ジョルジョの青い空 リザ・テツナー『黒い兄弟』
(「ハンサム双子の謎」の項からの続き)
で、『悪童日記』(ハヤカワ文庫でした)と色々共通点が多いなあ、と思うのが、この『黒い兄弟』。自分の持っているのは福武文庫の版ですが、現在はあすなろ書房版が手に入りやすいようです。
ドイツの方がスイスで書いた、イタリアのお話。父の畑が燃えてしまったため、ミラノに煙突掃除夫として売られたジョルジョ。彼の苦難、仕事、友情、抗争、ほのかなロマンスなどが、あたたかく活気に富む筆致で描かれています。タイトルの「黒い兄弟」とは、煙突掃除夫の少年たちが作った同盟の名前。
『ロミオの青い空』の題でアニメ化されたこともあるので、そちらでご記憶の方も多いかもしれません。主人公の名前が変更されているのは、「ロミオ」の方が日本人に馴染みやすいから、とのこと。・・・おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?
で、アニメ版では黒い兄弟が団結して雇い主に訴訟を起こすくだりが諸般の事情でカットになり、作品の出来がすばらしいものであるがゆえになおさら残念でございました。また、アニメでは主人公の親友アルフレードに関する痛快かつ感涙必至のオリジナルエピソードが多々あります。いつかこの両者が含められた「完全版」が観られないかなあ、と夢想する次第。
で、『悪童日記』との共通項ですが
・作者が女性で、亡命を経験している
・親を頼れない少年たちが主人公
・登場する大人たちは、人格面で難がある人が多い
・終盤における主人公の決断
などです。
しかし、作品から受ける印象は大きく異なります。『兄弟』の方が健康的で、読後感が爽やかなのに対し、『悪童』の方は全編シニカルでやるせない空気が漂っています。ジョルジョの方が双子より過酷な環境にいるのにも関わらず。
この違いはどこから生じるのか。もちろん作者の資質、対象年齢などもありましょう。ただ思うのは圧制的な政府から
いわれなき仕打ちを受けたとき、リザ女史は既に大人であり、自分で亡命を選ぶことができた。けれどもアゴタ女史は子供だったために自分ではどうすることもできず、国語さえ奪われてしまう。そして亡命に踏み切るまでにさらに長い月日を必要としました。その辺の経験が冷笑的、悲観的な視点となって現れているのでは、と愚考する次第です。
二作品計5冊読んでみて、「子どもにとって健やかに育つ環境があるのは当たり前のこと。しかしその“当たり前であること”というのは、けっこう貴重なものでもあるかもしれない」と思いました。
今の日本は、果たしてその点クリアーしているのでしょうか。
追記:アニメ『ロミオの青い空』は現在も熱心なファンによりHPが運営されています。URLは下記のとおり。
ttp://www2.tokai.or.jp/lmon/michiru
今秋には放映10周年を記念するイベントもあるそうです。
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