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April 30, 2005

今ごろ『新選組!』番外編② 司馬遼太郎 『新選組血風録』

というわけで『血風録』です。もう一つの“司馬版新選組”ですね。
長編小説だった『燃えよ剣』とは異なり、こちらは様々な隊士の列伝というか、短編集です。時系列がまるでバラバラに収められているので、新選組の歴史をおおまかに振り返ってみてからトライされるのがよろしいでしょう。
他にも違う点をあげるとするなら、登場人物に対する距離感でしょうか。『燃えよ剣』では読んでいて土方に対する愛情がひしひしと感じられるのですが、こちらでは各編の主人公に対して「ちょっと冷たいんじゃ」と思ったとが何度かありました。あんまし言うとネタバレになりますが、「・・・・・は死んだ」とあって、余韻をもたせることもなくすぐ終ってしまう。読者の感傷を拒絶しているような感さえあります。やはり司馬氏の手による短編集『幕末』もそんなテイストでした。
新選組の特長の一つにいわゆる「血の粛清」があります。退けば切腹、進めば斬り死にというあまりにも過酷な環境。本書では「血風録」とあるように、新選組の持つ、そんな血生臭い一面がよく現れています。また、どこに裏切り者がわからないという緊迫感も常にあります。ハンパな私立探偵が裸足で逃げ出すくらい、ハードボイルドな世界なんですね。
例えば「弥兵衛奮迅」というエピソードに出てくる富山弥兵衛の生涯は、固ゆで卵どころか、重金属なみにハードです。事実は時として、フィクションを軽く越えてしまうということを実感させられます。本当にこんな人がいたんだなあ、と。
そんな中にあっても、たまにひょうひょうとしたユーモアが漂っているのが多少救いになっています。やけに念入りにモチを焼いている土方とかね(笑)。くれるのかと思って手を差し出す山崎にむかって、「あげない」と言うとこがまた笑えます。
本書で目立っているのは、この二人の他にやはりというか、沖田総司。だけどこの沖田が、かなりヘンな奴なんです。芹沢排除決定のしらせを聞いたとき、「えー。芹沢さんかわいそう」と言ったすぐあとで、「でも最初の一撃はぼくがやりたい!」とぬかす。後半に入るとやや持ち直しますが、こんな変人に、よくあれだけ熱心なファンが付いたなあ、と思わずにはいられません。初期のドラマで沖田を演じた島田順司さんの功績でしょうか。
他にも近藤はもちろん、原田、永倉、斎藤、源さんがメインのエピソードもあります。観柳斎の話もありました。司馬先生と三谷さんでは、「へタレ」の扱いに大きな差があることがよくわかりました。
個人的には先にあげた「弥兵衛奮迅」と、山崎の皮肉な出自が描かれた「池田屋異聞」、近藤と沖田、それぞれの佩刀にまつわる物語「虎徹」「菊一文字」の4編が、とくに印象に残りました。
仮に幕末に生まれたとしても、絶対に新選組だけには入るまい・・・・そんな思いをいっそう強くさせられました。別項でも書きましたけど、夢を追うということは、本当に狂気と紙一重なんですねえ。

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April 27, 2005

今ごろ『新選組!』番外編① 司馬遼太郎 『燃えよ剣』

というわけで予告どおり番外編。子母澤寛の『新撰組始末記』とならび、その後の“新選組もの”全てに影響を与えたこの作品について語ります。
昨年は大河の影響か、わたしのまわりでちょっとした『燃えよ剣』ブームが起きました。みんな面白いと大評判。今さらながら司馬先生の筆力に感服致しました。
この作品が後の“新選組もの”に特に影響を与えた点を二つ。戦前・戦中は新選組は物語においてバリバリの悪役でした。政府の基礎を据えた方たちと真っ向から対立してたわけですから、当然と言えば当然です。けれどこの『燃えよ剣』が書かれたことにより、新選組も血に飢えた悪鬼の集団ではなく、それなりに夢を追う若者たちであったことが知られるようになりました。冒険小説でいうと『鷲は舞い降りた』と似た位置付けです。
もう一点。それまでは新選組といえば「近藤勇とその他大勢」というイメージでした。ところが本書により土方歳三の数奇な人生にスポットが当てられると、この後はどちらかというと土方・沖田を中心に据えた作品の方が多くなってきます。大河は一応近藤勇が主人公でしたが、この作品からも大きな影響を受けているとみて間違いないでしょう。

改めて読み返して印象的だったのは、上巻の土方の非情ぶり。姉夫婦から名刀を買ってもらった嬉しさのあまり、ついつい辻切りまがいのことまでやっちゃったりします。おいおい、トシさん、さすがにそりゃやばいよ。
その一方で沖田や近藤にはいたわりを見せ、下手な俳句なんかひねっていたりする。こういうアンバランスでクールな二枚目に、時代を越えて婦女子達はキューンと来ちゃうのでしょうね。ああ、腹立つ。
その土方も、下巻に入るとそれまでにはなかった、情にもろいような一面ものぞかせるようになります。「芹沢鴨、山南敬助、伊東甲子太郎・・・・・・それらをなんのために斬ったのかということになる。かれらまたおれの誅に伏するとき、男子としてりっぱに死んだ。そのおれがここでぐらついては、地下でやつらに合わせる顔があるか」
上巻の土方であれば、まず口にしないようなセリフです。遠からぬ挫折を予期してか、あるいはお雪という生涯の伴侶を得たことが彼を変えたのでしょうか。

土方という男には、どことなく優れた芸術家のようなところがあります。恋もするし趣味もある。でもなにより優先すべきは新選組という、優れた作品を描きあげること。そのためならいくらでも非情になるし、どんな犠牲をもいといません。けれども彼は製作の途中で、どうあがいても頭の中のイメージどおりには完成できない、という現実をつきつけられます。そこで彼は理想像を忠実に再現するやり方から、筆の走るままに自由に描くスタイルに切り替えます。だからでしょうか。北へ、北へと負け戦を続けていく中にあっても、彼にはあまり暗さがありません。むしろ意気揚揚と旅をつづけます。「新選組」の代わりに、今度はあたかも「自分の人生」という作品をえがくかのように。
長年倉庫に埋もれていたその作品は、司馬遼太郎という鑑定家に見出され、今では名画として、多くの人に親しまれているというわけです。

ガラにもなくマジメなことを書くと指がつる(笑)。次回は続けて『新選組血風録』について語ります。
補足トリビア:ブルース・リーの代表作『ENTER THE DRAGON』の邦題はこの『燃えよ剣』から取られたそうです。覚えて友達に自慢しましょう!

