光輝の『伊賀の影丸』にそっくり受け継がれます。横山先生は「これから取りました」とは言ってませんが、代表の名が書かれた巻物をお互い取り交わしてから戦いを始めるという、このスポーツじみた形式は、まちがいなく山風忍法帖からのアイデアと言っていいでしょう。そしてこの「命をかけたグループ対抗戦」というコンセプトは、車田正美の『リングにかけろ』、ゆでたまごの『キン肉マン』、さらにジャンプの多くの漫画のスタイルとなっていきます。

しかし、少年マンガには受け継がれなかったものもあります。それはまあ、この作品が持っている大人の要素。性を強調した忍法や、戦中派不戦者としてのシニカルな眼差しなどです。他の忍法帖にも言えることですが、こんな風に大人要素と子供要素、悲劇と喜劇、現実と空想、史実と虚構、純粋さと欲望、パロディと独創性など、相反する要素を違和感無くとりこんでいるところが『甲賀』のすごいところです。
忍者たちもまことに個性豊か。容姿・精神・能力共に美しい主役ふたりに、容姿は秀麗ながら欲にとりつかれている薬師寺天膳・陽炎、さらにはカマキリ忍者、ナメクジ忍者みたいな笑える連中まで、まさに百花繚乱・百鬼夜行でございます。
果たして勝ち残るのは伊賀か甲賀か? 忍者のロミオとジュリエットは自分たちの愛をつらぬけるのか? 『甲賀忍法帖』は現在角川文庫・講談社文庫・講談社ノベルズから発売中。コミカライズの『バジリスク』(ヤンマガコミックス・全5巻)、『甲賀忍法帖・改』(少年エースコミックス・現在1巻のみ)も発売中。『バジリスク』は先日アニメも製作され、そんで映画『SHINOBI』も公開中・・・・と、これで全部だよな?・・・・です。
近日中に『SHINOBI』についてもレビューいたします。

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September 25, 2005

いまだに大河ドラマ『新選組!』を振り返ってるよ!のコーナー⑧ 藤堂平助の巻

今回は「試衛館マスコットボーイズ」の片割れ、藤堂平助くんについて。

ブーム以前、近藤・土方・沖田以外にスポットがあたることはめずらしいことでした。そんな「その他大勢」の中でも、平ちゃんはさらに影が薄い存在だったような気がします。それでもごくたまにある、物語における平ちゃんの描写を拾って行きますと
・育ちがいい ・冗談好き ・学がある ・伊東に心酔していた
こんな感じでしょうか。
しかしの三谷さんが目をつけたのは上のどれでもない、「意外に若かった」という要素。そこから「同年代の沖田に憧れと嫉妬をいだく、心優しい青年」のスケッチが出来上がったようです。

さて、平ちゃんはわたしの予想を二度にわたって裏切ってくれた、にくいあんちくしょう、でもございます。
一度目は前述したように、沖田との関係において。前半ひでちゃんに懸想しているような描写がいくつかあったので、もしかして新選組を離れる原因は嫉妬が高じて・・・・・となるのかな、と。しかし平助はねたみに駆られて嫌なキャラになるということはなく、最後までいいヤツのままでした。これはまあ、裏切られてよかったです。
二度目は第40話に関して。実はわたし、たまたま早い段階で、第40回のサブタイが「平助の旅立ち」となることを知ってしまったのです。それで「40回っていやあ、たぶん油小路のあたりだよな。ひょっとすると平チャンはなんとか生きのびて、どこかへひっそり旅立つのかな」と。しかし結果はみなさんご存知の通りです。無論そんな風に史実をねじまげた話にしたら、さらに多くの抗議が殺到したことでしょう。でもできることならわたしはそうして欲しかった。それくらい、彼の最後は痛ましいものだったので。

演じるは歌舞伎出身の中村勘太郎くん。そちら方面ではいまも熱心に活躍されているのでしょうけど、いまだに『組!』以外で彼を観たことがありません。
で、彼の家系をたどるとこれがすごい。まずお父さんが元勘九朗の現勘三郎。おじさんが孝明陛下の中村福助。さらには弟が『ラスト・サムライ』の明治陛下・・・・ とまるで擬似天皇家といった感じであります。彼が平助に選ばれた理由のひとつは、こういう「生まれの良さ」にあるような気がします。

恒例の名場面集です。
・「すいません~」と謝るシーン。特に前半は彼が謝るシーンがやたらと多く、「腰の低いやつ」というイメージが定着してしまった。
・前にも書いたけど第5話。「わたしの名前を覚えていてくれた!」哀しいよな・・・・
・第7話。夜の宿場町を沖田と二人語らいながら歩いている場面。お互いの悩みを打ち明けあうボーイズ。これが青春です。
・第18話。嬉々として親睦相撲を仕切る平ちゃん。野口くんと仲良くなったりとか、「わたしには命を投げ出してもいい方が二人いて・・・・」のセリフとか、けっこう重要なエピソード。
・第24話。ひでちゃんをデートに誘い、珍しくいい目みてるなあ、と思ったら、帰った途端彼女は沖田の方に。あんまりです。
・第26話。沖田のホッペについた米粒をとってあげるひでちゃんを見て、真似してみたが・・・・ だから哀しいんだよ、チミは。
・第27話。京都が火の海になるかどうかという時に、沖田の名を騙って芸者遊び。しかも局長にばれてしまう。でも局長はこのとき「お前はに比べればあいつはまだまだ子供だ」と、なかなかいいことを言っている。
・第28話。池田屋突入。ちょっと一息♪、と額当てを取った瞬間、背後からガスッと斬り付けられるシーン。痛そうなんだけど、やけにさわやか表情でした。
・第40話。別れを前に沖田と語り会うシーン。「今度は負けません」「せめて。相打ちに」後のことを思うと辛いです。例の隊服を贈られるところも印象深いです。
・第43話。「またひとり、逝ってしまった・・・・・」

