夕焼け小焼けの 井上雄彦 『バガボンド』
ちょっと時間ができたので、現在質・人気共に日本漫画のど真ん中を突っ走っているこの作品を。
少し前までずーっと連載が休止していたことはみなさんご存知かと思います。もしかしてこのまま終っちゃうんじゃないか、とも思いましたが、再開してよかった、よかった。
ストーリーはいまさら解説不要でしょう。吉川英治の名作を、『スラムダンク』の作者が新解釈でアレンジした作品。
1,2巻ではまだかなり原作に忠実です。ただこの部分にも、すでに井上氏独自のアレンジが既に見えています。原作の武蔵は登場時で既に「てっぺんを目指す」ことを目標としていますが、そう思い至った理由というのは実は書かれていません。発表された当時の男子にとって、それは至極当たり前の望みだったからでしょう。ですが、井上氏は武蔵の行動原理にこのような補強を加えています。少年武蔵が家を出て行った母親に会いに行く場面です。
ふっ・・・と顔が見たくなっただけだ ・・・・・・大きくなったと 知らせたかっただけだ
「武蔵・・・・・・!!」「帰っておくれ・・・ お父上の所へ・・・・・・」
強くならねば 心が揺れないように ひとりで生きていけるように
強くなる 誰よりも
涙ひとつこぼさずにそう繰り返す少年武蔵に、胸が痛くなるシーンです。このシーンひとつとっても、原作にある「求道精神」とは何かしら違うものがうかがえます。
3巻以降では、かなりオリジナルな展開が見られるようになります。例えば原作では武蔵は沢庵に捕らえられたのち、城の天井裏に長いこと幽閉されるわけですが、マンガではその辺はカットされてます。「城からでたあとの武蔵はもう人格者になってしまっている。僕としては若く未熟なまま、色々もがく武蔵を描きたかった」そんな風に井上氏は語っていました。「なるほど」と思いますが、スポーツマンである井上氏には、「そんな長いこと閉じ込められていたら、肉体の感覚や筋力は衰えてしまうだろう」という考えもあったんじゃないでしょうか。
俄然おもしろくなってくるのもこの3巻以降。まあすでに知っている話より、先がわからない話のほうが面白いのは当たり前ですけど。
で、14巻以降の「小次郎編」に入りますと。もうほぼ完全オリジナルといっていいような話になってしまいます。小次郎が聾唖という設定自体、原作とは大いに異なるところですから。わたしがこの部分で井上氏のカラーを強く感じたのは次のくだり。
小次郎の育て親、鐘巻自斎は弟子に乗り越えられてしまったせいで自暴自棄に。しかし赤子の小次郎を拾った事で生きる希望を見出す。彼が流れ着いた村の人々は、自斎を「役立たずの嘘つきジジイ」と嘲る。けれども自斎が村を脅かしていた悪党「不動」を倒したことで態度を一変。住んでいたあばら家から立派な家に住むよう勧めるが・・・・
ここでわたしはイヤーな予感がしたんです。もしかしてこの後自斎先生が有頂天になり、不動に成り代わって村人を苦しめるようになり、結局村人の返り討ちにあって殺されてしまうのではと。白土三平なら、まずまちがいなくそういう展開にすると思います。けれど自斎先生は「わしゃ、あのあばら家で十分」と、謙虚な態度を変えません。わたしはここでホッとすると同時に、井上先生のひとの良さを垣間見た気がしました。
絵柄について気づいた点をひとつ。とくに最近の画風に顕著なところですが、この人は「手抜きテクニック」がうまい。葉脈の一筋一筋を丁寧に描いた絵があるかと思えば、十秒で描いたような落書きみたいなコマもある。そしてそれが違和感無く同居している。こういうのどちらかといえば少女マンガによく見られる手法かもしれませんが、これほどまでにリアルとシンプルに差がある例は稀でしょう。『ホモホモセブン』の最終進化系とも言えます。
もうひとつは、このひとは凡人の書き分けがうまい。特にジジババ(失礼)。ジジババというのは描く人によって型にはまってしまったり、醜悪になってしまったりしますが、井上氏は実に多彩なジジババを、リアルに、しかも可愛らしく描いてみせる。その点では、活躍中の作家では浦沢直樹と双璧と言えるでしょう。
小次郎編に入って、主人公行方不明→時間軸が開始前に逆戻り→しまいにゃ長期連載休止 という流れには思わず頭を抱えてしまいましたが、最近ようやっと連載再開&武蔵再登場とあいなり、胸をなでおろしました。
と思ったらいきなり○○○さまがあんなことにーッ!! ほんでまた休みが続いてるーッ!!