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April 25, 2005

ダーリンはGAINAX 安野モヨコ 『監督不行届』

安野モヨコさんという人は、オシャレでいまどきのレデェの漫画を描く人だと思っていた。まさかそんな人の本を買う日がこようとは。
『エヴァ』で一躍アニメ界のカリスマと化した庵野秀明と、安野女史のオタクな夫婦生活を描いたエッセイ・コミック。例えば第1話は奥さんがタイムスリップグリコのおまけを踏んづけるところから始まる。
「ごはんも食わんと菓子ばっかり食って いったい何歳なの!!」「10歳」
庵野氏は『エヴァ』のとき「シンジ君(14)はいまのボクです」と言っていた。退化してどうするよ(笑)
家中を特撮グッズやDVDで埋め尽くしていき、ところかまわずウルトラマンのポーズを決めまくるMr.アンノ。そのすさまじいオタクぶりは、オタク四天王の名にふさわしい。
Mrs.アンノは独身のころはまだオタク指数を低く保っていたらしいが、監督と生活するにつれ、自身も歯止めが掛からなくなっていく。「カントクのせいだよ」「服も全然買わなくなっちゃったし」「なんかどんどんヤバくなってる気がする」 ・・・・ま、相手が悪かったとしか言いようがないっすね。
この繊細で変人なダンナの奇行ぶりを、しっかり者でうっかり者の妻が面白おかしく伝えるというスタイル、「最近どっかで」と思ったら、今ちまたで流行りの『ダーリンは外国人』シリーズとまったくおんなじだ。ダーリンがヒゲを生やしててチリチリヘアーなとこまで一緒である。
わたしは『ダーリンは外国人』も楽しく読んだが、オタクにとってどちらが面白いかといえば、それはやっぱり本書のほう。出てくるネタの大体がわかってしまったということは、安野女史とほぼ同年代ということをさっぴいても、自分もかなりのオタクだということを再認識させられた。『リスのバナー』なんてタイトル、20年ぶりに目にしたしな。♪バナー きみはねこじゃない やさしいかあさんねこだけど(どんな家族だ)  あ、みなさん『熊の子ジャッキー』って知ってます?
そうした解説つきのオタクトリビアが楽しいし、跳ねたりもがいたりするカントクの珍妙なポーズもいちいち面白い。
やや前の年代のアニメ・マンガが大好きというひとにおすすめします。
最近庵野監督、日産のCMに出ているが、それを観ておもったのは本物はマンガよりいささかカッコイイということである。ずるいよ! オタクなのに!

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April 23, 2005

ヒューズがトンだ M・スコセッシ 『アビエイター』

たまにはマジメな映画も観ないとなー、ということで観てきました。・・・確かにマジメにイカれた作品でした。
もっぱら1940から70年代に活躍した大富豪、ハワード・ヒューズの物語。まあビル・ゲイツとかホリエモンのご先祖さまの話ですわな。
若くして莫大な遺産を受け継いだヒュ―ちゃんは、とにかく飛行機が大好き。飛行機の映画、飛行機の開発、航空事業の拡大・・・・・飛行機関連の事業のためなら、全財産をなげうってもかまわないくらいの偏執ぶり。ふつうこれだけ採算を度外視していれば、ちゃっちゃと破産してしまいそうなものですが、なぜかそれなりにキープできているから不思議です。順風満帆にいっていたかにヒュ―ちゃんですが、ライバルが指をくわえてみているわけはなく、政治家と組んで彼をつぶしにかかります。もともとエキセントリックなところもあるヒュ―ちゃんは、他にも色々あってノイローゼになってしまい、映写室に(なぜか)全裸でひきこもってしまいます。果たして彼は復活できるのか・・・・・というあらすじ。
この映画を観るかぎり、ハワード・ヒューズ氏は
・飛行機マニア ・巨乳好き ・重度の潔癖症 ・負けず嫌い
という人だったみたいです。そのどれもがハンパじゃありません。このイカれたお方をあのデカプリオが、「ここまでやるか・・・・」という迫力で演じています。もはや爽やかだった美少年の面影はありません。
監督はマーティン・スコセッシ。そう言えば世評高い『タクシー・ドライバー』も「狂気と孤独」を描いた作品でした。
例えるならストリーキングでしょうか。実際にやったことはありませんが、朝の爽やかな空気の中を、全裸で思い切り駆け抜けたらけっこう気持ちいいような気がします。だけどもしけつまづいたり、誰かに見られたりして正気に返ったら、とてつもなく不安になるのではないでしょうか。その不安をわすれるためには、ひたすら走る事に没頭するしかない。ヒュ―ちゃんの生き方はそれと似ています(はい、つっこんで)
ビッグなことをやるには、それくらい全てを投げ捨てて、アタックする必要があるということでしょう。もちろんそれだけやったからといって、かならず成功するとは限りません。しかし狂うのを恐れていては、確実になすことはできない。狂気とひきかえにしても夢の実現をめざすか・・・・凡人はこの辺で迷ってしまうわけですが。
やや皮肉めいていて、それでも前を見つめた結末に、スコセッシ監督のポリシーが重なる気がしました。

ヒロインはケイト・ブランシェットと、ケイト・ベッキンセールの二大ケイトが演じます。前者にはついつい岸○今日子がオーバーラップしてしまいました。
あと色々な形の飛行機が登場しますので、飛行機マニアはそれだけでも楽しめると思います。

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April 22, 2005

いまごろ大河ドラマ『新選組!』を振り返ってみようのコーナー⑫

総集編 友情・努力・敗北

今回はくだらない小理屈などをあれこれ。
昨年暮れ、総集編を観ていて改めて思ったのは、「そういやこのドラマはナレーションがほとんどなかったなあ」ということ。大体アヴァン・タイトルでどこぞのお兄さんが背景を簡単に説明するくらい。また、既に他のところでも指摘されている点でもありますが、一話がおおむね一日くらいの長さに相当しているところも史劇としては独特でした。これは三谷さんの舞台時代からの一つのスタイルなんですが、こうした形式をとることで、我々としては、あたかも実況中継を見ているような臨場感がありました。こう考えてみると『新選組!』という作品は、これまでの大河ドラマをリスペクトしつつも、様々な点で異例な作品であったと言えます。