地味、低姿勢、もてない、不器用というあたり、平ちゃんは試衛館でもっともわたしに近い人物でありました。そんな彼から学んだ事は「命をあげてもいい人は、せいぜい一人にしておこう」ということ。だって命はひとつしかないわけですから。

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September 23, 2005

闘猫伝説 HARD PUNCHER モン吉 第9話

第9話 いまだかつてない挑戦

bbs14-4王座を奪った後も、快進撃を続けるモン吉。
彼(女)を苦しめるような強敵は、いまだ現れない。
(退屈だ・・・・ ボクシングとは、この程度のものなのか?)
そんな思いから、徒に惰眠をむさぼる日々が続く。


hpm3-4(このままではまずい)

事態を危惧したSGAは、ある決意を固め、モン吉の元を訪れた。
「増長しているようだな、モン吉。だが今度の挑戦者はこれまでとはわけがちがうぞ」


hpm-2「ふん。そいつは楽しみだな。まあ、いまの地球上に、オレさまにかなうヤツがいるとは到底思えないがね」
ふんぞり返って奢るモン吉。

「で、そいつはどこのどいつなんだ?」


hpm4-5「ならば教えてやろう。その相手とは・・・・・・

この、おれだァーッ!!!」

SGAが叫んだ。


hpm6-3「・・・・・・・ 
はい?」

種族を越えた壮絶な戦いが、いま始まる。


          つづく


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September 21, 2005

面妖サスペンス劇場 ジェレミー・ドロンフィールド 『飛蝗の農場』

今日は2002年度『このミステリーがすごい!』海外部門第1位になったこの作品をとりあげます。話題になった時から読んでみたいとは思っていたのですが、文庫のクセに1060円という高飛車な値段のため、スルー。先日古本市で300円で売っていたので、すかさずゲットしました。

都会の生活に疲れ、ヨークシャーで農場を一人営む女・キャロル。ある雨の夜、彼女の家にいかにもワケアリそうな男が、一晩泊めて欲しいと頼みに来た。キャロルは、ついはずみでショットガンをぶっ放してしまう(怖い女だ)。幸い男の命に別状はなかったが、意識を取り戻した彼は、自分に関する記憶が思い出せないと言う。彼が結構二枚目であることに気づき、罪悪感も手伝って、男にどんどんよろめいていってしまうキャロル。奇妙な共同生活の中で、深まっていく二人の愛。しかし男は胸の内で、何かの影に必死におびえていた・・・・

物語はこの「本筋」の合い間合い間に、一見彼らと関係なさそうな幾つかのエピソードが挟まれた形で進行していきます。そしてそれらのエピソードの意味がわかり始めると、物語の緊迫感がグン、と増す仕掛けになっています。終盤には反則ギリギリの急展開もあり。個人的にこういうどう考えてもハッピーに終らなさそうなロマンス&サスペンスは嫌いなんですけど、さすがに『このミス』第1位。この奇妙な構成と巧みな語りでもって、500ページを一気に読ませます。
解説には「サイコスリラーの変化形」と紹介されていますが、わたしはあまりそういう印象は受けませんでした。確かになかなか悪趣味な部分もあります。しかしその「悪趣味」はいたづらに視覚的グロさを強調するサイコスリラーのそれとは違います。なんというか、「わかっちゃいるけど抜け出せない」状態でもがきつづける主人公たちを、高みからケラケラとあざ笑う、そんな種類のものです。日本の作家でいうと、東野圭吾をさらにもう少し意地悪にしたような作風でしょうか。

それにしても、発酵食品よろしく危険な匂いをプンプン漂わせた男というのは、時としてオンナのシトの目にどうしようもなく魅力的に映るようですね。「ちょっとヤバげな香りがするけど、この突き刺すような味がたまんなーい」みたいな。・・・・だとしたら、オンナって?哀しい生き物よね。でも哀しいのは、オトコだってそう。オカマだって、きっとそう。なんだか酒が脳にまわってきたみたい。飲酒作文って危ないわよね。気をつけましょうっと。

『飛蝗の農場』は創元推理文庫より、(繰り返しますが)1060円で発売中。作者のジェレミーさんは他にも幾つか妙ちきりんなサスペンスを著していて、「創元社より順次刊行予定」と書いてあります。が、3年経ったいまでも、二作目が出たという話は聞きません。流れた、という線も考えられますが、そこは仕事のせっかちな(←イヤミ)創元社さんのことなので、きっとまったりのんびり翻訳中なんでしょう。

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September 17, 2005

平成ライダーの六年間を振り返る クウガ編①

興味のない方にはどうでもいいことだと思いますけど、現在放映中の『仮面ライダー響鬼』をとりまく状況が、なかなか大変なことになっています。そこで現行スタッフに「がんばれ」という思いを込めて、長いこと棚上げにしていたこの企画に手を付けることにしました。大体各作品4回ずつを予定。最初は2000年に放映された『仮面ライダークウガ』の革新性について語るであります。

主なストーリーを。長野山中に埋められていたある遺跡の封印が解かれたことにより、現代に凶暴な超人種「グロンギ」が復活。彼らは種族内での覇権を握るため、「人狩り」という名のゲームを始める。偶然その場に居合わせた冒険家・五代雄介は、封印の側に置かれていた秘石“アマダム”の力により、伝説の戦士「クウガ」になる力を得る。「みんなの笑顔を守るため」五代は刑事・一条と共にグロンギの蛮行に立ち向うことを決意する。