いや、まったく油断ならん漫画でございます。最後まで書いてくださいよ、井上先生! 諦めたらそこで試合終了ですから!
Comments
私が「バカボンド」に興味を持ちつつ、読んでない理由。
①吉川英治の原作なんて古臭くって。
②全ページ、のどを除いて裁ち切りに引っかかって。
①は解決しました。3巻以降オリジナルが入ってくるし、現代的アレンジも加わっているとのことで、面白く読めるでしょう。
②はどういうことかというと、漫画の裁ち切りって、ここぞというときに場面を大きくするという効果、目線を枠の外に移動させて読むリズムに変化を持たせるという効果、その二つが主なものだと思いますが(少女漫画はもっと複雑だと思いますが)、全部裁ち切りというのは初めからその効果を捨てているわけです。
SGAさんは、読んでみてどのようにお感じでしょう。
とりあえず読んでみたいと思います。問題は時間だ……。
Posted by: かに | August 06, 2005 08:11 PM
こんばんは。
>全部裁ち切りというのは初めからその効果を捨てているわけです。
なるほど、ご自身もマンガを描かれるかに様ならではの着眼点ですね。最近の少年誌・青年誌ばかり読んでいると、なかなか気づきにくい点ではあります。
もしかしたら井上氏としてはコマを描くというよりは、フィルムを描くような感覚なのでは、考えてます。あと、彼は自身が相当作品の中に入り込まないとダメなタイプなようです。周囲の枠線を描くと作品と自分との間に距離を感じてしまい、勢いがそがれてしまうことを心配しているのでは・・・・と愚考する次第です。
Posted by: SGA屋伍一 | August 06, 2005 10:49 PM
某ドラゴン・チェリーブロッサムなドラマより
女「何読んでるの?}
男「歴史の勉強」
女「読んでるの蒼天航路じゃん。ドラゴンが
モーニングだからって」
男「それは言っこなし」
某二刀流の剣客登場、ズ-ン
知盛(じゃなくて桜木)
「お前を殴ったのは誰だ?正直に言え」
男「宮○六三四」
蒼天航路を読むならこれも読めと言って暴れ
たらしいw
Posted by: 犬塚志乃 | August 06, 2005 11:29 PM
すいません。ド○ゴン桜観てないんです・・・・
>蒼天航路
ぼちぼち終る、という話ですが、立ち読みで見る限りまだまだつづきそうな感じです。ドラゴンで三国志というと、『龍○伝』というのもありますが。
Posted by: SGA屋伍一 | August 08, 2005 11:56 AM
何かすごく膨大な量を、、色々と観たり読んだりされてるんですねぇ。そして沢山、考えてるんですね、SGA屋さんて…脳みそパンクしないんですか~。でも頭、ずいぶん柔らかくできているように思えますゆ。
Posted by: ほーりぃ | May 24, 2006 12:51 PM
いや、なんと言うか、他の皆さんより多少ヒマがあるだけです~
あと、わたしの考えることというのは、モノの役に立たないことばかりですね(笑) 脳みそはパンクというか、いい具合に発酵しております
それはそうと、『バガボン』、また休止して少し経ちますねえ。たしか小次郎が雪ダルマ見て「あうあー」と言ったページが最後だったか。はやいとこ再開してほしいもんです。
Posted by: SGA屋伍一 | May 24, 2006 06:42 PM
ぇえ~また、休止してたんですか。単行本を読んでいるので知らなかったです。次が待ち遠しいな…雪ダルマ見て「あうあー」かぁ。そうですよねぇ…早く続き描いてもらわないと、小次郎ちゃんも暇やもんね。。。