そもそも毎年それほど熱心な大河ファンでもないわたし(『炎立つ』などは好きでしたけど)が、なぜこの作品に限っては一話も欠かさず視聴していたのか。それは三谷さんのエッセイ『ありふれた生活』で、「今回はマンガ『風雲児たち』にどれだけ近付けるかが目標」とあったからです。『風雲児たち』の大ファンで、三谷さんの中ファンであったわたしは、これはもう「観なければ」と心に堅く誓いました。
『風雲児たち』の作者、みなもと太郎先生は、「今の若者も幕末の若者も基本的には同じ。しかし今の若者が幕末にそのまま行って、幕末の偉人たちと同じ働きができるわけではない」というようなことをおっしゃっていました。『新選組!』はこの言葉を忠実に反映していたと思います。ギャグや食事のシーンをふんだんに盛り込んで、歴史上の人物を身近な存在にする一方で、あの激動の時代のただ中で、若者たちが一生懸命努力し、苦しみ、歓喜するさまが丁寧に描かれていました。
「子供たちにもわかりやすく」「史実を忠実に追うよりも、ことの本質を伝える」「娯楽精神を忘れない」「登場人物が“なぜそうしたのか”、を丁寧に描く」・・・・・・こうしたスピリットにも『風雲児たち』の影響が強く現れています。

このドラマは史劇とであると同時に、若者達の青春群像でもありました。実際三谷さんはみなもと先生との対談で、「新選組の軌跡と、劇団での若いころの経験がすごくかぶるんです」と言っていました。仲間同士でのぶつかり合い、志をともにしていながら袂を分かたざるを得なかった友・・・・ そんなことが東京サンシャインボーイズでも色々あったんでしょうね。そんなわけでわたしは最初から「史実性」とかは期待せず、一風変った青春ドラマ+少年マンガのノリで楽しんでいました。ただ、幕末というのは史劇の中でもかなり現代に近いところであり、資料もゴロゴロ残っています。加えて、新選組にはもともと熱心なファンもいるので、このノリに付いて行けなかった方たちも多くいたようです。その一方で、「これまで歴史に興味がなかった」のに、「これだけは面白かった」「これで歴史に興味が湧いた」という人も大勢いました。特にわたしの周囲ではそうした人が多かったです。

一年通して、本当に楽しませて頂きました。大河ドラマとみなもとマンガとこれまでの三谷作品が渾然一体となって、そのどれとも違うという、不思議なドラマでした。恐らく三谷さんにも、もうこんな作品は書けないのでは。だけどできることであれば、またいつかこんな史劇が観たいな、と思います。

完 
・・・・とできれば、まことにかっこいいんだけどな(笑) 終りそうで終らないこのコーナー。いつの間にやら当ブログの看板にもなっちゃったし。
次は番外編として、司馬遼太郎御大の『燃えよ剣』『新選組血風録』について語りたいと思います。

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April 18, 2005

モンスター・クリスト伯 A・デュマ 前田真宏 『巌窟王』

少し前に終了した深夜アニメでございます。
原作は誰しも耳にしたことがあるであろう、アレクサンデル・デュマの大衆小説。それを近未来に置き換えての映像化です。本当は監督の前田氏は、やはり名作と言われるA・ベスターのSF小説『虎よ、虎よ』をやりたかったそうなんですが、こちらは著作権などの問題で許可をとるのがむずかしく、『虎よ、虎よ』のさらに原案と言われるこの古典を選んだとのこと。
時代背景だけでなく、前田氏は原典にさらにひとひねりを加えています。原典は主人公・エドモン・ダンテスが親友に騙されて無実の罪で流刑にされ、いろいろあって金と力を得て、名を変えて復讐のために戻ってくるという、非常にオーソドックスでスカッとする復讐譚であります。けれど今回前田氏は、エドモンがパリにもどってくるまでの流れを大胆にカット。謎の人物モンテ・クリスト伯がパリの有力者の息子、アルベールと出会うところから物語は始まります。で、本作ではエドモンにとっての元恋人と宿敵の息子である、このアルベールくんが主人公となっています。まことにカッコよく金もあるモンテ・クリスト伯爵にどんどん惹かれ、崇拝に近い気持ちをいだくようになるアルベール。しかしやがて彼の真の目的を知ったとき・・・・・というのが前半のおおまかな流れ。そんな多感な青年の愛と裏切りがえんえんと描かれてまして、どちらかというと復讐のもたらす苦い面の方が強調されています。
この作品でまず目をひくのは、キャラに貼られた「テクスチャ」っていうんですか? 髪や服がガラスのように透けていまして、人物が動いてもその裏の模様は動かないという、ちょっと前衛的な手法。そうした演出は近未来というより、なんだか70年代のラブ&ピースでサイケデリックなアートを思い起こさせます。
そしてもう一つ気になるのは、おフランスが舞台のせいなんでしょうか。あからさまな描写はないものの、かなり濃厚なホモ臭さが漂っているんです。みなもと太郎版の、バカ丸出しのアルベールを知っている身としては失笑を禁じえないのですが、「伯爵とはなれたくない!」とモンテ・クリストにすがりつく彼、それをイライラしながら見守り、なんとか伯爵の足元を救おうとする親友のフランツ―という構図はちょっとげんなりします。
しかしこのフランツ、自分の思いは決して口に出さず、愛するアルベールのために命さえも投げ出そうとします。その純粋さは、ホモながらまことに天晴れ。
また、復讐のために全てを捨てたはずなのに、親友と恋人、両方の面影を宿す青年に、いつしか愛情をおぼえてしまう伯爵の煩悶も、このアニメの見所のひとつといえるでしょう。
萌え系アニメが幅をきかすなかで、こういう人間関係のヒダヒダを丁寧に描く姿勢には好感がもてます。監督は往年の出崎統作品なんかも念頭においていたそうなんで、『宝島』『ベルばら』が好きな方は気にいられると思います。そう言えば、伯爵とアルベールの関係は、『宝島』のシルバーとジム少年のそれに少し似ています。
マンガ版も『アフターヌーン』誌にて連載中。復讐はやっぱりイクナイ!、ということで。