最初にクウガのデザインを見たのはホビー誌『フィギュア王』の表紙。いかにも子供受けしそうなシルエットと配色に、「ライダー=ダーク」なイメージを持つ自分は、少々がっかりしました。でも子どもの頃からライダー派だったので、付き合いのつもりでチャンネルを合わせたのでした。
正直言うと最初の頃はよく寝ぼけ眼で鑑賞していたものでした。しかし何話か観ていくうちに、次第にスタッフの異様な熱気に気づき始めたのです。まず場面ごとに入る「○○時○○分 どこそこ」というテロップ。そして作中で話される「グロンギ語」。一番組のためにわざわざひとつの言語体系をこしらえてしまうとは、まことに驚きです。このグロンギ語、ちゃんと意味があるのに、作中では訳が出ず、彼らの不気味さを一層引き立てていました。
『クウガ』放映の少し前、『ウルトラマン研究序説』のヒットにより、多くの特撮関連の書籍が発行されました。その中には『仮面ライダー』に対する野暮な突っ込みが書かれたものも幾つかありました。例えば
・ライダー世界の警察は影が薄いけど、一体何をやっているのか
・なぜライダーはわざわざキックで怪人を倒すのか
・悪の組織はなぜいつも怪人を一体ずつしか出動させないのか
・ライダーはなぜいつも同じような砕石場で戦っているのか
など。別に答えなくてもいいようなこれらの疑問に対し、『クウガ』はひとつひとつ反論を返していくようなつくりになっていました。そのあたりに、わたしはスタッフの異様なこだわりみたいなものを感じたのでした。

その「異様なこだわり」が顕著に表れたエピソードが、第1回における「教会炎上」です。この話、当初は教会の中でクウガと怪人がただ取っ組み合うという予定でした。ところが脚本家がトイレに行っている間に、「燃え上がる教会の中で戦う」という風にプロデューサーが変えてしまった。尻込みする一同に対し、Pは「いいか。歴史はバカが作るんだよ!」と言って押し切ってしまったそうです。いやあ、漢ですね(笑)。
ただ、この「教会炎上」のためかなりの予算が吹っ飛んだらしく、以降『クウガ』は上と予算と時間の点で苦しい戦いを強いられたようです。そのためか終盤になると、いきなり話が飛んでたり、クウガがいっぺんも変身しないはなしもあったりします。自分の納得のいくものを作るためには一切の妥協を許さない、という姿勢はまことに見上げたものです。しかしあまりにこだわりすぎると、いずれ破綻が生じてしまう。幸い『クウガ』は最後まで走りきることができましたが、この辺、作り手としては誰もが経験するジレンマなのかもしれません。

次回は「仮面ライダー」としての『クウガ』について語るであります。

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September 16, 2005

悪い子の学習帳 大場つぐみ・小畑健 『デスノート』

本日は昨年コミック界の話題を席巻したこの作品を。
非凡な受験生・夜神月(ライト)は、ある日風変わりな一冊のノートを拾う。それは死神が現世に落とした、名前を書いただけでその人間を殺せる本、「デスノート」だった。日常に退屈しきっていたライトは、死神リュークのサポートのもと犯罪者をバンバン殺しまくり、この世の救世主となろうとする。しかしその行為を「悪」と糾弾し、ライトに挑戦状を叩きつけた者がいた。彼の名は「L」。世界最高の探偵と噂され、姿をみせないにも関わらず、インターポールを動かすほどの実績と人脈を持つ男。こうしてライトとLの、知略を尽くした戦いが始まる。

このマンガ、どこに行っても「スゴイスゴイ」と評されているので、「そんなに面白いのかね~」と、ややひねくれた気持ちで手に取りました。しかし、読んでみてわかりました。この漫画が、なぜそれほどまでに話題になったのか。とにかく、着想、展開、キャラクター、絵、どれもが群を抜いています。そしてなにより作品に勢いを感じる。いま連載されているコミックの中で、かなり先端に位置しているのは、まずまちがいないでしょう。
けれど、合わない人もいるだろうとも思います。このマンガはそれはもう「ドス黒い」物語だからです。これまで残酷な描写はあっても、基本的に正義がゆらぐことはなかったジャンプ。そのジャンプにあって、これほどまでにダークサイド満載な作品は極めて異例です。ライトもLも“正義”を声高に主張しますが、彼らの行動原理が「退屈だから」であるのは一目瞭然。まさに正義なき戦いです。あるのは「友情・努力・勝利」ではなく「疑心・知略・制裁」。この黒さはむしろ70年代のマガジンやチャンピオンを連想させます。

作画担当の小畑健氏は『ヒカルの碁』でブレイクしたことで知られています。このマンガを『ヒカル』と比べてみると、大変コンセプトが似通っていることに気づかされます。平凡な日常を送る主人公のもとに、突然現れる超常的存在。主人公以外に見えない「それ」は、少年を広い世界へと導きます。主人公の名前や風貌、顔の見えない状態での死闘、というところも似ています。それでいて両作品から受ける印象は対照的です。藤原佐為がヒカルを健康的に成長させるのに対し、死神リュークとデスノートは、ライトを死神以上の怪物に変えていきます。
普通こういうのって、他誌で違う作家を使ってこっそりわからないようにやるもんですが、同じ雑誌で同じ作家を使ってやってるあたり、ジャンプもなかなか図太い(笑)。けれどこの対照性が「二番煎じ」というイメージを感じさせないようにしています。