ぁ、単行本の一話毎に、ひとコマパロディみたいな、落書きのようなのがあるんですけど、そこにも井上氏の「人の良さ」が出汁のようにしみており、いつも美味しくいただいてます。
Posted by: ほーりぃ | May 25, 2006 12:48 PM
最近は二ヶ月単位くらいで書いては休み、書いては休み、という感じですねえ。今は伝七朗さんを殺すか生かすかで深ーく悩んでらっしゃるのでは、と憶測してます
>雪ダルマ
実はこの雪ダルマですねえ、・・・おっと
>ひとコマパロディみたいな、落書きのようなの
ああ、これいいですよねー。殺伐とした場面でも「ほっ」と一息つけるようで。この「ひとコマおまけ」、『スラムダンク』でもずっとありましたね。『スラムダンク』も大好きな漫画です。
Posted by: SGA屋伍一 | May 26, 2006 08:35 PM
>実はこの雪ダルマですねえ、・・・おっと
なになにー。雪ダルマのなかに、たろちんでも入ってるんですかっ?それが、雪見酒飲みつつ、おじぃの声で「にゃむ、別格」とか…言わないか。んー気になる。にゃむ
>『スラムダンク』も大好きな漫画です。
今でも日常会話のふとした場面で、台詞など活用しております。物運びながら、「左手は、そえるだけ…」とか(←迷惑)、ひとの顎あたりに下から手を添えて、たぷたぷしたりとか(←なんて失礼な。)
Posted by: ほーりぃ | May 29, 2006 12:46 PM
>雪ダルマのなかに、たろちんでも入ってるんですかっ?
うーん。惜し・・・くない(笑)
まあお楽しみに。奇妙な因縁とでも申しましょうか
『スラムダンク』の名ゼリフというと、自分は「あきらめたらそこで試合終了ですよ?」とかよく使わせてもらってます。
脂肪タプタプはよく実家の猫のおなかでやらせてもらってます。そいで怒られたりします。
Posted by: SGA屋伍一 | May 29, 2006 07:39 PM
単行本の最新刊、読みました。
>雪ダルマ見て「あうあー」
の箇所まで進んだのですが・・・な~るほどー。そうなりましたか。でも、又八さんじゃありませんが、この二人本当に対戦するのー、ぇぇ~?と思ってしまいますね。いえ、観たいですよもちろん。でもヤダなぁ(実際に、今回戦うのかどうかはまだ知りませんが。)
刀砥ぎのじぃちゃんの言葉に、美しいのであれば人斬りも肯定する、という内容がありました。社会的にみるとすっごくやばい発言だと思うのですが、このじぃちゃんの存在感が、説得力を持たせてる。とても印象深いです。
そこ読んでて思い出したのが、かつて小次郎と立ち合いした巨雲さん。おれたちは、抱きしめあうかわりに斬り合うんだなぁと、小次郎に語りかけるシーンでは、そのページを開いたまましばらく、ぼぉーっとしてしまったことです。この人たちは、そういう生きものなんですねぇ。
・・・って、井上氏はなぜ、そんな生きものたちの心境を描くことができるんでしょうか。この作者いろいろと、やばい(笑)
Posted by: ほーりぃ | June 27, 2006 12:46 PM
ごらんになられましたか
>この二人本当に対戦するのー、ぇぇ~?と思ってしまいますね
たぶん今回は顔合わせ程度だと思われます。剣を交えるにしても途中で邪魔が入ってお流れ、となるのではないでしょうか。
でもたしかに「宿命のライバル」というよりも、和やかにじゃれあう方が二人には似合う気がします(あくまで『バガボンド』での話ですが)
>おれたちは、抱きしめあうかわりに斬り合うんだなぁと、小次郎に語りかけるシーン