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April 17, 2005

闘猫伝説 HARD PUNCHER モン吉 第1話

        第一話 「伝説のはじまり」

           mon-11
血を血で洗うコロシアム。そこでまた、新たな伝説が産まれようとしていた。
スーパーヘビー級タイトルマッチ。
挑戦者の名はモン吉。鋭い眼光は、すでに何人もの猛者を葬ってきたことを物語っている。

           sil-12
対する王者は、中東の英雄・アレクサンダー=シル助。
「若造が。チャンピオンという座の重みを骨の髄まで思い知らせてくれる」

闘志まんまん、という口調だが、腰はすでに引けている。
           mon-115
その隙を逃すモン吉ではなかった。王者めがけて必殺のコークスクリューブローが放たれる。
シュパ


           sil-1
モン吉のパンチはシル助のたるんだボディに命中
「グハッ」
成す術もなく、マットに仰臥するシル助。テンカウントを待つまでもなく、勝敗は決した。
「だがいいんだ。これでもう・・・」
シル助は、不思議と安堵感を覚えていた。
(BGM 谷村新司)

           aho-11
「グッドだ、モン吉」
リングサイドで不気味な笑みを浮かべる、辣腕プロモーター・SGA=キング。
背広が寄れているのは、片手で携帯を持って、自分で写した画像だかららしい。

           mon-12
こうして最強の称号を得たモン吉。♀なのに・・・・・・
だがそんなことは、既に作者も当人?も忘れてしまったようだ。

      つづく・・・・・のか?

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April 16, 2005

正義の見方 アレックス・ロス 『JLA リバティ&ジャスティス』

はじめに謝っておきます。今回のタイトルはダウンタウンのコントからの完全なパクリです。
こないだゼンザイ先生から「君のとこのマンガネタは食いつきが悪いね」と言われました。大きなお世話です。そして今日も普通の書店ではまずおいていないこんな本。先日紹介した『アストロシティ』と同じく、JIVEさんが出してくれたアメコミです。

この『JLA』という題名、決して「JAL」と間違えたわけではありません。「ジャスティス・リーグ・オブ・アメリカ」略してJLAなのです。直訳すれば「米国正義同盟」というとこでしょうか。
構成メンバーは超豪華。スーパーマン、バットマン、ワンダーウーマンをはじめ、フラッシュにグリーンランタン、アクアマンにホークマン、(鉄腕でない)アトムにプラスティックマン、etc etc・・・
まるでウナ重に牛丼にカツカレーに上寿司がいっぺんに運ばれてきた感じです(といっても日本人に馴染みがあるのは最初の二人だけでしょうか)。
スパイダーマンはなぜ入ってないのか。それは本を出している会社が違うからです。『JLA』はDCコミックスより出されていますが、スパイダーマン、X-MEN、ハルクなどはもう一方の雄、マーヴルコミックのキャラなんです。
話を戻して。JLAのメンバーはいつもは単独で行動しておりますが、全地球的規模の災厄が起こると直ちに集まり、一致団結してことに当たります。無論彼らにもそれぞれ事情や個性があり、そのバラエティを見ているだけでも大変面白い。例えばJLAは国防総省と提携しているんですが、「国に味方したくない」というバットマンは同盟を抜けています(でも影ながら助けてくれる)。みんながちゃんと正門から招かれている中、ひとり裏口かどっかから、こっそりと侵入するところは笑えます。他にも海を汚す人類を必ずしも快く思ってない、海底の王・アクアマンのような者がいるかと思えば、単に「ヒーローって気持ちいい!」って感じのフラッシュや、明らかに遊び半分でやってるプラスティックマンみたいのもおります。そういった王道からイロモノまで所属している、玉石混交なところがJLAの魅力のひとつといえます。
またこの「リバティ~」は普通の勧善懲悪路線とは少し違います。まず悪役に当たるのが宇宙から来た超ウィルスであるということ。そしてそのウィルスの威力を知った一部の人々はパニックに陥り、暴徒と化します。ヒーローたちは暴動を鎮めようとしますが、その行為が大衆から敵視されるきっかけとなり―というなかなか一筋縄ではいかない展開となっています。

あと、この作品の売りは、なんと言ってもアレックス・ロスの手による超写実的アート。1ページ1ページ、一コマ一コマが完成された絵画となっています。映画『スパイダーマン』をご覧になった方は、OPに出てきた流麗なイラストを思い出してください。あれもロスの作品です。
写真が発明されたとき、ある画家は「これで絵画は死んだ!」と嘆いたそうです。しかし実際には絵画は今もなお生きつづけております。
ロスの仕事も時として写真とみまごうほどの完成度でありますが、そこには写真にはない迫力と魅力が満ち溢れています。このペインティング・ア-トという手法、日本でももっと多くの人に味わっていただきたいもの。

ただこの本の唯一の欠点は(略)さんぜんよんひゃくえんです。アイタタタ。
でも決してそんなに売れるようなものじゃないし、これくらい付けないと商売にならないのでしょう。
JIVE AMERICAN COMICSが一日でも長く続くことを祈っております。

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April 15, 2005

サブマリン507 樋口真嗣 『ローレライ』

♪ローレンローレンローレン
ローレンローレンローレン
ローレラ~イ

と、予告のとおり映画『ローレライ』についてダベります。
先に紹介した小説版とストーリーの枠組みは共通しておりますが、肉付けは同時進行で進められていったとのこと。つーわけで、この二作品は原作→映画化というより、兄弟のような関係にあります。
ですからやはりというべきか、半分くらい違う話でした。まず、映画には小説版では重要なキャラであるフリッツ・エブナーが登場しません。こいつ気に入ってたんだけどなー。
他のキャラクターの過去なんかもほぼ全てカット。というか、各キャラの出自も小説とは微妙に異なっている様子です。
そのため、ストーリーは極めてシンプルな形となっておりますが、それが話全体のテンポをよくしており、これはこれで悪くない気がします。小説は余分があるのがいいところ、映画は無駄がないのがいいところ、という感じでしょうか。