まず絶対ありえないような状況をこしらえて、ああでもない、こうでもないと論理を組み立てていく流れは、『ジョジョの奇妙な冒険』を思い出させます。また前述の、日常に異常な存在がやってくるというコンセプトは、一連の藤子不二雄作品に源を発するものかもしれません。もちろん、のび太がデスノートを使って殺人をおかすなんてことは絶対にない。でも魔太郎ならたぶんやる(笑)。その黒さに目を奪われがちですが、こんな風に『デスノート』は過去の様々な少年マンガの面白さを抽出し、独特のアレンジを加えた作品といえます。

さて、正義だなんだと理屈をこねくりまわし、その実極めて自分勝手な動機で凶行に走る・・・・というストーリーはマンガ版『罪と罰』と言えるかもしれません。果たして現代のラスコーリニコフたる夜神月に、罰が下される日はくるのか? 『デスノート』は集英社より現在8巻までが刊行中。7巻でちょうど第一部完結、みたいな感じなので、追いつくには今がちょうどいいころかも。個人的にはこの7巻、けっこうこたえました。

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September 14, 2005

ついでに大河ドラマ『義経!』も振り返ってみようのコーナー⑤

第34回(8/28放送分)
あの・・・・ 徳子です・・・・ いままでセリフもほとんどなかったのに、急にまとめをやれなんて言われても、あの、その・・・・ 本当にどうしたらいいのか・・・・ ウナギ屋やアテンダントしてたころはこんなんじゃなかったのに・・・・
ああ! 誰だ、こんなこと思いつきやがったやつは! てめえか!(バキ)
えっと、この回の『義経!』さんですけど・・・・
・義経の妻と、愛人と幼馴染
・今日からテン皇!
・密書ン・イモウト白旗フル
・おばあちゃんの戦場レポート
上から読んでもマサ子サマ、下から読んでも(略)

第35回(9/4放送分)
「平家一門でーす!」「イエーイ」(ドンドンドン パフパフパフ)「みなさん、いままで応援ありがとうございましたー!」(「サンキュー!」)「我らの出番はこれで大体終わりですが、これからも大河ドラマをよろしくお願いしまーす!」(「もう観なくていいぞー!」「バカ!」)「さて、我々はこれから『季節はずれの怪談物語 耳なし方一』好演ツアーのため、各地を回る予定です。次はみなさんの町にいくかもしれません。そのときはどうぞよろしく。
おっと、この回の『義経!』くんですが
・葬り去られたカコ
・魔術使いヨッチャン
・いまのきみはキラキラに光って
・海底に今マイル
の4本でした! ♪ほーたーるの ひーかーり おい! 来週も出番あるってよ!

第36回(9/11放送分)
九朗義経です! とうとう平家一門を殲滅することができました! これもひとえにみなさんの応援あってのこと。まことにありがとうございました! えー、ほんとうならボチボチ祝賀会とか優勝パレードとかあってよさそうなものなんですが、兄頼朝からはいまだに一通のメールもきません。おかしいなあ。ま、あの人のんびりしてそうですからね。気長に待ちます。おくさんに色々パシらされてるのかもしれないし。ぼくみたいに女の子をうまくあしらうことができればいいんですけどね。ハハハ。
さて、この回の『義経!』くんは
・フラッシュバックによろしく
・負け残り組の肖像
・失われし宝剣の伝説
・再会は別れの始めなり
でした。あ、メールきた。・・・・・スパムかよ!


さて、中盤をざっとふりかえります。義仲追討を経て、一の谷、屋島、壇ノ浦と、とりあえず順当な展開でした。仕事がなくてやきもきする毎日、七月にヤマ場、選挙のため放送時間くりあげ、徐々に忍び寄る暗い影・・・・ なんか去年やってたドラマを思い出すなあ。あれ、なんてタイトルだったかなあ。
本来なら一番華々しいころなのに、ムード暗いですよね。たしかに義高の最後は痛ましすぎるし、戦う相手は同族や窮地の者たちだし、暗くなるのも仕方ないかも。でも、これからもっともっと悲惨な展開がまちうけているんですけど。
わたくしも色々源平ものを読んだり見たりしてますけど、それでも知らなかったことも多々あり、勉強になりました。重衡が鎌倉に送られたりとか、逆櫓を巡る口論、熊野水軍に関する事柄なんかは初めて知りました。この辺の流れは単に戦略ものとして面白かったです。
序盤MVPが清盛だとすると、中盤は後白河法皇さまでした。いや、ワルですよねえ。しかもへ○レ。先日ある批評に「いまだからこそあんな風に法皇を描ける。十年二十年前皇室をあんな風に描写するのはタブーだった」とあり、なるほどと思いました。法皇様の背景を知ると、あれほどまで権力に執着するのかわかる気がします。ずっとお爺さんの操り人形で、やっと自分の時代が来たかと思ったら、武士どもが天下をもってっちゃうわけですから。最終的にこの方もどうなるのか、興味深いところです。
さて、いよいよ『義経!』も終盤戦(早いなあ・・・)。これからは見るのが辛くなりそうですけど、一応最後まで付き合うつもりです。