ありましたね。たぶんこの時代、人の命の価値は、いまよりもずっとずっと軽かったのだと思います。だから美や道を命より優先する、という人々の考え方もわからなくはありませんが、そいういのってやっぱりさみしい。戦いが終って「あうあー」と泣く小次郎の姿は、それをよく表わしていたと思います
>この作者いろいろと、やばい(笑)
『スラムダンク』のころは、あんなに明朗快活健康一直線だったのにねえ(笑)。とはいえ『バガボンド』でも根底に流れているものは一緒かな、という気がします
Posted by: SGA屋伍一 | June 27, 2006 09:30 PM
>そいういのってやっぱりさみしい。戦いが終って「あうあー」と泣く小次郎の姿は、それをよく表わしていた
「刀が究極に美しくある為には、刀であってはならない気がする」というのは、それだからかも知れませんね。(自信ないけど)
ごくまれに、「刀」じゃなく「まごの手」を所持しているらしい「山」のような人に出会う機会がありますが、井上氏もそうだったりして。教育上不適切な表現が多々あるように見えて、そんなこと問題にするのがばからしい位に深くて暖かい感じがしますね。褒めすぎかなー。
Posted by: ほーりぃ | June 28, 2006 12:49 PM
>「刀が究極に美しくある為には、刀であってはならない気がする」
含蓄深い言葉ですね。たしかに汚れのない真っ白な刃と血に染まった刀とでは、前者の方が美しい気がします。なんかずれたこと書いてる気もしますが
最終的に武蔵は「殺さずに」剣を究めていく道を見つけ出すのでしょうけど、それまでにまだいろいろ苦しむことになるんでしょうね
>教育上不適切な表現が多々あるように見えて、そんなこと問題にするのがばからしい位に深くて暖かい感じがしますね。
まえにインタビューで「人が死ぬシーンをあっさり書くことができない」とおっしゃってました。きっとどんなザコキャラでも死なすときは「すまん!」と思ってかいてらっしゃるのでしょう。だからか『バガボンド』は『スラムダンク』と比べて書くのが疲れると言ってました。
Posted by: SGA屋伍一 | June 28, 2006 09:43 PM
雪だるまのつづき
雪と、枯れ枝でたわむれる二人。ユルい…何というユルさ…この展開のしかた最高です井上先生!
今日の帰り道に、もしも小枝が落ちていたら私は躊躇なくそれを拾いあげることでしょう。そして大切な人のところへ赴き、それを用いて親愛の情を・・・イヤ無理ありすぎですね。そんな純真な人間じゃありませんし
失礼しました
小次郎が、一瞬刀身を覗かせたシーンはドキッとしました。さすが読者のツボをわきまえてるって感じですね
D・E・N D・E・N で・ん・サ・マ!!死ぬな伝さま!君には、とうに愛着が湧いている。
Posted by: ほーりぃ | October 24, 2006 12:50 PM
まさか雪ダルマがこんなにひっぱるとは思いませんでした
無邪気に小枝で遊ぶ武蔵&小次郎ですが、やってることは人斬りのシミュレーションなんですよね・・・ 怖い奴らだ
でもほーりぃ様はすっかりメルヘン気分に浸っておられるようで(笑)
小枝で大切な人を「スパッ」とされないようお気をつけください
>死ぬな伝さま!
たぶんモーニング編集部にはいまごろ彼への助命嘆願が山のように届いているはず。井上先生は味のあるいいブ男を描くのがうまいですよね。『スラムダンク』の赤木、魚住や、『リアル』の野宮とか
Posted by: SGA屋伍一 | October 25, 2006 12:14 AM