わたしが小説より「いいな~」と思ったのは主人公、折笠征人の人物造形。小説版の彼もなかなか好感の持てる少年ですけど、ヒロインの前に出るたびにラブコメよろしくときめいたりヘドモドしたりするのは、自称ハードボイルダー(笑)としてはイライラするわけですよ。それよりは映画の妻夫木聡演じるぶっきらぼうで、ストイックな折笠の方が感情移入しやすかったです。
逆に映画版で苦しいな、と感じたのは浅倉大佐の言う「国家としての切腹」が、なぜあのような行動となるのかわかりにくかった点。それなりに脳内で補完することはできますが、正直この点に関しては映画のテンポの良さが仇になったようです。小説を読むと、そりゃ賛同はしませんけど、浅倉がどのような思考の果てにあの決断にいたったのかが、それなりにわかるようになっています。

(以下、ちょっとネタバレ)
ラストも映画と小説では色々異なっております。小説版は結局泣かされてしまいましたが、最後の方の艦長の決断には少々納得し難いものも感じていました。ですから映画版の、幻想の中に消えていくようなあの終り方の方が、さわやかとというか、抵抗感なく受け止めることができました。実際に戦争を経験した人は「あんなに甘いものじゃない」と思われるでしょうけど、死を美化せずに煙に巻くように終らせた樋口監督の方針はまちがっていないと思います。

映画で一番涙目にさせられたのは國村準演じる船医が、若い兵士に「これ持ってけ」とあるものを渡すシーン。ここはできたら実際に観て欲しいところです。
あと、清永・・・・・・ お前は映画でも小説でも悲しいキャラだな(ハァ) 

結論として「小説は戦記・冒険もの、映画はファンタジー」という印象です。けれど、小説で納得のいかなかった人は映画を観てほしいです。また映画を観た人は是非原作も読んで欲しい。この『終戦のローレライ』及び『ローレライ』はそんな風に両者を味わう事によって、一層の深みをかもし出す作品と言えるでしょう。
話を戻して恐縮ですけど、同時進行ですすめて言ったはずなのに、映画の公開は小説刊行の二年以上あと。この間隔を考えると、「やっぱ映画作るのって大変なんだなあ」とつくづく思います。そりゃ小説書くのだって決して楽ではないでしょうけど。

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April 12, 2005

適当掲示板5&花見報告

やっと携帯から画像をUPする方法がわかりました。ははは。
毎度毎度のこのコーナー、皆様のご意見、ご感想、オススメ品、小ネタ、大ネタ、お聞かせ願えれば幸いです。
で、既に一週間経ってしまいましたけど、伊東市は伊豆高原に桜並木を観に行って参りました。自分の企画にしては珍しくベストコンディションでよかったです。さて、うまく貼れるかな・・・
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とまあ、こんな感じで以下は近所で撮影したもの。伊東と熱海の「サクラ対戦」です。みなさんのご立派な画像に比べると、いかにもお粗末ですけど・・・
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おまけ 実家に住んでいる野獣
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得意技はコークスクリューブロー

あと最近買った本などを
マンガ:『キカイダー対イナズマン』① 『仮面ライダーSPIRITS』⑦ 『監督不行届』(安野モヨコ) 『毎日かあさん』②
小説:『バッテリー』(あさのあつこ) 『四日間の奇蹟』(浅倉卓弥)
今はゼンザイ先生が貸してくれた『新選組血風録』を今ごろ読んでいます。
明日は友人と上野の恐竜博に行く予定。・・・・雨みたいだけど。


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April 11, 2005

秘密のアツコさん 福井晴敏 『終戦のローレライ』

よしっ! まだ公開終ってないな!
前から予告していた『ローレライ』。まず小説版を紹介いたします。
1945年7月。既に日本の戦況はとうに限界にまで追い込まれ、全面降伏も時間の問題と思われた。
そんな折、ある事件で左遷され、いまは士官学校で教鞭をとっている絹見真一に、軍令部大佐の浅倉より特別な指令がくだる。こちらへ亡命してきたドイツ軍潜水艦が、途中でやむなくファージしてきたある物体を回収せよ、というもの。作戦に選ばれたメンバーは、その潜水艦のクルーだったドイツ将校フリッツ、地獄の南方より帰還した兵曹長・田口、特殊な技量を持つ少年兵・折笠など。よせあつめのメンバーで全貌を知らされぬまま、絹見は米軍の敵艦が待ち受ける海域へ向かう。しかしそれは「国家としての切腹」を断行しようと企む、浅倉の不敵な計画の第一段階にすぎなかった。・・・というのが序盤のあらすじ。

文庫にして4分冊。まんず大したボリュームです。自分が最近読んだなかでは、もっとも長い小説です。
福井氏はこれまでに、現代を舞台とした謀略軍事アクションを三作発表しておられますが、そのいずれもが「疲れた中年とひねくれた少年がコンビを組み、謎の美少女に絡む国家的陰謀に立ち向う」という体裁をとっています。
この作品でもそのスタイルはおおむね踏襲されていますが、このボリュームのゆえか、今回は「疲れた中年」に相当するキャラ(一人は若いですけど)が三人もいるという大サービス。また、第二次大戦中という時代背景のため、「少年」の役に当たる主人公、折笠征人もそんなにひねくれてはいません。

感心するのは、本当にまあ一人一人のキャラに、丁寧な背景が用意されているところ。冒頭で主役の潜水艦と対峙する新米兵から、1パートに登場する憎たらしい悪役にまで。ここで『スラムダンク』を思い出してください。あのマンガでは、試合が盛り上がっている最中に、「脇役」としかいいようのないキャラに突然スポットがあたり、その過去がえんえんと語られだすことがよくありました。ちょうどあんな感じです。普通これをやりすぎると最近の浦沢直樹のように、話がどこに向かっているのかわからなくなってしまうのですが、この『終戦のローレライ』では物語の本流がはっきりしているために、読者が混乱することはないと思います。
そうした「脇役の背景」というものは、別に作品にとっては全てが不可欠なわけではないのですが、考えてみれば現実には生まれながらの「主役」「脇役」というものは存在しません。強いていうなら全ての人がそれぞれの人生おいて「主役」に相当するわけで。『終戦のローレライ』もフィクションであるがゆえに限界はありますが、それぞれに備えられた細かい設定は、そんなことを思い出させます。