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September 12, 2005

適当掲示板14&SGA屋昆虫記

毎度ありがとうございます。当ブログに関するご意見、ご感想や、皆様のお薦めのもの、その他なんでも受け付けております。

さて、またウチのママンの話です。
せがれの自分が言うのもなんですが、ウチのママンは少々変ったところのある方です。先日、彼女は屋上に植えてあるパセリに芋虫が這っているのを見つけました。こういう場合「キャア!」と叫ぶか、あるいはつまんで棄てるのが普通の対応ですけど、ママンはそこで何を思ったのか、パセリの栽培から芋虫の飼育にシフトしてしまったのです。還暦も間近だというのにいまさら自由研究ですか(笑)。「もっと喰えよ~」と、さらにパセリを継ぎ足すママン。その甲斐あってか4匹の芋虫は無事サナギになり、先日二匹が羽化いたしました。以下はその画像です(粗い・・・・)。
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まあたまにはこういうのもいいもんですね。花とちがってすぐにどっかへ行ってしまうのが難点ですけど。
とりあえずチョウ太郎・チョウ次郎(勝手に命名)の幸せを祈ります。くれぐれも
こいつ↓につかまらないように
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野獣のとなりの画像は少し前に仕事の途中見つけたカブトムシ。たぶん天然モノ。
近くのペットショップにでも売ってこようかと思いましたが、面倒くさいのでやめました。

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September 11, 2005

せっかくなんでSWをEP順に振り返ってみる③ 『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』

やっとたどりつきました。SW最終作『シスの復讐』もしくは「いかにしてわたしはウダウダ悩むのをやめ、身も心もダークサイドにゆだねるようになったか」でございます。まだ観てない人も(たぶん)いると思うので、構成の復習は今回カットです。

エピソード3に課せられた使命、それは純真なアナキン坊やが悪の化身ダース・ベイダーとなってしまった理由を、いかに自然に描けるか、ということでした。この点に関しては合格だと思います。ええ、わたくし大納得でございました。前にも書きましたけど、この「理由」に関してはすでにエピ2にて幾つかの伏線が張られています。ざっとあげてみると
・アナキンの悪予知夢
・蛮族皆殺し
・終盤、パドメを助ける、ほっておくでもめる師弟
・なぜジェダイは恋をしてはいけないのか?
というとこでしょうか。特に最後の項は「恋したっていいじゃない(古)」と思っていたので、「あー、なるほどー、そういうことだったのかー」と膝をうつことしきりでした。

さて、今回は共和制の死→帝政への移行という流れが語られました。こういう流れで思い出すのは、やはり古代ローマ。おそらく本作もその辺の歴史を意識していたと思われます。ただ、直接的ではなく、アシモフは『銀河帝国の興亡(ファウンデーション)』シリーズを経由してのものでしょう。けれどローマの場合帝政になって民衆が苦しんだかというと、そうもいえない面もあり、イコールで結んでしまうのは難しいところです。
むしろ 外の脅威を意識→世論の右傾化→軍備増強 という流れは、現在のメリケン合衆国とダブります。
この新三部作のプロットは9.11以前に練られていたので、最初からは意識していなかったと思います。しかしいよいよ最終作をてがけるにあたり、ルーカスには強く母国の現状を憂える気持ちがあったのではないでしょうか。
その線で考えるなら、共和国→アメリカ 通商連合→イラクなど中東 という図式がなりたちます。で、ジェダイはなんなのかというと、これはメディアもしくはジャーナリズムをさしているいんじゃないかと。メディアの力は強大です。その力の用い方によっては周囲に甚大な被害を及ぼしかねない。であるがゆえに、厳しい戒律でもって自らを律しなければならないわけです。「結婚禁止」というおきては、左右どの権威にも擦り寄ってはいけない、ということを意味してるのかもしれません。しかし正義であるべきものが体制の走狗と成り果てたとき、その国の暗黒時代が幕を開ける・・・・・

え~、ここまで書いておいてなんですが、これ、たったいま思いついた妄説にすぎないので、ハナクソでもほじりながら適当に読み飛ばしていただければ幸いです。
それにしても第1作の、あのお気楽痛快宇宙活劇が、こんなにも深刻な話になるとは誰が想像したことでしょう。まさに「フォースのみぞ知る」というとこでしょうか。ちょっとネタバレ気味ですが、絶望のなかに一縷の希望がさしこむ、ああいう終わり方はモロ好みです。なんか続けて旧三部作もみたくなりますね。

マイ・フェイバリット・シーン
まるで大道芸人のようなグリーバス将軍。多脚歩行メカブーム、どうやらアメリカに飛び火した模様。

このエピのR2
敵戦艦内部にて、戦闘用ドロイド二体を意表のつく仕方で瞬殺するシーン。強い・・・・

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September 09, 2005

角川お化け祭り 三池崇史 『妖怪大戦争』

えーと、これまだやってるのかな。本当は『姑獲鳥の夏』が見たかったんですけど、公開終了してたんで代わりの“妖怪もの”であるこれを観ました。
両親の離婚のため、東京から鳥取県に越してきたタダシ少年は、村の祭りの際、「この世を救う」伝説の“麒麟送子”に選ばれてしまう。そのころこの国に深い怨みを持つ魔人・加藤保憲は、妖怪たちと棄てられたものたちの怨みを利用して、世界を闇に包もうと画策していた。妖怪ショウジョウは加藤の野望を止めるべく、麒麟送子の力を借りようとするが・・・・・

あらすじを読むと「『帝都物語』の作者に許可は取ったんかいな」と思いますが、ご本人自身がプロデューサーに名を連ねておられました。ですからこの作品は『帝都物語・お子様編』と言っていいかもしれません。
三池作品は初めて観ましたけど、いや、大したバカパワーです(バカにしているわけではない)。真剣に語っているのかと思うとベタベタなギャグで落としてしまったりするので、真面目な方には向かないんじゃないでしょうか。
それでも全体を通してみると、はっきりしたテーマがあることがわかります。それはあのマータイさんもおっしゃっていた「もったいない」ということ。小豆の一粒といえど、無駄にしてはいけない。とても役に立つと思えないようなものにも、大切な意味がある。そう、別にマータイさんが今さら強調しなくても、この国では昔から「モッタイナイお化け」がそのことを訴えつづけていたのです。
お世辞にも道徳的とはいえない作品ばかり作っている三池さんが、そんなこと言うなんてねー、と多少冷笑的にもなりますけど、個人的にそのメッセージには大賛成です。わたしも食べ物とか無駄にするの大嫌いですから。賞味期限的にヤバイ橋をわたることなんてしょっちゅうです(単に意地汚いとも言う)。
全国の子供たちも、物を粗末にすると必ずお化けの報復にあうということが、よっくわかったことでしょう。

