チャボじゃなくって ししゃもじゃなくって 橋本以蔵・たなか亜希夫『軍鶏』
廉価版完結記念。
この作品を初めて手に取ったのは二、三年ほど前、ブックオフで。以前から噂は色々聞いていた。冒頭部分を読んで「・・・えげつな。こんなマンガ、家には置いておきたくないなぁ」と思ったものの、そのパワーに引きずられるように、その場で15巻くらいまで読んでしまう。それからしばらく後、『イブニング』での復活にほっとしていたところへ、コンビニで廉価版を発見。迷いながらも、結局全巻買ってしまった。
東大合格間違いなしと言われながら、突如として「親殺し」という凶行に走った少年、成嶋リョウ。少年院に入った彼を待っていたのは、執拗なイジメの日々だった。しかし指導教官・黒川から教えられた空手を身に付けることにより、リョウは生きぬく術を見出す。少年院を出た彼は、リーサルファイト(ま、K-1ね)のスター・菅原直人の存在を知る。同じ空手を使う者でありながら、あまりにもかけ離れた位置にいる菅原を、リョウは激しく憎悪するようになる・・・
「親殺し」、それはオイディプス王の御世より語られながら、現代においても最大のタブーとされている。我々は当初成嶋リョウに忌避と侮蔑の念を抱くものの、血を吐きつづけながらもがくその姿に、いつしか哀れみと畏怖の眼差しを注ぐようになる。このあたりは、馳星周の暗黒小説と似たところがあるかもしれない。
しかし、そうしたショッキングな部分を剥ぎ取ると、意外にも『あしたのジョー』に対するまっとうなリスペクト作品であることが解る(この二つの作品に大きな相違点があるとすれば、ジョーが生い立ち的に限りなくフリーの立場にあるのに対し、リョウの方は肉親との愛憎にがんじがらめに縛られていた所から生じるのか・・・)この作品における「力石」である菅原は、そのモデルと同様、リョウをさらなる地獄へと誘うことしかできない。ならば悪魔=リョウの対極に位置する天使=トーマが、カーロス・リベラあるいはホセ・メンドーサの役割を果たし、彼に救済をもたらすのか。しかしこの物語が『ジョー』と同じ道をたどってゆくのであれば、「健全なる生への回復」という救済はありそうもない。
リョウの妹、ナツミは言う「ああしなければ、お兄ちゃんの心が殺されていた」
リョウは言う「おれは誰にも殺されない、誰にも奪われない!」
リョウの行為は決して正当化されてはいけない。だがどうすれば良かったのか? ここのところ、親が子供を殺すという事件をよく耳にする。永井豪が『ススムちゃん大ショック』を描いたころはSFだったことが現実になっている。そして、近年もっとも話題を集めている作品の幾つか・・・『ベルセルク』『バガボンド』(うがった見方をすれば『寄生獣』も)、そしてこの『軍鶏』も「子供のころ親に殺されかけた青年」が主人公となっている。これは単なる偶然なのだろうか。
親にすらその存在を否定された少年たちが、そのあまりにも過酷な道の途上で、ふと満天の星空を見上げて立ちつくす。そんなシーンがたまらなく切なく、いとおしかったりする。
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