もう一つ強く感じたのは、福井ちゃんはつくづく「トミノの子」なんだなあ、ということ。ここでいう「トミノ」とは、もちろん『ガ○ダム』で知られるアニメ作家、富野由悠季氏のことです。
メッセージ性と娯楽性は、本来相性があまりよくないものです。メッセージ性が目立つと、読者としては説教させられている気分になり、興ざめします。そのメッセージが付いて行き難いもの、とんがったものならなおさらです。
で、『終戦のローレライ』はどっちかっていうと、そういう部類の作品なんですね(笑)。なんせテーマの一つが日本国民最大のトラウマである「第二次大戦をどうとらえるか」ですから。そういう主張を真剣に受け止めようとすると、クライマックスの主役メカ伊507によるサービス満天、迫力満点の大バトルも、「おれ、こんなんにワクワクしちゃってもいいんだろうか」と思ってしまう自分がいます。恐らく芸達者な福井氏にはそうしたことは十分にわかっているはず。でも書かずにはいられない。そんなところが福井氏と富野氏は大変よく似ています。そしてひっかかりを感じながらも、その豪腕ストーリーテーリングにひきずられて、わたしたちはついついペ-ジを繰る手が止まらなくなってしまうのです。

さて、『ターンA○ンダム』のノベライズも手がけていて、自ら『ガン○ム』ファンであることを公言している福井氏。実質の処女作である『川の深さは』では『ガンダ○W』のセリフを堂々と流用する、という不敵なことをやっていますが、『終戦のローレライ』でもどうも『○ンダムX』から取ったのではないか、というアイデアがあります。それにしても自分も『X』とかよく観てるよなあ(笑)。
次次項では先に原作を読んだ立場から、映画『ローレライ』を語ってみたいと思います。

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April 09, 2005

いまごろ大河ドラマ『新選組!』を振り返ってみようのコーナー⑪

当初は最後までいけるかどうか危ぶまれていたこのコーナーも、(数少ない)皆様の応援により、ど-にかここまで来る事ができました。まことにありがとうございます。
では張り切ってまいりましょう。十一回目です。

#47 ここがヤマでも山梨県
江戸に帰還した新選組。腰を落ち着けるヒマもなく、今度は空になった甲府城を守れという命令が降る。その道中、勇は故郷の人たちとの再会を果たす。
アヴァン・タイトルはおしっこの話題。先回との落差がすごい。いわゆる甲陽鎮撫隊の顛末が描かれます。さっさと城へ行けばいいのに、なぜ近藤はのらくらと時間をかけて向かったのか。二つの説があります。
A:どうせ先はもうないので楽しめるうちに楽しもうと思った
B:官軍はまだ当分来ないだろうとタカをくくっていた
このドラマではAの方針でいくのかと思いきや、もろにBでした。呆れます。
終盤で永倉と原田が離脱。永倉さんとはお互いわかりあって別れる、という形にしてほしかったけど、ものの見事に喧嘩別れでした(笑)。この辺、ちょっと唐突というか、スケジュールの逼迫が感じられました。サノスケ? あいつはまあ、逆にあんな形がらしいかと。差別かな。
終盤のキーパーソンは野田秀樹演じる勝海舟。新選組を厄介に思いながらも、同じ幕臣として申し訳なくも思っている。そんな感じが見てとれます。何しに出て来たのかわからない菜っ葉隊のビビル大木氏も登場。
この回の重要アイテム:マコトの旗。「この旗がオレを救ってくれた!」らしくない斎藤。でも微笑ましい。

#48 流れ流れて流山
「夢中弁解ヤマト」「加納さんの雪辱」というのも考えました。流山にて再起を図る新選組ご一行。しかし様子を見に来た官軍に怪しまれ、近藤は出頭を命じられる。行くべきか行かざるべきか―
全体として歌舞伎の『勧進帳』を思わせる展開。お役人の役になる古田新太演じる有馬藤太は暑苦しいながらも、情の篤い好漢として描かれています。
クライマックスでは近藤と土方の別れの場面が描かれます。必ず戻るといったのにあっさりゲロしてしまう近藤さん。山南さんもそうだったけど、どうしても少し粘れないのか。史実がそうなってるからしゃあないんですけど。
沖田の見舞いに来て「いつごろ死ぬんだ」と言う斎藤。かっこいいけど、実際には使えない、というか絶対に使ったらまずいセリフです。
冒頭で土方が「人は変っていかなきゃ」と言います。このドラマを通じて、みなそれぞれ成長しました。沖田、斎藤、平助etc・・・ 成長した途端お亡くなりになった方もいます(涙)。あと一番変ってないのは主役の二人のような気が。
この回の重要アイテム:今一度のコルク栓

#49 明治だよ! 全話終了!
もはやことは決した。近藤勇は板橋にて斬首。その報を聞き、彼を愛した人々はそれぞれの行動を取る。
このドラマには二つの課題があったと思います。一つは「人情家の近藤がなぜ“人斬り鬼”となったのか」を描くこと。もう一つは「主人公の斬首というラストをさわやかに締めくくれるか」ということ。二つとも満点とは言えませんけど、なかなか(特に後者は)がんばったと思います。
哀れなのは沖田。華々しく散る事もできず、お考ちゃんまでしなせてしまう。「彼の孤独を強調したかった」とのことですが、いくらなんでもこりゃあんまりです。
泣けるのは捨助。時として英雄になれないと悟ってしまった者は、どんな形であれ、本物の英雄と関わって生きたいと願うものです。それなのに「こんな奴知りません」といい放つ近藤さん。マジでむかついているようにしか見えませんでした(笑)。
全てを飲み込んで北へ向かう土方。彼にはまだ多くの冒険が残されています。
一番涙腺のツボだったのは最後の拳パックンチョ。近藤勇はここで生涯を終えるわけですが、彼の意思は多くの者に受け継がれ、平成のわたしたちの心をも動かす。すばらしいことじゃあーりませんか。
それでも「これじゃ尻切れトンボじゃねーか!」というあなたへ。この続きは
1.劇場版『新選組!』(あるのか?)で
2.○年後の大河『五稜郭!』(やるのか?)で
3.『風雲児たち 幕末編』(いつなのか?)で
楽しむことといたしましょう。
最後の重要アイテム:ジョン・健・ヌッツォの歌う『新選組!』テーマソング