やや脱線しました。主人公タダシを演じるのは名子役神木隆之介くん。この子も人間離れした役が多いですが、今回はごくごく普通の少年をやっています。でも周りがお化けだらけ。昔マンガを読んでいて「こんな丸きり女の子の顔した男の子なんていねーよ」とよくツッコミましたが、最近は本当にそんな顔をした子がいるから驚きです。そういえば『皇帝ペンギン』の吹き替えもやってました。
そんな神木くんにまさるとも劣らぬほど可愛いのが、妖怪スネコスリ。あからさまにぬいぐるみでも、ピ○チュウのバッタもんでも、ほんっとうに可愛い。いや、スネコスリが出て来るだけでも、この映画を観る価値があります。キュッキュッキュ~ン
ミステリファンは宮部みゆきや京極先生のカメオ出演なども楽しめるでしょう。そして生ける妖怪とも言うべきあの御大も笑える役で登場しています。

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September 07, 2005

NINPO CHA-CHA-CHA! 村山知義 『忍びの者』 

だーれも覚えちゃいないと思いますけど、二月に掲示板で予告した『忍びの者』、ようやっと登板となりました。うっうっう・・・・・ どちらかと言えば市川雷蔵主演の映画のほうが有名かもしれません。

忍者ものには「バカ系」と「リアル系」の作品があります。忍者を超人としてとらえ、チャンバラやドロンドロンをメインにしたものが「バカ系」。対して忍者をスパイとみなし、歴史の裏面を描いたものが「リアル系」。前者の代表が山風忍法帖や『伊賀の影丸』とするならば、後者の代表が『忍者武芸帖』、そしてこの『忍びの者』というところでしょう。

時は戦国時代(ん?)、織田信長が台頭してきたころの話。伊賀に生きる忍者・カシイは、首領百地三太夫のもと、日々謀略と暗殺に励んでいた。彼の楽しみは近所に住む少女タモの面倒をみてやることだったが、そのタモを大名朝倉義景のもとに、“くの一”として差し出せという命がくだる。可愛がっているタモが「あんなことやこんなことになってしまうのでは」と想像すると、胸がチヂに乱れるカシイだったが、上の命令は絶対で従うほかなかった。このカシイの物語と平行して、己の野心を百地に利用され、蟻地獄のように罠にはめられていく忍者兼泥棒の石川五右衛門の話が語られます。

本作品が浮き彫りにしているのは「忍者」の特異性。忍者というのは極めてシビアな職場にありながら、それに見合った報いはほとんどありません。出世も財産も上限はたかがしれています。名声はといえば、敵に名が知れ渡った時点でそいつは「使えない」やつということになるので、これもアウト。せいぜい仲間ウチで「あいつスゴイよな」と噂されるくらいです。
でも忍者だって人間です。やっぱり何かそれだけじゃない、生きる目的がほしい。カシイのように愛する女にそれを求める者もいれば、一向宗への信仰にそれを見出そうとするものもいます。そんな忍者たちの激しくも儚い青春群像を描きつつ、物語は伊賀最大の災厄である「天正伊賀の乱」へとなだれ込んでいきます。

もう一点際立っているのは、伊賀の首領百地の底知れぬ恐ろしさ。あくまで領地を守るためにあの手この手で策謀を巡らしているのか思いきや、どうもこの男は人を「騙す」こと自体を面白がっているとしか思えません。その徹底振りはまさに「ここまでやるか」という感じで、最後にはミステリファンも驚くようなオチが待っています。
この作品が発表された当時、米ソはまだ水面下でビシバシと冷たいバトルを繰り広げていました。村山先生はもしかしたら、そういう対立の中、孤独な戦いを強いられるCIAやKGBの名もなきスパイたちのことを念頭に置いていたのかもしれません。

『忍びの者』はその後二作目、三作目と書かれていき、最終的には全五作が発表されました。作者はもっと続けたかったそうですが、そこで亡くなられました。ちなみに司馬遼太郎先生の『梟の城』は天正伊賀の乱から始まり、『忍びの者』にも出て来るある人物が重要なモチーフとなっています。

現在は岩波現代文庫版と理論社のOD版が手に入りやすいようですが、理論社の方はけっこう高い・・・・・ 古本屋で光文社文庫版もよくみかけますので、興味を持たれた方は探してみてください。ニンニン。

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September 05, 2005

賢義の野望 藤井栄香(先生) 『嗚呼! 戦国奇瓢伝 八角軍団』

本日は第1回SGA屋漫画文化賞奨励賞に輝いた、藤井栄香先生の『嗚呼! 戦国奇瓢伝 八角軍団』について語ります。現在時代劇専門コミック誌『乱』にて不定期掲載中。『風雲児たち』のファンサイトにて「応援してやりたい」などと偉そげな書き込みをしたら、御作者自ら「ありがとうございます」と返信があり、お尻から血が出そうなほど恐縮しました。いや、ネットってやつはどこでだれが見てるかわかりません。