ああ! 終った・・・・ 長い戦いだった(眠気と記憶力との)・・・・ 長いといってもしょせん三ヶ月程度ですけど
でもここまでやったからには総論みたいのも書きたいような、めんどいような。どうしよっかなー
(なんて歯切れの悪いEND) 

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April 05, 2005

ドラゴン・ファンタジーⅡ 島田荘司 『龍臥亭幻想』

というわけで昨日の続きです。コテコテなタイトルが付いてますけど、これ推理小説のレビューです。

あの惨劇から八年。再び龍臥亭を訪れた石岡とその他の面々。そこで石岡は、この地で「津山三十人殺し」よりもさらに前に、もう一つの陰惨な出来事があったことを知る。折りしも近隣では衆人環視の中、巫女が忽然と姿を消したという事件が起きていた。加えて山村に伝わる忌まわしき因習・・・ 旧日本陸軍の猟奇的な実験・・・ それらが深く絡み合ったとき、龍臥亭は新たな怪異に見舞われることになった。
下巻表紙には「御手洗潔と吉敷竹史!」とデカデカと書いてあり、否が応でも二人の名探偵の推理合戦を期待してしまいます。けれど、こういうアオリというのはスポーツ新聞の見出しと一緒で、信憑性はいいとこ4割くらい。それでも買わずにはいられないのが、ファンの悲しい性です。

さて、島田先生が以前から提唱しているものに「本格ミステリー論」というものがあります。彼が言うには、「本格推理」と「本格ミステリー」は違うものなんだそうで。
例えば土曜ワイド劇場なんかで血を流した死体が出てくれば、誰だって「人間が殺した」と思いますよね。それが普通の反応です。しかるに「本格ミステリー」はそうではないと。まず最初におどろおどろしい民話か怪談が語られます。その後それを再現したかのような事件が起きる。みんな「もしかしたらマジでお化けの仕業かも」と思ってしまうわけです。「たーたーりーじゃー」というアレですね。そこで終ればホラーかファンタジーなんですけど、「ミステリー」と付いているので、謎はちゃんと論理的に解明されるわけです。
言うなれば、最初から幻想性を廃し、論理性だけを突き詰めたものが「本格推理」。最初は幻想性を強調し、最後は論理で整合性をとるものが「本格ミステリー」と、こんなとこでしょうか。

で、この『龍臥亭幻想』、やはり御手洗シリーズと吉敷シリーズの中継点のような位置付けになるわけですが、前作にあった社会派風味は最小限にとどめられ、氏の言う「本格ミステリー」の王道を行くような作品となっています。真相は多少強引ではありますが、「バラバラの状態からつなぎ合わされた死体がひとりでに歩き出す」という謎をなんとか現実的に解き明かす過程は、まあ及第点にいっているのではないかと。
この作品でわたしがうれしかったのは「吉敷竹史健在なり」ということがわかった点。この吉敷という男、
ひらめきももっているけれど、御手洗よりも努力を重視するタイプ。また、世の矛盾を見過ごせない損な性分のため、この前の『涙流れるままに』では警察をやめるやめないの大喧嘩をやらかしてしまいます。そんなわけでそのまま吉敷シリーズが終ってもおかしくない雰囲気だったのですが、まだ続きそうということがわかってホッと一息というところです。
一方われらが石岡和己氏。前回はみごと事件を解決に導きましたが今回は・・・・・ ・・・・・ まあ、謎はちゃんと明らかになるのでご安心を。

さんざ待たせたわりにこの程度です。高野せんせえ、申し訳ない。
ファンとしてはまた御手洗と石岡のコンビの活躍がみたいですねえ。石岡君もずっと帰りを待っているだろうし。でも奴さんが帰ってきたら、ヒロインがあっちになびいてしまうのは火を見るよりあきらか。

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April 04, 2005

ドラゴンは寝ている 島田荘司 『龍臥亭事件』

島田作品との出会いは大学時代。綾辻行人の「館」シリーズにまずはまり、次いで師匠筋に当たる彼の作品に、というよくあるパターンだ。
戦後の推理文壇は、長い間“社会派”・・・社会問題の告発を主眼とし、トリックや意外性は二の次・・・が主流を占めてきた。社会派が衰退した後も赤川次郎のユーモア系、西村京太郎のトラベル・ミステリなどが人気を博し、ガチガチの本格推理は世に出にくい状況にあった。そんな中衝撃的作品『占星術殺人事件』(現在は講談社文庫より)をひっさげてさっそうとデビューしたのが、島田荘司である。この作品がなければその後のミステリーの隆盛ももっと違ったものになっただろうし、『金田一少年』や『名探偵コナン』もなかったはずだ(その証拠に『金田一少年』第二話では、『占星術』の肝心要のトリックをさっくりパクッたりしている)。
さて、彼の登場で復権を果たした本格推理だが、一方で社会派が元気がないのを見て、「よっしゃ、今度はオレが敵になってやる」とばかりに、島田先生、今度は社会派風味をとりいれた作品も書き始めた(熱いひとなのだ)。カッパ・ノベルスから出ている吉敷竹史シリーズが途中からその路線になり、講談社から出ている御手洗潔のシリーズは、本来の本格系を担うことになった。で、ようやく本題に入るが、この『龍臥亭事件』(現在は光文社文庫より)は作者の休止期間の後に、両シリーズの融合的役割も果たした、ファンにとっては言わば待望の書だったのだ。