時は戦国時代。北近江守護職にある戦国大名・八角賢義(タイプミスではない)は、あの手この手で天下を狙うが、これがうまくいったためしがない。どころか、敵の捕虜になってしまうこともしばしば。主君を取り戻そうと家臣らは策を練るが、これがまた空回ること甚だしい。果たして賢義が天下を手中に収める日はくるのか(無理無理)。

漫画文化の草創期、ギャグマンガはコミカルでデフォルメの利いた絵でなければならない、と相場が決まっておりました。そこへ風穴を開けたのが、みなもと太郎先生の『ホモホモ7』。赤塚調の絵にときたま劇画風のカットをいれることで、新たなギャグマンガを誕生させたのでした。で、その後もギャグマンガは細分化を続けていきますが、さすがに全編劇画調でギャグをやる人はあまりいませんでした。なぜかってえと、それは「手間ひまが余計にかかるうえに、あまり高く評価されない」から。漫画にかぎらず、お笑いというのはよほどのことがないかぎり「くだらない」「一過性のもの」とみなされがちです。
けれど、まるで流れ星のような「お笑い」に注がれるひたむきな情熱は美しい。『八角軍団』はそんな作品です。ただでさえ手間のかかる劇画調の絵で、舞台はしかも戦国時代。時代考証をした上で、ややこしい出で立ちの人物を、たくさん描かなければならない。特にこの『八角軍団』は群集シーンをあえて多用し、それ自体をギャグとしています。それほどの労力を、ただ「笑かす」だけのために注ぎ込む。いや、なかなかできることじゃありません。
わたしがなんとなく思い出すのは、チャップリンと並ぶ喜劇王のバスター・キートン。彼は観客を笑わすためだけに、命を張ったスタントを幾つも幾つもこなしました。時には首の骨を軽く折ってしまったこともあるそうです。笑わせるためには多大な犠牲もいとわない、そんなところがキートンと栄香先生は似ています。
そういえばキートンは、「異様な風体のものが群れをなす」ギャグを、傑作『セブン・チャンス』の中で試みていました。またずーっとしかめ面で黙々とギャグをこなしていくとこも、共通してるんじゃないでしょうか。

で、この『八角軍団』、開始からもう一年くらい経つのですが、不定期掲載のためいまだに単行本にするだけの量がありません(笑)。とりあえず最新号(10月号)にも出ていますけど、過去の作品は国会図書館に行くか、大衆食堂の雑誌置き場をしらみつぶしに当たっていくかしなければ読めません。じゃあどうしたらいいのか考えてみました。
・『乱』編集部に「薄くてもいいから単行本を出せ!」あるいは「『八角軍団』の増刊号を出せ!」と大量に投書する。
・同人誌にしてもらってコミケで売ってもらう。
・栄香先生のHP「栄香漫画フォーラム」(http://gurden.fc2web.com/)にアップしてもらう。
下に行くほど現実的ですね。えーとですね、これ、単なる思い付きにすぎないんで、栄香先生、あまり気にされんでください~(笑) 次号は載らないようですが、八角賢義の更なる活躍に期待しております。

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September 04, 2005

特別企画 ある日のSGA屋伍一Ⅱ

usatann-1薄暗くカビ臭い部屋で、独りうなだれているこの男の名はSGA屋伍一。

(おれもとうとう32歳。いつまでもこんなんでいいのだろうか・・・・・)

胸のうちに問い掛けるが、無論答える者はいない。


odsga851こんな日は、過去のつらい記憶が彼を責めさいなむ。

「気持ちはうれしいけど、SGAさんとわたしとは何かが・・・・ っていうか、根本的に違うのよ」

なぜなんだ・・・・ こんなにも愛しているのに・・・・


usa-3
そんな彼の悲しみを癒してくれるのは、サッ○ロド○フトワン。

他より50円ほど安いのは、実は発泡酒よりもさらに各下の酒類だから、
ということに最近ようやく気づいた。


usa-4「ウィ~ッ 酔った~ イイ気持ち♪」
・・・・って、前とまったく同じじゃねーか

戦え!! 何を!? 人生を!!

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September 03, 2005

いまだに大河ドラマ『新選組!』を振り返ってるよ!のコーナー⑦ 原田左之助の巻

ま、今回は順当に。

「時代に早すぎた男」ってのはよく聞くフレーズです。しかし原田左之助は、逆に「時代を間違えてきた男」とでもいうべきでしょうか。気性とかいでたちとか、なんか戦国時代の野武士みたいですよね。個性派ぞろいの新選組の中にあって、なお異彩を放っておりました。
今回原田くんに割り当てられたのは、「場を明るくする」という役割。名作『七人の侍』に、「うではイマイチなんだけど、明るい空気を持っていて、苦しい時には重宝な」キャラがいました。『新選組!』にあって、原田くんはまさにそんな存在でした。三谷さんは年末SPの座談会で「(セリフを)書いてて楽だったのは左之助」とおっしゃってました。執筆中、内容が内容だけに気の滅入る部分もあったでしょう。そんな三谷さんの「癒し」になっていたのは左之助のギャグだったかもしれません。えらいぞ! 左之助!
さて、今回有名になってしまったトリビアのひとつに、「原田左之助は切腹して失敗したことがあった」というものがあります。あの・・・・・ 普通、腹を切ったら死ぬんじゃないでしょうか? 人体にはまだ我々の知らない神秘が隠されているようです。

腹だ、じゃなくて原田くんを演じたのは、「ダンス甲子園」出身の山本太郎さん。実はわたし「元気が出るテレビ」ってみたことありませんでした。だもんで、初めて知ったのはNHK朝ドラ(またかい)『ふたりっこ』。片方のヒロインと恋仲になる、金持ちの御曹司の役(笑)。ちなみにその恋敵が伊原剛史さんで、こちらは平凡な床屋のせがれ・・・・ 普通逆だろ。
藤原くんと共演した『バトル・ロワイアル』は川田役でも知られているようです。最近はトップランナーの司会役も務めています。わたしが好きなのは『GO』のタワケ先輩役。あまり出番はありませんが、強烈な印象を残します。

では名(迷)場面を
・初登場の第2回。盗みに入ったところを見つかったのに、全然悪びれない。「生まれは伊予、好物は○○、好きな女は○○・・・・」 でかい・・・・
・再登場の第7回。関係ない宴席にちゃっかりとあがりこみ、あげくの果てに「あんたについていく!」 やはりでかい・・・・
・運命の第9回。「つねさーん。大福どこかなー。大福って・・・・素晴らしい・・・・」この盗み食いが歴史を動かした。
・とんで第22回。相撲大会にて高見盛のパフォーマンスを披露。三谷さんと「責任問題になったら、一緒に罪をかぶろう」と申し合わせていたそうです。
・第25回。平山を逃そうとしたら、逆にピンチに陥ってしまった山南さん。それを助けたあとで「戦場でためらったヤツはしぬんだよ」。あまり彼らしくないセリフではありますが、過去の苦労を想像させるシーンです。
・第27回。恋に燃えて大根を振り回すシーン。目がいっちゃってます。そしてこのあとえんえんとフラレ続けることに・・・・ 史実の彼は男前だったらしいですけど。
・第30回。作戦中おまさちゃんを助けに行ったことが問題になり謹慎。でも「むしろ楽」とか言っている。このあと造反組が全員おしかけることになり、状況は一変するが。
・第37回(だと思った)。「退屈だから」と沖田、藤堂を誘い、本願寺を探検。案の定お宝の巻物を「ビリッ」とやってしまう。わざとやってるとしか思えん。
・第38回。河合を助けようとバクチですってスッテンテンに。ただ、最後ハラハラと泣いているところはこちらも涙を誘われた。
・第40回。永倉・斎藤を勧誘する伊藤の前にしゃしゃり出て、「なんで俺は誘わないんだよ」と逆ギレ。で、みんあいなくなったあと、残ったご馳走をせしめる。
・第47回。別れの場面。「そう、おれ、アンタに感謝してる・・・・ でも・・・・」 ショパンをおかけください。

原田くんはこの後彰義隊に加わり華々しく散った、と言われていますが、それほど確証があるわけではないようです。また、大陸に渡り馬賊になった、なんて伝説もあります。ホント、漫画みたいなひとですね。「おれの人生もこれからだーッ」と叫んでいたように、その後も永く生き続けたと信じたいところです。

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September 02, 2005

ミュンヘンへの道 荒川弘・水島精二 『鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』 

いきなりテレビ版のラストをばらしてます。現在深夜の再放送を楽しみにしている方は飛ばしてください。

シリーズ終盤で、我々の世界とつながっていることが明らかにされた「錬金術」世界。主人公エドは弟の体を取り戻すことに成功するが、その代償としてこちら側の世界に、一人飛ばされてしまう。兄と弟はいつか必ず再会することを心に誓い、テレビ版は幕となりました。
で、劇場版。エドが飛ばされた先は、第一次大戦後の欧州。なりゆきでドイツはミュンヘンに滞在していた彼は、トゥーレ協会なる団体の陰謀に巻き込まれる。その陰謀とは、あちらの世界との道を開き、それによりナチスに政権をとらせんとするものだった・・・・ クーデターにオカルトめいたものの助けを借りようなんて、それこそファンタジーですけど、実際ナチスは神秘学にかなりの情熱を傾けていたそうなので、なかなかうまいところに目をつけた、というとこでしょうか。
テレビ版ではやんわりと訴えられていた「現実と向き合え」というテーマが、今回はかなり前面に出ています。1920年代のドイツは長引く不況、他国との緊張、右傾化していく世論・・・・と、今の日本とやや重なるところがあります。ひょんなことから知り合うことになった映画監督フリッツ・ラングを、「空想の中に逃げ込んで、起きていることに目をそむけるのか」ととがめるエド。かなりのオタクであると思われる會川くん(脚本)に、「そんなこと言われたくないな」とは思いますが、そのメッセージには頷けるものがあります。わたし自身マンガ・アニメ大好きでありますが、それにのめり込みすぎて、現実とのバランスを失わないよう気をつけんとな、と感じました。

先に述べたように、一応過去の現実世界を舞台にしているため、実在の人物の名もチラホラ出て参ります。この時代のドイツに興味のある方は、けっこう楽しめる・・・・・かと思うんですが、一方でやっぱりテレビシリーズを見てないとキツイかな、という気もします。なんせテレビ版で生き残ったキャラのほとんどが登場するうえ、彼らに対する説明がなんにもないものですから。まあテレビ版をがんばって一年見た人が一番楽しめるというわけです。もっともこの「付けたし」が良かったかどうかは、各人の判断にゆだねるしかないでしょう。わたしとしてはあってもいいし、なくてもいいかな・・・・というまことに優柔不断な立場。どうしてアナタっていつもそうなの? キライ!

失礼すますた。それにしても一度止まったはずの物語がまた動き出す、というのは感慨深いものですね。最近はそんなに珍しくもないですけど。個人的にアニメ作品で印象的だった例と言うと、『エヴァ』『ガンバとカワウソの冒険』『明日へフリーキック』というとこでしょうか。『エヴァ』はともかく、他のふたつはそう知ってるひとはおらんでしょうな。記事タイトルの元ネタも。

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