昭和13年、岡山のある山村で、三十人もの村民が一夜にしてたった一人の男によって殺害されるという事件が実際にあった。俗に"津山三十人殺し”と呼ばれ、横溝正史の『八つ墓村』のモデルともなった事件である。その同じ村で時を越えて、かつての事件を連想させるような殺人が起きた。果たして凶悪犯・都井睦夫の亡霊の仕業なのか―というのが主なあらすじ。
この作品の変ったところは、探偵役を御手洗潔シリーズでワトソン役にあたる石岡和己氏が務めるというところ。御手洗が外国へ旅立ってしまったため、彼に事件を解決に導く役目が回ってきたというわけ。これまで御手洗におんぶにだっこで、決して天才とは言えない石岡くんに果たしてその役目が務まるのか― 読者はハラハラさせられる。マンガでいうなら、『キャプテン』の近藤編のような味わいか。案の定事件を前にして右往左往する石岡くんだが、終盤では奮起して見事な活躍を見せ、「よかったね、がんばったね」という感動を呼ぶ。
しかしそうした感動はこれまでのへタレな彼(石岡ファン、すまん)に馴染みがあればこそで、この作品で初めて彼に接する人は「モタモタせんと、はようなんとかせんかーい」と思うかもしれない。また後半でえんえんと展開される“社会派”部分・・・「津山三十人殺しの実像に迫る!」・・・は果たして本当にこれだけの長さが必要だったのかと考えると、首を傾げざるをえない。これまでの島田作品のスタイルに慣れている人ならばまだいいだろうけど。

そういうわけで(毎度似たようなことを書いている気もするが)、これから島田作品にトライしようかな、と思っている方は、まず『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』『異邦の騎士』他二、三の御手洗シリーズを読んでから、こちらを賞味していただきたい。特に最初の二編のトリックを、あなたは決して見破ることが出来ない・・・と思う(『金田一少年』を読んだひとは別)。
じゃあなんでこの作品をチョイスしたのかというと、昨年秋にこちらの直接の続編とも言うべき『龍臥亭幻想』が刊行され、ようやく読み終えたから。次項ではこの続編について語ります。

*この記事に限りなぜか謎の英字コメントが届くので、しばらくコメント不可といたします
ご意見おありの方は続く『龍臥亭幻想』の記事か、「適当掲示板」のコーナーに書き込んでいただけたら幸いです

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April 02, 2005

第1回SGA屋漫画文化賞

巷ではそろそろ手塚治虫漫画文化賞が発表される時期となって参りました。
そこで当ブログでもその向こうを張って、「SGA屋漫画文化賞」を設立することにいたしました。もはや「大それた」なんていうレベルの話じゃございませんが、法に触れるわけじゃないし、どうせ見ている人もあんまりいないだろうし(初期の“なるべく謙虚に”という姿勢はどこへ・・・・・)
ノミネート作品は以下のとおり

 大賞
 『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』 アラン・ムーア&ケビン・オニール JIVE
 『レ・ミゼラブル』 みなもと太郎 ブッキング
 『毎日かあさん』 西原理恵子 毎日新聞社
 『トライガン・マキシマム』 内藤康弘 少年画報社
 『メカ沢くん』 ダイナミック太郎&野中英次 講談社 

 特別奨励賞
 『戦国綺譚 嗚呼! 八角軍団』 藤井栄香 『コミック乱』にて不定期連載中
 『帰ってきたスパえもん』 FRANK‐T Planetcomics.jpにて不定期掲載中

翻訳、再販ごた混ぜです。
どれか一つ、なんてケチくさいことは申しません。全部にさしあげますとも、ええ。
だって賞金出さなきゃいけないわけじゃないし。
一応「第1回」とついてますけど、第2回があるかは微妙です。 

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いいも悪いもお子さん次第 横山光輝・富樫森 『鉄人28号』

さあて、またぞろぶったたかれそうな作品・・・と思いきや、そんなに評判悪くないみたいですね。良くもないけど。
原作は昨年亡くなった巨匠の古典的ロボット漫画。戦後まもなくだった舞台を現代に移し変えた設定となっております(でも小道具とか微妙に古臭い)。

突如として街に現れ、破壊を繰り返す怪ロボット“ブラックオックス”。亡き父の師である綾部博士と出合った金田正太郎は、父の遺産“鉄人28号”を操り、ブラックオックスと、その背後にいる謎の男・卓見零児との戦いに身をゆだねていくことになる。
この作品の一つのキモはやはりロボット戦。果たしてその出来はというと、ロボがアップになっているところはまあまあ迫力があります。ところがロングのシーンになるとややチャチく見えてしまう。なぜかと言えば、鉄人とB・Oのカラーがちょっとツヤツヤしてるせいなんじゃないかと。『MS08小隊』の飯田馬之介監督は、ロボの巨大感を出すため、遠くに見えるように体色をあえて淡い色調にしたといいます。この作品にもそういう工夫が必要だったんじゃないでしょうか。
他にもくさそうと思えば色々ある(オチがわたしの好きな某作品にそっくりだとか)んですが、やめときます。それはこの映画は、まず第一に子供のための映画だからです。細かいアラは置いといて、子供達がハラハラドキドキできて、観終ったあと「ぼくもがんばろう」と思えるんならそれでいいかと。そうした観点から見るならば、なかなかよく出来た仕上がりとなっています。例えば正太郎君は特殊能力を有しているがゆえに操縦者に選ばれたのですが、その割には操縦がド下手(笑)。でもその辺の子供にいきなりロボを操らせたら実際そんなもんじゃないでしょうか。また最初はヘタッピだからこそ、終盤自由自在に操っている点にカタルシスを感じられるわけです。作品にこめられた「理不尽な力には体を張って立ち向え。でもぶっ殺しちゃいかん」というメッセージにも好感が持てます。

あとこれは個人的な感想ですが、やはり鉄人は「親父」の象徴なんだなあ、ということ。『マジンガー』にもそういうイメージは受け継がれていますが、『ガンダム』あたりから父・母の両面を持つようになり、『エヴァ』では完全に「オフクロ」となってしまいました。何か時代の流れと関係あるのでしょうか(合体系はまた別)。

主人公を演じるのは『ラスト・サムライ』の好演が印象にのこる池松壮亮くん。ほかにも中村嘉津雄。香川照之、榎本明、薬師丸ひろ子など、渋めで贅沢なキャストとなっています。
くりかえしますと、「いやな予感がする」というオトナは観ないほうがいいです。まずお子さんに観て欲しい作品。けれど自分の行ったシネコンでは周りはオヤジばかりで、子供は全部『ワンピース』に流れていました。これが現実か。

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